磨硝子日記

すりがらすのブログ

推しってなんだろうね

夏目くんがすきだ。かっこつけて、人を心配させて、放っておけなくさせて、目が合うと吸いこまれてしまいそうな引力をもっている夏目くんは、たったひとりだけの特別な人だ。あこがれすぎたころ、美容室に夏目くんの写真を持っていって、同じ髪型にしていた。少しでも夏目くんに近づきたかったが、サインをしてもらうのも写真を撮ってもらうのも恥ずかしくて、たいして声をかけなかったり、すっと会場をでてしまったり、裏腹なことばかりをした。夏目くんと話せた時、いい髪型だね!といわれて満足して、やめた。お気にいりの大きなフリルのついた服を、カジュアルなビョーク命名されて、この服はずっと大事に着ようと誓った。そのときにはちょうどよい語彙をもっていなかったのだけれど、これは、今風にいうと、きっと「推し」だ。

わたしは推しのことをよくしりたいとおもうほうだ。喫茶店で頼むもの、電車に乗っているときに聴くもの、カラオケで歌う曲、朝ごはんは、昼ごはんは、おやつに何を食べて、いつも履いている靴は、すきな場所は、悲しいときは、大切な人は。でも夏目くんにはうまく話しかけられないから、そのうちのひとつもよくわからない。
たとえばライブのあと、最近TWICEすきなんですけど夏目さんもすきですか?とか話しかければ、TWICEの話では盛りあがれるかもしれないし、今このアルバムにハマっているよみたいな話がでれば、速攻サブスクでダウンロードして次の朝から延々と耳に染みこむくらい聴いて、ほう夏目くんはこれがすきなんだなあみたいな恍惚(?)にひたることもできるだろう。けれどもわたしはそういった気の利いた話を、本人を目の前にして繰りだせない。どうしても話したいことがあれば、iPhoneのメモ帳に書いておいて、それをみながら上から順にいっていくのが無難だが、それはさすがにかなり気もちが悪い。そして開き直ると、別に何を話すかは重要ではない気もする。目の前に推しがいる、その時間をできるかぎり長くできる方法をしりたい。けれども夏目くんのライブには、次に夏目くんに話しかけたいお客さんもたくさんおり、わたしが私利私欲のために夏目くんの時間をほしいだけもらうことはできないので、もう時間をつくるためだけにつまらない話を夏目くんにしては、ああ今日もうまく話せなかったと胸のなかの壁に水っぽい泥を投げつけるような気もちになる前に、はやく帰ろう、と、いつもそうしてさっさと会場を後にしていた。
だから夏目くんのことはよくわからない。けれども、ただそこにいる夏目くんがすてきですきという、あんなに近くにいたのに、結局はものすごく遠いところから眺める観客のひとりをずっとやっている。ただつかみどころがないおもいで、一方的につよく惹かれるなあと感じているのだ。

夏目くんがLINEをはじめたのには、なんでLINEなんだろうとおもいながらも、ほとんど反射神経で友だち登録をした。通知がくると毎度どきっとする。週に1回とか2回とか結構な頻度で送られてくる。友達や、家族や、すきな人のトークが並ぶなかに、夏目くんの名前がある。ふしぎなものだが、あまりにぐんぐんと送られてくるので、感覚的には一方的にたくさんメッセージを送ってくる友達のひとりという感じになってきた。とにかくメッセージが長くて、そしてそこにはしらないことがたくさん書いてある。ああ、夏目くんは今こんなことを考えていたのか。Summer Eyeという名義(これが「夏目」だということにほんとうについこのあいだ気がついた)になってからの作品を聴こうとすると視界に靄がかかってしまって、まだ『求婚』の告知映像で数十秒聴いただけなのだけれど、こうして夏目くんのLINEを受けとっているうちに、ほんのりまたライブにいきたいような気もしてきた。ライブでは何を歌っているんだろう。メッセージの中身は、LINEの友だちだけに送っているからか、心なしか繊細でやさしい言葉づかいも多く、その日起こったことが子細に書かれている回もあるので、おもわず、大変だったねえとか、それはよかったとか、声をかけたくなる。返信しないけど、おもっていることはある。もっと色々なことを話してほしい。わたしが聞きだせることよりも、あなたが話したいとおもうことのほうをしりたいから。