磨硝子日記

すりがらすのブログ

花見

花見にいきたいといったのはわたしのほうだった。このかた桜の木の下で花見というものをしたことがないくせに、おもいついて恋人にいったのだ。わたしにもついぞ花鳥風月をめでる心がめばえたかとおもったが、花見を口実に恋人に会いたいだけなのではないかと一度胸に手をあててたしかめて、おおよそ後者であった。恋人と満開の桜の下を歩くところをかんがえながら、通勤のときに車窓からみえる川沿いの並木をみやり、そろって咲いた花が枝の先にこんもりとついているのをみては、桜というのはどうしてこんなにもずっとみていたくなるのだろうとおもったりした。いまのところは、こんなに大きな木にこんなにたくさんの花が咲いて迫力があるからだ、ということにしている。冬の寒さを耐えしのび、やっと春をむかえて咲いたのに、1週間くらいで散ってしまう花なんてほかにもいっぱいあるはずだ、桜だけを、そんなふうにとくべつ扱いするのは納得がいかない。


あたたかい日がつづいたあと、まるでわたしの下心をあざわらうかのように肌さむく曇り空がひろがる夕方に、恋人と公園を歩くことになった。前の日までコートがいらないくらいだったのに、ひと足はやく着てきた春物のコートではつめたい風に心もとない。

桜並木は公園をふちどり、これが満開になったらすばらしいのだろうとおもったけれど、ほんとうにどんなにおおく見積もっても半分も咲いている木はなくて、でも来週末には散っているだろうといったあんばいであった。舗道を歩きながら午前中にあったことを話して、わたしはほとんど桜をみていなかった。公園のなかにあった櫓のようなところにのぼってみおろすと、女性がスマホに視線を落としながら歩いてきて、やがて目あてのものがなかったように知りあいのいるベンチにもどり、またスマホをみながら他のふたりとつれだってどこかへいくのをみて、ポケモンじゃない?と恋人がいう。あたたかそうな上着で、ヒノキだとおもうんだよねとマスクをしている恋人をみあげていると、aikoがすきな人の横顔や襟足のことを歌う気もちにこの歳になってようやく近づけた気がする。


これが先週のことで、予想どおり散りかけた家の近くの桜をみながら、やっぱり今週のほうがよかったかなとおもったけれど、薄紅色の花びらがふっくらとあつまった枝を恋人の背景に敷いてみたらたまらなくなって、そんなことはするもんじゃないとおもったりもする。まぶしい菜の花畑とか、一面にひろがる紅色の芝桜とかもそうだ。春はあやうい。それでも、それならば、いとおしい恋人がやわらかい花びらの舞いちる桜の木の下にたたずむところをみておいてもよかったのだとくやしくて、花見客を気にせずに満開の枝を撮って恋人に送った。また来年になったら、かならず花見をしたいというのだ、それまでには、水平線が溶けあうように青い空と海をみにいって、いちょう並木の下を黄色いじゅうたんを踏みしめながら歩いて、雪の日に部屋でユーミンを聴きながらあたたかい飲み物を飲みたいというのだ。そうして、わたしの下手な写真よりも、もっとずっとうつくしいものをみたいというのだ。

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3月のこと

20年習っているピアノの先生をはなれることになった。


先月のおわり、いつものようにレッスンをはじめようと椅子に腰かけたとき、ほんとうに心苦しいんだけど、ときりだされた。わたしは土曜11時からレッスンにかよっているのだけど、先生が他の曜日のレッスンとの兼ねあいで土曜日にこられなくなり、土曜日のレッスンはほかの先生が担当するとのことであった。


5歳のときから、週に1度、30分のレッスン。途中で受験をはさんで休んだこともあったけれど、就職してからもこられるようにと2週に1度、レッスンを1時間にのばしてつづけてきた。出会ったとき音大を卒業したばかりだった先生は、結婚して子どもを2人産み、わたしは出会ったときの先生の歳をすぎた。

バイエルからはじめてブルクミュラーソナタ、高校生のときにショパンのワルツをたくさん弾いた。子どものころは時間があまりあるのも手伝い練習がだいすきだったのだけど、大学生になって昼は学校、夜はバイトの生活になると、まとまった練習時間をとれなくなり(休日はもちろん遊びに出かけていて)、それからツェルニーをやりなおし、なぜか発表会でエレクトーンも弾かせてくれて(家にないので教室に行ったときだけ詰めこみ練習した)、最近は北欧のショパン風ワルツを書いたりしているメリカントをはじめて、またピアノを弾くのがとてもたのしいとおもっていたところだった。初めて弾く曲でも楽譜をよめば、先生ならどんなふうに弾いて、どこを気をつけるようにいうか想像がついたし、先生の前で弾いていると、自分の演奏のどこをなおされるかもいつもわかった。


仕事を終えて地下鉄の窓にうつるマスク姿をみやり、来週からあたらしい先生に習うのだなとぼんやりおもいながら、渋谷の東急の地下へプレゼントを買いにいく。へんな話だけれど、20年も付きあいがあるのに食べものの好みはひとつもしらなくて、ちょっと可笑しい。お菓子の甘い香りと惣菜の油っこい匂いの混ざりあった夜8時のフロアをぐるりと1周したのち、先生に似あうアンティーク調の花柄の箱にはいった焼き菓子を指さしながら、わたしはこれをハイこれと渡し、先生は、ああすいませんねえと受けとるところをおもいうかべた。

ピアノにむかって隣に座っているとき、たとえば鍵盤に指を置いて「こんな音を出したい」と目指して手首を下ろす力加減なんかは、指の下りかたを目でみて、音の響きや大きさを聴いてわかるしかなく、あとは、ここはするどく(それもどのくらいするどいか)、ここはレガート(どんなふうにレガート)なんていう、こればかりはほとほと、腕の使いかたや指先の力の入れかた、それから感覚の曲線を近づけることでしか近づくことができないところ、わたしは、ほかの人にはわからない機微を読みとっては歩みより、先生とわたしとのあいだだけでつうじることば、あるいは身体感覚をほとんどわかちあえるほどには長い時をすごしていたのだとおもうと、なかなか上達のはやさがおとろえていることを申し訳なくおもいながら、自己紹介をすることがあれば、ピアノをやっていまして、実は20年ほど、ええ今もレッスンにかよっています、などとおもはゆい顔でいい、「ピアノをつづけてきていること」がわたしをささえる柱のひとつになりつつあったこのごろ、それは、ひとえにこの先生とだったからで、それだからこそ心づよいのだとおもいしらされたりする。


夏に発表会があって、今はそのために練習をしている。先生に習った曲を、ほかの先生に続きを習う。発表会には先生もくるので、そこで聴いてもらえることになる。先生の産休中にほかの先生に習ったことがあって、その先生がメゾピアノはこんなに大きな音なのかとおもうほどにがっしりと骨太な音を出す人で、数か月の間に今までに出したことのないほど大きな音でピアノを弾くようになったことがあったから、これからわたしの弾き方がまた変わるのだろうかとおもったりするし、先週あたらしい先生とお会いしたところでは、またがっしりと弾くようになる気がしている。遅まきながら肩に力を入れずに大きな音でくっきりと弾くことを得て、最近は大きな音で弾くのがたのしいとおもえるけれど、先生と弾いていたショパンの雨だれの主題のかよわく繊細な調べや、中間部の鬱々とさえ感じる重厚な低音、ショパンの蔦の這うようなメロディを弾くのが(譜読み以外は)とてもすきだったわたしを、どうかこれからも忘れずにいられるだろうかとおもったりしている。


さきほどレッスンを終えてきたのだけど、わたしはハイこれをと紙袋を渡し、先生はつまらないものですがとハンカチをくれた。大きなパンダの顔がついたハンカチ。犬と迷ったんだけどパンダかなって、と先生。子どものころからレッスンにくるとキャラクターのシールをもらい、レッスンの予定が書いてあるカードにこにこと貼りつけ、大人になった今でも、もうそれ貼ってるのちびっこだけだよといわれながらシールを貼りつづけるわたしそのもので、とてもうれしかった。

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10年ぶりにインフルエンザにかかった話 〜インフルとかポップに略してくれるな〜(後編)

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咳止めと頓服薬の入ったビニール袋をぶらさげ、きた道をもどる。こんな日にマスクをつけてスニーカーをつっかけよたよた歩いているなんておかしくなるほど、よく晴れてあたたかい。

こどものころ、わたしはからだがよわくて薬を飲む機会がおおかったのだけど、そのくせ、薬を飲むのがしぬほど嫌で、薬を飲むとなると泣きじゃくり、そのたび母は苦心していろいろなものに薬を混ぜて飲ませてくれた。ジュース、ヨーグルト、大きいカップにフルーツやナタデココがごろごろはいったゼリーなど。そんな母のやさしさをしりながら、小学校低学年のころだったか、インフルエンザの薬をどうしても飲みたくなくて、薬を飲んだらごはんをだしてくれるというので、寝ている部屋の窓から薬を投げ捨てたことがある。あとで母にみつかって怒られたが、怒るというより妙な知恵をはたらかせたことをおどろかれた。
薬を飲むときは毎回このことをおもいだす。何種類もの薬を同時に口の中にいれて水をふくみ、苦くないようにすぐにごくんと飲みこみ、平気な顔をしているのを、わたしはいつおぼえたのだろう。4粒の錠剤をひとまとめに飲みくだしながらそんなことをかんがえていたのだけど、喉元をすぎるころにはぐったりとくるだるさが頭をもたげてきた。


起きてみるとおや、なにもかわっていない。かわっていないというのは、具合がわるくなっていないということではない。あいかわらず具合がわるいということだ。

熱は37℃台になった。まだ本意気に上がりはじめてはいないものの、「またあしたきてね」と、もはや希望をいだかせてくれたセンセイのことばをしんじるならば、わたしはいま、あしたにむけて、しあがってきている、そう確信できる進歩である。わたしは、わたしのからだのなかでうにょうにょとうごめく有形無形のウイルスたちが、ぷつりぷつりと細胞分裂をくりかえして増殖(MULTIPLIES)し、指先足先のすみずみまでいっぱいになるのを想像して、布団の中でぞくぞくした。わたしはあした、それと診断される。そのときを待っている。これからもっとぴゅうぴゅう熱が上がるのだ。顔がほてるほどあつくなるのだ。さっきすいこんだウィダーインゼリーも、いまごろウイルスがよろこぶエサになっているにちがいない。ハハハ愉快愉快。

昼のぶんの薬を飲み、なるべく効かないように祈りながらYouTubeをみているうちに寝た。


夜が深くなると、いよいよそれらしくなってきた。
寒気の大波がぞんぞんぞくぞくとおしよせ、ふしぶしはぎしぎしと音をたてるほどにこわばり、からだを起こそうものならあいたたたと声がでる。顔がぽーっとほてってきた。きたぞ。満を持して体温計を脇の下にはさむ。からだはこんな調子だが、もう得意顔である。

ピピピと電子音が鳴り、息まいてとりだしてみる。でました。38.4℃。インフルエンザにしてはやや低めだが、それでも38℃台は立派な発熱だ。わたしのからだをひたしているウイルスたち、よくやった。背中もおしりも非のうちどころがないほど完璧に、ばきばきに痛い。寝返りをうっても居心地のいい体位をみつけられないほどの隙のなさ。しかも時計をみればまだこんな時間か、たったの2時間しか眠らせてくれない。泣かせてくれるぜ。あしたは朝いちばんで診察券だしにいきますよセンセ。そうひとりごちて、目をつむってはウ〜ンとうなされて目がさめ、ふたたびもぞもぞと動いて体の痛くないポーズをさがしてはこまぎれに眠った。


清々しい朝だ。
ちまたにあふれる「インフルエンザ初期症状チェックリスト」のほとんどすべてに即答でレ点をつけられるほどの、アルティメットモードである。

火曜日の病院は運よく空いていて、待合室で待っているとほどなくして呼ばれた。覚悟が決まっているおかげか、いくぶん気もちにも余裕がある。


「熱上がった?」

「ハイ、上がりました。はちどよんぶです。」

「そうなのね。じゃあね、インフルエンザの検査しますからね。ちょっと待ってね」

「ハイ」


その刹那、目の前にひろがるは黄金色の霞がかかる極楽浄土、もやが左右へすっとひらけたところには艶やかな髪をたくわえた天女たちがゆたりゆたりと歩き、蓮の池のむこうからこちらへ手まねきをしているのであった、ああ、ついにこのときがきた。ほら、こちらへおいでなさい、ハイただいま、

看護師さんが柄だけ長い綿棒のようなものをとりだし、咳も涙もでちゃうんだけどね、といいながら、おもむろに先についた綿球をわたしの右の鼻の穴に差しいれた。
アガガ、といいながらなんとか受けとめようとする。ここまでだろうなとおもうちょっと先まで入ってくる、くるしい、痛い、涙がぼろりとでる。看護師さんに頭をささえられて、からだをのけぞらせながらなんとか終了。
もうすこし鼻水とりたいから反対側もするね、とされるがままに鼻をディグされ、終わってみれば、そこは待合室であった。

「出ましたよ、インフルエンザのA型です」

ああ、そうでしょう、と、頭のなかにふわふわうかんでいたものがあるべきところに落ちついたかんじがした。

「ひとりできたの?あなたつらそうだから、点滴うつから。すぐに楽になるからね」

学生のころ、母に付き添ってもらって病院へいったのが最後だから、おおよそ10年ぶりのインフルエンザだった。


ハイありがとうございますと、しおらしくとなりの診察室へ入り、鼻ディグしてくれた看護師さんに腕をさしだす。ちくりと痛みがはしったあと、つめたいものが腕の中にごくごくとはいってくるのをかんじる。このまま40分くらいじっとしててくださいね、といわれてカーテンがしめられた。だらんとのばした腕のむこう、爪のハートがきらりとひかる。急にこころぼそくなった。



点滴はしずくの数をうつらうつらかぞえているあいだに終わった。よろよろとベッドから起き、少々値がはるなとおもいながら会計をすませ家へ帰る。

ひと寝してみればなんだかすこし痛みが少ないような気がする。きのうまでおしりが痛くて座れなかったが、いまはなんとか椅子に座れる。
この点滴をしたら、いわゆるインフルエンザの薬を服用しなくていいとのこと、こどものころのわたしにもできたらこれをやってあげたかった。

買ってきたOS-1を飲む。これ風邪のときにしか飲まないからあまりすきじゃないんだよなとかおもいつつまたひとくち飲む。ポカリスウェットとかスポーツドリンクも、こどものころ風邪のときに飲まされたおぼえがあってすきじゃない。食欲はないなんてものじゃなく、YouTubeで大食いの動画をみても、へえおいしそうに食べるなあとおもうくらいで、わたしも食べたいなあとはさらさらおもえないのがなさけないほどである。喉がぱんぱんに腫れて水を飲むのもくるしく、ウィダーインのみずみずしさがありがたい。また布団にもぐる。

このさい仕事はどうでもいい。そのうちけろっとなおるのもしっている。けれどもどうにもやるせない。きのうからウィダーインゼリーしか食べていなくて、年明けにパーンとついたぜい肉がみるみるうちにハリをうしない、お腹がたよりなくぺたんとしてきたこと。歩くのもよろめいてしまうのでお風呂に入れず、髪の毛がべたつきはじめて気もちわるいこと。つまらないことばかりが目につき、頭にまとわりついて、とつぜん天井からぬっと伸びた手に顔をふさがれるような気がして、うわっと我にかえる。布団の上、わたしのからだで、わたしのからだとがっぷり四つの最中、じぶんのからだを、じぶんでさえどうにもできないもどかしさと、それでもわたしでどうにかするしかないのだというさだめにみずからがんじがらめになってしんどい、さみしい。
「インフルエンザでした」とつとめてあかるくツイートしたら、うれしいことにたくさん連絡をもらった。またなさけなくなって、声をだして泣いてしまった。


点滴はてきめんに効き、次の日には喉の腫れこそあるものの、ほとんどふつうに食事ができるまでになった。動画をみていてもたのしいし、食欲もかきたてられる。近藤聡乃の新版エッセイも読めた。映画も1本みられた。からだを起こしていてもぐらりとめまいがすることもなくなって、お風呂にもはいることができた。『恋と退屈』に、峯田さんが怪我をしてしばらくお風呂に入らず、久方ぶりにお風呂に入ったらからだじゅうの垢がおちたとかいてあったので3日分の垢はどれくらいかとおもったけど、髪の毛がさっぱりしたくらいだった。

一日中ほとんどじっとしていると、自然と頭のなかにちらばっていたきれぎれの考えがひとりでにあつまってきて、うまくまとまったり、どうでもいいことだとわすれられるのがわかる。
それがどうして、ふだん仕事をして、得意でもないことを曲がりなりにもやってみたり、やっぱりむりだったなとおもってみたり、その隙間にすきな人に会いにいきたいなとおもってみたり、たまにはライブへいこうとおもう日もあったり、わーっと買い物をしたりする日もあって、なかなかにいろいろなことがぐるんぐるんとうずまくなかにいると、ふとおもいついたことはうまく練りあげることもできぬまま、ちりぢりに頭の中の竜巻に飛ばされていってしまう。

しかしながら、誰とも会わず、食事もとらず、たのしいこともないけれど、からだの不調以外はいやなこともなくて、寝て、起きて、またしばらくしたら眠るような生活を数日おくるうちに、わたしの野原に無造作におきざりにされていたものがあるべきところに収納され、いらないものは跡形もなくなり、余計な考えだとか、くよくよとこねつづける無用な悩みのたぐいがすべてさっぱりとなくなった。いまは高い丘の上で、目下にひろがる草原が風になびくのをながめているようだ。どうにもできないとじたばたしているあいだに、どうにもならないじぶんがひょっこりと輪郭をあらわして、わたしは目がさめるおもいである。

日頃から「疲れているからもうすこし休んだほうがいいよ」といわれることばかりで、ウンとうなづきながら、からだの疲れはどうにかなると、何もしないでいることに何よりも焦っていたのだけど、急にインフルエンザにかかって休むことになって、こんな感覚をえられるとはおもわなかった。またわたしはベッドからおり、地に足をつけて歩くのだ。身震い、いや、武者震いがする。


体調も快方にむかい、いまならかけるとおもって筆をとる。どうせならおもしろおかしくかいてやろうか。インフルだなんてポップに呼んでくれるやつらに、わたしのしんどさをおしえてやろうか。どうせならとびきりポップに。いちおうそんな根性なのだ。

10年ぶりにインフルエンザにかかった話 〜インフルとかポップに略してくれるな〜(前編)

10年ぶりにインフルエンザにかかった。
これは闘いの一部始終である。


日曜日、おそく起きた朝。
寝すぎたなとのこのこ布団からでて男子ごはんをみながらきのうののこりのごはんと豚汁をたべる。心平ちゃんはほんとうにやせたなあ。たべおわってすることもないのでまた布団へもどる。

YouTubeをみながらごろごろしているうちに寝てしまって、目がさめたら夕方だった。喉がかわいて痛い。

ふだんから口があいているくせがあるから、寝ているあいだに口をぱかんとあけていたんだろう。ちょっと咳がでるのもしかたない。

鉄腕DASHにキムタクがでていた。ひさしぶりにみたような気がするけれどやっぱりかっこいいな。こないだの『アナザースカイ』に北川悦吏子がでていたのもあり、いよいよロンバケが気になってきた。


週のはじめに塗ったマニキュアをおとして、渋谷のロフトで買った、スパンコール入りのにかえる。ピンクや赤のハートのかたちをしたスパンコールがたっぷり入っていて、『フェロモン中毒』という色名がなかなかにおきゃんで、負けたよという気もちで買ったのだ。

グリッター入りのって爪にぜんぜんうまくグリッターのらないんだけど買っちゃうよね、スポンジにわざわざとってポンポンのせたりしないよねめんどくさいもん。でもやっぱり、塗ってみると名前のとおりちょっと浮かれていてかわいい。今週もよろしく。




月曜日。朝。
背中から腰にかけてがばきばきにこわばり起きられない。舌をのばして喉の入口のあたりをさわると、ぶよぶよに腫れているのがわかる。つばをのみこむだけで喉がしめつけられ、ぎゅんと音が鳴り、じんと痛む。咳がコホコホとつながってでる。頭がぎりぎりとしめつけられるように痛い。全身が砂をつめたようにずっしりおもい。熱をはかると36.4℃だったが、平熱が35℃台のわたしにとってはあきらかに嵐の前の静けさであった。

もうそれでしかないと確信がある。
前日まで喉の痛みくらいしかかわったことはなかったのに、朝起きた瞬間に、おもいつくかぎりのしんどさがまとわりついたようなからだになっている。しかもただの風邪なんかではない、ふしぶしがこわばるような痛み。


すぐさまどうにか外にでられるスウェットとジャージに着替え、ガバガバしてよくフィットしないマスクを装着し、診察券をにぎりしめかかりつけの病院へ。

休診あけの待合室は混んでいる。やわらかそうな頬を真っ赤にしたキッズは、ちいさなマスクがずれたのだろう、あごにかかったまま、母親の胸にもたれてぐったりとしている。わたしは頭痛で目をあけているのがまぶしく、iPhoneの画面を長時間ながめるのもしんどかったけれど、とりあえず職場に「発熱のため休みます」と連絡。発熱まだしてないけどたぶんこれからきますという希望的観測もふくめ送信。不本意ながら「ご迷惑をおかけします」ともつけくわえておく。

時間にして10分ほどだっただろうか。名前がよばれるまでのあいだはまさしくこれが朦朧というにたがわずといったあんばいであった。

これが孫悟空あじわった痛みかとおもうような、頭蓋骨ごと締められるような頭痛、腰から太ももの裏にかけてのふしぶし、およびふしぶしでない広い面すべてにかけての痛みで、背もたれのない椅子にふつうにすわっているのがやっとだ。次第に頭にぼーっと血がのぼってくらくらしてきた。あつい、あついぞ。

キッズ、いい子にしてるじゃないか、やるな...でもな、こちとらママがいないけどなかなかがんばってんだぜ...ここらでいさぎよくみじめなところをさらそうじゃないか...みんながみてる前で長椅子にごろんとしてやろうか?エ?

このまままっすぐすわっているのももう無理だ、横にならせてもらおうなどときれぎれにおもっている折、看護師さんからお声がかかり、蜘蛛の糸をたぐるようなおもいで診察室へ。センセイ、わたしもうね、ほらこれ確定でしょうと、(血の気を失った)揉み手で馳せ参じる。



先生にハイ口開けて〜といわれて堂々口を開けるたびに、ね〜ほらセンセ、喉腫れてるよね?ね?これはねえもうほら、そうですよねえ、と、喉の奥からとびだしてきそうなほどおおきく念じ、からだもばきばきに痛いんですよねえと身ぶり手ぶりで痛い部分を訴える。先生もおおよそ確信をもったとおもわれた。
しかしここでややほっとしたのが、ながい闘いのはじまりだったのだ。

「熱は?」

「ア〜熱は、まだ微熱ですねえ。」


そういってしまったのがまちがいだった(なんらまちがいではないが)。


「ジャ、あなたはインフルエンザかもしれないし、インフルエンザじゃないかもしれない。熱がまだあがってないから、検査しても『出ない』から。今晩熱があがるとおもうから、そしたらまたあしたおいで。」


カンダタの糸はあっけなく切れた。


とりあえず咳止めと頓服薬などの処方箋をもらって薬局へ。わたしの前に待っていたママ&キッズが薬剤師さんと「●●ちゃん、インフルエンザなっちゃったんだね、これお薬ね」云々のやりとりをうらめしくみつめ、そのおくすりわたしにもちょうだいよ...とハイエナの目をしていたが、マスクを深くつけていたので気づかれていないとしんじたい。


ああこれで楽になれるとおもったのにとおもうたびにめまいがして、ふらつく足どりで帰宅した。


(後編につづく)

シャムキャッツ らんまん上映会によせて

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シャムキャッツ らんまん上映会。
だいすきなバンドの9周年ワンマンライブのDVDを、おなじくバンドをすきなみなさんと一緒にわいわいみる。ただそれだけの、でもそれだけがたいせつなイベントです。


このたび、2018年12月15日土曜日に、念願だった上映会を開催することができました。
やっと気もちの折りあいもついたので、きょうはらんまん上映会についてお話ししたいとおもいます。




あれはまだべたべたに暑かったお盆あけごろのことでしょうか、わたしは『シャムキャッツ らんまん上映会』なるイベントを立ちあげることにしました。

理由はただひとつ。じぶんのだいすきなシャムキャッツをおなじようにだいすきな人たちと、一緒にライブをみたい。それも、ライブでみかけてはいるけれど話したことのない子に話しかけて、じぶんとおなじようにシャムキャッツをすきな気もちを共有したい。


きっかけは3月のポップアップショップのイベントであった『台湾晩餐会』。あつまったファンがおなじテーブルにすわって、おいしい台湾料理を食べながらアジアツアーの映像をみるというホームパーティのようなイベント。

そこで、いつもひとりでライブへいってはたのしさやよろこびを噛みしめていたわたしは、こんなふうに、みんなとそのたのしさやよろこびをわかちあうことができるんだとかんじてとてもうれしかった。わたしのすきな曲をこの子もすきだった、この子はこんなふうに感じてたんだな、そのかんがえ方はわたしにはなかったからおもしろいな、なんていう発見もおおくて、みんなに話しかけているうち、おわるころにはたくさん友達ができて、ひとりであじわっていたライブのたのしさを、こんなにたくさんの人たちとわかちあえるし、よろこびをおおきくすることができるんだと、それはそれは感慨で胸がひたひたになったのをおぼえています。


そのときにも、またこういうふうにみんなで映像をみながらご飯を食べる会があったらいいのにね、なんて話はしていたのですが、それから時はながれ、夏のおわりにシャムキャッツからとどいたのが、『らんまん』のDVDでした。

こちらが、このときはなんの気なしにつぶやいたわたしのツイートです。



台湾晩餐会以来、ファンどうしであつまるイベントをひらけたらいいなとおもっていたし、これをツイートしたら、いきたい!といってくれた方がいたのもあり、ならばどうにもやるしかないという気もちに駆られ、まずはシャムキャッツに連絡し、開催の許可をいただくことにしました。


これは裏話ですが、準備のこともすこしお話しします。

開催にあたってシャムキャッツの許可をいただくために、まず公式サイトの問い合わせメールフォームにアクセス。用件はプルダウンで「出演依頼」「ファンレター」「リクエスト」「アピール」からえらぶようになっていたのですが、どれにもあてはまらないので、まあご本人たちにご出演はお願いしませんが、いちばん緊急度が高くて読んでもらえそうな用件名にしようとおもい、「出演依頼」を選択。

数日後返信をいただいて、こころよくOKをいただけたときには、安心してもいいはずなのに、なにかとんでもなくおおきなことをはじめてしまったなとおもいながら、しずかに心をきめたのをおぼえています。


それから会場のブッキング、ツイッターで告知する用の画像の制作など、ほんとうのほんとうにはじめてのことばかりで、やおら準備をはじめたのでなかなかに毎日めまぐるしく、仕事のこととか普段以上にどうでもよくなるほどに、上映会のことをかんがえていた気がします。

会場のことは、会場を使ったことのある方に相談させていただき、告知の画像は、イラレがつかえないのでWordとペイントでつくりました。自分のデザインセンスのなさとデジタル環境およびスキルのまずしさを嘆きながらも、どうにか必要な情報が記載されて、しかもタイムラインで目立つということだけをかんがえて、汗だくでつくりました(来年までにイラレできるようになるゾ)。こんな様子でなにからなにまでやっとこさすすめてきて、ようやく準備がととのいいよいよツイートで告知したとき、どんな反応をしてもらえるかなと心配だったものの、想像以上に興味をもってくださる方がいたので、とてもおどろき、ありがたいなとおもいました。

それから、なんとか告知にこぎつけ安心したのも束の間、なんと当初の開催日は台風で中止、おなじ日にミツメと対バン予定だったシャムキャッツのツアーも延期。それでも絶対やるんじゃと最初から延期宣言をして、ありがたいことに振替開催が決定。諸般の調整をさせていただきまして、シャムキャッツのイベントとかぶらない日に開催できることになりました。



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さて、いよいよ当日をむかえまして、朝から会場の設営。受付で名簿にマルをつけてお代をいただいているとき、普通の顔をするようにつとめていたつもりですが、じつはふと、きょうの会をたのしんでくれるだろうか・・という気もちが頭をもたげまして、いままさにわたしは、こんなよく晴れた日のお昼にDVDをみにきてくれているお客さんとむきあっているのだという、ものすごい実感にうちふるえていました。

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告知のツイートでもお知らせしていたとおり、当日はサンドイッチをお出ししました。ハムチーズ、卵焼き、あんこ&クリーム、ジャム&クリームの4種類で、あんこ&クリームが人気だったとおもいます。

開場したあとわたしは入口で受付をしていたのでお客さんの様子をうかがいしれずにいたのですが、上映をはじめようともどると、なんかもうすごい打ちとけた様子でお客さんたちが談笑している・・初対面どうしのお客さんが、こないだの千葉LOOKいきました?なんて話をどんどんしている・・すごい・・


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ようやく上映をはじめると、もうそこからはみなさんおもいおもいにたのしんでくださって、
夏目〜(主にわたし)、スガピ〜、バンビさ〜ん、頼さま〜と黄色い歓声がとびかったり、たとえば『KISS』の最後に夏目くんが投げキッスするとき、みんなで、くるよくるよ!ってどきどきしたり。アルバムにはいっている『カリフラワー』『あなたの髪をなびかせる』は、当時は完全なる新曲だったけれど、たしかにいまへの道しるべだったんだなあと気づかされたし、みんな後半になるにつれてしんみりしながら1曲1曲噛みしめるように聴いて、『渚』のイントロなんてみんな静まりかえって菅原さんのギターに聴きいっていた。

『MODELS』はライブさながらにもりあがってて(みんなやっぱ『MODELS』すきだよね!)、こういう光景がみられるのいいなとおもったのと、でもひとりの部屋でDVDをみていたら、こうはならなかったんだよなと。あつまった人たちがひびきあうからこそ、盛りあがったり、みんなでじっと聴きいったり、だれかが歓声をあげて、またそれにだれかがこたえたりする、そういううねりを目の前にして、やっぱりわたしたちはひとりじゃなくて、みんなとつながっていけるんだな、じぶんとつながれる人がどこかにいて、そのだれかと出会うきっかけをくれたのが、わたしたちにとってはシャムキャッツだったんだなと気づいて、上映会をしてよかったなとおもいました。



この日はおたのしみ企画として、きてくれたお客さんと一緒に、シャムキャッツへのサプライズプレゼントづくりもおこないました。
11月に原宿のThink of thingsで開催されたポップアップショップのグッズにみんなでおもいおもいに“Virgin Graffiti”してもらって、シャムキャッツにわたそうというものです。表紙には箔押しで「らんまん上映会」といれてもらった、とっておきのノートです(ポップアップショップのときオプションで表紙に文字をいれられるときいて)。
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DVDをみながらみんな黙々と書いてくれて、あとでこっそり読ませてもらったら、またおどろいた。じぶんと、シャムキャッツシャムキャッツの音楽が、いままでどういうふうにかかわっているのか、どんなときにシャムキャッツにたすけられたかということをものすごいくわしく書いてくれている方がおおくて、ノートをひらいてくれるシャムキャッツをみつめて話しかけているような、内緒話のようなノート。そんなわけで中身はきてくれたお客さんとシャムキャッツの秘密にしたいとおもいますが、ひとつだけ、すてきなページをおみせしたいとおもいます。
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らんまん上映会をおこなうにあたって、わたしがかんじたのはただひとつ。シャムキャッツのまわりにはいい人がたくさんあつまっているということ。

まずはシャムキャッツご本人たち。ライブやイベントでお会いするたびにメンバーやマネージャーさんが「上映会どう?」と気にかけてくださり、このらんまんを撮影したカメラマンの佐藤さんから、上映会をしてくれてうれしい、と、こちらこそうれしいお言葉をいただいたり。

告知をはじめると、シャムキャッツファンから「たのしみです!」「いきます!」とメッセージをいただいたし、もっとおどろいたのは、予約をしてくれる方がほとんど全員、予約フォームの備考欄にひとことメッセージを書いてくれたこと。ここには、たとえばちょっと遅れますとかを書いてもらえればとおもっていたのだけど、「らんまんにいけなかったのでみられるのたのしみです!」「すりがらちゃん、いくよ〜」みたいな言葉をのこしてくれる方ばかりで、でもシャムキャッツファンのすがたってこうなんだな、となりにいる人の気もちをわかろうとして、だれかのために力になろうとかんばるのが、シャムキャッツのファンの方たちなんだなと、フォームをみつめながらじんわりおもったりしました。そういうファンのすがたは、まちがいなくバンドがそうだから、おたがいに支えあって、だれかがだれかのために、メンバーやファンのみんなのために、いい距離感と関係をたもつために工夫しながら手をうごかしてすすんでいる、いうのにほかならないことだとおもいます。



それから、上映会にきてくれる方以外にも、これをきっかけにできたつながりもたくさんあって、たとえば上映会の翌日にあった愛日燦々というおおきなフェス(みんないったよね)では、上映会をきっかけに主催のカフェクウワ間宮さんとしりあって、ライブやシャムキャッツのポップアップショップで愛日燦々フライヤーをくばらせてもらったり、フェスの当日のお手伝いをさせてもらう機会をいただいたり。それから渋谷系ZINEを制作された照井葉風さんが、当日のお土産でシャムキャッツファンのみなさんに読んでほしいとZINEをもってきてくださったり。普段遊びにいっていたライブやイベントを企画するというのがこのたびはじめてだったわけですが、経験すればするほどに、イベントを企画する方はほんとうにすごいなという気もちが日に日におおきくなって、ハッ上映会をちゃんと開催しなければという使命感で白目をむきながらすごしました。


上映会がおわり1週間、当日みんなでつくったノートも完成し、シャムキャッツトークイベントでメンバーのみなさんにおわたしすることができました。ワーッ!とか、オオー!とかじゃなくて、みなさん1ページずつじっくり目をとおしてくださっていて、そういうところが、わたしたちがシャムキャッツをずっとすきでいる理由なんだとおもいます。
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これが、わたしが夏から冬にかけて上映会を開催するまでの話です。

シャムキャッツ、きてくれたお客さん、気にかけてくださったみなさんありがとうございました。たいせつなワンマンライブの思い出が、きらきらしたすてきな思い出につつまれて、わたしのなかでいつまでもあたたかくかがやきつづけています。

ちなみに夏目くんからは「どんどんハコを大きくしてほしいね!」といってもらえたので、次はもっとおおきなハコを目指したいとおもいます。またいつの日か!

12月のこと

日記と名のるブログを100日ちかくも更新せず、今年は生まれてこの方かんじたこともなかったけれどやたらに手のひらがかさつき、ハンドクリーム各社がべたつかないことをウリにしているわけをしる、もうすっかり冬。


夏の終わりに、といっても肌ではおもいだせないほど遠くなってしまったけれど、おろしたてのワンピースが汗で背中にぺたりとはりついたところをすずしい風がなでて、歩くたびにひやりひやりとかんじるような、あれはたしか8月の夜、柴田聡子の神保町ひとりぼっちをみにいったかえり、電車で両方の膝の裏がむずがゆくなりみれば、じんましんが帯をなしてでていた。

そのときは、つかれているのかなあとおもったのだけど、それからというもの、重いカバンを腕にかけた跡がミミズ腫れのようにじんましん、息があがるくらいいそいで自転車をこげば背中から肩や首にかけてじんましん、冷房のきいたZARAへはいり1Fをみおわるころには腕の内側にじんましん、きわめつけはヨガ、文字どおりの滝のような汗をかけば全身くまなくじんましん、というあんばいで、秋のまるごと、いつじんましんがでるのだろうという不安に、胸を半分くらいあずけていた。

これまでじんましんがでたことなんてかぞえるほどしかなかったのだけど、最近でるじんましんは、まずかゆみがでて、ときどき息苦しくなることがある。全身に蚊にさされたような腫れができて、2時間くらいすると完全にひく。一時的なものなのでじっとしていればなおるのだけど、とつぜん肌があわだちどうにもがまんできないほどのかゆみがやってきて、かゆいのもしんどいし、すぐにはひかないから特に外出先ならあせるし、そしてなんだかはずかしい。自分の体なのに、自分でコントロールできないのがもどかしいし、なさけない。すこし前にすきな人に会ったとき、2回つづけて手の甲にぶわっとゴマをまいたような赤い斑点がでてしまったことがあって、またかとおどろいたしけっこうはずかしかったんであった。


と、こういう体調のことをかくと、ある人は心配してくれるかもしれないけれど、体の不調をうったえると、なにか食べものとかがわるいんじゃないなどどいいながら、自業自得だろうという態度をしめされたり、あるいは、エ、じんましんやばいね、といったかんじで、ふつうそんなんならなくない?なんでそうなるの?というまなざしをうけとることがあるので、なかなかにうちあける人をえらぶ。体の不調をしめすのにも度をこすと“自己管理のできない人間”だとおもわれそうでなんとなく我慢してしまうこともおおいけれど、職場でじんましんがでたときにあっと気づいて腕をみつめていたら、上司がたしかにそれをみたとおもうのだけれど、なにもいわれなかったので、職場の人にはいわないときめた。もっともわたしは自己管理、ましてや自己管理ができていないとか意識が足りないとかそういう紋切り型の言葉はぜったいにつかわないのだけれど。

体調のわるさなんて、(わたしのつとめている)会社にとってはそんなことどうでもいいから働いてほしいわけで、訴えたところで、ひどいなら病院にでもいけば?ということなのだろうけど、それほどのことではなくてただ、そういうことなのねと気づいてくれたらいいのに、日ごろの生活がわるいのだとか、あいつちょっと変だとか、そういう色眼鏡をはずして、というか、もう粉々にして空へはなってから、まっすぐにみてもらえるだけで、だいぶ楽になるのに、それがとてもむずかしいことなのだと、体調のわるさにかぎらず「なんとか我慢できなくもないけれど、ただしんどいことをわかってほしいという気もち」をわかろうとするとか、わからなくてもウンウンとうなずくことは、とてもむずかしいのだなと気づかされる。

はずかしいことにかくいうわたしこそ、だれかのつらさをうけとめることが苦手で、べつになにもいわなくたってよくて、うなずくだけでもいいかもしれないのに、それがうまくできないのだけど、人にいわれるまで気づかなかった。じんましんがでるようになってからことに「風邪でも絶対に休めないあなたに」という風邪薬のCMをみるたびに胸がぎゅっとなるし、逆に『生理ちゃん』があれほどの新鮮なおどろきをもってうけとめられているのには胸のすくおもいだけれど、わたしが気づかないところで我慢を強いていたり、ひとりでかなしみをなぐさめる人がいるのだろうとおもうと、仮にもわたしになにかをつたえようと目くばせしてくれた人には、しんどいおもいをさせてしまってわるいことをしたなと反省している。わたしが上司になげかけているであろうあきらめのまなざしを、そのままわたしの胸につきさしてやりたい。

よく「人の痛みに寄り添う」とか「共感する」といういいかたをするけれど、いきなり寄り添うのも、ひびきあうのもむずかしい。ならば寄り添うよりも前に、向きあってすわったり、まっすぐまなざしたり、ただうなずいたり、そういうことからしようとおもうのだ。寒い夜にはそういうことをかんがえている。

シャムキャッツ らんまん上映会のこと

f:id:slglssss:20180902142943p:plainどうにもやるしかないというおもいに駆られ、このたびはじめて、イベントを開催します。

2018年4月におこなわれた、シャムキャッツ初のホールワンマン『らんまん』のライブDVDを上映する会です。

明大前 マイスペースというアットホームなカフェスペースで、サンドイッチをたべながらみんなでわいわいDVDを観られたらいいなとおもっています。



そもそもなぜ上映会なのか。
家でみられるDVDを、どうしてあつまって観たいとおもったのか。

きょうは、DVD上映会を開催しよう!ときめるまでのことをお伝えしたいとおもいます。



きっかけは、今年の3月にあった「台湾晩餐会 in “TETRA OFFICE”」です。

幡ヶ谷にあるPADDLERS COFFEEにて、メンバーとファンが一緒においしい台湾料理をたべながら、プロジェクターで投影されたアジアツアーの映像をみる、というホームパーティのようなイベントがありました。
(料理の写真しかない、すみません)
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いまおもえば夢のようなイベントで、メンバーがおなじテーブルでご飯をたべている、ということがまずもってしんじられなかったのですが、
それにくわえて、たまたま近くのテーブルにすわっただけの初対面のファンどうしが、料理をたべて「これおいしいね~」とか、映像をみては「わ~~!かっこいい!」「わかる!」なんていいあったりする光景がそこここであって、わたしはそのことをとてもあざやかにおぼえています。


わたしはシャムキャッツがだいすきです。シャムキャッツのライブがだいすきです。
でもライブにはひとりでいっているので、どんなにたのしくてどきどきしたライブも、終わったあとにはひとりでかみしめていました。

それはそれでよかったのですが、
時には、こんなふうにみんなとたのしさをわかちあうことだってできるのか!
わたしがすきなあの曲を、はじめて出会ったこの子もすきだった。おなじシーンで夏目くんかっこいい!とおもってた。
そういう気もちの交換や「すき」の共有ができたこと、たのしい時間をわかちあえたことがとてもとてもうれしくて、わすれることができません。


そんな折にシャムキャッツからとどいた夏のプレゼントが『らんまん』のDVDでした。

ライブDVDはひとりでゆっくり観るのもいいけれど、
また、みんなとわいわいライブをみながら、いろいろな話をしたら、
はじめて出会う人と、だいすきなシャムキャッツのことを話したら、
きっと一緒にたのしい時間をすごせるんじゃないか。

そんなおもいから、発売してすぐに、上映会をおこなうことをきめました。


おひとりでも、お友達を誘ってでも、ぜひおこしください。
おまちしています。


シャムキャッツ らんまん上映会
2018年12月15日(日)
OPEN 12:00/START 12:30
1000円(サンドイッチつき)+1drink

▼ご予約はこちら▼
docs.google.com


※有志で開催するイベントです。
※開催にあたっては、シャムキャッツに許可をいただいております。
※イベントに関するお問い合わせは、すべてreservation.slglssss@gmail.com へお願いいたします。オフィシャルへのお問い合わせはお控えください。