磨硝子日記

すりがらすのブログ

いそがしい頭のこと

髪を切った。顔まわりに大きくレイヤーを入れてもらった。NewJeansのハニちゃんやダニエルちゃんみたいに。ずっとやってみたかったから。はじめは目的があったようで、最近ではなんとなく伸ばして背中の真ん中のあたりまで伸びた髪を、鎖骨の下あたりまでばつっと切った。わたしにとって髪を切ることはとても重要なことだ。この髪型で、どんな服を着て、どんなメイクをして、どこで何をするのかを考えては、Instagramでイメージに近い画像をスクショして、念入りに美容師さんに説明して再現してもらう。この美容師さんにはもう8年ほど髪を切ってもらっているが、毎回イメージどおりかそれ以上に仕上げてくれるので、大きな鏡の前で感嘆する。というか、本人でさえも、こんな感じにしたいけれどそれをわたしの頭に搭載したらどうなるかわからないですという状態でオーダーしているのに、できあがってみると、おお、わたしはこのスタイルがしたかった、インスタでみたモデルさんとわたしはこんなにも髪の量や頭のかたちや顔のつくりがちがうのに、モデルさんの髪型をそのままわたしの頭にポンとのせたようではなくて、わたしの頭をこのモデルさんに近づけてくれたのだなとおもえるできばえで、ありがたいことこのうえない。


わたしの好みと、好みとは関係なくここにある体の両方をわかっていてくれる人はすごい。美容師さんとか、整体のあおやぎさんとか、ピラティスの先生とか。
髪のことでいうと、わたしは髪の量が多く、毛が太くて硬く、直毛寄りなので、髪の柔らかさを活かしたふんわりとしたスタイルをするには、ものすごい努力がいる。まず相当に量を減らさないといけないから、セットしていないとスカスカになるし、かといって巻いたとしても髪のハリが強すぎて、エアリーな感じよりもブリンとした弾力感がでてしまう。美容師さんにいちど、テレビ朝日の弘中アナウンサーのような外ハネのボブにしたいと伝えたところ、わたしの髪のポテンシャルからは最も遠いところだと教えてくれた。それでもわたしのなりたい髪型を目指して、あの手この手をつかって、なんだかみたことのないかろやかな髪型に仕上げてくれたことがある。もう髪のことはこの人におまかせしようとおもったのだった。

あおやぎさんもそうで、彼はわたしのすきなものをきっとよくしっているし、できないことや苦手なこともしっている。すきな食べ物や食生活について。すぐにいろいろなことを考えすぎて頭がいそがしくなってしまうことについて。あと夜ふかしをしていることについても。でもそれをどうこういうこともなく、最初に会ったときにはだいぶ体が弱っていたので冷たいものと甘いものを控えるようにいってくれたくらいで、あとはせっせと施術をしてくれる(なぞの呼吸で)。わたしがこれまでつれてきたのになんにもよくわかっていないわたしの体について、わたしよりもよくしっているのがなんともおもしろい。きみはこれをきっとすきだとおもうよといわれて送られてきたApple Musicのリンクを開いて、にっこりするときの気もちに似ている(ところでこれも実際すごく多いんだけれど、みんなわたしの好みがよくわかっていてすごいね。そんなにわかりやすいですか?そうですよね)。

それから最近ピラティスをはじめて、わたしが通っているスタジオで何人かの先生に会ってみたが、なんとなくバイブスのあいそうな先生に出会うことができた。先生はほめ上手で、運動でほめられたことなど記憶にないのに、やる動きごとにうまいです上手ですといってくれる。そもそもわたしがほめられることだけを燃料にして生きていることをもうみぬいたのかと震えたのだが、それだけでなくわたしの体をみては気づきをくれるので、それを聞いては頭がいちいち閃光を放って驚き、毎度(つながるはずのない)体と頭がたがいに気づいて、すこしだけ手をのばしあって近づいていくような気もちになる。ヨガを習っていたとき、わたしは四つん這いの姿勢がなんとも息苦しくてつらい姿勢だと感じていたのだが、先生から腕や肩まわり、手首の使い方を教わると、苦しさが軽減されたのもその体験のひとつだった。


このあいだ読んだ本に、体は正直だけれど、頭はそれを頭で考えて無視することができるから、無理して働いて体をこわすみたいなことが起こるといったようなことが書いてあった。おそらく素直に読んでいけば、だから体を大切にしましょうともとれるけれど、反対に、頭で考えてみて嫌だとおもうことを、体にさせられるのかとおもうと、わたしにはとってもむずかしくて、だからこそいつでも頭のなかは竜巻のように、あるいはぐらぐらと煮たつ鍋のなかのようにおちつかない。ひとえにわたしは体を動かすためにものすごく頭を使っているというだけなのだけれど、頭でウーンと考えないと体を動かせないつくりになっているので仕方がない。ぼおっとしていられない。ずっと前に、あおやぎさんから、たまには音楽でも聴いて息抜きしなといわれたことをおりにふれておもいだすけれど、いわれたとおりにできたためしはない。それもきっとわかっているはずだからいいのだけれど。