磨硝子日記

すりがらすのブログ

シャムキャッツ『このままがいいね』のこと

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2017年12月12日、日付が変わると同時にシャムキャッツからとどいた、すこしはやめのクリスマスプレゼント。新曲『このままがいいね』。


ドラムとベースが整然とビートをきざむイントロ。
よせる波のように徐々におおきくなるシンバルの音に導かれて、ギターがゆたかな響きで聴く者の胸をひたす。きらきらと輝く水面を写しとったようなエレキギターのフレーズ。じゃりっとした耳ざわりのよいアコギの音。


夏目くんの甘くやわらかい声でつむがれる言葉は、1行目から真っ向勝負だった。

どこにもない自由な時を
君と今 感じたんだよ

ほかのだれにも邪魔されない、いとおしい時。
忘れたいとおもうようなことも、これをすぎたらやってくる日々のどうでもいいことも、いまは横においておいて、目の前のことだけみつめたい時。


くりかえされるフレーズは、文字どおりの"シュアショット"となって、胸のど真ん中を撃ちぬいていく。

このままずっと 二人でずっと
一緒に居れたらいいね
このままずっと 二人でずっと
抱きしめたままがいいね

みずみずしくて、うつくしくて、だけれどもまばたきするあいだに終わってしまいそうな瞬間をとらえた歌詞に、風穴のあいた胸がじんとあつくなる。


前作『Friends Again』のなかで、夏目くんはこう歌った。

何にも縛られないで 生きるなんて
憧れてしまうよね ファニーフェイス 私もそう

あるいはツアーグッズ『Tetra magazine vol.1』のなかで、夏目くんはこの曲について

テーマはわがままでいることと自由でいることについて。そして、わがままではいられないし自由ではいられないことについて。

と話している。


シャムキャッツ『このままがいいね』は、日常のなかにあるいとおしい瞬間と、その瞬間がいつまでもつづかないことを歌った大名曲だとおもう。
だけれどもそこに、『Funny Face』にあったようなすこしの悲しさややるせなさ、アルバムに収められた写真を見返すようなノスタルジーはない。

繰り返すいつもの日曜
止まらないキスで埋めようよ

白い服と黒い服を着た夏目くんが、団地のまわりを歩きながらひなたと日陰をいったりきたりする。まぶしい日差しをうける夏目くんの足元にのびる影。光と影が象徴的なMV。

うつくしい瞬間が、通りすぎていく日常のなかにあってこそうつくしいことを残酷に教えながら、同時に、記憶の日陰に押しやられてしまっても、どこかでかならずきらめきつづけることの尊さを、シャムキャッツは力づよく歌う。


CD発売日前日の1月10日、ココナッツディスク吉祥寺店でおこなわれたインストアライブへいってきた。

当日の告知にもかかわらず、写真のとおり、お客さんがぱんぱん。寒いなか、駐車場からガラス窓ごしにみていたお客さんもいた。

ライブの前に書き初めをしたり、MVで着ていた着ぐるみをかぶって演奏したり。シャムキャッツの「ライブはもちろん、ライブの時間以外もたのしんでほしい」という心意気がほんとうにすきだ。


『このままがいいね』アコースティックバージョンもとてもよかった。このさき聴くとしたらバンドのバージョンだとおもうので、なかなか聴けないかもしれないから聴けてうれしかった。
お客さんは写真や動画を撮ったりしながら、みんなとてもたのしそうだった。ココ吉みたいなあたたかい雰囲気の場所であってこそできたことだとおもう。

ちなみにライブがはじまる前、たのしみすぎて浮き足だっていて、ココ吉のレジの前でつまづきました。はずかしかったです。


買ってきたCDをさっそく聴く。

テンポの速い曲調と、MVの抜けるような青空のおかげか、風をきってすすむときの爽やかさや疾走感があってここちよい。
のびやかな歌声に耳をかたむけていれば、いまみている景色をスローモーションで、あるいは時をとめてみつめているようにも感じられる。
アウトロがおわっていくときの、口のなかで綿菓子がとけたような、じんわりとしたしあわせのひろがり。


シャムキャッツはいつだって日常に寄りそってくれる。
「このままがいいね」。
先回りも、後戻りも、立ちどまることもできない日常のなかで、刹那的でもなく、楽観的でもない、自由をもとめて前を向く希望の言葉として、わたしたちのなかに響きつづける。



このままがいいね (Stay Like This) ー MV