磨硝子日記

会社員。元書店員。ココナッツディスクとくま。

日記をはじめます

昨年秋ごろから、ほそぼそとtwitterにて音楽のこと、本のことなどをつぶやいておりましたが、こちらでもぽつぽつとなにか書いていきます。


はてなブログの使い方、ぜんぜんわからずべたべたと打ってしまって恐縮ですが、つるつると読んでいただけるとさいわいです。


大学生のころアルバイトを始めて、大人と一緒に働きはじめたときに、「大人になるというのは、体じゅうの感覚が閉じていくことだな」と思うようになりました。

ここは仕事場、しんけんな戦いの場、むげに怒られたり冷たくされたり、不条理だなと思う出来事があって、最初はすべて全身で受けとめていたんですが、だんだんそうもいかないことが増えてきたとき、それまで何事にもぷるぷるの感性をもって、うれしい、かなしい、心こなごなになってしまいそうにつらい、などとわあわあ反応していたわけですが、そうもしていたら体がもたない、なにせ大人になると、感じざるをえないことが格段に増えすぎる、いろいろな出来事の矢印がこちらを指している、そのことに気づいたとき、体じゅうにびっしりある、出来事をわたしの中に受け入れる、いわば感覚の口がひとつまたひとつとぴたぴた閉じていって、もう矢が飛んできてもぴんとはじき返してしまうといったあんばいになったのです。


わたし、このままなんにも感知できなくなって、ボンヤリ生きていくのか?ボヨンボヨンなどと、かすみ目で過ごしていたのですが、しかし、社会人になってみるとおやおや、いままで触ったことのない口が、わき腹にできている、ぽかんと口を開けて待っている、あれあれ手首にも足首にもという調子で、なんでかは今のところわかりませんが新たな受け入れ口が増えてきた。

そこへびゅんと飛びこんできたのが、みずみずしい音楽、滾るライブ、そしてそしてたくさんの新たに出会ったみなさんなのです、そしてみなさんが、わたしの体に新しく、もうほとんど風穴を開けて、それを毎日ぐりぐりと広げてくださっています。


こどものころの、なんでもきらきらと見えた目が、なんにでもふるふるとふるえた胸がまた手に入るなら、ほしいと思う。けれどわたしは、こどものころにはなかった感じ方を手に入れた。いまはそれを抱きしめて、ずんずん歩いていこう、そういう気持ちで、感じたことを少しずつ表していきたいと思っています。


どうぞよろしくお願いします。