寝る前のGABA入り快眠ココアのおかげか、心なしか安心して眠ったような気がする。もう、ぐっすり眠るとか、ああよく寝た、とおもえる眠りを達成できた朝を背にして、遠く離れてきてしまったけれど、朝、晴れていることを確かめられれば、頭も痛くないし体もこわばらない。昨日の続きでこたけ正義感のYouTube動画をいくつか見てみたが、結論としては『弁論』で彼のすごさに拍手を送ったままの、鮮やかに打ちのめされた気もちのままでいればよかったとおもった。
プロテインを飲んでから雑煮を食べ、箱根駅伝の2区を見た。追いかける選手も抜かされる選手も良い結果を出したくて走っているし、追いかけたり抜かされたりすれば監督や仲間や家族から叱咤激励があるのだろうと想像をめぐらせるたび、喉が詰まってしまう。高校野球も箱根駅伝もいつのまにか、自分よりも若い選手たちが人生の一端を懸けて挑む大会となり、わたしはわたしで何か打ちこむものはあるだろうかと考えてしまいそうになる刹那、わたしはわたしのままでいることを懸命に見つめて生きてきたじゃないかと自分の手綱を握りなおす。
ひとりで出かける日は決まってすきな服を着てすきなメイクをする。今日はlummirのラベンダーカラーのアイシャドウにM・A・Cのクールテディのリップを合わせた。フェイスパウダーはジバンシィのプリズム・リーブルにしてから、InstagramストーリーズのParisのようなフィルターがかった仕上がりになるのが気にいっている。新しく買ったスウェットには、とぼけ顔のピンク色のウサギの下に“DON’T WORRY BABY”と書いてあって、焦りのない日をさらにたゆませる心地である。京都のuneというヴィンテージショップで買ったフューシャピンクのレースのスカートを初めて履いた。ランジェリーのような素材にきゅっとレースアップできるリボンがあしらわれている。デニムの上にレイヤードすると、とびきりおきゃんな見た目になって気に入った。
原宿の@cosme TOKYOでおもいきり化粧品を買った。THREEの精油でできた香水は欲しかった04番を買えて嬉しい。カラッとした陽気のなか原宿から新宿まで歩くことにした。臨時ホームの横を過ぎたところで先ほどまでの人混みから一変して、ほとんど人の歩いていない住宅街に入り、ボディソープの入ったバッグを持ちながら一生懸命歩いた。千駄ヶ谷から代々木に抜けても人通りは少なく、目指していた新宿西口のロイヤルホストに着いた。
年末に、突如ロイヤルホストに通い始めた。多くの人が仕事納めをする日、のんびりと昼過ぎに神保町のチェッコリで購入した本を読みながら、ナスの乗ったミートソーススパゲティを食べ、食べ終わるとまたじっと本を読んで、おおかた1冊読み終えた。映画『成功したオタク』(原題:『성덕』)の監督であるオ・セヨンが、映画を制作している最中や公開後に書き留めた日記と、日本での公開記念イベントの様子を後記として書いたもので、先日映画本編をAmazon Primeで見ていたので、まぶしい黄色の表紙にピンク色のふくふくとした文字が踊る背表紙を見て迷わず購入した。有名K-POPアイドルの大ファンで、本人からも認知される存在だった「成功したオタク」である筆者が、アイドルが逮捕されたことにより「失敗したオタク」になってしまった後の物語である。推し活をしていると、わたしは何をしているのだろうとおもうことは何度もある。もっと言えば、それはふと我に返ってそうおもうというよりも、わたしの場合は常に傍らにあるおもいだ。「何をしているのだろう」というのも、何くだらないことをやってんだかという意味ではなく、どういう意味合いを持つのだろうという思案である。そして、何をしているのだろうという問いにはほとんど答えも用意してある。推し活とは、推しをすきになることを通じて、自分を確かめ、認める営みである。良いところも、醜いところも、得意なことも、できないことも、すてきな推しに触発を受けて、推しに夢中になりながら、推しをよくしっていく過程で、自分をしるのだ。それから、推しを「完全に」「最後の一滴まで」「わかる」ことはできないと気づく時、他人である推しをわかることができないばかりか、自分のことすらも、自分ひとりでわかることはできず、例えばすてきな推しのような、他人に照らして少しずつわかりゆくものであることや、それでも自分自身のことも最後の一滴までわかることはできない(なぜなら自分のかたちは変わっていくし変えていくし変えられるから)ということを、観念して噛みしめる。
去年の8月にドンへに出会ってからというもの、ドンへという人は本当におもしろくて、見ていると予測不能で、でもなぜだか手に取るようになぜそうするのかわかることもある。興味のあることには一直線に向かい、周りが見えなくなってしまって、とことん突き詰めたいことに取りかかると、ついには自分の心と体に火をつけて燃料にして疲れ果てるまでやりきってしまうようなところを見ていると、おこがましくも似ているのかもしれないとおもうこともあれば、SM(ドンへが20年以上所属した韓国の大手芸能事務所)を辞めるなんて考えはひとつもなかったと言いながらウニョクとともに会社を立ち上げ、(経験がないだけでなく、人の気もちがよくわかり優しいがゆえに、そんなことは得意なはずもないのに)決めることすべてに責任を取ることにした姿を見ると、わたしには到底できるはずもないばかりか、挑もうという覚悟もおろか考えすら浮かばないとおもったりもして、とにかくドンヘには飽きることのない関心がこんこんと湧きでてくる。アイドルらしいファンへのサービス精神から垣間見え(ているように見え)る、ドンへの底しれぬ人の良さや優しさ、愚直すぎるゆえの不器用さ、そしていちばん奥のほうにある根源的な寂しさなどを見つめていると、愛くるしいというほかにない感情で胸がいっぱいになる。どうか健康で、ファンが見たいと望むものを汲みとるのが上手なアイドルのドンへが、自分の心を許して信頼する人たちと、見せたいものややりたいことを、イ・ドンヘとしても実現できますように。いつもそう願いながら応援している。
今日はクラブハウスサンドを食べたあと、ホットファッジサンデーを追加した。ドリンクバーに足繁く向かいながら、コーヒー、紅茶、ハーブティーと試し、これもまた年末に買った『藤田嗣治 「異邦人」の生涯』(近藤史人著・講談社文庫)の最後の章を読み進めた。去年は藤田の生誕140周年だったことと、戦後80年であったことで、藤田に関連する展覧会がいくつも開催されており、以前から藤田には何ともうまく言い表せない不思議な関心を寄せていたので、なるべくくまなく見てまわった。自らの存在と目指す芸術を問い続けながら、時代に愛されるも、時代に突き放され、最後は静かな精神世界の中で生涯を終えた藤田。本を読み終わって、これを読んでから展示会へ行けばよかったとおもったけれど、先月行った軽井沢の安東美術館へはまた折を見て行きたいし、今度は秋田県立美術館にも行ってみたい。それから初めて見た時には展示ルートを戻って見返した『舞踏会の前』を再び見るために大原美術館にも行きたい。もちろん上野の西洋美術館の常設展にある『坐る女』も見たい。本の中で紹介されていた、藤田が生前唯一自ら関わった「自伝」とも言える『藤田嗣治芸術試論』(夏堀全弘著)を買ったので、また読むのが楽しみな本が増えた。考えごとをしながらも、チョコレートパフェのねっとりとしたソースをスプーンいっぱい掬って口に入れ、ごくりと飲みこむ。甘さと香ばしさでぼうっとしそうになったところで、カウンター席の窓が切りとる西新宿の摩天楼が目に入った。今年こそもっと書きたい。