磨硝子日記

すりがらすのブログ

7月のこと

わたしは俗にいう”晴れ女”で、雨が降りそうなときに傘をもってでかけても、屋根のないところを歩いているときには降られず、電車に乗ったらザーザー降りがはじまることがしょっちゅうなのだけど、きょうは家をでてから帰るまでずっと雨が降っていた。


英会話教室では、フィンランド出身で今年1月に日本へきたばかりの講師に、梅雨には慣れた?ときいてみる。毎日雨が降りつづくので、もっている靴がのきなみ濡れてしまって困っているといっていた。再来週のピアノの発表会で、フィンランドの作曲家 メリカントの曲を弾くといったら、シベリウスじゃなくてメリカントなんだ、とすこしおどろいた様子で、でもうれしそうだった。毎週日曜日には2人か3人の講師とレッスンをしているのだけど、わたしはいつもおなじように話していて、たとえば筋トレとかそういうものとちがって、回数をかさねてもとくべつ自分の英語が上達しているともおもわないでいたのだけど、最後に会った講師に“You usually are able to communicate what you mean, but sometimes I have to help you get the words out. That's ok, that's why you are here‬. ”といってもらえた。ただ続けるということだけでもよいのだと、とても楽になった。


終わったあと、雨に濡れないところを歩いてルミネのレストランフロアにながれつき、五目焼きそばを食べた。わたしのとなりにいた母娘、先にきた酸辣湯麺をみた娘が、うわ辛そう、としきりにいい、それから口にした母が一言、ああ辛い、といった。失敗だったかも、といったのがきこえた。母は娘の五目焼きそばをみて、イカが食べたい、といい、娘は小皿にきくらげを選りだして、これよろしく、といった。その横には格子の飾り包丁のはいったイカがあった。
わたしは食卓においてある酢を多めにまわしかけて、瓶をおきながら、さっき本屋で立ち読みした柴田聡子「つれづれのハミング」のことをおもいだした。きのうのライブで、はじめて髪を短く切った柴田さんをみた。わたしがみたなかでいちばん、髪の短い柴田さんだった。少し前に、神保町試聴室でライブをみた方が、柴田さんが髪を切ったというのでどうしてだろうとおもっていたら、矢島さんが今月のつれづれのハミングがやばいから読んで、髪の毛のことも書いてある、というので読んだら、ああ、なにか柴田さんもおもいきったのだなあとおもった。長い髪を切るときは、だいたいがおもいきっているとおもうのだが、どうだろうか。人より多くシャンプーをつかい、濡れた髪を乾かし、乾かさずに寝て後悔し、晴れの日も雨の日も、よい日もしんどい日も一緒にあって、それこそ霊感がなくなるからインディアンは髪を切らないというのはそれらしいことで、そういう苦労をしてでも長くしておいた髪を、ちょっとやそっとでとり戻せない長さに切るのは、ずいぶんおもいきっている。矢島さんに感想をひとこと送り、それから、あっというまに別れた恋人のことをかんがえた。五目焼きそばは子供のころはあまり興味がなくて、ラーメンとか担々麺がすきだったけれど、最近は苦手だったエビやイカあまりかんがえずに食べられるようになって、きょうの英会話のテキストできらいな食べものを話すというパートがあったけれど、べつだん「きらいな食べもの」がおもいつかず(きっと無意識に避けているものはあるけれど)、たとえば大人数で食事にいってでてきたもので食べられないものはそうそうなく、そうしてだいたいのものは食べられるようになっていくのがとてもふしぎだし、年々、なにを食べてもおいしいと感じるようになっているのがとてもあぶないのではないかと感じている。


帰りのバスで『いじわる全集』を聴いた。わたしがはじめてココ吉で買ったCDだ。きのうのイ・ランとのライブで、柴田さんの弾き語りが「スプライト・フォー・ユー」からはじまったのがとてもうれしかった。それでもあの頃、胸のつまりをこらえて新幹線にのりこみ出張にいっていたことや、晴れていて富士山がよくみえたときの救われるような気もち、雲がかかっていて全然みえずに、どうにかすがたかたちがみえないかと窓から身をのりだしそうになって車窓の景色をみていたときのもどかしさを、わたしの気もちなのに、わたしで再生できなくなっていて、とてもかなしい。そう遠くないことを、すぐに忘れてしまうようになった。それに、なにごとも感じにくい。感じることがこわくなって、そっと遠ざかることがある。丸腰で飛びこんでがっぷり四つでぶつかってしまうのがおそろしく、すこしはなれてしまう。わたしはいつからこんなわたしになってしまったのだろうとおもう。バスを降りた。雨はやんでいなかった。


2ヶ月のあいだそのままにしていた髪を切った。切ったといっても、おもいきりのわるいわたしは前髪を短くし、すこし長さを整えたくらいだ。恋人は短い髪がすきだといっていたけれど、いまのわたしはわたしで、すきな髪型をしていたい。感じることも、手放すこともみとめて、なるべく心地よいところにいたい。