磨硝子日記

すりがらすのブログ

リ・ファンデ『SHINKIROU』のこと

f:id:slglssss:20211212154125j:plainもうずいぶんと時間がたってしまったことだけれど、ある暖かい春の日、青山のインドネパール料理店で、リ・ファンデと近況を話した。世界がむりやりに変えられてからちょうど1年、最近どこかへでかけているか、心地よく仕事をしていきたい、すきなものを自分がすきであれば誰にどうおもわれても別によろしい、などといったことを話したような気がする。彼はぷっくりとしたチーズナンをカレーにつけながらひとおもいにほおばり、想像以上にボリュームがあったのか、しばらくするとお腹がいっぱいになってきたといった。わたしはビリヤニをすくいながら、いつもちょっとだけ食べすぎる彼をみて、しばらく会えなかった友人の素直さに心底勇気づけられた。


1度目の緊急事態宣言明けに制作された前作『HIRAMEKI』から1年、今作『SHINKIROU』が世に放たれた。かけがえのない友人であり、尊敬するミュージシャンであるリ・ファンデの人柄と音楽性が具象化された、傑作である。
『HIRAMEKI』のレコーディングを終えてすぐに息継ぎをして制作期間にはいったようなかたちで、彼が身のまわりで集めて大切に温めたおもいがそこここにちりばめられている。幹になっているメッセージは明確だ。社会のなかで生きながら、自らを偽らず、ありのままであろうとすることである。リ・ファンデはそのおもいを、社会の中にいる、誰かの子であり、親であり、きょうだいであり、恋人で、上司で、部下で、友人で、隣人で、知らない人である「僕」として定義されない、ここにある「僕」と、その僕の目の前にいる大切な「君」とのストーリーに託し、彼自身のルーツであるソウルミュージックへの憧れと、幼少期からはぐくんできたポップミュージックへの愛にのせて届けてくれる。


晴れた空とむこうにぼおっとみえるビル街、波のおだやかな海の、青のコントラストが印象的なジャケットには、サブスクのサムネイルではみえないであろう、点と線でつづられたメッセージがあしらわれているのにお気づきだろうか。ジャケットの撮影地としていくつか候補があったうち、新たな世界への旅立ちをおもわせるこの海辺が選ばれた。ここへは以前訪れたことがあるのだけれど、川の水が海と合流し、広い世界へとでていくことをおもわせるような開放感と、まわりにさえぎるものが何もなく、日差しをうけて一心にきらめく水面のまぶしさをよく覚えている。

リード曲「SHINKIROU」はそんな海のむこう、まだみぬところに、掴めないけれどきっとある大切なことと、それを信じる強さを歌う。

しばらく そのペンを置いて 遠くの見えるところへ
もしかしたら 潜り込んで ブルーを泳いでいける

君がくれようとした その広さは 幼さを
焦がさないように 見ててくれた

君はいる においもしてくるよ 見えない腕で 抱きしめ合おう
憧れて 裸になろう

遠くにいる人に会えないことが日常になってしまったこと、あるいは、近くにいる人と長い時間をすごすうちにこれまでみえなかったものがみえるようになったことに戸惑いながら、味気なく過ぎ去っていく日々をみすごさず、器用に立ち居振る舞えないからこそ、繕うことを避けて、赴くままに「君」と向きあおうとする「僕」は、リ・ファンデの生き方そのものであるとおもう。世の中の枠組みに自分をあてはめるのではなく、「たくましい賢さ」をたずさえて、ゆく先に靄がかかったようなこの世界を進む、勇敢なアンセムである。

照りつける太陽のようなブラスバンド、熱情のなかに爽やかな風をつれてくるSaToA Sachiko氏、Tomoko氏のコーラス、新たに加わったサモハンキンポー氏のパーカッションが音像へさらに奥ゆきをもたらし、次の場所へ旅立つ前に胸を躍らせる様子までおもわせてくれる。


今作ではさらに、リ・ファンデの「心の裏」ともいえるような、これまでみせなかった「指の届かないところ」までもが歌われ、おもわずはっとさせられる。
「パンフレット」は全編のなかでもひときわデリケートな歌声に、胸をきゅっとつかまれるような名曲である。大切な人が大切にするものを、自分がどれだけ、どんなふうに大切にできるだろうかという優しさは、前作の「おかしなふたり」にも通じるような、彼の一途な愛の形なのだ。

失ってみたり 強すぎだったり
そばにいれず
しゃがんでいたよ 暗くしてたよ
もとに戻り
そっと 耳をくっつけてみるよ

エマーソン北村氏によるやわらかく静かなキーボードの音色がふたりの世界に帷をおろし、わたしたちは、寄り添いながらも同じにはなれない者たちが、それでも手をとりあい、一緒に背負うものへの覚悟と、それを分け合って助けあおうとする様子に、おもいをいたすのである。


先日、下北沢440にておこなわれた奇妙礼太郎とのライブで、リ・ファンデは新曲「RUN」を歌いながら、「ここはみんなとコールアンドレスポンスがしたい」と、客席にむかって、コールアンドレスポンスを(ひとりで)再現しはじめた。アルバムではSaToAのふたりとの掛けあいになっている部分である。観客は声こそ出せないものの、手をたたき、ほほ笑み、彼のおおらかなコールにこたえたのだった。会場が人の温かさで満たされた瞬間だった。

君が変えてしまったことで
誰か心配したとしても
それで君の本当のとこは
わかりっこ ないんだから

リ・ファンデのライブへいったことがある方はご存知かもしれないけれど、おそらくこれまで彼は、客席をあおったり盛りあげようとすることはそれほどなかった。それが、このときばかりは客席に呼びかけたり、立ちあがって歌いはじめたりと、ほとばしるようにエネルギーを放出する様子に驚いたのだ。数年前、初めてライブでみた時の繊細さやけがれのなさは内に秘めたままで、なにものにも動じず突き進む果敢さが増したような彼の姿に、ふたたび勇気づけられたのである。


この秋、彼は海のみえるまちへ移り住み、予定になかったであろう道を拓いて歩きはじめている。時代はうつり、予想だにしない出来事が日常の意味を置き換え、変わっていくことへの恐れを抱かずにはいられないときであっても、そっと目を閉じ、内なる声に耳を傾け、心のなかで蜃気楼のようにうかぶ確信をもって一歩を踏みだそう。そのおもいが、愛する人を守り、出会う人たちをふるわせ、新しい世界をつくっていくことを、リ・ファンデはしっている。

slglssss.hatenadiary.jp