磨硝子日記

すりがらすのブログ

日記 2026/1/18 まだ退屈を許せない

朝起きてみて、今日も気もちは重いままだと気づいた。出かけようかとも考えたが、着替えたり、メイクをしたり、行き先を決めようとおもうと、ひどく億劫に感じて、家にいることにした。YouTubeの「後で見る」に入れておいた動画を順番に見てリストから消していく。こたけ正義感のチャンネルで、ピンクのうさぎがぶつくさ文句を言う動画がくだらなくて痛快だった。


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何を食べていいのかわからない日が時々ある。すきな食べ物はたくさんあるし、家に食べるものもあるのに、そのうちのどれを口に入れたら、おいしいと感じながら食べられるかどうかがわからない。食べ物を食べたらおいしくて満足するものだという前提にたっているせいで、今食べてもこれじゃないという感覚を得ないように、食べられそうなものを慎重に考える。こういう時は結局口当たりのいい食べ物でどうでもいい食事をしてしまう。辛いラーメンとかお菓子とかを食べて眠くなったら眠る。今日もそうした。

キッチンに立ちながら歌を歌っていた。地声が低く、はっきり話そうとするとカエルの鳴き声のような鼻にかかった響きになり、静かに話せばかすれるという、都合の悪いまぬけ声なのを気にしているが、5年ほど前にポッドキャストを録音して公開したら、bjonsの橋本さんに声をほめていただいたことが意外でとてもよく覚えている。それ以外でもう一度だけ声をほめられたのは、社会人1年目の忘年会で荒井由実やさしさに包まれたなら』を歌ったときだ。「目にうつる全てのことは メッセージ」のところを歌いあげると、音楽好きのおっかない部長が目をまんまるにして拍手をしながら立ち上がってくれた。営業の調子のいい先輩が、透明感あるよ!と関西弁のイントネーションで歓声をくれた。人前で歌うことは人生のなかで数えるほどしかなく、カラオケに行くこともないけれど、歌を歌うのはすきだ。ユーミンは音域が高すぎず、くもりがかった声でも歌うのが楽しい。歌うことはピッチやリズムを合わせること以上に、物語のなかに数分生きられることが本懐と感じる。ましてやわたしは自分で曲を書いていないから、誰かが書いてくれた素敵な世界のなかに自由に入って、歌うことができる。それを見てもらえたり、ほめてもらえたりすることはうれしいのかわからないけれど、歌っているわたしはどんな物語を生きてもうれしい。

買ってあった本をいくつか読んでみた。頭木弘樹『痛いところから見えるもの』、ひらいめぐみ『転職ばっかりうまくなる』、アンソロジーの『鬱の本』。他人の言葉は自分だけで考える世界に対話をもたらしてくれる。ずっと同じように見ているものに角度を与えてくれる。歌うことも読むことも、わたしが井戸のなかを暗いほうへ一心に進むときに、その必要のない頑なさを解きほぐしてくれるので、横になりたいとおもうときに力を振り絞ってやってみる。それはそうと、日曜日は機嫌をとるには短すぎる。これなら大丈夫だとおもう体調は月のうち数日しかなく、そういう日に調子にのって得の前借りをしなければと欲張りたいのだけれど、そんな日は井戸の奥のほうにはなく、ただふと降ってくるのを、足をぶらつかせながら待っている。