磨硝子日記

すりがらすのブログ

休職中のこと

7月末に会社を辞め、今日まで2ヶ月半休職していた。

5月に意気揚々と転職した会社を3ヶ月で退職し、けっこう落ちこんだ。新しいところで新しいことをはじめたいという気もちをぶん殴られてつらかった。直属の上司から(上司とわたしの二人だけのチームだった)、コロナ禍に70%在宅勤務を指示されていながら出社を強要されたり(在宅勤務は3ヶ月間で4日しかなかった)、それでも勤怠を「在宅」に付け替えるように強く言われたり、上司のサポートばかりをさせられ、それから機嫌に任せて言葉のハラスメントを受けるうちに、わたしが壊れてしまわないうちに逃げようとおもった。

取締役や社長や同僚たちから、ハラスメントに気づかなくて申し訳なかったといわれたが、その時はなんと言ってもらえても、なんの慰めにもならなかった。わたしはもっとはやく、誰かにSOSを出すべきだった?誰とも関わらないこのチームから、どうやったら誰かに助けを求められたのだろうか?自分が声を上げることなく、ただ、こと切れるように辞めるという選択をしたのを、情けなくおもっていた。

ちょうど退職する間際に新型コロナウイルスの職域接種があり、最終出社日の2日後に2回目接種を受けた。夏のボーナスもちゃっかり支給されてしまい、自分はボーナスワクチン泥棒だとおもった。ワクチンを打ったところで、出社するわけでもなく、仕事をしていないからといってどこかに出かけられるわけでもなく、朝起きてよく晴れた真夏の空をみながら、ただぼんやりとしていた。


前々職を離れてまだ時間がたっていなかったので、恥をしのんで元上司に相談すると、快く面談をしてくれたのだが、久しぶりに会った元同僚たちの顔をみるだけで安心からか涙があふれでてきてしまい、面談もままならず、挙げ句の果てには社長から(ベンチャー企業のため社長とも近くわたし自身のこともよくわかってくれているとおもう)、「どうみても元気がない。うちにいるときには、もっと元気に自分らしく働けていたとおもう。弱っている時に決断するのは良くないから、1ヶ月くらい考えてからまた話そう」という旨のことを言われ、ごもっともだとおもった。
自分でも驚くほど心身ともに消耗していて、8月の頭から転職エージェントに登録して就職活動をはじめたけれど、オンライン面接とはいえ人前で1時間ほど話さなければいけないのが体力的にもかなり厳しく、面接中にうまく話せなくなったり、面接が終わるとひどく疲れてしまうことも多かった。もちろんそんな状態で面接に通るはずもないが、ある企業の採用担当者から短期離職を指摘され「転職ガチャ」と言われたことにはさすがに腹がたち、その場で退出したかった。部屋にひとりでいるとき、お風呂につかっているとき、口に出して「自信がない」と言ったのはこれがはじめてだった。

とにかく得意なことと苦手なことの差が大きく、特に苦手なことが人並みにもできない。それを、得意なことを頑張ることによってどうにかごまかしてきた。それが、得意なことさえも頑張れない環境の中ではどうにもならず、わたしは無職になることにした。もともとわたしにとっては、働くことのモチベーションが、自分にできることで誰かや社会のためになりたいというものなので、こんなに自信のないわたしにできる仕事はないのかもしれないとおもった。転職エージェントに紹介してもらう求人票をみながら、相手にしてもらえるのだろうかと卑屈になったりもして(実際「短期離職をした人」であることには間違いないのだけれど)、お盆に入るまでは、面接をしてはさらに自信をなくす日が続いた。


時間はたっぷりあった。朝、どれだけ寝てもよかったし、はやく起きてもよかった。夜、眠れなくても怖くなかった。ドラマを続けてみても、本をたくさん買って読んでも、料理をしても、ピアノの練習をしても、筋トレをしても、時間が余った。朝日が昇って、だんだん気温が上がっていくのを感じ、夕日が落ちて夜になるころの風で涼んだ。
それから、ずっとやりたかった韓国語の勉強を始めた。NHKの『まいにちハングル講座』のテキストと音源を購入して、ハングルの読み方や発音を勉強していると、やる気が出て、無力感がまぎれた。語学学習で有名なduolingoというアプリも入れて、毎日ゲーム感覚で単語を覚えて、最近はDropsという単語アプリも追加した。duolingoは今日まで83日連続学習記録がついているので、なかなかまじめにやったとおもう。そのおかげか、先日緊急事態宣言が明けて新大久保に行ったら、韓国スーパーでハングルが読めて、意味がわかったのでとてもうれしかった。Netflixで大流行中の『イカゲーム』は推しのコン・ユさんが出演しているので公開してすぐにみたのだけれど、短いセリフが聴きとれたときには、わたしが韓国語を勉強しているのはこんなふうに、字幕なしで何を伝えたいかをわかりたかったからなのだと気づいて、なんとも感慨深かった。


趣味に没頭しながら9月にはいると、どうしても入社したいとおもう会社の面接にすすむことができ、月末に内定をもらった。やっていけるか分からなくて不安だったけれど、うれしかった。何度も、今度は大丈夫だろうかと気もちがゆらいで、それでもどんどんと日は進んだ。

10月になって、あんなに元気のなかった自分の気もちに、どうやって折りあいをつけようかを考えるようになった。一緒に新大久保へ行った親友に、サムギョプサルを食べながら、こんなことがあったのだと話しているとき、わたしは笑っていた。おもしろおかしく話さなければとおもって。職場でひどい目に遭った話を、あるいは仕事もせず家でぐうたらすごしていた話を、毎日忙しく働く彼女に、つとめて明るく話したかった。

わたしの落ち度も、会社のことも、上司のことも、人と人とのことなのだから、どうにもならないことはどうにもならないのかもしれない。今もときどき、ふとしたときに、上司の声をおもいだして、喉のあたりがつまるような気もちになることがある。けれどもわたしは、久しぶりに着るジャケットをクローゼットから出し、荷物をととのえながら、追いかけてくる記憶を振りはらおうとしている。

明日持っていく書類を書いているとき、昨日買ったbjonsの『CIRCLES』を聴いていた。ライブで聴いたことのなかった「かっこわらい」は春の歌だ。

見慣れない部屋から 見慣れない街を見て
少し不安になっている ここが暮らしになっていく

君に今度伝えたい 何もない部屋は春も寒い
季節は因果律を飛び越えたところだな
羽織る上着1枚見つからないまま朝を迎えた
いつか(笑)になる話さ

明日の朝、わたしは初めて行くオフィスで新しい人たちに出会う。うまく話せるか、まだ自信がない。それでもまた足元にある分かれ道をみて、選ばないほうの道に手をふる。いつの日か、どうすればいいのだろうとおもうしかない日々のことを、そうしたことがすべてだったのだとおもえるようになりたい。