磨硝子日記

すりがらすのブログ

Summer Eyeを聴いているかとたずねてくれたあなたへ

時間どおりにたどり着けないのではないかと、いつものとおり焦っていた。何年たっても、ライブに余裕をもって到着できたためしがない。九十九折りにエスカレーターをのぼると、開けたイベントスペースがみえた。こういう場所にきたのは、ほんとうに久しぶりだ。大きな窓から、渋谷の街と、沈んでいく夕日がみえる。渋谷スクランブルスクエアの12階、BIG ROMANTIC SHOWCASEなるイベントへきた。

定刻を過ぎても、DJのプレイはつづく。こういうとき、Shazamとかするんだっけ?ひとりできて、話し相手もおらず、手持ちぶさたなまま、ぼんやりと物販をながめていたら、ステージ前がほとんどぎっしり埋まって、わたしの身長ではどこからもステージがみえなくなってしまった。
あきらめて後方に立ちどまり、他にいい立ち位置はないかとまわりに視線をやっていたら、ブースのむこうに、ベルリンのレコード店のトートバッグをさげた、みしった人がいる。菅原さんだった。

どうしてかは自分でもわからないけれど、この日わたしは、絶対に菅原さんに会えるとおもっていた。翌週、同じイベントに出演を控えているので、おそらく会場に顔をだすだろう、という、現場に慣れすぎた邪推もできるけれど、とにかく、きょうは会える、という確信があった。そうしたら、ほんとうにいた。ありとあらゆる運を使い果たして、すきな人と席替えで隣の席になったときと同じ胸の高鳴りを、静かにかんじた。

菅原さんには、3年半のあいだ、会っていなかった。最後に会ったのは、わたしが企画したライブに菅原BANDがきてくれた日で、それは、シャムキャッツSTUDIO COASTのライブから1週間後だった。SNSのおかげで菅原さんの最新の動向は目にしていたので、バンドが解散したあと、菅原さんがディスクガイドをだしたり、SAMOEDOというあたらしいバンドをはじめたらしいということはしっていた。けれども、インタビューを読んでも、SNSの投稿をみていても、なんだかいつもと違うという直感をおぼえて、それは日に日に色濃いものになっていった。菅原さんといえば、誰よりも正直に(時折シャムキャッツというバンドに対して抱かれるファンの期待とも関係なく)胸の内を明かしてくれるような印象で、話すと少しだけ、わたしまで素直になったような気もちにさせてくれる人だ。そういう彼から、これまでになかったような、ひとりだけ別の波長が感じられたのはどういう意味なのかを、ずっと考えていた。それがたまたまだと信じたかった。ほんとうのことを全部しりたいわけじゃない。むしろ、だいすきなバンドの解散の理由は、いちばんしりたくない。事実をしっても、無力だから。けれども、シャムキャッツはわたしにとって、解散と聞いて平気でいられるわけがないほどに特別で、近すぎるバンドだった。だからこそ、菅原さんが何を考えているのかが気がかりだった。 TURNのインタビューで、「解散しても僕にみんな何も言わないんですよ。菅原、何やってるんだ、とかね。」と話していたけれど、直接伝える機会と勇気がないだけで、いいたいことはたくさんあった。

ライブをみたあと、視界の端に菅原さんがいるのを確かめながら、なに食わぬふりをしてカセットテープをひとつ買った。帰りがけ、声をかけようかためらった。会えるとまでおもっていたくせに。けれどもきょうは、話しかけなければいけない。わたしは謎の使命感にかきたてられ、それでも腰が引けた格好のまま、後ろから近づいて、右腕を2回、トントンと触った。菅原さんはふりむくと、一瞬、誰だかおもいだすような表情をしたあと、目をみひらいて、すりがらす!と大きな声で呼んでくれた。久しぶりに聞いた菅原さんの声は、ものすごい引力を帯びていて、わたしは、からだごと一気に吸いこまれていくような心地がした。その勢いで、数年のあいだあれこれと考えてみぞおちのあたりに重くたまっていたわがままな気もちが、くやしいほど、いとも簡単に振りはらわれていくのがわかった。菅原さんと話しているときには、なぜだかずっと無防備な心でいられることをおもいだした。一呼吸のあいだに、しばらく足を踏みいれることができなかった安らげる居場所へと、軟着陸してしまった。

驚いて固まった顔のまま、とりあえず頭をペコペコ下げていると、菅原さんが元気?と訊いてくれた。よせばいいのに、あんまり元気じゃないですと答えると、菅原さんが、そんなこともあるよねと返してくれる。そのあと続けて、仕事はどう?と訊いてくれたので、この3年のあいだに転職しましたと答えたら、じゃあ3社目?といってくれた。菅原さんは、会えなくなる前までのわたしの転職回数と仕事内容まで覚えてくれていた。もうそれで十分だった。

それからわたしは、調子にのって、すきなバンドは3つとも解散してしまったのでライブにいっていないと話した。口から言葉がでおわったあと、ずいぶん大胆なことをいったものだとおもったけれど、菅原さんは、そうだよね!と大笑いしたあと、Summer Eyeは聴いてる?とたずねてくれた。おもいがけない質問に、面食らってしまった。きっと、菅原さんは、わたしが夏目くんのことをだいすきだとしっていて訊いてくれたのだとおもう。わたしは、聴いていないし、ライブにもいっていない、と答えた。続けて、SAMOEDOは聴いてる?と訊かれたので、同じように、聴いていないと答えた。そう答えるほかなかった。聴いてますと答えたって、必ずばれるとおもったから。わたしの答えを聞いて、菅原さんは腹を抱えて笑っていた。そんなふうにいってくれてうれしい、Summer EyeやSAMOEDOを普通の気もちで聴けるわけがないよね、といってくれたのだった。

シャムキャッツのことも、Summer Eyeのことも、なぜだか菅原さんに話すのだけははばかられて、その話題だけにはなるべく触れないようにしようとさえおもっていた。おたがいに、いいたくないし、聞きたくないような話になるのがこわかったから。でも、いざ話してみると、拍子抜けするほど自然な会話になった。本人を目の前にして、気が引けたわけではない。菅原さんがあまりにもさっぱりとした風通しのよい様子だったので、いろいろなことに区切りをつけたのだと、わたしのほうもあきらめがついたのだ。話し終わるころには、ずっと引きつれてきた心残りもかたづいていくような気がした。

別れぎわ、SAMOEDOの次のライブはいつかと訊くと、5月7日だと教えてくれた。3日後だった。菅原さんは、こないだろうけど、とでもいいたげに、にやりと笑いながら、はっきりと、7日ね!といって、むこうへ歩いていった。そんないたずらなことをされたのははじめてだったので、圧倒されて固まってしまった。でも同時に、胸がすくようなおもいもした。ずっと立ち止まったままで、手をさしのべられれば必ずつかむようなわたしに、そこにいてもいいし、すすんでもいいし、別の場所にいってもいいけれど、どうしたいのかと、あえて手をふって投げかけてくれたような気がしたから。会場をあとにしながら、わたしは迷わずに、心を決めた。