磨硝子日記

すりがらすのブログ

6月のはじめのこと

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リーファンデさんがツイッターでいっていた『夏の終わりのハーモニー』を聴いてみたらすごくかっこよくて、そんな頭でいるときにたまたまユニオンでライブ盤をみつけたので、おもわずハッときこえるくらいの音量で息をのんで、ここ最近でいちばんすばやい動きでひきぬいた。井上陽水玉置浩二も有名な曲しか聴いたことがなかったけれど、こんなに強烈な個性をもっているふたり、おたがいに決して消しあわず、手をとりあい、目くばせをして、縦糸と横糸の綾なす無限大のハーモニーをかなでていて、ドラマチックなメロディラインもあいまって胸をゆさぶりまくり、ほんとうにすごい、つたない感想だけれどそうおもうしかなく、リーさんありがとうとおもいながら毎日聴いている。まだ夏はじまっていないけれどね。

井上陽水&安全地帯 夏の終わりのハーモニー


それからオリジナル・ラヴをやおら聴きはじめる。友達がカラオケで『接吻』を歌っていてすごくかっこよくて、それからずいぶんとたったけれども、ぽつぽつと聴いている。
このあいだ掃除をしようとおもってかけたら、聴きいってしまっていっこうに掃除すすまず。いままで聴いてきたオリジナル・ラヴ以降のいろいろなバンドの曲をおもいだし、たとえるならば、肥沃な土壌の養分をぐんぐんすいこんで育った栄養まんてんの牧草あってのおいしい牛の肉、すばらしい営み、ありがとうございます、というような深遠な気もちでありました。
そんなわけでオリジナル・ラヴ、順番にすこしずつ聴いていきたいとおもっている。最近売場であ行とか行の境目あたりを目を皿にしてみまわしているのはそのせいです。


9日、柴田聡子の神保町ひとりぼっちを観にいく。夏になると細い髪が湿気でくるくるとうねる柴田さんがかわいい。ワンピースがいつでも似あう柴田さんがかわいい。
柴田聡子の神保町ひとりぼっちとは。東京は神田にある神保町試聴室にて、柴田聡子がギター弾き語りで2時間ライブをするというものである。いつはじまったのかどのくらいつづいている企画なのかわからないのだけど、すこし前までは月1?隔月?とかで開催されていた。最近は不定期だけど、なるだけ毎回いきたい心もちでいる。

今回は前半をいままでの曲、後半がすべて新曲という攻めた構成。『スプライト・フォー・ユー』『あなたはあなた』『いきすぎた友達』『後悔』などおなじみの名曲たちで心をやわやわにほぐされたあとの、おどろきとあらたな感動にみちた新曲乱れ打ち、風穴がずばずば開くようであった。
ちなみに新曲のなかでは「やっぱハワイより 海へいこうよ」とはじまる曲が最高にすきだ。今年のワクワクミツメまつりでも柴田聡子 in FIREで演奏されていた曲で、試聴室でやる弾き語りもいいし、バンドバージョンもほんとうにかっこいいから全員聴いてほしい。曲中で「箱の中にはちばてつや」というキラーフレーズがブッこまれて、何度聴いてもその部分だけをくっきりおぼえてしまうのだけど、これははやく歌詞カードをみながら、全編の歌詞をとおして聴きたい曲でもある。
柴田さんの曲、とわたしがいうのも恐縮なのだけれど、いつも想像もしないことをあざやかに繰りだしてくる。
たとえば、『後悔』しかり、ポップで体をゆらしたくなるような曲調にあわせて、すごくせつないこととか、じんわりと余韻ののこることをうたう、というのがあり、それがまじかよみたいなおどろきでもあるし、そういう一見(一聴?)噛みあわなさそうなことをさらりとやってのける柴田さんはほんとうにすごいとおもわされるのだけど、このちばてつやの曲もきっとちゃんと歌詞をよんだらそんな曲なんじゃないかという気がしている。
そのほかの曲も、あんまりおぼえられていないけれど、Jポップ感(てなんだろう)のあるシンコペーションがきいていたりして新鮮だしエネルギーをたたえているなとおもう一方で、歌詞は「つくりもののまつげの後ろをながれる涙をホンダの軽で追いかけよう」みたいなことをいっていてもう胸のなかがぐちゃぐちゃである。
それから新曲『ジョイフルコメリホーマック』というのも多分にもれず、「道ばたには ジョイフルコメリホーマック」なんて一度聴いたらわすれないような強烈なワードを何度もおりこみながら、「あれやこれの使い道は わからないけど(?) ひんやりとした銀色の筒をなんとなく買ったね」なんていう後ひく言葉をつらねてくるから、ああなんだかあじわいぶかい、そういう気もちに着地するのだ。柴田さんの歌を聴いていると、かんたんには意味を推しはかれないことを、なんだかとくべつな意味をもっているようにおもわされるし、じぶんの体験していないことのはずなのに、記憶や経験のはしっこをちいさくふるふると共鳴させられる。柴田聡子はほんとうにすごいです。
この日のカバーはTWICEの『LIKEY』、韓国語で歌っていた。イ・ランちゃんの歌を聴いていて韓国語はら行の発音が丸っこくてかわいいなとおもっていたけれど、柴田さんが歌ってもやっぱりかわいかった。終わったあと譜面台をみにいったら、歌詞がぜんぶカタカナで書いてあってますますかわいかった。

ちなみにこのブログを読んでくださっている方から「すりがらのブログ、だいたい出張のときに新幹線のって『スプライト・フォー・ユー』聴いて泣いてるみたいなこと書いてるよな」っていわれたのですが、わるいかよそりゃあ大名曲だもの、いろいろなことを勝手にぶくぶくおもいだしてしまうから、泣きたいほうが涙こらえているのだよ、といいたい気もちである、でもブログをすみずみまで読んでくださっているのがわかってとてもうれしはずかしかった、ありがとうございます(前におしえてくださった『微熱少年』のカセット買いましたヨ)。いろいろな方にいろいろな音楽とか、それ以外のことをおしえてもらいながら、たのしくすごしています。

5月のおわりのこと

ながいことブログをかかないうちに日常のできごとをのこしておくのをなおざりにするようになってしまった。

岡村ちゃんのツアー、今回もとてもよかった。前日にツイッターで「あしたDATEです」とつぶやいたらなんだかいいねがぽんぽこついて、反応してくれた方には申し訳ないというか、申し訳ないこたないのだが、これはデートではなくDATE、すなわち岡村ちゃんのライブなんである。
前日はグッズリストをむうむうながめ、今回はほしよりこさんがイラストを手がけたグッズなどを狙いめに、ちいさなウエストポーチにココナッツトートをおりたたんでいれておく。ライブとなると開場してからのんびり入場することもしばしばだけれど、今回は開場時間オンタイムで到着し、整理番号コールをまつ、まつ、まつ、、、
会場はZepp Tokyo。お台場の赤い観覧車、いつぞやのDATEでマニピュレーター白石さんが「岡村さんと、観覧車のりたいですよねえ?」となげかけ、ベイベたちが狂乱する一幕があったことをわすれない。岡村ちゃんと観覧車にのっても、きっと一周おたがいにおしだまっておわってしまうにちがいないけれど、からだをちいさくまるめて固い椅子にちょこんと腰かけ、すべりどめの溝がついた床へと眼鏡ごしのまなざしを自由落下させている岡村ちゃんを想像すると、どうしようもなくI give you my loveなんである。
やっとこさ入場してみるともうフロアはほとんど埋まっていた。今回こそ前のブロックでみたかったけれど、整理番号が後ろのほうすぎたこともあり断念。1階の前のブロックのいちばん後ろにスタンバイ。

まずですね、幕があがった瞬間の1曲めが『ステップUP↑』、つづけて『ステップアップLOVE』だったのでもう完全にやられてしまいました。あのMV中盤の雨(あれはバスケットコートだから雨漏りなのかもしれないけれど)、そうだ、びしょ濡れでいいじゃない、、、(とおい目)
あとは中盤で『どんなことをして欲しいの僕に』、アンコールで『友人のふり』を聴けたのも感慨ぶかく、『どんなことをして欲しいの僕に』は白石さんによれば30年ぶりにライブでやったらしい。マイクと戯れている岡村ちゃんが遠くからみても恍惚のオーラをむんむんはなっていて最高だった。
岡村ちゃんのツアーにいくうちに、DATEにはいくつかおきまりの流れがあるというのがわかってきたのだけど、たとえば曲の途中のフリとか一緒にうたうところがきまっていたり、そしてセットリストにも定番があって、『あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう』でギターを弾いたらアウトロでギターをはずして『だいすき』、アンコール1回めでベースのヨコリンのMC「ダンス、チャンス、ロマンスは自分たち次第だぜ!」からの『Super Girl』、アンコール2回めの1曲めはギターかピアノか両方の弾き語り(ベイベへの愛の囁き&叫び)、など。
でも今回のセットリストは、『カルアミルク』のようないつもだいたいやる曲をあえてやらなかったり、そのかわり昨年リリースされた『ステップアップLOVE』『忘らんないよ』をどちらもやったり、あんまりライブで聴いたことのない曲をおりこんでいたりと(スティーヴィー・ワンダーのカバー2曲もふくめて)文字どおり目にみえる変化があって、でもそれはきっと岡村ちゃんがずっとやりたいことで、わたしは黄色い歓声をあげながら、しずかに胸をふるわせていたんである。岡村ちゃんは、更新していくいまが最高なのだ。

たっぷり3時間のDATEがおわり、名残おしくゆりかもめにのる。東京湾の夜景がこんなにきれいにみえるのは、毎回岡村ちゃんのおかげだよな、とかおもう。Tシャツがとてもかわいくて、たのまれて買うついでに自分のも買ってしまったけれど、トートバッグをのぞいてみれば胸におおきくプリントされた岡村ちゃんのイラストがみえて、きょうの、夢のようにたのしいステージをくりひろげる、たしかな力強さと愛をたたえた、むこうみずでいじらしくて、ひたむきな努力の人の姿をおもいだせば、あたたかいきもちが水彩画のように胸にしみこんでいくんであった。
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ドリーミー刑事とリーファンデと東郷清丸に会いに愛知県安城市へいってきた話

f:id:slglssss:20180429233153j:plain2018年4月14日(土)、昼過ぎ、東京駅。おおきなリュックに次の日のぶんの着替えだけをいれて、むかうは名古屋駅である。


ずっとたのしみにしていた日がとうとうきた。
まだ春のことなんて考えられないようなさむい日に、おしらせをみてすぐに申しこんだ。待ちに待ったライブの日だ。

主催、ドリーミー刑事さん。サニーデイ・サービス、ミツメやスカートなどのブログをご存知のかたもおおいこととおもう。ライブのレポートやディスクレビューなどをブログにアップされている、汗の匂いさえするような生身の筆致で音楽や人物への煮えたぎる愛をつづる紳士である。わたしはドリーミーさんのブログのファンで、ドリーミーさんのブログを読んで聴きはじめたレコードがいくつもあるくらい、カルチャーの先輩として、とても尊敬しているのだ。

そんなドリーミーさんが、東郷清丸と、ドリーミーさん激推しリーファンデを呼んでライブを開催するとな。

これは絶対にいかなくては!



夕方から雨が降るのらしいときいていたけれど、折りたたみ傘をリュックにぽいといれてでかけた。よく晴れていたので、新幹線では平賀さちえの♪あったか〜いそばを~を聴いて、いいきもちになったわたしはすぐにねむってしまい、やおら起きてみるともう静岡をぬけていた。
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名古屋で降りるのはほとんどはじめてだ。薄暗い雲がたれこみはじめた窓の外をみやりながら、『ついのすみか』にきりかえてプラットフォームに降りた。おおきいおおきいときいていた高島屋はおおきかった。それですごい人だった。


夕方だったので、名古屋駅から5分ほどの金山駅へ。
駅前のアスナル金山のなかにあるバナナレコード金山店。そう、ドリーミーさんのブログのサブタイトルは「バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle」・・・

バナナレコードは愛知や岐阜を中心に展開している中古レコード屋さん。黄色の看板に青い字がまぶしく映える。
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金山店はオールジャンルだけどヒップホップがおおいのかなといった印象、CDがけっこうおおくて手頃な値段のものがおおかった。CDのタイトル、天面に手書きの帯がつけられていてみやすい。ひとの体温をかんじるお仕事が垣間みえキュンとする。
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運よく5年前のレコードストアデイ限定商品、ブレッド&バター『ピンク・シャドウ』とか、森は生きている『ロンド』をどちらも新品で掘りだして、目をぎらぎら光らせながら名鉄へ乗る。



会場は愛知県安城市、Book Cafe & Bar カゼノイチ。
バナナレコードで買いこんでいるうちに開場時間をすぎ、ホテルへチェックインする時間もなく、とりあえず荷物だけあずけさせてもらってカゼノイチへ。
さきほどまでなんとかこらえていたくせに、ここへきて大粒の雨。風がごうごうとうなり、横なぐりの雨で折りたたみ傘もろとも吹きとばされそうになりながらすすむ。会場へつくころには、着ていた肉厚のスウェットに雨がしみこんで、リブがだるだるにのびきるほどであった。

階段をあがりドアをあけると、はじめてお会いするのにすぐにわかった、

ドリーミー刑事だ!!!

「こんばんは、すりがらすです、、、」
ドリーミーさんのツイートをみてDMでチケットを予約してしまったわたし、「すりがらすです」ではなかろう。

ここへきてもあほあほなわたしにドリーミーさんは「あ、どうもどうも」と笑顔で話しかけてくれる。ドリーミーファミリー(響きが最高)にもお会いする。こんなにも、はじめてお会いしたような気がしない初対面なんて、なかったのだった。


濡れた傘をすみっこのほうでたたんでいたらドリーミーさんが「一番前空いてるけどどう?イヤ?」と声をかけてくださる。ふだんはあまり一番前ではみないし、こんなに濡れねずみだけどいいのだろうかとかおもったのだけど、からだのほうが先にうごいて、わたしは「エッ、アッ」といいながら案内されるままに最前列にすわった。


定刻。
ドリーミー刑事がステージにたち、ご挨拶。
ご本人は気づいているかいないか、メモをもつ手がふるえているようにみえたのは気のせいだろうか。
ちなみに「固い」「会社の挨拶か」とご友人からいじられてましたが、わたしは真摯でとてもよかったとおもいました。


先攻、東郷清丸。
このライブの告知をしったあとくらいから、清丸さんのことをぐんぐんすきになっていった。清丸さんのライブは毎回あたらしい気づきがあるから、いつみてもたのしい。だからこの日は、愛知で、ドリーミーさん主催のライブでみられてとてもうれしかった。

会場に着くやいなや、にっこり笑って「はるばるどうも〜◎」と声をかけてくれた青年は、ひとたびマイクの前に立てば、カゼノイチの真っ赤な壁よりもなお、ひときわに赤いのであった。
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この日はリズムマシンを相棒にして『2兆円』の曲を中心に披露。

『2兆円』ツアーのあいだに何度かライブをみられたわたしがこの日かんじたこと、それは、東郷清丸がめざましいはやさでたくましくなっているということであった。

まずはテンテイグループ『サンキスト』。
はじめて聴いたときと、ぜんぜんちがう。皮肉のこもったまなざしと、堕落した生活へのあきらめ、しあわせの青い鳥をもとめるこの曲、さらりと歌うのもよかったけれど、ツアーのあいだについた筋肉のおかげで、曲全体の筆圧がつよくなったように聴こえる。

そこからはもう彼のペース。
無機質にきざまれるリズムに踊らされない、むしろ、清丸がリズムの粒を導いていくのだ。彼の歌が、ギターが、リズムの真芯をとらえながら、おおきなうねりをうみだすそのさまは、「怖がらないで あなたもさあこっちへ」と手まねきをしているようにもみえて、もう逃げられないのだった。

めずらしく披露されたカバーは、スカート『静かな夜がいい』。
清丸さんの曲は「君に会いたい」っていわないから、とても新鮮だ。澤部さんの、胸をぎりぎりしめつけるようなひりひりした高音のつらなりのあとにおとずれる、いとおしさをともなった「会いたい」とはまたちがう、暗闇でゆれるろうそくの灯りのような妖しさと、ムスクのかおりをまとった、つややかであまい「会いたい」であった。

毎度おなじみ、活版印刷でつくったグッズ紹介ももはやおてのもの、「こちら2兆円メモ、2兆円札ですね」「1万円札とおなじおおきさ、厚みでつくりました」「中にですね、3枚だけぼくの顔が印刷されてますのでそこだけ注意してください」なんていえば、みんなほしくなっちゃうことうけあいなのである。

この日は5月のイベントで限定販売されるという新曲『よこがおのうた』も披露。
「♪よこ、よこ、よこから見ちゃお〜」というかわいらしい歌詞が耳にのこる、彼のやわらかさとやさしさ、そして大人としての純粋さをたたえた、ポップソング。『インサツレンジャー』しかり、彼のふり幅がおおきいことは希望である。



後攻、リーファンデ。
彼の曲をちゃんと聴くのはこれがはじめてだった。目の前で機材のセットをする彼は、背が高くて肌がしろくて頬の高いところがつるつるしていてかっこいい。

リーファンデさんのことを知ったのは、ほかでもないドリーミーさんのブログである。記事に貼りつけてあった動画をみて、なんとおしゃれで心地のよい音楽だろうとおもって、とても興味がわいていたから、はやくライブをみたいとおもっていたのだった。
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1曲めは、彼のバンド『Lee & Small Mountains』の1stアルバム『カーテン・ナイツ』から『山の中で踊りましょう』。歌詞にある「君が住む南のまちへ」を「君が住む “安城”へ!」と歌ってくれて、きゅんというか、もっと心をぎゅんとつかまれてしまった。すきだ!

この日かんじたリーファンデさんの魅力は、一瞬のうちに放出する、ものすごいエネルギーの炎のような演奏である。しかし、それは決して熱いだけではない。彼の、風を呼びこむような、みずみずしい希望をたたえた歌声や歌詞とあいまって、「爽やかさ」と「熱さ」を同時にかんじさせるのだ。

たとえば、「毎日28時間 君を想っているよ」と歌う『Sugar Baby』は、そうか1週間の日にちをふやせなくても、1日の長さを伸ばす方法だってあったのだと気づかせてくれる(そしてそうすれば1週間は8日分と4時間になる)。そうしたにごりのない感性と、彼のなかにうずまくソウルフルネスが邂逅するときの、快感にも似た化学反応を目の前にして、わたしは彼の虜になってしまった。

炎をあおりどんどんとおおきくしていくような、せききったリズム感の『Teleport City』、ぬけるような高音がきもちいい『Crush』、アルバムの最後に収録されている、日常へうつくしいまなざしを注いだ『いようよ』、ほとんどはじめて聴く曲が、どれもすきだとおもえるライブは最高だ。わたしは君に出会うために、安城へきたよ。

物販でさっそく『カーテン・ナイツ』を買ったら、リーファンデさんが「サインしましょうか?お名前なににしましょう?」と訊いてくださる。すりがらすじゃないしなあとおもっていたら、となりから赤いスウェットの青年が「〇〇ちゃんで◎」と、したの名前を指定。そのときははずかしかったけれど、歌詞カードをみるたびに面映ゆさとうれしさがじんわりとよみがえる。



終演後、アフターパーティにも参加させてもらう。
話題はわたしのブログにもおよび、くだんの東郷清丸ブログについてはドリーミーさんから「いくらスクロールしてもおわらない」「論文」というご評価をいただいた。清丸さんからもありがたい感想をいただいて、とてもうれしかった。自分の気もちが、届けたい人に届いていてよかったとおもった。
東京からひとりでやってきたのに、ドリーミーファミリー、リーファンデさん、東郷清丸さん、カゼノイチのマスター、DJの二宮さん、バナナレコードのおふたり・・・こんなにたくさんの人たちが受け容れてくれて、胸があたたかいよろこびでひたひたになった。


日付がかわるころパーティはおわり、カゼノイチをでる。ずうずうしくも、ドリーミーファミリーに駅まで送っていただき、おわかれをした。またかならず会えるとおもって、手をふった。



旅行のとき、ホテルの朝食の時間内に起きられたためしがない。宴は束の間、のこったのは生乾きの服とレコードとドリーミーさんの奥様にいただいたおかし。むくんだまぶたにラメのアイシャドウをのせながらきらきらした気もちをおもいだす。仕度をしてホテルをでる。


前日、ドリーミーさんに教えてもらったバナナレコード岡崎店へ。名鉄の窓際、「ユニコーンLOVE」と彫りつけてあって、夢のあと。
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岡崎駅、くもり。
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シビコ岡崎のなかにあるバナナレコード岡崎店。こちらもオールジャンル、クラシックが充実していておもしろい。かよいたいかんじの、すきなお店だった。小学生くらいの男の子とお父さんが一緒にレコードをさがしていてきゅんとする。f:id:slglssss:20180430153919j:plainこちらではサニーデイ・サービス『苺畑でつかまえて』、倉内太『愛なき世界』などを新品でみつける。
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レジへいくと、きのうのアフターパーティでお会いした、岡崎店店長の真木さんがいらした。ふだんはココナッツディスクへよくいくのですといったら、「ココナッツディスク、いいお店ですよね」といってくれて、なぜだかわたしがうれしかった。またきます、といってお店をでた。


昼すぎに金山 ブラジルコーヒーへ。ここは一度きてみたかったので夢がかなった。おじいちゃんおばあちゃんと若者が一緒にいる喫茶店というのはすてきだ。A定食650円。
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スウェットを押しこんだせいでぱんぱんになったリュックを背負い、買いこんだレコードを胸にかかえて名古屋駅へ。のぞみに乗っているあいだ、ツイッターやインスタで、清丸さんもリーファンデさんも東京へかえっているのをみる。だんだんと、日常の軌道へもどってしまう。舌の根にのこる記憶をもう一度たしかめる。

東京へかえってもなんだか気もちに折りあいがつけられず、ココナッツディスク吉祥寺店へいった。矢島さんにきのうのことをあれこれと話して、バナナレコードの話をしたら、数年前まで東京にもバナナレコードがあったと教えてもらった。矢島さんも学生のころバナナレコードにかよっていたとのこと。点と点が、またぴっとつながった。




旅行先でたまたまライブへいくことはあったけれど、ライブのために旅行をするのははじめてだった。

どうしてそうしようとおもったかといえば、会いたい人たちに会いたかったからだ。
いつか会えるとおもうほどに足が遠のいてしまう人に、いま会いたいとおもった。
そして、会いたかった気もちを、すきな気もちを、つたえなければならないとおもった。

まずは、ドリーミー刑事さん。ドリーミーさんのブログに出会ったのは、まだわたしがブログをはじめる前で、当時はツイッターにココ吉で買ったレコードのことをじくじくと書いていたのだけど、ああこんなふうにもっと熱をたたえたブログをひとおもいに書けるようになりたい、とおもわせてくださったのはドリーミーさんのブログであった。
ブログをはじめてからは、ありがたいことにたくさんの友だちもふえて、ブログ読んだよといってくださる方もあらわれるようになった。わたしはわたしで、自分が過去にブログに書いたことが、時をへて、自分自身をはげましてくれることがおおくなって、自分の気もちをとっておくことの大切さに気づいた。だから、ドリーミーさんにお会いしたら、ブログをはじめるきっかけをくださったことへの感謝を、つたえたかった。

それから清丸さん。彼に出会ってから、ひとりの人間というのはいろいろな面をもっていて、そのどれもがその人なのだと何度もおもいしらされた。
にこにこ笑って話してくれるのも清丸、目をみて話を真剣に聞いてくれるのも清丸、みごとなまでに秘孔を突くような演奏をやってのけるのも清丸、ドリーミーさんのお子さんと子どものようにあそぶのも清丸、オフィスで活版印刷をするのも清丸、『2兆円』ディスクBでみずからのたよりなさを抱きしめるのも清丸、すべて清丸なのだと気づくとき、人間の底しれないおもしろさにひれ伏したのであった。清丸さんには音楽の魅力もそうだけれど、人間としてのすこやかな生き方を、教えてもらっている気がする。

はじめてお会いしたリーファンデさん、彼に会う前は、とにかくはやくライブをみたいという気もちだったけれど、ライブをみたあとには、バンドの演奏をはやくみたいし、これからも彼をみつめつづけたいという気もちにかわっていった。
それと、彼と同世代であることも、わたしが彼に共感できる理由のひとつだとおもっていて、というのは、彼にもまたちらちらとみえる「やばさ」があって、うまくいいあらわせないけれど、それは同世代に通底している、あきらめ、ひらきなおり、皮肉、いわゆる「さとり」といわれてしまうようなものにも似て、こうあらねばならないというしがらみから離れて、自由にドライブしていくところが、とてもひびきあうとかんじたのだ。ともすれば「新人類」だとかいわれてしまうけれど、時代の旗手は「新人類」でこそ務まる、そのくらいの意気でよいのだと、彼は体現している気がした。


ライブにいくことが、音楽を聴きにいっているだけじゃなくなって、会いたい人に会う機会になったのはしあわせなことだ。そして、わたしがつたえたい気もち以上のものを、両手にもてないくらいたくさんたくさんもらって帰ってきた。
くりかえしていく日常を一歩踏みはずして、いつもとはちがう乗りものに乗れば、きっと目の奥はひらいて、あたらしい光が差しこんでくる。ぱんぱんのリュックとずっしりしたレコード袋は、荷物のおもさだけじゃなかったはずだ。春の嵐の夜のことを、きっとわすれない。




リーファンデさん、清丸さんご本人たちも絶賛の、ドリーミーさんのブログ、ぜひお読みください。
dreamy-policeman.hatenablog.com
dreamy-policeman.hatenablog.com
dreamy-policeman.hatenablog.com

「東郷清丸沼」にはまったわたしがつたえたい、東郷清丸のこと

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東郷清丸。
一度見たらわすれない、勇ましく、勝負運のつよそうな名前。


わたしが最初に彼をしったのは、おそらくココナッツディスクのインストアのおしらせだとおもう。

ここは失礼と恥を承知でいいます。東郷清丸って誰。


まずジャケのビジュアル。真っ赤な服をきて壁にもたれ、不敵な笑みをうかべているようにもみえる、どこか遠い一点をみつめる表情。キングオブコメディ今野に似ている。そこへきてタイトルは『2兆円』。これはあれだ。確実にやばい奴だ。

後日ココ池にいくと中川さんが「こんどインストアやるからきてね!ほんとに最高だから!」とニコニコしながらいってくる。いや、ココナッツディスクさんの推しにはずれがないってことは知ってるよ!いままでおすすめされて買ったレコードはどれもすきだったよ!でも大丈夫か、大丈夫なのかココ池!ぜったいやばい奴だよ!だってこのジャケからしてやばさがにじみでてるじゃん!デビューアルバムのタイトルがにちょ


そうしてインストア当日。わたしはまんまとココ池にいた。
TLで毎日のように目にしていたジャケを手にとる。裏ジャケにチョコレートケーキ。これがはたしてアルバムの中身と関係があるのかないのかもわからなかったけれど、まあせっかくきたしインストアの記念に、とアルバムを購入。ライブがはじまるのをまつ。

平日にもかかわらず店内はすぐに埋まり、ついに東郷清丸が登場した。おや、小ぶりなアコギをもち、くたっとした赤いスウェットに、タイトな黒いパンツ、コロンとしたスニーカーをはいた、おしゃれな青年だ。ほんとうにあのやばいジャケの人なのか?

わたしの混乱をよそに、東郷清丸はカウンターに腰かけて演奏をはじめた。たしか1曲目は『ロードムービー』だったとおもう。

洗練されていて、それでいて体を揺らしたくなるような心地よいリズム感。やわらかく、のびやかな歌声。アコギの弾き語りでありながら、つぎつぎと綾なされる多彩な音色。


・・・すごくいい・・・気がする・・・。


目の前で繰り広げられている光景と、わたしがさんざんに描いてきた「やばい東郷清丸」のイメージがかみあわない。それどころか、そのイメージがどんどん崩れおちていく。ジャケから受けていた大胆不敵な印象などみじんもない。大きな音で圧倒することもなければ、難解なコード進行で惑わせるようなこともない。どちらかといえば、やさしそうで瞳のきらきらした、少年のような好青年が、軽やかに、気もちのよいところをピンポイントで突いてくる巧みな演奏をみせている。ほかの誰でもない、そこにどっしり構えるは「東郷清丸」であった。いままでにみたことがないかっこよさだ。

中盤で披露された『SuperRelax』、この曲は8分の7拍子と4拍子で構成されている。彼は演奏前、「この曲を聴きながら、体を8分音符のリズムで上下に揺らすと、最初の1小節では下→上→下→上→下→上→下、次の1小節で上→下→上→下→上→下→上、と体の揺れる向きがいれかわって、だんだん気もちよくなってくるんですよ。ぜひやってみてください。」といった。

このリズムのとり方は、わたしにとってかなり鮮烈だった。そうか、リズムにのろうとしなくていいんだ。変拍子の曲を聴くと、ときどき、いま自分が何拍目にいるのかわからなくなって、リズムにのれなかったり、ついていけなくなってしまうことがあったけれど、ただリズムにあわせて体を揺らすというのもありなんだ。この曲でいえば、8分の7拍子をカウントするとき、8分音符のリズムを1・2・3・4/5・6・7というように、前半の4つと後半の3つにわけてカウントするだとか、そういうむずかしいこともかんがえなくていいということだ。その発想はなかった。とても自由でいいとおもった。

いわれたとおりに曲を聴いてみる。体を揺らすのが苦手なのでこくこくうなずきながら聴いた。頭を揺すりながら、とちゅうでいま自分が何拍目にいるのか、案の定わからなくなったけれど、それでもいいのだとおもえた。あじわったことのない浮遊感があった。

それから終盤にさしかかり演奏されたのは『サンキスト』。この曲はもともと、東郷清丸がボーカルをつとめる『テンテイグループ』というバンドで演奏している曲だそうだ。
「やたら薬の名前詳しいね お嬢さん」という軽妙な歌詞ではじまるこの曲には、それまで斜にかまえていたわたしをあざやかにうちのめす痛快さがあった。

ライブが終わって、なんというか、一杯食わされたなというきもちで、家でアルバム聴こうとかおもいながらそそくさと帰ろうとしたら、清丸さん(呼び方かわってる)がフライヤーを持ってきて渡してくれた。ライブがすごくよかったということをつたえたいきもちと、やっぱりまだイメージしていた様子とのギャップで混乱しているきもちがないまぜになって、なぜかとっさに「スウェットかわいいですね!」といってしまった。ああどうして素直に、ライブがよかったといえないんだ。自分の情けなさにがっかりするわたしに、清丸さんは、さきほどの演奏中の堂々たる姿から、ぽこぽことならんだ歯をみせて笑うやさしそうな青年にもどって「わ~ありがとうございます!握手しましょう!」と手をさしだしてくれた。薄くておおきな手のひらからのびる、ほっそりとした長い指が目に焼きついている。


しかし、これですぐに清丸さんの曲にはまったかというと、そうはならなかった。
曲はどれもとてもすきだ。キャラクターもとてもすきだ。だけど、やっぱり彼は「キワモノ」なんじゃないかというきもちがきえなかった。いや、ライブをみたかぎりでは、そんなふうにはみえなかった。それでも、なにかが腑におちない。
たとえば、あのチョコレートケーキ。インストアのあと、買ってきたアルバムを開けて再生して、『SuperRelax』はバンドバージョンだとエレキの響き方がさらに浮遊感があっていいな~などとおもいながら、ジャケをながめていると、チョコレートケーキの下に・・・毛・・・がある・・・こ・・・これは・・・・・!!!!!
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けっこう一瞬にして、インストアのときの心を揺り動かされるような感動が、アルバムのジャケに胸毛を接写したビジュアルを採用するなんてやっぱり、という動揺にかわってしまった。
わかっていたことは、最初のイメージが「なんだかやばそう」、演奏は「予想以上にかっこいい」、そして話してみると「やさしそうな好青年」という、相反する一面をあわせもつ、みたことのないタイプのミュージシャンであること。だから、わたしのなかの物差しで、すきかどうかをうまく測れなかったのだとおもう。1周聴きおわったCDをケースにしまい、またいつか聴くねと、ラックのなかにおさめた。


それからしばらく経って、TLでふたたび「東郷清丸」の文字をみかけるようになった。おどろくべきことに、彼の公式アカウントは、「0フォロー」であるにもかかわらず、「東郷清丸」をふくむツイートをのがさずRTしている。TLをみているだけで東郷清丸情報に否応なしにふれるうちに、しまっていたCDを聴いてみようかという気もちになった。

やっぱり曲はすきだ。聴けば聴くほどに、すきなところが増えていく。たとえば『赤坂プリンスホテル』の、「どれだけ待っても」と「朝はやってこないし」の空隙に、緊張感のあるリズム感で奏でられるギターのフレーズ。インディー界の“曲者” あだち麗三郎が奏でるサックスの音色が妖しげに響き、変拍子を駆使したうねるようなリズムでぐいぐいと引きこむ求心力をたたえた『劇薬』。体の力が自然と抜けるようなとろけるメロディで、恍惚の境地へといざなう『美しいできごと』。それから、Youtubeにアップされている『サンキスト』の弾き語り。皮肉と退廃の渦のなかへ「ファッキンシット」と唾を吐きすてて、開けたサビで「ああ 明日になれば 今日が終わる」と歌う、「東郷清丸」前夜のきらめきがまぶしい。

それと同時に、彼の「自分自身のみせ方」についても目をみはるものがあると気づいた。
いや、芸術活動において、広告宣伝活動や販売戦略、とりわけその手法についてとやかく評するのが、ほんとうに、ほんとうに野暮なことだというのはわかっているつもりなのだ。
だけれども、これだけはいいたい。東郷清丸には、確固たる存在感がある。どんな場面でも徹底して「東郷清丸」であることを貫いている。ここまでの徹底ぶりは、なかなかできないことなのではないだろうか。
たとえば、プロダクトデザイン。アルバムのジャケット、フライヤー。色づかいは赤、白、黒、青で、文字は少しつぶれたゴシックのような書体であるというルールがブレない。
それから、ライブのときの衣装。赤いスウェット、立ちあげた前髪、黒縁メガネといういでたちも毎回かわらない。たとえば対バンのとき、それまではちがう服を着ていても、出番がくるとお決まりの「清丸ルック」で登場する。夏はどうなるのかちょっとたのしみだが、いまのところこれ以外の衣装ででてきたところをみたことがない。
その流れでいくと、わたしが「やばい」とかんじる源泉であった、あの不敵な表情のジャケも、チョコレートケーキも、高田唯さん(Allright 代表取締役)によるアートディレクションのもとでつくられた、「東郷清丸」をかたちづくるための要素のひとつだとすれば合点がいく。

そう、この時点でわたしはこのようにかんがえていた。東郷清丸のたぐいまれなる、ともすれば「やばい」とかんじさせるまでの存在感は、こうした綿密で計画的なディレクションの賜物なのではないか、と。

こうしてわたしのなかでは、東郷清丸にたいして、演奏は「最高」、話してみると「やさしそうな好青年」で、さらに「みせ方も巧み」なミュージシャンというイメージがあらたにかたちづくられていった。


2月4日(日)。高円寺のGallery Cafe 3で、東郷清丸の弾き語りライブがあるとしる。お弁当と「星読み」のお話があるとのこと、なんだかおもしろそうなのですぐに予約をした。お客さんが20人弱ぐらい、カフェのカウンターが7席ぐらいと、数席のテーブルで、特製のお弁当を食べながらライブを鑑賞した。


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この日はAllright 取締役の北條舞さんから「星読み」のお話があった。
星読みとは、簡単にいうと、
①自分の生まれた時刻に、生まれた場所からみて、太陽や月といった10の天体が何座の方向にあったか、ということを、出生図というものから読み解く
②該当する天体と星座のもつメッセージを読む
というもの。くわしくは北條舞さんがブログに書かれています→星読み | Allright

こう聞くと急にオカルティックな香りが漂うけれど、そういうものではない。あくまで、自分にはこれこれという性質があるらしい、ということに気づくことが目的。たとえば、好奇心が旺盛、社交的、傷つきやすい、など。それも、すでに気づいていることだけではなくて、意識していなかった性格にも気づいて、自分のことをよりいろいろな角度からとらえることによって、自分の姿を立体的に浮かびあがらせようとする作業なのである。

北條さんによれば、Allrightでは「自分をしること」、具体的には、得意なこと/それほど得意ではないことを理解するために、こういう星読みのかんがえ方もとりいれているという。それと、まわりの人にもそれぞれちがう星座がわりあてられているので、自分とまわりの人のちがいに気づいて、それぞれの強みと弱みをわかりあうこと、おたがいのよいところをのばしあうことにも、星読みは役立てられるそうだ。清丸さんも「統計学の一種のようなものだとおもっている」とのことで、星読みででてきた結果が、自分にあてはまるとかんじることもあるといっていた。
それからもうひとつ、Allrightでは「徹底的に自分をだす」ことが重要なのだそうだ。自分をしったら、その本音をまわりの人にさらけだすこと、そして「共有しあうこと」によって、おたがいにわかりあう努力をしているということだった。

星読みというかんがえ方は、会社のような組織でとりいれるにはまだまだなじみのないものかもしれないとおもう。おそらく前例もないし、やっぱり懐疑的な人もいるだろう。わたしも、星読みのかんがえ方はおもしろいし、現代にもとめられるある種の知恵のようなものだとおもうけれど、ある日上司が星読みとかいいだしたら、正直びっくりしてしまうとおもう。
だけれど、「自分をしる」「自分の本音をつたえる」「まわりの人と共有する」というのは、どんな人間関係のなかにあっても必要なことだ。とかく仕事の場面では、異なる立場の人がひとつのゴールにむかうためには不可欠だとおもう。Allrightでもそういう意味で、星読みのかんがえ方をとりいれているのだろう。


この星読みの話を聴いて、わたしはこんなふうに推測した。そうか、東郷清丸の存在感は、「こう見せたい」という思惑のもとで打算的につくられたものなんかじゃない。むしろ、極限まで自分をさらけだすことによって、ありありとした「東郷清丸」の輪郭を得られた結果なのだ。いろいろな側面を、すべて、自分の一面であるとみとめることによってはっきりと立ちあがってきた、多層的で奥行きのある「東郷清丸」をとらえたからこそ、かもしだせるものなのだ。
そして、まわりの人たちも彼の本音に応え、彼らもまた本音をぶつけることによって、たがいにわかりあい、東郷清丸が「東郷清丸」らしく活動ができるようにささえる。
だからこそ東郷清丸は、観る者の目に、ほかの誰にも似ていない、揺るがない存在感のある人物として映るのだ。

さらにいえば、そうした「自分らしさ」を貫く態度は、彼の働き方にもあらわれている。東郷清丸は、ライブのないときにはAllright Printingにて活版印刷の仕事をしている。もともと得意な印刷やデザインのスキルを活かしながら、ミュージシャンとしても活動しているのだ。
2018年のわたしたちからすれば、いかにも「自分らしい生き方」をしている、ともすればうらやましくもおもえるやり方だとおもう。そして、わたしたちがそうかんじてしまうのはなぜかといえば、「自分らしく生きること」、つまりは自らの潜在能力を活かしながら生きていくことが、至上命題でありながら、結局はさまざまなしがらみにとらわれてしまうために、実際には叶えるのがむずかしい、遠い理想になりがちだからだ。
しかしながら、東郷清丸はちがう。信頼できる仲間たちと、しがらみを疑って、ひとつずつ解いていくのだ。「自分らしく生きること」そして「まわりの人も、その人らしく生きられるようにすること」なんて、至極あたりまえのことでしょ?という顔をして、ひょうひょうと、しかし確実に歩みをすすめていく。
8分の7拍子の数え方なんて、自分の気もちいい方法でいい。自分らしい生き方は、真っ暗な夜をハイビームで切り裂いた先にあることを、彼はしっている。間違いなんてきっと、ひとつもないのだ。

こうしたことからかんがえれば、東郷清丸は「演奏は最高で、好青年で、みせ方も巧みなミュージシャン」とはすこしちがうといえるだろう。どちらかといえば、「演奏は最高で、好青年で、ありのままの自分をしっているし、それをおもうままに表現できるミュージシャン」とでもいえるのではないだろうか。


しかし、だとすればだ。
彼がありのままの自分を表現しているとするならば、はじめて彼をしったときにかんじた、あの「やばさ」。
彼はあの「やばさ」を、地でいっているということになるのだ。


・・・それはそれで・・・やばい・・・!!!!!


それからというもの、わたしは憑りつかれたように『2兆円』を聴きまくった。とにかく東郷清丸の正体が気になってしかたなかったのだ。アルバムはDISC 1のみならず、DISC 2までも通しで何度も聴いた。DISC 2のうしろのほうにはいっている短くて内省的な曲は、『サンキスト』にも似て、東郷清丸が「東郷清丸」たりえるまえの、あるいは、前髪の立ちあがっていないときの清丸さんといった風情で、しずかで寒い夜に聴くのがとてもすきだった。


2月18日(日)。いてもたってもいられなくなって、湘南新宿ライン 宇都宮行に乗りこんだ。着いたところは埼玉県久喜市、カフェクウワ。「いなかまちにおんがくがなりひびく その38」を観るためだ。

そのときの様子は、わたしの下記のツイートをご確認ねがいたい。

そう。東郷清丸の正体をつきとめようとおいかけているうちに、わたしはついに「東郷清丸沼」に引きずりこまれてしまったのだ。さらなる真実をしろうとしたために、主の怒りにふれてしまったのだろう。結局、彼の正体はわからないままに、底なし沼に肩までつかってしまってもう抜けだせない。降参である。



わたしとおなじように、最近、東郷清丸をしったみなさん。
彼のことを「なんかやばいかも」とおもった瞬間から、足元には十分にお気をつけあれ。
気をゆるした隙に、あっけなく片足ずつ沼へとすいこまれてしまうから。

2月のおわりのこと

岡村ちゃんのツアーのチケットが当選していてうれしい。リリースがないときでも精力的にライブをやりつづけてくれるのは、ライブをみるのがすきなファンとしてはありがたい。とりわけ岡村ちゃんは半期に1度のライブをずっと続けていてほんとうにすごい。今度こそ前のほうでみたい、岡村ちゃんがターンしながらとばす汗を浴びたい。音楽にあわせて「たのしそうにおどる」のが苦手なわたしは、普段ライブにいくとせいぜいフンフンうなずくぐらいでだいたい直立不動であるが、岡村ちゃんのライブだけはべつだ。ステージの上で一心不乱に歌い、ぱりぱりのスーツで華麗なターンをキメ、ベイべいくよと囁く岡村ちゃんをみれば、全身の細胞がぶくぶくと音をたてて騒ぎだし「I give you my love」と叫ぶのである。先輩ベイベのみなさんにまじって右手を挙げながら、『Super Girl』の「♪マンションの手前で Say Good Bye」で岡村ちゃんに手をふるのも、『だいすき』の「♪僕は拍手を送りたい」で2回手拍子をいれることもおぼえた。岡村ちゃんのためだけに瞬発力および右肩の筋力と手首の柔軟性をきたえておいてもいい、それくらいに、岡村ちゃんのライブはわたしが唯一自分から「たのしそうにおどる」ことができる場所なので、5月までは元気にすごしたい。岡村ちゃんが著名人のインスタにちょこちょこ登場するのをおっかけるためだけにインスタはじめたい。ココ吉の短冊CDセールで『ラブ・タンバリン』ぜったいにほしい。財宝掲げて買いにいく。


最近ココ吉で買った新譜はSaToA、カネコアヤノ、evening cinema。どれもとてもすきだった。SaToA、なんでもっとはやく聴いていなかったのかなというくらい、すきだった。ココ吉へいったときにお店でかかっているのを聴いて、なんだかやっぱりSaToAとココ吉があっているとおもった。おたがいは仲のいい友達だとおもっているけれど、まわりからみたらつきあっちゃえばいいのに!とおもうような男女みたいに相思相愛なかんじがした。というか実際もそうだからそう聴こえるのか?とにかくだからこそ、SaToAのことをすきな人はココ吉のこともすきなわけだし逆もしかりなんだろう。BGMがいいレコード屋さんはきもちがいいです。7インチをいくつか買ってその日は帰りました。


カネコアヤノちゃんのカセット『序章』、こちらもよかった。ケースを裏返したら、カセットのすきまからジャケの裏側にデザインされたアヤノちゃんの顔がのぞいて、おもわずうわっ!と声がでた。カネコアヤノちゃんはいつもパッケージをあける瞬間からときめくプロダクトづくりに心血注いでいるのがびしびし伝わってきてほんとうにやられてしまう。レコード屋さんへいき、手にとって触ってたしかめて、家についてビニールの封をぺりぺりとあけて、ジャケットを表裏ながめてから、歌詞カードを取りだして、1ページずつていねいにめくりながら再生する、彼女はそういういとおしい営みへのまなざしを結晶にして手のひらにおさまる大きさにぎゅっとつめこんでいて、きっと彼女も同じ時代を生きながら同じように音楽を聴いて生活しているのだろうとおもわされるし、彼女をささえる人たちもきっとそうなんだろうとおもう。ちなみに音源とは違ったすさまじい魅力のあるライブで最近すきなのは新曲『アーケード』、いつものようにギターをびっちり身体にひきよせてじゃんとかきならし「君って歯並び悪いね 今気づいたよ」と歌ってのける彼女に完全にノックアウトされた。まるでiPhoneで連写したときに予期せず撮れたいちばんいい1枚のように、うつくしい日常の偶然も(必然も)のがさず切りとるアヤノちゃん。ほんとうに目が離せない。


それから個人的に声を大にしてだいすきだと宣言しているevening cinemaですがアルバムほんとうにすばらしかった。インタビューやレビューをみているとひたすらに「○○っぽい」という言葉がならんでいるけれどもそれこそが「原田夏樹っぽい」なんでは、とおもうこのごろです。つまりは、彼のユーモアと、先人たちへのリスペクトをもってして「あ~これは○○っぽいな」とまんまとおもわせながら、原田夏樹のロマンティックを織りこんだ、だれでもない2018年のバンド「evening cinema」へと昇華させているというのがかっこいい。シックなスーツを着た原田さん、ロゴがど真ん中にデザインされたジャケをみて、わたしはにやりとしたわけですが、それさえも原田さんからしてみればしてやったりだというわけで、とても痛快なアルバムである。こちらもココ吉でかかっているのを聴いたけど、なんか胸がどきどき高鳴ってレコードを繰る手がふるえた。ライブへいったらきっと、たのしそうにおどれるかもしれない、なんだかそういう気がしました。

本についてかんがえていること

このところとみに本を読めるようになった。

去年あたりからささいなことに気が散って、集中して活字を追うのがむずかしくなり、ページに目をおとせば視線が文字の上をつるつるとすべってしまって、内容が頭にはいってこないことがままあった。
趣味は、と訊かれれば「読書です」と答えていたのにこの体たらく、とかなしくなっていたけれど、年明けからはゆったりとした心もちをとりもどし、いまでは視線は活字をつぶさにとらえられるまでになっている。


大学時代に書店でアルバイトをしていた。

大学にはいったら本屋かCD屋(当時は「レコード屋」という単語を知らなかった)でアルバイトしようと決めていて、近所の書店とCDショップに応募を検討していたのだけど、CDショップには金髪のいかつい店員さんがいるという理由で、書店のほうに応募して、そのまま4年間身をやつした。

いまおもえば、CDショップのほうにいっていたらほんとうに人生がちがっただろうなあとおもうし、きっといま聴いていないような音楽に出会っていただろうとおもうのだけど、書店では、わたしにいま聴いているような音楽を教えてくれた友達に出会ったし、結果的にはよかったのかなとおもう。ちなみにのちにわかったことだけど金髪の店員さんは心やさしくてとてもいい人だった。



わたしが書店で働きはじめた理由は至極単純で、本がすきだったからである。

ただ「本がすき」というのにもいろいろあって、たとえば、本を「読む」のがすきな人もいるし、実体としての「本そのもの」がすきという人もいるとおもうけれど、わたしは後者のほうで、まずもって「本そのもの」がすきなのであった。

大きさ、重さ、厚み、表紙のデザイン、文字のかたち、さまざまな紙の手ざわりや透け具合、印刷の色や凹凸、栞紐の色など、ある本のために作り手たちの叡智とおもいの丈が結集したさまを手にとってあじわえるというのはとても趣があることだとおもっている。


以前、スタイリストであり、おすすめ本を紹介する連載をもつほどの本好きであることでも有名な伊賀大介氏のトークショーに行ったとき、伊賀さんが「栞紐の色」について「本を読んでいるときに栞紐が何色か予想していて、読みすすめて栞紐がでてきたときに、その色が予想どおりだとテンションあがる。この本は黄色だな~っておもいながら読んでいくと、ほらやっぱり黄色だった~みたいな!」というようなことを喜々として話していて、その並々ならぬ愛のこもった発言に心をわしづかみにされたのであったが、記憶をたどってみても、小学生のとき、クラスの物静かな男の子が読んでいた『ハリー・ポッター』のオレンジ色の栞紐が妙に目に焼きついているし(1冊読むのに時間がかかるのでだんだん読んでいるうちに栞紐がほつれてきて、椅子のうしろにつけている防災ずきんのカバーのなかからとりだすたびに、みつあみのほどきかけみたいになっていたことも覚えているし)、いまでも本を買ったらまずカバーをはずして表紙、裏表紙、背表紙のデザインをみたり、帯のコピーをくまなく読んだりするのが常であって、モノとしての本がすきなのは、ずっとかわっていない。



もちろん、本を「読む」のもすきだ。とはいっても、いままで「この人は文字どおりの本の虫だなあ」とおもう人にたくさん出会ってきたから、その人たちにくらべれば、わたしは本を「読む」ことについてはかなわないとおもっている。

大学生のときにお付き合いしていた人は、外出するときにいつでも文庫を携帯していて(ときどきハードカバーの文芸書のときもあった、おもくなかったのか)、たとえば駅のホームで電車を待ちながら話しているときに横をむいたら読んでいる、料理を注文してメニューを閉じるやいなや手元の文庫を開くというようなあんばいであった。
彼の部屋は壁一面が本棚で、文芸書の新刊から名作コミックまでが色とりどりの背表紙をこちらへむけてずらりとならび、たいへん壮観であった。整然とならんだ本のなかから、ときどき、読みたい本を抜きとって読んだ。時間とお金さえあれば本を買いにいって読み、本棚におさめるという生活をしていた彼を、わたしはとてもすきだった。

自分以外の人がどういうふうに本を読んでいるのかをしると、なるほどそうやって本を選んでいるのかと感心することもあったし、どこからみつけてきたんだその本は、という本でも、その人の生活のなかでは出会うべくして出会っている本だったりするからおもしろい。

ツイッターやインスタでフォローしているアカウントひとつで、身体のまわりをかすめていく情報はまるでちがうくらいなのだから、住んでいる場所も、起きる時間も寝る時間も、食べるものの好みも、すきなテレビもラジオもちがうなら、本の好みも、本の存在感もぜんぜんちがうというのは自然なことだ。

彼に出会ってから、わたしは本を「読む」ことについてはそれほど得意ではないとおもうようになった。けれども、わたしにとって本を読むことは必要なことだ。
「本は嗜好品だから衣食住に関係ない」という人もいるけれど、生活の余白をすきなものでできるだけうめておけば、時には毛布にくるまっているようにあたたかな心地にもなれるし、少しぐらいの空腹はしのげる。
日常生活なんて、衣食住にかかわるような「なくてはならないこと」よりも、「どうでもいいこと」を「どうにかしてゆたかなきもちですごすこと」が大切だ。だから本を読んでいる。



最近は、新刊書店でも、古書店でも、ほとんどなんにもしらない状態で、タイトルをみておもしろそうだとおもったものを買っている。すこしでも興味があって買ったものであれば、あまり好みではなくても、なにかしら、しることはある(「これは好みではない」ということだってわかる)。
ちなみに早川義夫は自らのことを「本を知らない」といっているけれど、素人のわたしからすればまったくそんなはずはないわけで、しかしながら、ある分野にくわしくなればなるほど、まだまだしらないことがおおいなあと気づける人でありたいし、しっていればしっているほどに、なんにもしらないんだなあと自分をいましめられる人でありたいとおもっている。本の世界は大海原、わたしはまだ波打ち際で貝殻をひろいあつめながら、まだ見ぬ地平線のむこうへ、闇につつまれた深海へ、おもいを馳せているにすぎないのだから。



そんなふうに途方もなくおおらかなかんがえへ漂着してしまったためか、なにを読んでもおもしろいし、どんどん読みすすめられる。最近買った&読んだ本、それぞれは脈絡がないようにみえるけれど、おもいがけなくどこかでつながったりするのだ、きっと。なるべく心をひらいて生きていきたいです。
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1月のおわりのこと

3年ほど使ってきたiPhone 6のバッテリーがついに寿命をむかえて、充電ケーブルからはずすとほどなく真っ黒画面、なんならつながれたままでブラックアウト、ということがつづいたので、ついにiPhoneを買い換えることにした。

iPhoneて買い換えるとなれば、どういうわけか(どういうわけでもないが)いまより数字がおおきいものを買おうかなあそのほうがいいんじゃないのなにかと、みたいな気もちにさせられるけれど、数字がおおきくなるほどおニューのマーベラスな機能が増えてるという原則なのらしいから、iPhoneの機能なんて半分も使えてないんじゃないかとおもうくらいのわたしからしたら、もうこれ以上機能の向上なんてノーセンキュー!みたいな気もちでいたのだが、買ってきたiPhone Xはすいすい動いてかっこいいじゃないか。ちょっとおもくて手首がやられてしまってるけど、ボタンのないおおきい液晶に指で触れるだけでオーケー、クールである。Face IDという、顔認証でロックが解除できる機能なんてのもついていて、なんて近未来的。画面をぬっと覗きこむだけで、メイクしていても、すっぴんでも、多少顔のむきがまがっていても認識してくれて、南京錠が開くマークが表示されるとともに、ハイまたきたのかこんにちはといわんばかりにロックが解除されるもんだから、カメラのむこうにだれかいるんじゃないかってくらいの、なんというか不気味の谷へとつづく稜線に立っている心もちになることもあるけれど、アイドンケア。寝起きのぶちゃむくれた顔を認識できないあたりがまだまだあまちゃんで、かわいささえかんじます。ちなみにFace IDの悪用例として、寝てるときにだれかがiPhone Xをわたしの顔のうえにかざせば簡単にロック解除できるんでは、とかおもったけど、まだ試してはないです。


最近ありがたいことに、面とむかって「すりがらす」と呼んでいただくことがあり、そのたび、はずかしい&おどろきで顔がへたくそな福笑いみたいになってしまう。

「すりがらす」なんて、本名ぜんぜんかすってもいないし、へんな名前をつけたもんだなーとおもうし、いちおう理由あって名乗ってはいるけれど、初対面の方に自己紹介するときに「はじめましてすりがらすです」ってなんのこっちゃとおもっているし、ライブの予約をDMでさせていただくとつい「すりがらす1枚おねがいします」と伝えてしまって、なんらもなの極みであるが、おすきなように呼んでいただければさいわいです。面とむかって、おい、すりがらすって呼ばれるたびに、毎回、センキュ〜〜〜。(©︎柴田聡子)っておもっています。