磨硝子日記

すりがらすのブログ

7月のこと

わたしは俗にいう”晴れ女”で、雨が降りそうなときに傘をもってでかけても、屋根のないところを歩いているときには降られず、電車に乗ったらザーザー降りがはじまることがしょっちゅうなのだけど、きょうは家をでてから帰るまでずっと雨が降っていた。


英会話教室では、フィンランド出身で今年1月に日本へきたばかりの講師に、梅雨には慣れた?ときいてみる。毎日雨が降りつづくので、もっている靴がのきなみ濡れてしまって困っているといっていた。再来週のピアノの発表会で、フィンランドの作曲家 メリカントの曲を弾くといったら、シベリウスじゃなくてメリカントなんだ、とすこしおどろいた様子で、でもうれしそうだった。毎週日曜日には2人か3人の講師とレッスンをしているのだけど、わたしはいつもおなじように話していて、たとえば筋トレとかそういうものとちがって、回数をかさねてもとくべつ自分の英語が上達しているともおもわないでいたのだけど、最後に会った講師に“You usually are able to communicate what you mean, but sometimes I have to help you get the words out. That's ok, that's why you are here‬. ”といってもらえた。ただ続けるということだけでもよいのだと、とても楽になった。


終わったあと、雨に濡れないところを歩いてルミネのレストランフロアにながれつき、五目焼きそばを食べた。わたしのとなりにいた母娘、先にきた酸辣湯麺をみた娘が、うわ辛そう、としきりにいい、それから口にした母が一言、ああ辛い、といった。失敗だったかも、といったのがきこえた。母は娘の五目焼きそばをみて、イカが食べたい、といい、娘は小皿にきくらげを選りだして、これよろしく、といった。その横には格子の飾り包丁のはいったイカがあった。
わたしは食卓においてある酢を多めにまわしかけて、瓶をおきながら、さっき本屋で立ち読みした柴田聡子「つれづれのハミング」のことをおもいだした。きのうのライブで、はじめて髪を短く切った柴田さんをみた。わたしがみたなかでいちばん、髪の短い柴田さんだった。少し前に、神保町試聴室でライブをみた方が、柴田さんが髪を切ったというのでどうしてだろうとおもっていたら、矢島さんが今月のつれづれのハミングがやばいから読んで、髪の毛のことも書いてある、というので読んだら、ああ、なにか柴田さんもおもいきったのだなあとおもった。長い髪を切るときは、だいたいがおもいきっているとおもうのだが、どうだろうか。人より多くシャンプーをつかい、濡れた髪を乾かし、乾かさずに寝て後悔し、晴れの日も雨の日も、よい日もしんどい日も一緒にあって、それこそ霊感がなくなるからインディアンは髪を切らないというのはそれらしいことで、そういう苦労をしてでも長くしておいた髪を、ちょっとやそっとでとり戻せない長さに切るのは、ずいぶんおもいきっている。矢島さんに感想をひとこと送り、それから、あっというまに別れた恋人のことをかんがえた。五目焼きそばは子供のころはあまり興味がなくて、ラーメンとか担々麺がすきだったけれど、最近は苦手だったエビやイカあまりかんがえずに食べられるようになって、きょうの英会話のテキストできらいな食べものを話すというパートがあったけれど、べつだん「きらいな食べもの」がおもいつかず(きっと無意識に避けているものはあるけれど)、たとえば大人数で食事にいってでてきたもので食べられないものはそうそうなく、そうしてだいたいのものは食べられるようになっていくのがとてもふしぎだし、年々、なにを食べてもおいしいと感じるようになっているのがとてもあぶないのではないかと感じている。


帰りのバスで『いじわる全集』を聴いた。わたしがはじめてココ吉で買ったCDだ。きのうのイ・ランとのライブで、柴田さんの弾き語りが「スプライト・フォー・ユー」からはじまったのがとてもうれしかった。それでもあの頃、胸のつまりをこらえて新幹線にのりこみ出張にいっていたことや、晴れていて富士山がよくみえたときの救われるような気もち、雲がかかっていて全然みえずに、どうにかすがたかたちがみえないかと窓から身をのりだしそうになって車窓の景色をみていたときのもどかしさを、わたしの気もちなのに、わたしで再生できなくなっていて、とてもかなしい。そう遠くないことを、すぐに忘れてしまうようになった。それに、なにごとも感じにくい。感じることがこわくなって、そっと遠ざかることがある。丸腰で飛びこんでがっぷり四つでぶつかってしまうのがおそろしく、すこしはなれてしまう。わたしはいつからこんなわたしになってしまったのだろうとおもう。バスを降りた。雨はやんでいなかった。


2ヶ月のあいだそのままにしていた髪を切った。切ったといっても、おもいきりのわるいわたしは前髪を短くし、すこし長さを整えたくらいだ。恋人は短い髪がすきだといっていたけれど、いまのわたしはわたしで、すきな髪型をしていたい。感じることも、手放すこともみとめて、なるべく心地よいところにいたい。

筋トレをはじめた話

近ごろ筋トレをするのが習慣になった。
寝る前に15分くらい、船のポーズとヒップリフトと、クロスオーバー的な腹筋をかならずやるようになって2週間がたつ。例年梅雨の時期はむくみになやまされて、首筋から背中にかけてべっしょりとまとわりつくような重だるさ、さらにはこころのすきまにも余計な水気をたっぷりとたくわえしまって、からだの芯からぶわぶわになるこの憂鬱な時節の真っただ中にあって、わたしのからだの風とおしがよいのはひとえに筋トレのおかげ、そうでしかないのだと黒目をかがやかせている。あのウォーターベッドを背負ったような(背負ったことないけど)背中の"なんか1枚のってる感"がない。朝、目がさめて雨音が聴こえたときの"今日はもう閉店しました感"はどこへやら、ベッドからからだを起こすやいなや、腹と背中をさすり、きょうもできあがってる、わたしのからだ、いけるで、みたいな恍惚にさえひたるんである、OMG!

もともとスポーツは苦手で、まあ想像どおりだとおもうんだけれど鈍足だし球技もまるでだめで、それでもたのしいならまだしも、体を動かしてつかれてしまうのがいやだから、たのしくもないのにつかれてしまうような運動は仕事でつかれて帰ってきた日になんてどうがんばっても(がんばらないけど)できないものだとおもっていたのだが、ここ1週間くらいいそがしくてけっこうくたくただけれどなんとかつづけられているから、たぶんこれからもできるのだ。


じゃまぁどうして運動がきらいな人が筋トレをしているのかと。
はじめはとても審美的なことだった。わたしは日中のほとんどをデスクワークですごしていて、俗にいう運動不足だし姿勢もわるいだろうしどうなの、ともおもっていたし、それから最近はなんだかとても下腹がでてきて、尻がどっしりと横に広がり、なんなら腰から尻がはじまってるんではとおもうほどに尻全体がおおきくなるのをかんじていたら、ここから巷で聞きかじったことですけれども、デスクワークは股関節を圧迫してさらに前かがみになるから、そのあたりの血流とかリンパの流れがわるくなって、下腹や腰まわりに贅肉(おいしそうな字面にまどわされない)がつきやすいのらしい。ハッ、わたしの腹から腰の上に乗っているこの、うきわみたいなの、これは、デスクワークでついている、のか。社会人1年目に履いていたハイウエストのフレアスカートは、ウエストからヒップにかけて広がるシルエットがきれいなのだが、それが2年目の夏に履いてみると、腰のあたりの贅肉(にくい)が盛られているせいで、どうにも格好わるい。着られる服が減る、脚がだせない、上が膝や脛のあたりまでながくて、下にパンツを履くコーディネートばかりになった。

極めつけは最近買ったワンピース。(試着しないわたしもわるいが)おもいっきり腰のラインをひろうシルエットで、腰の上には横たわる牛のように贅肉が堂々乗っかっていて、姿見の前で立ちつくしてしまった。中肉中背だとおもって生きてきたが、じぶんの体形のせいですきな洋服を着られないとはじめておもった。洋服がすきなわたしにとっては一大事だった。


まず、ひさしくかよっていなかったヨガにまたかよいはじめた。聞いた話では、ヨガは筋トレとか体力づくりというよりも自律神経をととのえるほうにむいていて、あまりカロリー消費とか筋力アップにはならないのらしいけれど、むくみやすい体質のわたしにとって汗をかく機会になっているのがよいとおもう。それと、その「ヨガが体力づくりにむいていない」というのは、日常的にかなり運動をしている人にとっての話で、わたしのように自宅と会社を往復する以外にからだを動かしていない人にとっては立派な体力づくりにもなっている。毎回しっかりポーズでとまれて、その場所で呼吸ができるようになるとうれしい。


それから、夜寝る前に簡単な筋トレをすることにした。
なにからはじめようかとおもったけど、まず気になるのはうきわをつけてる腹と尻だということになり、ヨガでおしえてもらった腹と尻に効きそうなポーズをやってみる。船のポーズとヒップリフトは説明がむずかしいので動画をみてもらえればとおもうのだけど、腹を鍛える船のポーズは初心者が脚を上げると背中が丸まって腹の力がぬけるので、脚は上げずに、膝を90度にまげて長めにキープ、尻をひきしめるヒップリフトは下手に上げ下げすると尻ではなく脚の運動になりそうなので上げ下げせずに長めにキープでやっている。やってみるとわかるとおもうのだけど地味にしんどくて、腹をへこませて引きあげ胸で呼吸をしながら30秒くらいキープしていると、蒸し暑い夜には汗がにじんでくるけれど、うきわがとれるなら厭わない。

youtu.be
youtu.be

なにもトレーニングをしていない人がこのルーティーンを2週間つづけると、まず腰に手をあてたときに、じぶんがおもっているよりもくびれているのが実感できる。その手を背中にすべらせれば、背中の薄さがちがう。腹の前側にだらしなくぶらさがっていた贅肉は少しずつなくなって、うきわの空気を抜いていくようでたのしい。ヨガでますますポーズがとりやすくなったし、電車で立っていてアーつかれたわと背中を丸めることがなくなったし、みぞおちのあたりがいつでもどんよりしていたのだけどそれもなくなって、食欲がでてきた。


それから、筋トレの効果をかんじてくると、自然と目標がかわってくる。
はじめはただ腹と腰まわりの贅肉をおとしたいという審美的な目標だったのだけど、なりたい体形に近づくために筋トレをすること自体をこのましくおもえるようになる。もとより考えれば、わたしは運動がきらいで、つかれることがきらいだったのに、毎日すこしがんばれば、もっとじぶんのなりたい体形に近づけることに気づいて、日に日にかわっていくからだのさわりごこちをたしかめながら、これがわたしががんばっている証拠なのだとおもうと、自尊心がみたされる。わたしはがんばっていて、その結果こうなれたとちいさく満足して、とても自信がつく。筋トレは筋肉を鍛えるだけではなくて、なにかわたしにぐんと力をあたえてくれて、それは筋力だけではなくて気力とか、自信とかそういうものもつれてきて、背筋がまっすぐのびる。わたしがやっているのはずいぶん簡単な筋トレだけれど、それでもトレーニングをハードにやっている人がいつも前むきであかるいようにみえるのはこういうことなんじゃないかとおもう。



わたしのからだはといえば、この1年半くらいのあいだでずいぶんかわってきた。
仕事に忙殺されて朝からだを起こせなくなり、退職して3ヶ月のあいだなにもせず休んだこともあるし、そればかりか仕事をやめる直前には会社から帰るエネルギーすらなくて、帰り道で毎日のようにグミを食べていたらみるみるうちにからだがぶよぶよと太ったこともある。半年くらい前にも食欲がなくて、口に食べものをいれては、わたしが食べたいのはこれじゃないとおもうばかりの日がつづいた。社会人になって、じぶんのからだが仕事でつかれやすくなったり、つかれがとれにくくなっていることが気になるようになったし、からだがつかれているために気もちまでくたびれ、落ちこみやすくなっているのも嫌で、どうにかその落ちこみやすさからぬけだしたいとばかりおもうようになっていたのだ。整体へいきはじめたり、ヨガにかよっているのも、からだのつかれからくる気もちの落ちこみをすこしでもかるくしたいとおもったからだった。

それがこのタイミングで、きっかけは見た目をかえたいということではあれど、筋トレをするうちにわたしの気になっていた気もちの落ちこみやすさは、おもいがけずはやく、楽になってきた。整体へいくたびに、すりがらちゃんは筋トレとかしないんでしょう、筋トレすると気分の落ちこみとかよくなるよ、といわれていて、筋トレはしない!と元気にこたえていたが、もっとはやくはじめればよかったとおもうほどである。

きっと最初に仕事をやめたころのわたしだったら、よくすることをあきらめて、毎日甘いものを食べて束の間こころをなぐさめたりもしていたのだろうけど、最近は仕事のペースもつかんできたので食べものに気をくばる余裕もあり、甘いものとつめたいものをひかえて体力がもどってきたので、もうすこしがんばれるようになって、いまでは、半年前にもできなかったふつうに健康にくらすというとてもとてもむずかしい課題のうえに、筋トレをしてなりたい体形になるという目標もつくれるし、筋トレでがんばることによってこころを癒すこともできるようになった。

どれだけつづくかわからないけれど、いまは腹と尻、腹と尻と念じながら、わたしでわたしをなぐさめ、いつくしみ、わたしがわたしの自信になるように、自尊心を鍛えている。わたしがわたしであることを、とてもうれしくほこらしくおもえるわたしを抱きしめられるように、すこしだけがんばるのだ。

3月のこと

20年習っているピアノの先生をはなれることになった。


先月のおわり、いつものようにレッスンをはじめようと椅子に腰かけたとき、ほんとうに心苦しいんだけど、ときりだされた。わたしは土曜11時からレッスンにかよっているのだけど、先生が他の曜日のレッスンとの兼ねあいで土曜日にこられなくなり、土曜日のレッスンはほかの先生が担当するとのことであった。


5歳のときから、週に1度、30分のレッスン。途中で受験をはさんで休んだこともあったけれど、就職してからもこられるようにと2週に1度、レッスンを1時間にのばしてつづけてきた。出会ったとき音大を卒業したばかりだった先生は、結婚して子どもを2人産み、わたしは出会ったときの先生の歳をすぎた。

バイエルからはじめてブルクミュラーソナタ、高校生のときにショパンのワルツをたくさん弾いた。子どものころは時間があまりあるのも手伝い練習がだいすきだったのだけど、大学生になって昼は学校、夜はバイトの生活になると、まとまった練習時間をとれなくなり(休日はもちろん遊びに出かけていて)、それからツェルニーをやりなおし、なぜか発表会でエレクトーンも弾かせてくれて(家にないので教室に行ったときだけ詰めこみ練習した)、最近は北欧のショパン風ワルツを書いたりしているメリカントをはじめて、またピアノを弾くのがとてもたのしいとおもっていたところだった。初めて弾く曲でも楽譜をよめば、先生ならどんなふうに弾いて、どこを気をつけるようにいうか想像がついたし、先生の前で弾いていると、自分の演奏のどこをなおされるかもいつもわかった。


仕事を終えて地下鉄の窓にうつるマスク姿をみやり、来週からあたらしい先生に習うのだなとぼんやりおもいながら、渋谷の東急の地下へプレゼントを買いにいく。へんな話だけれど、20年も付きあいがあるのに食べものの好みはひとつもしらなくて、ちょっと可笑しい。お菓子の甘い香りと惣菜の油っこい匂いの混ざりあった夜8時のフロアをぐるりと1周したのち、先生に似あうアンティーク調の花柄の箱にはいった焼き菓子を指さしながら、わたしはこれをハイこれと渡し、先生は、ああすいませんねえと受けとるところをおもいうかべた。

ピアノにむかって隣に座っているとき、たとえば鍵盤に指を置いて「こんな音を出したい」と目指して手首を下ろす力加減なんかは、指の下りかたを目でみて、音の響きや大きさを聴いてわかるしかなく、あとは、ここはするどく(それもどのくらいするどいか)、ここはレガート(どんなふうにレガート)なんていう、こればかりはほとほと、腕の使いかたや指先の力の入れかた、それから感覚の曲線を近づけることでしか近づくことができないところ、わたしは、ほかの人にはわからない機微を読みとっては歩みより、先生とわたしとのあいだだけでつうじることば、あるいは身体感覚をほとんどわかちあえるほどには長い時をすごしていたのだとおもうと、なかなか上達のはやさがおとろえていることを申し訳なくおもいながら、自己紹介をすることがあれば、ピアノをやっていまして、実は20年ほど、ええ今もレッスンにかよっています、などとおもはゆい顔でいい、「ピアノをつづけてきていること」がわたしをささえる柱のひとつになりつつあったこのごろ、それは、ひとえにこの先生とだったからで、それだからこそ心づよいのだとおもいしらされたりする。


夏に発表会があって、今はそのために練習をしている。先生に習った曲を、ほかの先生に続きを習う。発表会には先生もくるので、そこで聴いてもらえることになる。先生の産休中にほかの先生に習ったことがあって、その先生がメゾピアノはこんなに大きな音なのかとおもうほどにがっしりと骨太な音を出す人で、数か月の間に今までに出したことのないほど大きな音でピアノを弾くようになったことがあったから、これからわたしの弾き方がまた変わるのだろうかとおもったりするし、先週あたらしい先生とお会いしたところでは、またがっしりと弾くようになる気がしている。遅まきながら肩に力を入れずに大きな音でくっきりと弾くことを得て、最近は大きな音で弾くのがたのしいとおもえるけれど、先生と弾いていたショパンの雨だれの主題のかよわく繊細な調べや、中間部の鬱々とさえ感じる重厚な低音、ショパンの蔦の這うようなメロディを弾くのが(譜読み以外は)とてもすきだったわたしを、どうかこれからも忘れずにいられるだろうかとおもったりしている。


さきほどレッスンを終えてきたのだけど、わたしはハイこれをと紙袋を渡し、先生はつまらないものですがとハンカチをくれた。大きなパンダの顔がついたハンカチ。犬と迷ったんだけどパンダかなって、と先生。子どものころからレッスンにくるとキャラクターのシールをもらい、レッスンの予定が書いてあるカードにこにこと貼りつけ、大人になった今でも、もうそれ貼ってるのちびっこだけだよといわれながらシールを貼りつづけるわたしそのもので、とてもうれしかった。

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10年ぶりにインフルエンザにかかった話 〜インフルとかポップに略してくれるな〜(後編)

slglssss.hatenadiary.jp


咳止めと頓服薬の入ったビニール袋をぶらさげ、きた道をもどる。こんな日にマスクをつけてスニーカーをつっかけよたよた歩いているなんておかしくなるほど、よく晴れてあたたかい。

こどものころ、わたしはからだがよわくて薬を飲む機会がおおかったのだけど、そのくせ、薬を飲むのがしぬほど嫌で、薬を飲むとなると泣きじゃくり、そのたび母は苦心していろいろなものに薬を混ぜて飲ませてくれた。ジュース、ヨーグルト、大きいカップにフルーツやナタデココがごろごろはいったゼリーなど。そんな母のやさしさをしりながら、小学校低学年のころだったか、インフルエンザの薬をどうしても飲みたくなくて、薬を飲んだらごはんをだしてくれるというので、寝ている部屋の窓から薬を投げ捨てたことがある。あとで母にみつかって怒られたが、怒るというより妙な知恵をはたらかせたことをおどろかれた。
薬を飲むときは毎回このことをおもいだす。何種類もの薬を同時に口の中にいれて水をふくみ、苦くないようにすぐにごくんと飲みこみ、平気な顔をしているのを、わたしはいつおぼえたのだろう。4粒の錠剤をひとまとめに飲みくだしながらそんなことをかんがえていたのだけど、喉元をすぎるころにはぐったりとくるだるさが頭をもたげてきた。


起きてみるとおや、なにもかわっていない。かわっていないというのは、具合がわるくなっていないということではない。あいかわらず具合がわるいということだ。

熱は37℃台になった。まだ本意気に上がりはじめてはいないものの、「またあしたきてね」と、もはや希望をいだかせてくれたセンセイのことばをしんじるならば、わたしはいま、あしたにむけて、しあがってきている、そう確信できる進歩である。わたしは、わたしのからだのなかでうにょうにょとうごめく有形無形のウイルスたちが、ぷつりぷつりと細胞分裂をくりかえして増殖(MULTIPLIES)し、指先足先のすみずみまでいっぱいになるのを想像して、布団の中でぞくぞくした。わたしはあした、それと診断される。そのときを待っている。これからもっとぴゅうぴゅう熱が上がるのだ。顔がほてるほどあつくなるのだ。さっきすいこんだウィダーインゼリーも、いまごろウイルスがよろこぶエサになっているにちがいない。ハハハ愉快愉快。

昼のぶんの薬を飲み、なるべく効かないように祈りながらYouTubeをみているうちに寝た。


夜が深くなると、いよいよそれらしくなってきた。
寒気の大波がぞんぞんぞくぞくとおしよせ、ふしぶしはぎしぎしと音をたてるほどにこわばり、からだを起こそうものならあいたたたと声がでる。顔がぽーっとほてってきた。きたぞ。満を持して体温計を脇の下にはさむ。からだはこんな調子だが、もう得意顔である。

ピピピと電子音が鳴り、息まいてとりだしてみる。でました。38.4℃。インフルエンザにしてはやや低めだが、それでも38℃台は立派な発熱だ。わたしのからだをひたしているウイルスたち、よくやった。背中もおしりも非のうちどころがないほど完璧に、ばきばきに痛い。寝返りをうっても居心地のいい体位をみつけられないほどの隙のなさ。しかも時計をみればまだこんな時間か、たったの2時間しか眠らせてくれない。泣かせてくれるぜ。あしたは朝いちばんで診察券だしにいきますよセンセ。そうひとりごちて、目をつむってはウ〜ンとうなされて目がさめ、ふたたびもぞもぞと動いて体の痛くないポーズをさがしてはこまぎれに眠った。


清々しい朝だ。
ちまたにあふれる「インフルエンザ初期症状チェックリスト」のほとんどすべてに即答でレ点をつけられるほどの、アルティメットモードである。

火曜日の病院は運よく空いていて、待合室で待っているとほどなくして呼ばれた。覚悟が決まっているおかげか、いくぶん気もちにも余裕がある。


「熱上がった?」

「ハイ、上がりました。はちどよんぶです。」

「そうなのね。じゃあね、インフルエンザの検査しますからね。ちょっと待ってね」

「ハイ」


その刹那、目の前にひろがるは黄金色の霞がかかる極楽浄土、もやが左右へすっとひらけたところには艶やかな髪をたくわえた天女たちがゆたりゆたりと歩き、蓮の池のむこうからこちらへ手まねきをしているのであった、ああ、ついにこのときがきた。ほら、こちらへおいでなさい、ハイただいま、

看護師さんが柄だけ長い綿棒のようなものをとりだし、咳も涙もでちゃうんだけどね、といいながら、おもむろに先についた綿球をわたしの右の鼻の穴に差しいれた。
アガガ、といいながらなんとか受けとめようとする。ここまでだろうなとおもうちょっと先まで入ってくる、くるしい、痛い、涙がぼろりとでる。看護師さんに頭をささえられて、からだをのけぞらせながらなんとか終了。
もうすこし鼻水とりたいから反対側もするね、とされるがままに鼻をディグされ、終わってみれば、そこは待合室であった。

「出ましたよ、インフルエンザのA型です」

ああ、そうでしょう、と、頭のなかにふわふわうかんでいたものがあるべきところに落ちついたかんじがした。

「ひとりできたの?あなたつらそうだから、点滴うつから。すぐに楽になるからね」

学生のころ、母に付き添ってもらって病院へいったのが最後だから、おおよそ10年ぶりのインフルエンザだった。


ハイありがとうございますと、しおらしくとなりの診察室へ入り、鼻ディグしてくれた看護師さんに腕をさしだす。ちくりと痛みがはしったあと、つめたいものが腕の中にごくごくとはいってくるのをかんじる。このまま40分くらいじっとしててくださいね、といわれてカーテンがしめられた。だらんとのばした腕のむこう、爪のハートがきらりとひかる。急にこころぼそくなった。



点滴はしずくの数をうつらうつらかぞえているあいだに終わった。よろよろとベッドから起き、少々値がはるなとおもいながら会計をすませ家へ帰る。

ひと寝してみればなんだかすこし痛みが少ないような気がする。きのうまでおしりが痛くて座れなかったが、いまはなんとか椅子に座れる。
この点滴をしたら、いわゆるインフルエンザの薬を服用しなくていいとのこと、こどものころのわたしにもできたらこれをやってあげたかった。

買ってきたOS-1を飲む。これ風邪のときにしか飲まないからあまりすきじゃないんだよなとかおもいつつまたひとくち飲む。ポカリスウェットとかスポーツドリンクも、こどものころ風邪のときに飲まされたおぼえがあってすきじゃない。食欲はないなんてものじゃなく、YouTubeで大食いの動画をみても、へえおいしそうに食べるなあとおもうくらいで、わたしも食べたいなあとはさらさらおもえないのがなさけないほどである。喉がぱんぱんに腫れて水を飲むのもくるしく、ウィダーインのみずみずしさがありがたい。また布団にもぐる。

このさい仕事はどうでもいい。そのうちけろっとなおるのもしっている。けれどもどうにもやるせない。きのうからウィダーインゼリーしか食べていなくて、年明けにパーンとついたぜい肉がみるみるうちにハリをうしない、お腹がたよりなくぺたんとしてきたこと。歩くのもよろめいてしまうのでお風呂に入れず、髪の毛がべたつきはじめて気もちわるいこと。つまらないことばかりが目につき、頭にまとわりついて、とつぜん天井からぬっと伸びた手に顔をふさがれるような気がして、うわっと我にかえる。布団の上、わたしのからだで、わたしのからだとがっぷり四つの最中、じぶんのからだを、じぶんでさえどうにもできないもどかしさと、それでもわたしでどうにかするしかないのだというさだめにみずからがんじがらめになってしんどい、さみしい。
「インフルエンザでした」とつとめてあかるくツイートしたら、うれしいことにたくさん連絡をもらった。またなさけなくなって、声をだして泣いてしまった。


点滴はてきめんに効き、次の日には喉の腫れこそあるものの、ほとんどふつうに食事ができるまでになった。動画をみていてもたのしいし、食欲もかきたてられる。近藤聡乃の新版エッセイも読めた。映画も1本みられた。からだを起こしていてもぐらりとめまいがすることもなくなって、お風呂にもはいることができた。『恋と退屈』に、峯田さんが怪我をしてしばらくお風呂に入らず、久方ぶりにお風呂に入ったらからだじゅうの垢がおちたとかいてあったので3日分の垢はどれくらいかとおもったけど、髪の毛がさっぱりしたくらいだった。

一日中ほとんどじっとしていると、自然と頭のなかにちらばっていたきれぎれの考えがひとりでにあつまってきて、うまくまとまったり、どうでもいいことだとわすれられるのがわかる。
それがどうして、ふだん仕事をして、得意でもないことを曲がりなりにもやってみたり、やっぱりむりだったなとおもってみたり、その隙間にすきな人に会いにいきたいなとおもってみたり、たまにはライブへいこうとおもう日もあったり、わーっと買い物をしたりする日もあって、なかなかにいろいろなことがぐるんぐるんとうずまくなかにいると、ふとおもいついたことはうまく練りあげることもできぬまま、ちりぢりに頭の中の竜巻に飛ばされていってしまう。

しかしながら、誰とも会わず、食事もとらず、たのしいこともないけれど、からだの不調以外はいやなこともなくて、寝て、起きて、またしばらくしたら眠るような生活を数日おくるうちに、わたしの野原に無造作におきざりにされていたものがあるべきところに収納され、いらないものは跡形もなくなり、余計な考えだとか、くよくよとこねつづける無用な悩みのたぐいがすべてさっぱりとなくなった。いまは高い丘の上で、目下にひろがる草原が風になびくのをながめているようだ。どうにもできないとじたばたしているあいだに、どうにもならないじぶんがひょっこりと輪郭をあらわして、わたしは目がさめるおもいである。

日頃から「疲れているからもうすこし休んだほうがいいよ」といわれることばかりで、ウンとうなづきながら、からだの疲れはどうにかなると、何もしないでいることに何よりも焦っていたのだけど、急にインフルエンザにかかって休むことになって、こんな感覚をえられるとはおもわなかった。またわたしはベッドからおり、地に足をつけて歩くのだ。身震い、いや、武者震いがする。


体調も快方にむかい、いまならかけるとおもって筆をとる。どうせならおもしろおかしくかいてやろうか。インフルだなんてポップに呼んでくれるやつらに、わたしのしんどさをおしえてやろうか。どうせならとびきりポップに。いちおうそんな根性なのだ。

10年ぶりにインフルエンザにかかった話 〜インフルとかポップに略してくれるな〜(前編)

10年ぶりにインフルエンザにかかった。
これは闘いの一部始終である。


日曜日、おそく起きた朝。
寝すぎたなとのこのこ布団からでて男子ごはんをみながらきのうののこりのごはんと豚汁をたべる。心平ちゃんはほんとうにやせたなあ。たべおわってすることもないのでまた布団へもどる。

YouTubeをみながらごろごろしているうちに寝てしまって、目がさめたら夕方だった。喉がかわいて痛い。

ふだんから口があいているくせがあるから、寝ているあいだに口をぱかんとあけていたんだろう。ちょっと咳がでるのもしかたない。

鉄腕DASHにキムタクがでていた。ひさしぶりにみたような気がするけれどやっぱりかっこいいな。こないだの『アナザースカイ』に北川悦吏子がでていたのもあり、いよいよロンバケが気になってきた。


週のはじめに塗ったマニキュアをおとして、渋谷のロフトで買った、スパンコール入りのにかえる。ピンクや赤のハートのかたちをしたスパンコールがたっぷり入っていて、『フェロモン中毒』という色名がなかなかにおきゃんで、負けたよという気もちで買ったのだ。

グリッター入りのって爪にぜんぜんうまくグリッターのらないんだけど買っちゃうよね、スポンジにわざわざとってポンポンのせたりしないよねめんどくさいもん。でもやっぱり、塗ってみると名前のとおりちょっと浮かれていてかわいい。今週もよろしく。




月曜日。朝。
背中から腰にかけてがばきばきにこわばり起きられない。舌をのばして喉の入口のあたりをさわると、ぶよぶよに腫れているのがわかる。つばをのみこむだけで喉がしめつけられ、ぎゅんと音が鳴り、じんと痛む。咳がコホコホとつながってでる。頭がぎりぎりとしめつけられるように痛い。全身が砂をつめたようにずっしりおもい。熱をはかると36.4℃だったが、平熱が35℃台のわたしにとってはあきらかに嵐の前の静けさであった。

もうそれでしかないと確信がある。
前日まで喉の痛みくらいしかかわったことはなかったのに、朝起きた瞬間に、おもいつくかぎりのしんどさがまとわりついたようなからだになっている。しかもただの風邪なんかではない、ふしぶしがこわばるような痛み。


すぐさまどうにか外にでられるスウェットとジャージに着替え、ガバガバしてよくフィットしないマスクを装着し、診察券をにぎりしめかかりつけの病院へ。

休診あけの待合室は混んでいる。やわらかそうな頬を真っ赤にしたキッズは、ちいさなマスクがずれたのだろう、あごにかかったまま、母親の胸にもたれてぐったりとしている。わたしは頭痛で目をあけているのがまぶしく、iPhoneの画面を長時間ながめるのもしんどかったけれど、とりあえず職場に「発熱のため休みます」と連絡。発熱まだしてないけどたぶんこれからきますという希望的観測もふくめ送信。不本意ながら「ご迷惑をおかけします」ともつけくわえておく。

時間にして10分ほどだっただろうか。名前がよばれるまでのあいだはまさしくこれが朦朧というにたがわずといったあんばいであった。

これが孫悟空あじわった痛みかとおもうような、頭蓋骨ごと締められるような頭痛、腰から太ももの裏にかけてのふしぶし、およびふしぶしでない広い面すべてにかけての痛みで、背もたれのない椅子にふつうにすわっているのがやっとだ。次第に頭にぼーっと血がのぼってくらくらしてきた。あつい、あついぞ。

キッズ、いい子にしてるじゃないか、やるな...でもな、こちとらママがいないけどなかなかがんばってんだぜ...ここらでいさぎよくみじめなところをさらそうじゃないか...みんながみてる前で長椅子にごろんとしてやろうか?エ?

このまままっすぐすわっているのももう無理だ、横にならせてもらおうなどときれぎれにおもっている折、看護師さんからお声がかかり、蜘蛛の糸をたぐるようなおもいで診察室へ。センセイ、わたしもうね、ほらこれ確定でしょうと、(血の気を失った)揉み手で馳せ参じる。



先生にハイ口開けて〜といわれて堂々口を開けるたびに、ね〜ほらセンセ、喉腫れてるよね?ね?これはねえもうほら、そうですよねえ、と、喉の奥からとびだしてきそうなほどおおきく念じ、からだもばきばきに痛いんですよねえと身ぶり手ぶりで痛い部分を訴える。先生もおおよそ確信をもったとおもわれた。
しかしここでややほっとしたのが、ながい闘いのはじまりだったのだ。

「熱は?」

「ア〜熱は、まだ微熱ですねえ。」


そういってしまったのがまちがいだった(なんらまちがいではないが)。


「ジャ、あなたはインフルエンザかもしれないし、インフルエンザじゃないかもしれない。熱がまだあがってないから、検査しても『出ない』から。今晩熱があがるとおもうから、そしたらまたあしたおいで。」


カンダタの糸はあっけなく切れた。


とりあえず咳止めと頓服薬などの処方箋をもらって薬局へ。わたしの前に待っていたママ&キッズが薬剤師さんと「●●ちゃん、インフルエンザなっちゃったんだね、これお薬ね」云々のやりとりをうらめしくみつめ、そのおくすりわたしにもちょうだいよ...とハイエナの目をしていたが、マスクを深くつけていたので気づかれていないとしんじたい。


ああこれで楽になれるとおもったのにとおもうたびにめまいがして、ふらつく足どりで帰宅した。


(後編につづく)

シャムキャッツ らんまん上映会によせて

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シャムキャッツ らんまん上映会。
だいすきなバンドの9周年ワンマンライブのDVDを、おなじくバンドをすきなみなさんと一緒にわいわいみる。ただそれだけの、でもそれだけがたいせつなイベントです。


このたび、2018年12月15日土曜日に、念願だった上映会を開催することができました。
やっと気もちの折りあいもついたので、きょうはらんまん上映会についてお話ししたいとおもいます。




あれはまだべたべたに暑かったお盆あけごろのことでしょうか、わたしは『シャムキャッツ らんまん上映会』なるイベントを立ちあげることにしました。

理由はただひとつ。じぶんのだいすきなシャムキャッツをおなじようにだいすきな人たちと、一緒にライブをみたい。それも、ライブでみかけてはいるけれど話したことのない子に話しかけて、じぶんとおなじようにシャムキャッツをすきな気もちを共有したい。


きっかけは3月のポップアップショップのイベントであった『台湾晩餐会』。あつまったファンがおなじテーブルにすわって、おいしい台湾料理を食べながらアジアツアーの映像をみるというホームパーティのようなイベント。

そこで、いつもひとりでライブへいってはたのしさやよろこびを噛みしめていたわたしは、こんなふうに、みんなとそのたのしさやよろこびをわかちあうことができるんだとかんじてとてもうれしかった。わたしのすきな曲をこの子もすきだった、この子はこんなふうに感じてたんだな、そのかんがえ方はわたしにはなかったからおもしろいな、なんていう発見もおおくて、みんなに話しかけているうち、おわるころにはたくさん友達ができて、ひとりであじわっていたライブのたのしさを、こんなにたくさんの人たちとわかちあえるし、よろこびをおおきくすることができるんだと、それはそれは感慨で胸がひたひたになったのをおぼえています。


そのときにも、またこういうふうにみんなで映像をみながらご飯を食べる会があったらいいのにね、なんて話はしていたのですが、それから時はながれ、夏のおわりにシャムキャッツからとどいたのが、『らんまん』のDVDでした。

こちらが、このときはなんの気なしにつぶやいたわたしのツイートです。



台湾晩餐会以来、ファンどうしであつまるイベントをひらけたらいいなとおもっていたし、これをツイートしたら、いきたい!といってくれた方がいたのもあり、ならばどうにもやるしかないという気もちに駆られ、まずはシャムキャッツに連絡し、開催の許可をいただくことにしました。


これは裏話ですが、準備のこともすこしお話しします。

開催にあたってシャムキャッツの許可をいただくために、まず公式サイトの問い合わせメールフォームにアクセス。用件はプルダウンで「出演依頼」「ファンレター」「リクエスト」「アピール」からえらぶようになっていたのですが、どれにもあてはまらないので、まあご本人たちにご出演はお願いしませんが、いちばん緊急度が高くて読んでもらえそうな用件名にしようとおもい、「出演依頼」を選択。

数日後返信をいただいて、こころよくOKをいただけたときには、安心してもいいはずなのに、なにかとんでもなくおおきなことをはじめてしまったなとおもいながら、しずかに心をきめたのをおぼえています。


それから会場のブッキング、ツイッターで告知する用の画像の制作など、ほんとうのほんとうにはじめてのことばかりで、やおら準備をはじめたのでなかなかに毎日めまぐるしく、仕事のこととか普段以上にどうでもよくなるほどに、上映会のことをかんがえていた気がします。

会場のことは、会場を使ったことのある方に相談させていただき、告知の画像は、イラレがつかえないのでWordとペイントでつくりました。自分のデザインセンスのなさとデジタル環境およびスキルのまずしさを嘆きながらも、どうにか必要な情報が記載されて、しかもタイムラインで目立つということだけをかんがえて、汗だくでつくりました(来年までにイラレできるようになるゾ)。こんな様子でなにからなにまでやっとこさすすめてきて、ようやく準備がととのいいよいよツイートで告知したとき、どんな反応をしてもらえるかなと心配だったものの、想像以上に興味をもってくださる方がいたので、とてもおどろき、ありがたいなとおもいました。

それから、なんとか告知にこぎつけ安心したのも束の間、なんと当初の開催日は台風で中止、おなじ日にミツメと対バン予定だったシャムキャッツのツアーも延期。それでも絶対やるんじゃと最初から延期宣言をして、ありがたいことに振替開催が決定。諸般の調整をさせていただきまして、シャムキャッツのイベントとかぶらない日に開催できることになりました。



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さて、いよいよ当日をむかえまして、朝から会場の設営。受付で名簿にマルをつけてお代をいただいているとき、普通の顔をするようにつとめていたつもりですが、じつはふと、きょうの会をたのしんでくれるだろうか・・という気もちが頭をもたげまして、いままさにわたしは、こんなよく晴れた日のお昼にDVDをみにきてくれているお客さんとむきあっているのだという、ものすごい実感にうちふるえていました。

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告知のツイートでもお知らせしていたとおり、当日はサンドイッチをお出ししました。ハムチーズ、卵焼き、あんこ&クリーム、ジャム&クリームの4種類で、あんこ&クリームが人気だったとおもいます。

開場したあとわたしは入口で受付をしていたのでお客さんの様子をうかがいしれずにいたのですが、上映をはじめようともどると、なんかもうすごい打ちとけた様子でお客さんたちが談笑している・・初対面どうしのお客さんが、こないだの千葉LOOKいきました?なんて話をどんどんしている・・すごい・・


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ようやく上映をはじめると、もうそこからはみなさんおもいおもいにたのしんでくださって、
夏目〜(主にわたし)、スガピ〜、バンビさ〜ん、頼さま〜と黄色い歓声がとびかったり、たとえば『KISS』の最後に夏目くんが投げキッスするとき、みんなで、くるよくるよ!ってどきどきしたり。アルバムにはいっている『カリフラワー』『あなたの髪をなびかせる』は、当時は完全なる新曲だったけれど、たしかにいまへの道しるべだったんだなあと気づかされたし、みんな後半になるにつれてしんみりしながら1曲1曲噛みしめるように聴いて、『渚』のイントロなんてみんな静まりかえって菅原さんのギターに聴きいっていた。

『MODELS』はライブさながらにもりあがってて(みんなやっぱ『MODELS』すきだよね!)、こういう光景がみられるのいいなとおもったのと、でもひとりの部屋でDVDをみていたら、こうはならなかったんだよなと。あつまった人たちがひびきあうからこそ、盛りあがったり、みんなでじっと聴きいったり、だれかが歓声をあげて、またそれにだれかがこたえたりする、そういううねりを目の前にして、やっぱりわたしたちはひとりじゃなくて、みんなとつながっていけるんだな、じぶんとつながれる人がどこかにいて、そのだれかと出会うきっかけをくれたのが、わたしたちにとってはシャムキャッツだったんだなと気づいて、上映会をしてよかったなとおもいました。



この日はおたのしみ企画として、きてくれたお客さんと一緒に、シャムキャッツへのサプライズプレゼントづくりもおこないました。
11月に原宿のThink of thingsで開催されたポップアップショップのグッズにみんなでおもいおもいに“Virgin Graffiti”してもらって、シャムキャッツにわたそうというものです。表紙には箔押しで「らんまん上映会」といれてもらった、とっておきのノートです(ポップアップショップのときオプションで表紙に文字をいれられるときいて)。
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DVDをみながらみんな黙々と書いてくれて、あとでこっそり読ませてもらったら、またおどろいた。じぶんと、シャムキャッツシャムキャッツの音楽が、いままでどういうふうにかかわっているのか、どんなときにシャムキャッツにたすけられたかということをものすごいくわしく書いてくれている方がおおくて、ノートをひらいてくれるシャムキャッツをみつめて話しかけているような、内緒話のようなノート。そんなわけで中身はきてくれたお客さんとシャムキャッツの秘密にしたいとおもいますが、ひとつだけ、すてきなページをおみせしたいとおもいます。
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らんまん上映会をおこなうにあたって、わたしがかんじたのはただひとつ。シャムキャッツのまわりにはいい人がたくさんあつまっているということ。

まずはシャムキャッツご本人たち。ライブやイベントでお会いするたびにメンバーやマネージャーさんが「上映会どう?」と気にかけてくださり、このらんまんを撮影したカメラマンの佐藤さんから、上映会をしてくれてうれしい、と、こちらこそうれしいお言葉をいただいたり。

告知をはじめると、シャムキャッツファンから「たのしみです!」「いきます!」とメッセージをいただいたし、もっとおどろいたのは、予約をしてくれる方がほとんど全員、予約フォームの備考欄にひとことメッセージを書いてくれたこと。ここには、たとえばちょっと遅れますとかを書いてもらえればとおもっていたのだけど、「らんまんにいけなかったのでみられるのたのしみです!」「すりがらちゃん、いくよ〜」みたいな言葉をのこしてくれる方ばかりで、でもシャムキャッツファンのすがたってこうなんだな、となりにいる人の気もちをわかろうとして、だれかのために力になろうとかんばるのが、シャムキャッツのファンの方たちなんだなと、フォームをみつめながらじんわりおもったりしました。そういうファンのすがたは、まちがいなくバンドがそうだから、おたがいに支えあって、だれかがだれかのために、メンバーやファンのみんなのために、いい距離感と関係をたもつために工夫しながら手をうごかしてすすんでいる、いうのにほかならないことだとおもいます。



それから、上映会にきてくれる方以外にも、これをきっかけにできたつながりもたくさんあって、たとえば上映会の翌日にあった愛日燦々というおおきなフェス(みんないったよね)では、上映会をきっかけに主催のカフェクウワ間宮さんとしりあって、ライブやシャムキャッツのポップアップショップで愛日燦々フライヤーをくばらせてもらったり、フェスの当日のお手伝いをさせてもらう機会をいただいたり。それから渋谷系ZINEを制作された照井葉風さんが、当日のお土産でシャムキャッツファンのみなさんに読んでほしいとZINEをもってきてくださったり。普段遊びにいっていたライブやイベントを企画するというのがこのたびはじめてだったわけですが、経験すればするほどに、イベントを企画する方はほんとうにすごいなという気もちが日に日におおきくなって、ハッ上映会をちゃんと開催しなければという使命感で白目をむきながらすごしました。


上映会がおわり1週間、当日みんなでつくったノートも完成し、シャムキャッツトークイベントでメンバーのみなさんにおわたしすることができました。ワーッ!とか、オオー!とかじゃなくて、みなさん1ページずつじっくり目をとおしてくださっていて、そういうところが、わたしたちがシャムキャッツをずっとすきでいる理由なんだとおもいます。
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これが、わたしが夏から冬にかけて上映会を開催するまでの話です。

シャムキャッツ、きてくれたお客さん、気にかけてくださったみなさんありがとうございました。たいせつなワンマンライブの思い出が、きらきらしたすてきな思い出につつまれて、わたしのなかでいつまでもあたたかくかがやきつづけています。

ちなみに夏目くんからは「どんどんハコを大きくしてほしいね!」といってもらえたので、次はもっとおおきなハコを目指したいとおもいます。またいつの日か!

12月のこと

日記と名のるブログを100日ちかくも更新せず、今年は生まれてこの方かんじたこともなかったけれどやたらに手のひらがかさつき、ハンドクリーム各社がべたつかないことをウリにしているわけをしる、もうすっかり冬。


夏の終わりに、といっても肌ではおもいだせないほど遠くなってしまったけれど、おろしたてのワンピースが汗で背中にぺたりとはりついたところをすずしい風がなでて、歩くたびにひやりひやりとかんじるような、あれはたしか8月の夜、柴田聡子の神保町ひとりぼっちをみにいったかえり、電車で両方の膝の裏がむずがゆくなりみれば、じんましんが帯をなしてでていた。

そのときは、つかれているのかなあとおもったのだけど、それからというもの、重いカバンを腕にかけた跡がミミズ腫れのようにじんましん、息があがるくらいいそいで自転車をこげば背中から肩や首にかけてじんましん、冷房のきいたZARAへはいり1Fをみおわるころには腕の内側にじんましん、きわめつけはヨガ、文字どおりの滝のような汗をかけば全身くまなくじんましん、というあんばいで、秋のまるごと、いつじんましんがでるのだろうという不安に、胸を半分くらいあずけていた。

これまでじんましんがでたことなんてかぞえるほどしかなかったのだけど、最近でるじんましんは、まずかゆみがでて、ときどき息苦しくなることがある。全身に蚊にさされたような腫れができて、2時間くらいすると完全にひく。一時的なものなのでじっとしていればなおるのだけど、とつぜん肌があわだちどうにもがまんできないほどのかゆみがやってきて、かゆいのもしんどいし、すぐにはひかないから特に外出先ならあせるし、そしてなんだかはずかしい。自分の体なのに、自分でコントロールできないのがもどかしいし、なさけない。すこし前にすきな人に会ったとき、2回つづけて手の甲にぶわっとゴマをまいたような赤い斑点がでてしまったことがあって、またかとおどろいたしけっこうはずかしかったんであった。


と、こういう体調のことをかくと、ある人は心配してくれるかもしれないけれど、体の不調をうったえると、なにか食べものとかがわるいんじゃないなどどいいながら、自業自得だろうという態度をしめされたり、あるいは、エ、じんましんやばいね、といったかんじで、ふつうそんなんならなくない?なんでそうなるの?というまなざしをうけとることがあるので、なかなかにうちあける人をえらぶ。体の不調をしめすのにも度をこすと“自己管理のできない人間”だとおもわれそうでなんとなく我慢してしまうこともおおいけれど、職場でじんましんがでたときにあっと気づいて腕をみつめていたら、上司がたしかにそれをみたとおもうのだけれど、なにもいわれなかったので、職場の人にはいわないときめた。もっともわたしは自己管理、ましてや自己管理ができていないとか意識が足りないとかそういう紋切り型の言葉はぜったいにつかわないのだけれど。

体調のわるさなんて、(わたしのつとめている)会社にとってはそんなことどうでもいいから働いてほしいわけで、訴えたところで、ひどいなら病院にでもいけば?ということなのだろうけど、それほどのことではなくてただ、そういうことなのねと気づいてくれたらいいのに、日ごろの生活がわるいのだとか、あいつちょっと変だとか、そういう色眼鏡をはずして、というか、もう粉々にして空へはなってから、まっすぐにみてもらえるだけで、だいぶ楽になるのに、それがとてもむずかしいことなのだと、体調のわるさにかぎらず「なんとか我慢できなくもないけれど、ただしんどいことをわかってほしいという気もち」をわかろうとするとか、わからなくてもウンウンとうなずくことは、とてもむずかしいのだなと気づかされる。

はずかしいことにかくいうわたしこそ、だれかのつらさをうけとめることが苦手で、べつになにもいわなくたってよくて、うなずくだけでもいいかもしれないのに、それがうまくできないのだけど、人にいわれるまで気づかなかった。じんましんがでるようになってからことに「風邪でも絶対に休めないあなたに」という風邪薬のCMをみるたびに胸がぎゅっとなるし、逆に『生理ちゃん』があれほどの新鮮なおどろきをもってうけとめられているのには胸のすくおもいだけれど、わたしが気づかないところで我慢を強いていたり、ひとりでかなしみをなぐさめる人がいるのだろうとおもうと、仮にもわたしになにかをつたえようと目くばせしてくれた人には、しんどいおもいをさせてしまってわるいことをしたなと反省している。わたしが上司になげかけているであろうあきらめのまなざしを、そのままわたしの胸につきさしてやりたい。

よく「人の痛みに寄り添う」とか「共感する」といういいかたをするけれど、いきなり寄り添うのも、ひびきあうのもむずかしい。ならば寄り添うよりも前に、向きあってすわったり、まっすぐまなざしたり、ただうなずいたり、そういうことからしようとおもうのだ。寒い夜にはそういうことをかんがえている。