磨硝子日記

すりがらすのブログ

5月のはじめのこと

5月2日、リ・ファンデのライブへ行った。リーくんがずっと対バンしたいといっていたSCOOBIE DOとの共演の日だ。『SHINKIROU』というアルバムのリリースからしばらくたって、やっとこさ大きな音でバンドの演奏を聴くことができて、胸のすくおもいだった。
リーくんが海のみえる街に暮らしはじめてからというもの、ふらっと会うこともなかなかなくなり、再会するたびに必ず、仕事忙しい?元気だった?と確かめあってしまう。彼は東京を出るときに迷いを振りはらったのかもしれないとおもうほど、どんどんすっきりとした佇まいになっていて、いつも次に会うのが楽しみになっている。ステージの上にいるミュージシャンとしても、友人としても。
アンコールではコヤマシュウが、リーくんと一緒に「熱風の急襲」を歌っていた。リーくんとは出会って数年なのに、12、3年の仲のような気がしているんだとシュウさんが話しているとき、いえいえ、とか、そういう謙遜した様子ではなくて、ただマスクの下でほほえんだようにみえたリーくんは、落ちついていてとてもかっこよかった。久しぶりのFEVERのフロアの隅で柱にもたれながら、しばらくライブをみていて声をだしたり手をあげたりしていないと、こうも体が動かないものかと不思議だった。スクービーのファンの皆さんがおもいおもいに踊るのをみて、気後れしたけれど、うらやましかった。


5月4日、六本木のグランドハイアットで中華のオーダービュッフェというのに行った。今年になってはじめて感じた、まぶしくて暑い陽ざしの日だった。ホテルに泊まっているのであろう、フロアをゆったりと歩く子供連れの家族、友人同士の集まりをみながら、親友とわたしは、偶然とおされた半個室で小一時間、ウェイターを呼びつけては、あれやこれやと飲茶を頼み、食べた。個室の壁の一面は3メートルほど高さのある鏡になっていて、ばかでかい鏡に、久しぶりに浮かれている自分の姿、服装、そしてまたにやりと笑う表情などをみて、場違いなところへきてしまったなとおもいながら、次々と運ばれてくるひとくちサイズの料理を残さず平らげた。
食べものの写真を撮るのがどうも下手くそだ。決してiPhoneのせいでも、お店の照明のせいでもなく、むろん盛りつけのせいでもなく、なんだかただテーブルに料理が置いてあるだけにみえてしまう。そのためか、またそのためもあるし、単に撮るのを忘れて食べてしまうのもあって、この時の料理の写真も1枚しかない。それも、全然おいしそうにはみえないものだ。
濃くもなく、油っこくもなく、繊細で、チャーハンの米のほどよい硬さにまで気配りの行き届いた料理を、ぽつぽつと、おいしいね、これはこうで、といいながら食べている間、ハイアットの中庭をぼおっとみやり、高級そうな食器や繊細な模様の施された小物のある店内とは対照的に、吹き抜けの屋根に向かって力強く伸びたビルの骨組みが目に入り、束の間、外界から切り離されたような気もちにさえなる。とびきりおいしくてまた行きたいというわけでもなかったけれど、日常の中で宙に浮いたようなあの空間を、また体験したくなる日がくるのかもしれない。ここではないどこかででも。


5月8日、神保町試聴室のライブへ行った。もともと2年前の5月に企画されていて、その後7月に延期され、それも中止になり、今回やっと実施になった。わたしはその3回ともに、予約メールを送っている。bjonsが出演するライブだったから。

今泉さんの演奏はとてもすきなのだが、ずっとバンドでライブをしてきたからなのか、ひとりで椅子に腰かけてギターを構えた姿がなんだか心細そうなので、みているこちらもじっと見守ってしまう。試聴室のような会場で、時々すぐそこにある客席をちらっとみながら歌うので、目のやり場にとても困る。困った挙句、わたしは歯並びをみることにした。子供のころから歯列矯正をしていて、最近もまた再度の治療をしていたので、人の歯並びをみているのは飽きない。
SAKA-SAMAのセルフカバーをずっと聴いてみたいとおもっていた。ご本人たちが歌うよりもずっといじらしかった。出演されていた方やお客さんたちが、「空耳かもしれない」がよかった、ほんとうによかったと繰り返しいうのを、耳をそばだててきいた。勝手に、とても嬉しかった。bjonsの曲を歌うとき、彼はメインボーカルを歌うので、わたしはみんなのコーラスを頭のなかで再生する。一瞬の悲しさが走るけれど、そのうちなんともおもわなくなるのかしら。

それから、今泉さんはbjonsの前のバンドの曲もやっている。このバンドのことを、以前からしっていたし、10年以上前から更新が止まっているバンドのオフィシャルサイトもみて、ブログも全部読んだし、ユニオンのサイトでアルバム音源を試聴できることもしっていた。なんならユニオンとかレコード屋さんに行ったら、毎回ジャパニーズのインディーのカ行のチェックをしていたくらいだ。けれどもそこに運よくささっていることはなくて、もうこのアルバムの曲を聴くことはできないのだとほんとうに諦めて、考えないようにしていた。
前回、はじめて弾き語りのライブをみに行ったとき、ユニオンの試聴サイトで30秒だけ聴いたことのある曲を、目の前で歌うので驚いてしまった。この曲レパートリーに入っているのかよ!
「君のシルエットが 夜に溶けて」などと歌うので、15年前に、今のわたしよりも若かったこの人、何を考えていたのだろうかといつも、歌がすすんでも取り残されてしまうのだけれど、今ならサビのあたまで「君の」とか言うんだろうか、言わないんじゃないだろうか、どっちでもいいけれどさ。
帰りに、話したかったことをどうにかひとつでも多く話して帰ろうと、なぜだかこの日は頑張ってたくさん話して出てきた。話しているときに、ひとつぽろっと言ってくれたなかに、そのときはそれほど特段の印象を持たなかったけれど、あとでおもいだして、なんだかこの数ヶ月のことをすべて肯定してくれるようなことを言ってくれていたんじゃないかというものがあって、その言葉がぐわぐわと頭のなかに響いて、ときどき反芻している。

同じ日に出演していた、サボテンネオンハウスというバンドをみていたら、このバンドをきっとすきな人たちのことが何人もおもい浮かんだので、すぐに連絡をした。