磨硝子日記

会社員。元書店員。ココナッツディスクとくま。

香りをめぐる話

前回のエントリーで「マニキュアのにおいは夏の匂い」と書いていたら、こんなことを思い出したので書き残しておこうと思う。


先日、あたらしく香水を買った。はじめて、ちゃんとした香水を買ったのだ。
香水にはずっとあこがれがあった。去年、梅ヶ丘にあった古本屋さん「tenonaru」で柴田さんのトークショーで、柴田さんがおすすめしていたジャン=クロード・エレナの『調香師日記』というのを買って、ますます興味がわいた。

調香師日記

調香師日記

わたしは甘い香りをつけるのが苦手だ。まわりの人がつけているのは、いい香りだなと思う。でもいざ自分にふりかけると、食事のときに食べ物と香水の香りが混ざるのや、体調がわるいときにつけると気分がわるくなってしまうのが、どうしても耐えられない。第一に、わたしからお花の甘い香りがするのは、なんだかはずかしい。なにかが合っていない気がする。
そんなわけで、香水をえらぶなら、甘くなくて、体調がわるいときにつけてもおえっとならないもの、ときめていた。

お店に入って店員さんと目が合ったので、もうなにもかもわからないです、教えてください、と開きなおった顔で堂々とレジへむかっていくと、「どのような香りがお好みですか?」とやさしく聞いてくださったので、きたきた、いきますよ、「甘くなくて、すっきりした感じ、ハーブみたいな、ほら、体調がわるいときにつけても、きもちわるくならない感じがいいです、どうも、甘いのが苦手で・・・」と、なんにもしらないくせにやたらにまくしたてると、「それでしたらこちらです」と顔色ひとつ変えずに3種類ほど香りを試させてくださった。

どれもいい香りだった。こんなになにもわからない人間がわがままにオーダーを並べたてただけなのに、どの香りもたしかに甘くなくてすっきりとしたハーブのような香りで感激した。

そのなかでも店員さんが「これは高級なじゅうたんに使われる草のような香りがします、じゅうたんを踏んだときのような香りがしますよ」と説明してくださった香りがなにか心にひっかかった。すっきりとしていて甘さはまったくなく、薬草のような香り。草を編んだじゅうたんの匂いをかいだことはないし、あくまでたとえ話なのだけど、そういう物語のある説明をされるといちころである。これに決めた。わたしがつけると少しお線香のような、白檀の香りに似ている気がするけど、それがわたしらしく地味で合っていると思う。

学生のころ、誰がどんな匂いか、という話題がもちあがったことがある。○○ちゃんはダウニーの香り、とかそういうあんばいできゃいきゃい盛りあがっていたけれど、わたしはそのとき「無臭」という評価をいただいたのであった。確かに特別に香りがのこるような洗剤を使っていたわけではないし、香水も使っていなかったけれど、あまりにも香りのないのも、なんかなあと思っていた。
ついに香水を買った。今日からこの香りが、わたしの香りと思われるのかと思うと、毎日すこしどきどきする。お線香だけど。


それにしても、誰がどんな匂いか、なんて話になるということは、人は、他人のことを意外なほどに「匂い」でわかっているのだなあと思う。

これもまた学生のときの話だけれど、当時すきだった人はいつもほのかに甘い香りがして、それが煙草の匂いと混ざって、それはほんとうに彼だけの匂いだった。なんの洗剤を使っているのかとか、香水をつけているのかとか、聞いたことはなかった。煙草の銘柄もわからない。でも彼の匂いだけは覚えていて、会わなくなってもしばらくは、鼻の奥のほうで彼の匂いを思いだせる気がしていた。

たまに、満員電車のなかで似ている匂いがすることがある。一瞬どきっとするけれど、彼であるはずもないので、すぐにその匂いを追いかけるのはやめる。けれど、匂いとは不思議なもので、似ている匂いをかいだだけで、彼のするどいまなざしや長くて濃いまつげなどを鮮烈に思いだしたりする。そのたびに胸が苦しい。普段は考えることもないのに、なんでか、匂いを思い出すと、いろいろなことがつながって思いだされる。忘れていた声や、言っていたことを思いだしたりする。思い出は、匂いと一緒にある。

新しく買った香水。これから起こっていくことを、この香りと一緒に覚えていくのだなあと思う。気に入っている香りなので、どうかこの香水をつけているときに、つらいことや悲しいことが起こりませんようにと思う。うれしいことなら、たくさんあってほしいと思う。この香りをほめてくれる人がいたら、ずっとこの香りをまとっていたいと思う。


いまはココ吉の匂いがすきだ。邦楽のCDのあたりが、匂いがたまっていてすきだ。ずっとぼんやり座っていたい。雨の日は、湿気をすった木の什器の匂いが最高にいい。あと中古のレコードの匂いもすきだ。買ったら一度は、そっと匂いをかいでいる。わたしだけなんだろうか。