磨硝子日記

すりがらすのブログ

最近のこと

家のなかで寝たり起きたりをくりかえすうち、日は高く、窓をあければそよそよと吹きこむ風もあっという間に湿っぽさをたたえた季節をむかえて、クローゼットのなかはいまだに時が止まっていても、ひとりでに動く、前にしかすすまぬ荷台に腰かけ、あるいは波から波へと乗りこなし、ここまでこられたのだという事実を、文字どおり身をもって感じている。

朝日のまぶしさで目を覚まし、夕暮れのすずしさに気づき、町ごと寝静まった夜の空に、駅を発った電車が線路を鳴らす音だけがこだまするのを聴きながら、からだのすみずみまでが休眠させていたするどさをとりもどしていくような日々にあって、わたしのこれまでの暮らしや考えの筋道がみえなくさせ、またはそもそもまったく心をくばれていなかったような、さまざまなことに想いをいたすほどに、こんこんと湧きでるような怒りやかなしみ、無力さ、呆れなどにさいなまれたこともあったけれど、それでもわたしの入れ物である体を、わたしで落ちつける気力と体力を養い、さらにいちだんとくっきりとした輪郭を得たような気さえしている。

ツイッターで現在地を変えると、トレンドの欄に表示される国内のあれやこれやのニュースに心を乱されなくなるときいてやってみたところ、ほんとうに胸が凪ぐようなおもいがした。はじめはいったこともない南の島、それから言葉を読めない地域、仕様の問題なのか、トレンド欄になにも表示されないことすらあった。わたしはいままで、いかにひとときの話題を見知っては、それにぶらさがる玉石混交の言葉を浴び、ひとしきり疲れていたのだろう。とにかく自分の心を守り、養うことを大切に、お化粧品や読書など気もちがうきうきとすることに時間をかけ、仕事は在宅勤務で通勤と同僚とのコミュニケーションのストレスを減らしている。体に水分がたまりやすい体質で、梅雨時はいつも背中に敷き布団くらいの大きさのぶよぶよしたものが覆いかぶさるような重々しい感覚があったのだけれど、幸いなことに今年はまだない。落ちついたらあおやぎさんとこで整体を受けようとおもっていたのだけれど、おもった以上にまだいける、なんなら体に力がはいるので、もうすこしこのままうまくいけるといいとおもう。