磨硝子日記

会社員。元書店員。ココナッツディスクとくま。

ハイヒールを履く日

このごろハイヒールを履いている。かかとの高さは7.5センチ。通勤用としてはすこし高めのヒールだと思う。もっぱらフラットシューズで通勤していたけれど、なんでか、これではいけないと思って、アダムエロペへ行ったのだった。
そう、前にお店で見たとき、店員さんに「これなら走れますよ」といわれて、ほう、と思ったのだった。別に走らないけれど、走れるくらいなら、歩くのは余裕で歩きやすく、そしてクッション性にもすぐれているというから、きっと、夕方に足が痛くなりにくい、そういうことなんでは、と期待した、ほんのり。
ハイヒールというのは、きちんと自分の足にあうサイズを選んだとしても、どうしたって足の裏に負担がかかっているのは間違いなく、特に長い時間履いていると、足の裏の、つま先立ちをしている時に地面についてふんばっているところが痛くなる。つま先立ちを1日しているみたいなことといえば、ハイヒールを履かない方にも伝わるだろうか。
だからこう、ハイヒールはかならず足が痛くなるもの、と思っているわたしにとっては、走れますよとか、クッション性にすぐれてますよ、といわれると、すごく、急に心づよいし、きっとみんなそう思っていると思う。実際、そういうことをうたって、ほんとうにそうなのかはわからないし、足の形があわなければ、機能のよさは感じられないと思うから、なんというかむつかしくて、そんなに全面的に信じているわけでもないけれど、でもやっぱり、「いかにこのハイヒールは足に負担がすくなくなるかに心を砕いて作られているか」ということをうたってあると、なんか、そうなのかなと思う。
というわけで、ハイヒールを履かないわたしも、このハイヒールのことはなんだか頭の片隅にはあって、「そうだ、ハイヒール履こう。」よろしく、思いたって買いにいった次第なんであった。

そもそもどうして、ハイヒール。それは、なんというか、「かっこつけるきもちよさ」を、久しぶりに味わいたいと思ったから、というのがいちばんの理由である気がする。
ハイヒールを履く。すなおに、ぐっとかかとを上げて、すこしだけ高いところから、いつもと同じ景色をみる。そうすると、背筋がしゃんとまっすぐ伸びて、目線が上がって、遠くまでよく見えて、目の前にある世界がじつはこんなに広くて、それまでは見えていないものばかりで、でもここからは、こんなにたくさんのものが見える。胸のなかを、新鮮な風が通りぬける。とにかく胸をむんと張って歩きたくなる。そういう、すこしだけ背伸びをするときの、いまわたし、かっこつけているな、きちんとしようとしているな、と感じる、すがすがしさ。凛とする、すっきりしたきもち。そういうのを、きちんと味わいたい、それも特別な日ではなくって、毎日の通勤の、いつも通りの日に。

たとえば今朝、髪をきれいにととのえたとき、おろしたての白いシャツに袖をとおすとき、赤い口紅をつけたとき、いい時計を身につけたとき。これで今日1日をがんばろうと思うような、少し胸がどきどきして、体中に力がみなぎるような、そういう感覚はありませんか。わたしは、けっこうそんなことばっかりで浮かれています。いつまでも何度でも、新鮮でみずみずしいきもちで、今日をがんばる、また明日もがんばる、ときたま休んで、また、気が向いたらちゃんとかっこつける。最近なにかとあわただしくて、「かっこつける」ことを忘れていたな。かかとの高い靴をわざわざ履くのはどうしても面倒くさくて、毎日らくちんな靴ばかり履いていた。そしたら、もうほとんど、足の裏でべたべた歩くようになってしまって、このままいけば足が地面にめりこんでいたのじゃないかという勢いであった。もちろん、全然調子のわるい日もあって、むしろそんな日の方が多くって、いろいろなことを、どうでもいい、すべて投げ捨ててしまいたいと思うこともあるけれど、なんとかこらえて、またハイヒールを履けば、すこしだけ、つよくなれる。胸のなかに新しい空気をたくさん取りこんで、かかとを鳴らして歩こう、そうすれば、なかなか、楽しいものである。