磨硝子日記

すりがらすのブログ

シャムキャッツ らんまん上映会によせて

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シャムキャッツ らんまん上映会。
だいすきなバンドの9周年ワンマンライブのDVDを、おなじくバンドをすきなみなさんと一緒にわいわいみる。ただそれだけの、でもそれだけがたいせつなイベントです。


このたび、2018年12月15日土曜日に、念願だった上映会を開催することができました。
やっと気もちの折りあいもついたので、きょうはらんまん上映会についてお話ししたいとおもいます。




あれはまだべたべたに暑かったお盆あけごろのことでしょうか、わたしは『シャムキャッツ らんまん上映会』なるイベントを立ちあげることにしました。

理由はただひとつ。じぶんのだいすきなシャムキャッツをおなじようにだいすきな人たちと、一緒にライブをみたい。それも、ライブでみかけてはいるけれど話したことのない子に話しかけて、じぶんとおなじようにシャムキャッツをすきな気もちを共有したい。


きっかけは3月のポップアップショップのイベントであった『台湾晩餐会』。あつまったファンがおなじテーブルにすわって、おいしい台湾料理を食べながらアジアツアーの映像をみるというホームパーティのようなイベント。

そこで、いつもひとりでライブへいってはたのしさやよろこびを噛みしめていたわたしは、こんなふうに、みんなとそのたのしさやよろこびをわかちあうことができるんだとかんじてとてもうれしかった。わたしのすきな曲をこの子もすきだった、この子はこんなふうに感じてたんだな、そのかんがえ方はわたしにはなかったからおもしろいな、なんていう発見もおおくて、みんなに話しかけているうち、おわるころにはたくさん友達ができて、ひとりであじわっていたライブのたのしさを、こんなにたくさんの人たちとわかちあえるし、よろこびをおおきくすることができるんだと、それはそれは感慨で胸がひたひたになったのをおぼえています。


そのときにも、またこういうふうにみんなで映像をみながらご飯を食べる会があったらいいのにね、なんて話はしていたのですが、それから時はながれ、夏のおわりにシャムキャッツからとどいたのが、『らんまん』のDVDでした。

こちらが、このときはなんの気なしにつぶやいたわたしのツイートです。



台湾晩餐会以来、ファンどうしであつまるイベントをひらけたらいいなとおもっていたし、これをツイートしたら、いきたい!といってくれた方がいたのもあり、ならばどうにもやるしかないという気もちに駆られ、まずはシャムキャッツに連絡し、開催の許可をいただくことにしました。


これは裏話ですが、準備のこともすこしお話しします。

開催にあたってシャムキャッツの許可をいただくために、まず公式サイトの問い合わせメールフォームにアクセス。用件はプルダウンで「出演依頼」「ファンレター」「リクエスト」「アピール」からえらぶようになっていたのですが、どれにもあてはまらないので、まあご本人たちにご出演はお願いしませんが、いちばん緊急度が高くて読んでもらえそうな用件名にしようとおもい、「出演依頼」を選択。

数日後返信をいただいて、こころよくOKをいただけたときには、安心してもいいはずなのに、なにかとんでもなくおおきなことをはじめてしまったなとおもいながら、しずかに心をきめたのをおぼえています。


それから会場のブッキング、ツイッターで告知する用の画像の制作など、ほんとうのほんとうにはじめてのことばかりで、やおら準備をはじめたのでなかなかに毎日めまぐるしく、仕事のこととか普段以上にどうでもよくなるほどに、上映会のことをかんがえていた気がします。

会場のことは、会場を使ったことのある方に相談させていただき、告知の画像は、イラレがつかえないのでWordとペイントでつくりました。自分のデザインセンスのなさとデジタル環境およびスキルのまずしさを嘆きながらも、どうにか必要な情報が記載されて、しかもタイムラインで目立つということだけをかんがえて、汗だくでつくりました(来年までにイラレできるようになるゾ)。こんな様子でなにからなにまでやっとこさすすめてきて、ようやく準備がととのいいよいよツイートで告知したとき、どんな反応をしてもらえるかなと心配だったものの、想像以上に興味をもってくださる方がいたので、とてもおどろき、ありがたいなとおもいました。

それから、なんとか告知にこぎつけ安心したのも束の間、なんと当初の開催日は台風で中止、おなじ日にミツメと対バン予定だったシャムキャッツのツアーも延期。それでも絶対やるんじゃと最初から延期宣言をして、ありがたいことに振替開催が決定。諸般の調整をさせていただきまして、シャムキャッツのイベントとかぶらない日に開催できることになりました。



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さて、いよいよ当日をむかえまして、朝から会場の設営。受付で名簿にマルをつけてお代をいただいているとき、普通の顔をするようにつとめていたつもりですが、じつはふと、きょうの会をたのしんでくれるだろうか・・という気もちが頭をもたげまして、いままさにわたしは、こんなよく晴れた日のお昼にDVDをみにきてくれているお客さんとむきあっているのだという、ものすごい実感にうちふるえていました。

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告知のツイートでもお知らせしていたとおり、当日はサンドイッチをお出ししました。ハムチーズ、卵焼き、あんこ&クリーム、ジャム&クリームの4種類で、あんこ&クリームが人気だったとおもいます。

開場したあとわたしは入口で受付をしていたのでお客さんの様子をうかがいしれずにいたのですが、上映をはじめようともどると、なんかもうすごい打ちとけた様子でお客さんたちが談笑している・・初対面どうしのお客さんが、こないだの千葉LOOKいきました?なんて話をどんどんしている・・すごい・・


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ようやく上映をはじめると、もうそこからはみなさんおもいおもいにたのしんでくださって、
夏目〜(主にわたし)、スガピ〜、バンビさ〜ん、頼さま〜と黄色い歓声がとびかったり、たとえば『KISS』の最後に夏目くんが投げキッスするとき、みんなで、くるよくるよ!ってどきどきしたり。アルバムにはいっている『カリフラワー』『あなたの髪をなびかせる』は、当時は完全なる新曲だったけれど、たしかにいまへの道しるべだったんだなあと気づかされたし、みんな後半になるにつれてしんみりしながら1曲1曲噛みしめるように聴いて、『渚』のイントロなんてみんな静まりかえって菅原さんのギターに聴きいっていた。

『MODELS』はライブさながらにもりあがってて(みんなやっぱ『MODELS』すきだよね!)、こういう光景がみられるのいいなとおもったのと、でもひとりの部屋でDVDをみていたら、こうはならなかったんだよなと。あつまった人たちがひびきあうからこそ、盛りあがったり、みんなでじっと聴きいったり、だれかが歓声をあげて、またそれにだれかがこたえたりする、そういううねりを目の前にして、やっぱりわたしたちはひとりじゃなくて、みんなとつながっていけるんだな、じぶんとつながれる人がどこかにいて、そのだれかと出会うきっかけをくれたのが、わたしたちにとってはシャムキャッツだったんだなと気づいて、上映会をしてよかったなとおもいました。



この日はおたのしみ企画として、きてくれたお客さんと一緒に、シャムキャッツへのサプライズプレゼントづくりもおこないました。
11月に原宿のThink of thingsで開催されたポップアップショップのグッズにみんなでおもいおもいに“Virgin Graffiti”してもらって、シャムキャッツにわたそうというものです。表紙には箔押しで「らんまん上映会」といれてもらった、とっておきのノートです(ポップアップショップのときオプションで表紙に文字をいれられるときいて)。
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DVDをみながらみんな黙々と書いてくれて、あとでこっそり読ませてもらったら、またおどろいた。じぶんと、シャムキャッツシャムキャッツの音楽が、いままでどういうふうにかかわっているのか、どんなときにシャムキャッツにたすけられたかということをものすごいくわしく書いてくれている方がおおくて、ノートをひらいてくれるシャムキャッツをみつめて話しかけているような、内緒話のようなノート。そんなわけで中身はきてくれたお客さんとシャムキャッツの秘密にしたいとおもいますが、ひとつだけ、すてきなページをおみせしたいとおもいます。
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らんまん上映会をおこなうにあたって、わたしがかんじたのはただひとつ。シャムキャッツのまわりにはいい人がたくさんあつまっているということ。

まずはシャムキャッツご本人たち。ライブやイベントでお会いするたびにメンバーやマネージャーさんが「上映会どう?」と気にかけてくださり、このらんまんを撮影したカメラマンの佐藤さんから、上映会をしてくれてうれしい、と、こちらこそうれしいお言葉をいただいたり。

告知をはじめると、シャムキャッツファンから「たのしみです!」「いきます!」とメッセージをいただいたし、もっとおどろいたのは、予約をしてくれる方がほとんど全員、予約フォームの備考欄にひとことメッセージを書いてくれたこと。ここには、たとえばちょっと遅れますとかを書いてもらえればとおもっていたのだけど、「らんまんにいけなかったのでみられるのたのしみです!」「すりがらちゃん、いくよ〜」みたいな言葉をのこしてくれる方ばかりで、でもシャムキャッツファンのすがたってこうなんだな、となりにいる人の気もちをわかろうとして、だれかのために力になろうとかんばるのが、シャムキャッツのファンの方たちなんだなと、フォームをみつめながらじんわりおもったりしました。そういうファンのすがたは、まちがいなくバンドがそうだから、おたがいに支えあって、だれかがだれかのために、メンバーやファンのみんなのために、いい距離感と関係をたもつために工夫しながら手をうごかしてすすんでいる、いうのにほかならないことだとおもいます。



それから、上映会にきてくれる方以外にも、これをきっかけにできたつながりもたくさんあって、たとえば上映会の翌日にあった愛日燦々というおおきなフェス(みんないったよね)では、上映会をきっかけに主催のカフェクウワ間宮さんとしりあって、ライブやシャムキャッツのポップアップショップで愛日燦々フライヤーをくばらせてもらったり、フェスの当日のお手伝いをさせてもらう機会をいただいたり。それから渋谷系ZINEを制作された照井葉風さんが、当日のお土産でシャムキャッツファンのみなさんに読んでほしいとZINEをもってきてくださったり。普段遊びにいっていたライブやイベントを企画するというのがこのたびはじめてだったわけですが、経験すればするほどに、イベントを企画する方はほんとうにすごいなという気もちが日に日におおきくなって、ハッ上映会をちゃんと開催しなければという使命感で白目をむきながらすごしました。


上映会がおわり1週間、当日みんなでつくったノートも完成し、シャムキャッツトークイベントでメンバーのみなさんにおわたしすることができました。ワーッ!とか、オオー!とかじゃなくて、みなさん1ページずつじっくり目をとおしてくださっていて、そういうところが、わたしたちがシャムキャッツをずっとすきでいる理由なんだとおもいます。
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これが、わたしが夏から冬にかけて上映会を開催するまでの話です。

シャムキャッツ、きてくれたお客さん、気にかけてくださったみなさんありがとうございました。たいせつなワンマンライブの思い出が、きらきらしたすてきな思い出につつまれて、わたしのなかでいつまでもあたたかくかがやきつづけています。

ちなみに夏目くんからは「どんどんハコを大きくしてほしいね!」といってもらえたので、次はもっとおおきなハコを目指したいとおもいます。またいつの日か!

12月のこと

日記と名のるブログを100日ちかくも更新せず、今年は生まれてこの方かんじたこともなかったけれどやたらに手のひらがかさつき、ハンドクリーム各社がべたつかないことをウリにしているわけをしる、もうすっかり冬。


夏の終わりに、といっても肌ではおもいだせないほど遠くなってしまったけれど、おろしたてのワンピースが汗で背中にぺたりとはりついたところをすずしい風がなでて、歩くたびにひやりひやりとかんじるような、あれはたしか8月の夜、柴田聡子の神保町ひとりぼっちをみにいったかえり、電車で両方の膝の裏がむずがゆくなりみれば、じんましんが帯をなしてでていた。

そのときは、つかれているのかなあとおもったのだけど、それからというもの、重いカバンを腕にかけた跡がミミズ腫れのようにじんましん、息があがるくらいいそいで自転車をこげば背中から肩や首にかけてじんましん、冷房のきいたZARAへはいり1Fをみおわるころには腕の内側にじんましん、きわめつけはヨガ、文字どおりの滝のような汗をかけば全身くまなくじんましん、というあんばいで、秋のまるごと、いつじんましんがでるのだろうという不安に、胸を半分くらいあずけていた。

これまでじんましんがでたことなんてかぞえるほどしかなかったのだけど、最近でるじんましんは、まずかゆみがでて、ときどき息苦しくなることがある。全身に蚊にさされたような腫れができて、2時間くらいすると完全にひく。一時的なものなのでじっとしていればなおるのだけど、とつぜん肌があわだちどうにもがまんできないほどのかゆみがやってきて、かゆいのもしんどいし、すぐにはひかないから特に外出先ならあせるし、そしてなんだかはずかしい。自分の体なのに、自分でコントロールできないのがもどかしいし、なさけない。すこし前にすきな人に会ったとき、2回つづけて手の甲にぶわっとゴマをまいたような赤い斑点がでてしまったことがあって、またかとおどろいたしけっこうはずかしかったんであった。


と、こういう体調のことをかくと、ある人は心配してくれるかもしれないけれど、体の不調をうったえると、なにか食べものとかがわるいんじゃないなどどいいながら、自業自得だろうという態度をしめされたり、あるいは、エ、じんましんやばいね、といったかんじで、ふつうそんなんならなくない?なんでそうなるの?というまなざしをうけとることがあるので、なかなかにうちあける人をえらぶ。体の不調をしめすのにも度をこすと“自己管理のできない人間”だとおもわれそうでなんとなく我慢してしまうこともおおいけれど、職場でじんましんがでたときにあっと気づいて腕をみつめていたら、上司がたしかにそれをみたとおもうのだけれど、なにもいわれなかったので、職場の人にはいわないときめた。もっともわたしは自己管理、ましてや自己管理ができていないとか意識が足りないとかそういう紋切り型の言葉はぜったいにつかわないのだけれど。

体調のわるさなんて、(わたしのつとめている)会社にとってはそんなことどうでもいいから働いてほしいわけで、訴えたところで、ひどいなら病院にでもいけば?ということなのだろうけど、それほどのことではなくてただ、そういうことなのねと気づいてくれたらいいのに、日ごろの生活がわるいのだとか、あいつちょっと変だとか、そういう色眼鏡をはずして、というか、もう粉々にして空へはなってから、まっすぐにみてもらえるだけで、だいぶ楽になるのに、それがとてもむずかしいことなのだと、体調のわるさにかぎらず「なんとか我慢できなくもないけれど、ただしんどいことをわかってほしいという気もち」をわかろうとするとか、わからなくてもウンウンとうなずくことは、とてもむずかしいのだなと気づかされる。

はずかしいことにかくいうわたしこそ、だれかのつらさをうけとめることが苦手で、べつになにもいわなくたってよくて、うなずくだけでもいいかもしれないのに、それがうまくできないのだけど、人にいわれるまで気づかなかった。じんましんがでるようになってからことに「風邪でも絶対に休めないあなたに」という風邪薬のCMをみるたびに胸がぎゅっとなるし、逆に『生理ちゃん』があれほどの新鮮なおどろきをもってうけとめられているのには胸のすくおもいだけれど、わたしが気づかないところで我慢を強いていたり、ひとりでかなしみをなぐさめる人がいるのだろうとおもうと、仮にもわたしになにかをつたえようと目くばせしてくれた人には、しんどいおもいをさせてしまってわるいことをしたなと反省している。わたしが上司になげかけているであろうあきらめのまなざしを、そのままわたしの胸につきさしてやりたい。

よく「人の痛みに寄り添う」とか「共感する」といういいかたをするけれど、いきなり寄り添うのも、ひびきあうのもむずかしい。ならば寄り添うよりも前に、向きあってすわったり、まっすぐまなざしたり、ただうなずいたり、そういうことからしようとおもうのだ。寒い夜にはそういうことをかんがえている。

シャムキャッツ らんまん上映会のこと

f:id:slglssss:20180902142943p:plainどうにもやるしかないというおもいに駆られ、このたびはじめて、イベントを開催します。

2018年4月におこなわれた、シャムキャッツ初のホールワンマン『らんまん』のライブDVDを上映する会です。

明大前 マイスペースというアットホームなカフェスペースで、サンドイッチをたべながらみんなでわいわいDVDを観られたらいいなとおもっています。



そもそもなぜ上映会なのか。
家でみられるDVDを、どうしてあつまって観たいとおもったのか。

きょうは、DVD上映会を開催しよう!ときめるまでのことをお伝えしたいとおもいます。



きっかけは、今年の3月にあった「台湾晩餐会 in “TETRA OFFICE”」です。

幡ヶ谷にあるPADDLERS COFFEEにて、メンバーとファンが一緒においしい台湾料理をたべながら、プロジェクターで投影されたアジアツアーの映像をみる、というホームパーティのようなイベントがありました。
(料理の写真しかない、すみません)
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いまおもえば夢のようなイベントで、メンバーがおなじテーブルでご飯をたべている、ということがまずもってしんじられなかったのですが、
それにくわえて、たまたま近くのテーブルにすわっただけの初対面のファンどうしが、料理をたべて「これおいしいね~」とか、映像をみては「わ~~!かっこいい!」「わかる!」なんていいあったりする光景がそこここであって、わたしはそのことをとてもあざやかにおぼえています。


わたしはシャムキャッツがだいすきです。シャムキャッツのライブがだいすきです。
でもライブにはひとりでいっているので、どんなにたのしくてどきどきしたライブも、終わったあとにはひとりでかみしめていました。

それはそれでよかったのですが、
時には、こんなふうにみんなとたのしさをわかちあうことだってできるのか!
わたしがすきなあの曲を、はじめて出会ったこの子もすきだった。おなじシーンで夏目くんかっこいい!とおもってた。
そういう気もちの交換や「すき」の共有ができたこと、たのしい時間をわかちあえたことがとてもとてもうれしくて、わすれることができません。


そんな折にシャムキャッツからとどいた夏のプレゼントが『らんまん』のDVDでした。

ライブDVDはひとりでゆっくり観るのもいいけれど、
また、みんなとわいわいライブをみながら、いろいろな話をしたら、
はじめて出会う人と、だいすきなシャムキャッツのことを話したら、
きっと一緒にたのしい時間をすごせるんじゃないか。

そんなおもいから、発売してすぐに、上映会をおこなうことをきめました。


おひとりでも、お友達を誘ってでも、ぜひおこしください。
おまちしています。


シャムキャッツ らんまん上映会
2018年12月15日(日)
OPEN 12:00/START 12:30
1000円(サンドイッチつき)+1drink

▼ご予約はこちら▼
docs.google.com


※有志で開催するイベントです。
※開催にあたっては、シャムキャッツに許可をいただいております。
※イベントに関するお問い合わせは、すべてreservation.slglssss@gmail.com へお願いいたします。オフィシャルへのお問い合わせはお控えください。

8月のこと

お盆休みいかがおすごしですか。

この春に転職をしたら、あたらしくはいった会社にはお盆休みがないと7月ごろにしる。さすがに面接で、盆暮れは休みですか?とはきかないし、年間休日数もとくべつすくないともおもわなかったのだけど、社長の方針で、お盆休みはないのらしい。なんでも「お盆ってどこいっても混んでるじゃん。そこを休みにする気がしれない」とのこと。業界的にも他社様がそろってがっつりお休みのところ、弊社だけ営業している状態をヘンだとも、むだだともおもわないあなたの気がしれません。

そんなわけで、取引先には「弊社は全社的な休業はございませんが、貴社のお休みはいつになりますでしょうか?」と不本意さをにじませながら休業日をうかがったりしている。15日までか、来週いっぱいお休みのところがほとんどです。ちなみに社長は、有給をおつかいになり、7月末に(たぶん)南の島へバカンスにいかれました。わたしはまだ入社して日が浅いので有給がありません。求人票をみつめるわたしの目は節穴だったのでしょうか。



ここ最近ぜんぜんできていなかった部屋の掃除をして、はじめて、このレコードもっていたんだ・・・という現象に遭遇する。いままで、このレコードはどっちのココナッツで買って、このとき矢島さんとこんな話をした、とか、なにがお店にでててコーフンした、とか、ことこまかにおぼえていたのに、まさか自分の身にこんなことがおこるとはおもっていなかった。気づかなかったらまたどこかで買っていたかもしれないとおもうと、オゾゾ。

最近は達郎さんをずっと聴いている。ツアーにいかれた方が口々に「レコードを聴いているみたいだった!」とおっしゃるので、わたしも所持しているだけでまったく行使していない運転免許証におもいを託し、こまやかにキャンセル待ち抽選へエントリーしているけれど、お席をご用意できませんでしたのおしらせしかきません。わたしも達郎さんがおっしゃるところの「35歳のときの歌声にもどった!」をこの耳でたしかめてみたいものです。ちなみにスカートのライブの客入れでかかる『高気圧ガンダム』、はっこれは『高気圧ガール』っ!とおもえばいいところでなぜかガンダムのテーマがぶっこまれるやつですが、はじめて聴いたときにまともに食らいましてたいへん痛快でありました。あのときのわたし、だれかみていたらどんな顔してたかおしえていただけませんか。ココ吉夏の100枚にあった『あまく危険な香り』の7インチがほしい。



台風がやってきて、憑きものがのしかかるおそろしい数日間をすごした。ある日の朝には気もちが急降下し、のらなければならない地下鉄にのりこむことができず、ホームの椅子にこしかけて、というかどっかりすわって、ただぼんやりとホームドアとそのさきの硬そうな柱をみやる、というのをやっていましたところ、あわせて10本ほどみおくってしまった。出社時間には問題ありませんでしたが低気圧女もやすみやすみやっていきたいものです。

そんなことがありましたのでもうこれはむりだしんどすぎるとおもいまして、困ったときにお世話になっておりますあおやぎさんのところで整体をうけさせていただく。前日までまじでこれはほんとに背中のまんなかがぜんぜん想像できる筋肉の硬さをこえてるわ、右の股関節がギシギシにきしむわ、とおもっていたのだけど、あれはなんなのか、きょう楽にしてもらえるとおもうと気もちがかるくなるのか、当日は朝からたいへんに体調がよくなってしまい、いく意味あるのか、お手をわずらわせてしまう、などとかんがえながら足どりかるく千駄木の夜道を歩いていたわけですが、いってみたら、首がばきばきだね~笑、といわれまして、自分のからだへの無自覚さにとても不安になった。あおやぎさんは前髪をみじかく切りそろえ無防備に日焼けをしていらして、冷房のほとんどついていない部屋のなかですこしだけの夏だった。

夏休みがないことなどを、フリーで夏休みなどないであろうあおやぎさんにぐちぐち話していましたけれども、なんやかやていねいに受け応えをしてくださり、わたしはこういうやさしさをもちあわせていないことに、しずかにおちこんだ。そのうちに施術はだんだんとすすみねむくなってきて、ほとんど寝た。

わたしは自分のことだけでせいいっぱいなのに、あおやぎさんはどうしてこんなにも人にやさしくできるのか、そういう見返りをもとめないやさしさを、尊いとおもう。わたしは自分で自分のことをまもることができなくて、なんでもかんでもよろこんだりかなしんだり、おこったりおちこんだりして、なかなかもとにもどれないのに、それだけじゃなくて、人のつらいことまでつらいなあとおもってしまってしんどくて、だれかにやさしくできる余裕なんてないのに。あおやぎさんだってうれしいこともかなしいことも、おこったりすることもあるだろうに、いつもおちついてみえるようにしていらして、これはそういう習慣なのかなんなのかわからないけれど、すごいとおもう。「自分のためにしていることが、いつか人のためになるよ」とおっしゃっていたけど、わたしにはまだその意味がわからなかった。

きょうはすこしだるいのでごろごろしたりピアノを弾いたりしてすごしている。自律神経がなんとかでだるさがでるらしいです。はじめて施術をしていただいたときにけっこう体がつかれていて、「あしたはだるさがでるかもしれないけれどなんとかやりすごしてね」といわれたのをおぼえている。わたしは一日をやりすごしたことがなかった。だからしんどいのかと、そのときに気づいたんであった。

あおやぎさんから「すりがらちゃんは頭でぐわーとかんがえて血がのぼりやすいから、ブログとかをかいて、自分のなかにたまったものを発散したほうがいいね」といわれたのでブログをかいている。あしたのTrafficで腰がもつように整えてくれたそうです!ありがたや。とんだりはねたりしてきたいとおもいます。

最近のこと

仕事がとみにさわがしくなり毎日あれやこれやとこまぎれな考えをこねている。


わたしは元来、なにか仕事でミスをしたり友達と意見がいきちがうと、自分がわるかったからこうなったのだとおちこんでいたのだが、最近はなにかにつけて腹がたつ。怒ることが苦手だとさえおもっていたのに、まわりの人のちょっとした態度に、どうしてそんなかんじなのか、なんでそうしなきゃ気がすまないのかといらいらして、ともすれば、わたしはわるくないとか、もうしらないとか、そういう投げやりな気もちにさえなっている。以前はしゅんとして、ただぼたぼた泣くばかりだったけれど、このところは夜中にだれもいない部屋の空中にむかって怒鳴ったりしている。

そんな調子でどうにも気もちがおちこむ云々とツイッターやらインスタグラムやらにぽいぽいと投げこんでいたら、何人かの人からとても心配された。みんな、わたしでよかったらなんでも話してねといってくれた。そういうメッセージにひとつひとつ、ありがとうございます、とかえしながら、わたしは自分の底意地のわるさにあきれてしまった。こういうふうに心配されたくて、わざわざSOSを発信するなんて迷惑なこともない。いつの日かこの腹だたしさを、やりばなく宙に放られている怒号を、親しい人たちに、はなれないように心をくばってきた人たちに、すきな人に、投げつけてしまわないか、そのことだけがこわくて、わたしは会う人に「元気です」とつくり笑顔をみせるばかりだ。


自分ではどうにもできない気もちをどうやりすごしたらよいのかわからずにいるうちに、時間どおりになにかをすることもままならず、忘れ物がふえ、仕事でミスをつづけてして怒られた。また腹がたった。ほんとうにおちこんでいるときに話せる人がいないことをつよい危機感としてもっているけどどうしたらいいのかわからない。

買ってきたレコードを袋からだすこともできず部屋の隅に立てかけ、iPhoneにはいっている曲をたのしむわけでもなくなんとなくながして気をまぎらわしているし、体が冷えないようにとひかえていたアイスやフラペチーノをいいだけ口にして、胃が冷たくなるころ、頭がくらくらするほどの甘やかな心地にひたっては、しばらくしてはっとわれにかえり、うしろめたい気もちで湯船につかるなり熱いシャワーを浴びるなりして体をあたためなければとあがいてみたりする。このところはもう徹底的に、体に悪いことをしてやろうじゃないかと、アイスをつづけて2本食べてみたりもした。べつに1本でも2本でも、悪いことをする気もちよさなんてなんにもかわらず、ただカロリーを余計にとっているだけだとすぐに気づいて、やめた。



すこしやすんだほうがいいとおもう、といわれたので、7月の後半は27日のroppenとbjonsのインストア以外はライブもなしでやすもうとおもう。

6月のこと

後ろ髪のある生活にも慣れた。去年のいまごろはマッシュをやめようと決意したのだったが、いまでは襟足がぱっつりそろったボブになっている。部屋の床に寝転がったときにぬけた髪をみつけると、しみじみと、こんなに長くなったのかとおどろく。
このあいだすきな人と焼肉をたべていたら髪伸びたよね~といわれ不覚にも肉を口に運ぶ手がとまってしまう。すきな人がわたしをすきになることは一生ない、地球が逆回転してもない、ロングヘアだったころからずっと小松菜奈がすきだそうだが急にショートになった彼女をかわらずかわいいという彼は畢竟かわいい子がすきであるのは明白で、それは髪型云々の問題ではなく、わたしのようにかわいくもなく憎たらしいばかりでなおかつうまく会話をかみあわせることもできないやつには興味もないとおもうけれど、ここまでしりあいとしてお付き合いいただけてそれだけでありがたいとおもうばかりだ。夏になると色白の肌がまぶしくてガラス玉のような目を直視することなどかなわず会いたいけど会いたくないしいまだにうまく話せません。一生すきになってくれなくていいからずっとしりあいでいてね。


5月の末から風邪をひいたりなどでどうにも体調がわるく、最近お世話になっている整体のあおやぎさんのところへ6月のはじめにお邪魔する。あおやぎさんのことはスカートの澤部さんのツイートでしる。
あおやぎさんの施術は凝っているところをゴリゴリ揉んだり叩いたりせず素人目には何をしてもらっているのかわからないのだけど、うつぶせになったりあおむけになったりしているうちに気がつくとほぼ眠りにおちている。毎回あおやぎさんの一挙手一投足をじっとみたりさわってもらっている部位に気をくばってみたりするけれど結局わからず、でも施術をしていただくと1日後、2日後と目にみえてぐんぐんと体調が上むきになり、体のなかや頭のなかのとどこおりがほぐれていくような気がするというすばらしいもので、ご本人のおだやかでやさしいお人柄(会えばわかる)ともあいまって、もう無理しんどすぎるというときに予約をいれさせていただいている。わたしの語彙のすくなさからあまりつたわっていないとおもうけれど、いままでゴリゴリ揉んでもらう整体があわず、体の疲れがどちらかといえば気もちからはねかえってくるわたしのような人にとって、あおやぎさんがいてくださるのはたいへんこころづよい。
あおやぎさんはご自宅で施術をされているので、施術をしていただいているあいだもかたわらにある本棚にならぶ本やCDがずっと気になる。中医学とか整体の本はもちろん坂口恭平とかくるりの7インチとか上の方には『20/20』もある。
ちなみにあおやぎさんの整体へかよおうと決意したのははじめてお邪魔したときに玄関をあけた瞬間である。ドアをあけると3月にあったイ・ランのジャパンツアーのフライヤーがよくみえるところに貼ってあったからだ。
自分ひとりのことさえもなかなかおだやかにたもっていくのがむずかしいけれど、他の人の痛みやつらさをわかってくれようとして力をかしてくれる人の無償のやさしさがありがたく、尊いとおもう。そういうやさしさをうけとって、わたしはどうすれば他の人へくばっていけるのか、そういう人になりたいといつもおもって、結局また大切な人を傷つけてしまう。仲直りがしたい。


イ・ランのジャパンツアー東京公演ではあまり知り合いに会わなかったのだけれど、最近リーファンデさんもいっていたとうかがっておどろく。あの場にいたんだね!といわれて、彼に2018年に出会えたことは偶然ではないなと確信する。先日リーさんの主催するバンド、Lee & Small Mountainsの自主企画へいったのだけど、この日このライブへいけてほんとうによかったといまだにかみしめている。はじめてみたシアターブルックTHE NEATBEATSはどちらもでてきた瞬間からしびれるほどかっこよく、演奏にも心のもちようにも鋼のように一本の筋がとおっていて、またあたらしい音楽に出会えてよかったと心の底からうれしかった。最近、自分がこういう音楽もすきなんだなと気づくことばかりで、あまり得意ではなかった黒地に赤い字のレコード屋さんへいきちょこちょこと買いあつめたり、いったことのないライブへいきなりいったりしている(昨日の野音カーネーションすばらしかった)。
リーさんはライブ中以外は(こんなことをいうのもあれだけど)ほんとうにほんとうに普通の青年という言葉がびったしはまる青年で、いるだけでオーラがめらめらとでているとかそういうタイプではないのだけど、ひとたびステージにあがりGUILDのギターをかまえれば、たちまち青き炎を燃やすソウルミュージシャンになるのだ。わたしはこの瞬間を目撃するのが、ほんとうにすきだ。MCでは話したいことがあふれてしまうのか毎回話がまとまらなくなってしまうのだけど、それをみまもるお客さんのまなざしもあたたかく、リーさんのライブにはまたすぐにいきたいとおもっている。THE NEATBEATSのレコード、ジャケがかっこよすぎる~



インスタグラムをはじめてまたいろいろなものをしるようになる。ストーリーズというのはツイッターとかインスタのふつうの投稿とかましてやブログみたいにばっちりのこるところにはちょっと書くのためらうけれどだれかみている人(とくにつたわってほしいあなた)へつたわってほしいよ、ということを発信する場なのだな~みたいなことをなんとなくかんじ、ストーリーズにライブの感想とかいま聴いているレコードのこととかのせはじめると、ブログにじっくりかんがえをのこすこととかなんだかはずかしい(これまでさんざんやったのに)みたいな気もちにもなりかねず、ストーリーズみたいな一瞬の熱量にまかせる伝え方に慣れている方は、わたしのブログを読んで、よくこんなことずっとのこしておけるな、とかおもうんだろうかとかおもってしまう。でも何回か前のブログに書いたのだけど、わたしはブログに自分の気もちを書いて、自分の気もちをとっておくことが大切だとおもっているんだよ。すぐに書けないときはストーリーズにのせてしまうこともあるのだけど、わすれたくなくて書いておいたことが、のちのちはからずも自分をはげましてくれることに気づいて、なんとか書けるときには書くことにしている。
ところでリアルの世界で直接みられないことを「それインスタでみた~」といえるようになるのがふしぎでたまらなかったのだけど最近はそういうものなんだなとおもえるようになっている。しらない人の、心のなかとか、何を食べているのかとか、部屋の壁紙のもようとか、最寄り駅のホームの点字ブロックとか、こんなにふつうにみられるのってすごくないですか。

6月のはじめのこと

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リーファンデさんがツイッターでいっていた『夏の終わりのハーモニー』を聴いてみたらすごくかっこよくて、そんな頭でいるときにたまたまユニオンでライブ盤をみつけたので、おもわずハッときこえるくらいの音量で息をのんで、ここ最近でいちばんすばやい動きでひきぬいた。井上陽水玉置浩二も有名な曲しか聴いたことがなかったけれど、こんなに強烈な個性をもっているふたり、おたがいに決して消しあわず、手をとりあい、目くばせをして、縦糸と横糸の綾なす無限大のハーモニーをかなでていて、ドラマチックなメロディラインもあいまって胸をゆさぶりまくり、ほんとうにすごい、つたない感想だけれどそうおもうしかなく、リーさんありがとうとおもいながら毎日聴いている。まだ夏はじまっていないけれどね。

井上陽水&安全地帯 夏の終わりのハーモニー


それからオリジナル・ラヴをやおら聴きはじめる。友達がカラオケで『接吻』を歌っていてすごくかっこよくて、それからずいぶんとたったけれども、ぽつぽつと聴いている。
このあいだ掃除をしようとおもってかけたら、聴きいってしまっていっこうに掃除すすまず。いままで聴いてきたオリジナル・ラヴ以降のいろいろなバンドの曲をおもいだし、たとえるならば、肥沃な土壌の養分をぐんぐんすいこんで育った栄養まんてんの牧草あってのおいしい牛の肉、すばらしい営み、ありがとうございます、というような深遠な気もちでありました。
そんなわけでオリジナル・ラヴ、順番にすこしずつ聴いていきたいとおもっている。最近売場であ行とか行の境目あたりを目を皿にしてみまわしているのはそのせいです。


9日、柴田聡子の神保町ひとりぼっちを観にいく。夏になると細い髪が湿気でくるくるとうねる柴田さんがかわいい。ワンピースがいつでも似あう柴田さんがかわいい。
柴田聡子の神保町ひとりぼっちとは。東京は神田にある神保町試聴室にて、柴田聡子がギター弾き語りで2時間ライブをするというものである。いつはじまったのかどのくらいつづいている企画なのかわからないのだけど、すこし前までは月1?隔月?とかで開催されていた。最近は不定期だけど、なるだけ毎回いきたい心もちでいる。

今回は前半をいままでの曲、後半がすべて新曲という攻めた構成。『スプライト・フォー・ユー』『あなたはあなた』『いきすぎた友達』『後悔』などおなじみの名曲たちで心をやわやわにほぐされたあとの、おどろきとあらたな感動にみちた新曲乱れ打ち、風穴がずばずば開くようであった。
ちなみに新曲のなかでは「やっぱハワイより 海へいこうよ」とはじまる曲が最高にすきだ。今年のワクワクミツメまつりでも柴田聡子 in FIREで演奏されていた曲で、試聴室でやる弾き語りもいいし、バンドバージョンもほんとうにかっこいいから全員聴いてほしい。曲中で「箱の中にはちばてつや」というキラーフレーズがブッこまれて、何度聴いてもその部分だけをくっきりおぼえてしまうのだけど、これははやく歌詞カードをみながら、全編の歌詞をとおして聴きたい曲でもある。
柴田さんの曲、とわたしがいうのも恐縮なのだけれど、いつも想像もしないことをあざやかに繰りだしてくる。
たとえば、『後悔』しかり、ポップで体をゆらしたくなるような曲調にあわせて、すごくせつないこととか、じんわりと余韻ののこることをうたう、というのがあり、それがまじかよみたいなおどろきでもあるし、そういう一見(一聴?)噛みあわなさそうなことをさらりとやってのける柴田さんはほんとうにすごいとおもわされるのだけど、このちばてつやの曲もきっとちゃんと歌詞をよんだらそんな曲なんじゃないかという気がしている。
そのほかの曲も、あんまりおぼえられていないけれど、Jポップ感(てなんだろう)のあるシンコペーションがきいていたりして新鮮だしエネルギーをたたえているなとおもう一方で、歌詞は「つくりもののまつげの後ろをながれる涙をホンダの軽で追いかけよう」みたいなことをいっていてもう胸のなかがぐちゃぐちゃである。
それから新曲『ジョイフルコメリホーマック』というのも多分にもれず、「道ばたには ジョイフルコメリホーマック」なんて一度聴いたらわすれないような強烈なワードを何度もおりこみながら、「あれやこれの使い道は わからないけど(?) ひんやりとした銀色の筒をなんとなく買ったね」なんていう後ひく言葉をつらねてくるから、ああなんだかあじわいぶかい、そういう気もちに着地するのだ。柴田さんの歌を聴いていると、かんたんには意味を推しはかれないことを、なんだかとくべつな意味をもっているようにおもわされるし、じぶんの体験していないことのはずなのに、記憶や経験のはしっこをちいさくふるふると共鳴させられる。柴田聡子はほんとうにすごいです。
この日のカバーはTWICEの『LIKEY』、韓国語で歌っていた。イ・ランちゃんの歌を聴いていて韓国語はら行の発音が丸っこくてかわいいなとおもっていたけれど、柴田さんが歌ってもやっぱりかわいかった。終わったあと譜面台をみにいったら、歌詞がぜんぶカタカナで書いてあってますますかわいかった。

ちなみにこのブログを読んでくださっている方から「すりがらのブログ、だいたい出張のときに新幹線のって『スプライト・フォー・ユー』聴いて泣いてるみたいなこと書いてるよな」っていわれたのですが、わるいかよそりゃあ大名曲だもの、いろいろなことを勝手にぶくぶくおもいだしてしまうから、泣きたいほうが涙こらえているのだよ、といいたい気もちである、でもブログをすみずみまで読んでくださっているのがわかってとてもうれしはずかしかった、ありがとうございます(前におしえてくださった『微熱少年』のカセット買いましたヨ)。いろいろな方にいろいろな音楽とか、それ以外のことをおしえてもらいながら、たのしくすごしています。