磨硝子日記

すりがらすのブログ

bjons『頼りない魂』のこと

3月1日、わたしは下北沢440へ中野督夫さんのチャリティライブを観にいっていた。そのライブのとき、bjonsのみなさんとすこし話すことができて、わたしの会社ではまだみんなかわらず出勤していて、時差出勤もしていない、このまま在宅勤務にもならなさそう、というようなことをいったのを覚えている。マスクの下でうふふと笑っていたのも束の間、2週間後には時差出勤がはじまり、1ヶ月後には在宅勤務になった。在宅期間は予想をはるかにうわまわる長さで、春物のアウターもろくに着ないうちに、もう立派に夏をむかえてしまう。

bjonsはわたしのいちばん推しているバンドである。今年は上半期だけでも月に一度くらいはライブの予定があったのだけれど、それらもやむをえず延期になってしまった。だからこそ、そんな折にはじまったbandcampでの配信は、ほんとうに希望の灯火のようにおもえた。新曲を聴けることはもちろんなのだけれど、ごく近い世界の景色をまばたきで切りとったようなあざやかさに、彼らが同じときに、地続きのところで生きているのではないかとおもえる心づよさを感じたからだ。

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2曲目に発表された『頼りない魂』、すきなバンドの新曲がリリースされたとなれば多少なりともウキっとした気もちになるものだとおもうのだけれど、はじめて聴いたあと、わたしははっとして、しずかに目を開かされるようなおもいがした。心待ちにしていた新曲だったしなにかうれしさをあらわさなければとおもって、とっさに曲中にでてくる歌詞をおもいだしてペガサスの絵文字をつけて感想をツイートしてみたのだけれど、そういうことじゃないとおもってすぐ消した。例によって歌詞を書きおこしながら聴いてみたけれど、そうするまでもなく数回聴くうちに、歌詞にあることばの端々から、これはきっとだれかの(というか今泉さんの)実際に経験したことで、だれにも語られなかったかもしれないことを歌っているのでは、とおもったからだ。

この数ヶ月のあいだ、ウイルスという共通の禍に対峙するにつけ、その下でそれぞれの人が環境や立場をさまざまにしていることがくっきりとうかびあがり、物理的にも心理的にも自分と近いところにいる人の生活や考え方でさえ、自分やほかのだれかのものと同じではないことに、幾度となく気づかされてきた。
わたしは会社勤めをしていて、そのなかでもパソコンとiPhoneがあれば、在宅でもほぼ100%かわりなくできる職種である。でもそれはほんとうにたまたまの、さいわいなことだ。社内でも出勤しないと仕事ができない部署があるし、友達の勤めている会社では部署内でシフトを組んで、週替わりで出勤しているときいた。自営業をしている知りあいは、どうにかして休まずにつづける工夫を考える人もいれば休業するという人もいたし、フリーランスの人だと仕事がキャンセルになったり立ちゆかなくなったときく。いったことのあるレコードショップの店長さんはコロナウイルスに感染して入院したとツイートしていた。達郎さんのラジオには、毎週のようにエッセンシャルワーカーたちの声が寄せられるし、看護師の知人はコロナウイルスに感染した方の治療に従事していたそうだ。そしてついこの間までライブをみにいっていたミュージシャンやライブハウスには、配信やクラウドファンディングをはじめる人もいた。これらのストーリーはわたしが見聞きして、しるようになったことだけれど、人の数だけストーリーはあって、きこえる声にならなかったことが、なかったことになるわけではない。

bjonsのこの曲で語られるとても個人的なストーリーは、ともすればだれにもしられることがなかったのかもしれない。けれどもそれがひとたびだれかにわたされれば、ある人に気づかせ、またある人の懐にしみしみとはいりこみ、やわらかな希望や、悲しみへのあたたかい手あてになることがある。
鎮魂歌でもあって、それを歌う生きる人の声でもあろうこのストーリーは、これまで心をくばれていなかったようなことにおもいをいたす道標になり、そしてかならずしも自分の経験と一致したというわけではなくても、なにか波長のおなじ記憶や胸の内に散らばったものとひびきあう。

今泉さんと話していると、ほんとうにこの人にはいろいろなことを表からも裏からも見透かされるようだなという気もちになることがあるのだけれど、このたびも語り手は、目の前で起こっていることをつぶさにみつめ、それらを積みあげて想像力をはたらかせる思慮深さをもって、まなざしの先にあるものをみせてくれた。そしてバンドのアンサンブルはストーリーの体温をそのままに、ひとりひとりの音色がはっきりと際だち、音の鳴っていない余韻にさえもふくよかな響きをかんじるようで、5人の心くばりの賜物だとおもわされるのだ。

先日笹倉さんの配信ライブをみていたら、谷ぴょんさんが、最後に笹倉さんと人前で演奏したのは3月の督夫さんのライブだった、久しぶりだな、というようなことをいっていて、しばらくしまいこんでいた記憶にお湯をかけてふやかしていくような気もちになった。ライブがあったら、レコードが発売されていたら、という世界線にはもどれないけれど、こうして新曲をうけとり、心を揺さぶられるようになるともわからなかったわけで、おもいがけずたどりついた今を、うれしいものだとおもいたい。わたしたちはまた積みあげていくのだ。そこに想像力があれば、うしなったものも、みえないものでさえも、なかったことにはならないのだから。

bjons.bandcamp.com