磨硝子日記

すりがらすのブログ

10年ぶりにインフルエンザにかかった話 〜インフルとかポップに略してくれるな〜(後編)

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咳止めと頓服薬の入ったビニール袋をぶらさげ、きた道をもどる。こんな日にマスクをつけてスニーカーをつっかけよたよた歩いているなんておかしくなるほど、よく晴れてあたたかい。

こどものころ、わたしはからだがよわくて薬を飲む機会がおおかったのだけど、そのくせ、薬を飲むのがしぬほど嫌で、薬を飲むとなると泣きじゃくり、そのたび母は苦心していろいろなものに薬を混ぜて飲ませてくれた。ジュース、ヨーグルト、大きいカップにフルーツやナタデココがごろごろはいったゼリーなど。そんな母のやさしさをしりながら、小学校低学年のころだったか、インフルエンザの薬をどうしても飲みたくなくて、薬を飲んだらごはんをだしてくれるというので、寝ている部屋の窓から薬を投げ捨てたことがある。あとで母にみつかって怒られたが、怒るというより妙な知恵をはたらかせたことをおどろかれた。
薬を飲むときは毎回このことをおもいだす。何種類もの薬を同時に口の中にいれて水をふくみ、苦くないようにすぐにごくんと飲みこみ、平気な顔をしているのを、わたしはいつおぼえたのだろう。4粒の錠剤をひとまとめに飲みくだしながらそんなことをかんがえていたのだけど、喉元をすぎるころにはぐったりとくるだるさが頭をもたげてきた。


起きてみるとおや、なにもかわっていない。かわっていないというのは、具合がわるくなっていないということではない。あいかわらず具合がわるいということだ。

熱は37℃台になった。まだ本意気に上がりはじめてはいないものの、「またあしたきてね」と、もはや希望をいだかせてくれたセンセイのことばをしんじるならば、わたしはいま、あしたにむけて、しあがってきている、そう確信できる進歩である。わたしは、わたしのからだのなかでうにょうにょとうごめく有形無形のウイルスたちが、ぷつりぷつりと細胞分裂をくりかえして増殖(MULTIPLIES)し、指先足先のすみずみまでいっぱいになるのを想像して、布団の中でぞくぞくした。わたしはあした、それと診断される。そのときを待っている。これからもっとぴゅうぴゅう熱が上がるのだ。顔がほてるほどあつくなるのだ。さっきすいこんだウィダーインゼリーも、いまごろウイルスがよろこぶエサになっているにちがいない。ハハハ愉快愉快。

昼のぶんの薬を飲み、なるべく効かないように祈りながらYouTubeをみているうちに寝た。


夜が深くなると、いよいよそれらしくなってきた。
寒気の大波がぞんぞんぞくぞくとおしよせ、ふしぶしはぎしぎしと音をたてるほどにこわばり、からだを起こそうものならあいたたたと声がでる。顔がぽーっとほてってきた。きたぞ。満を持して体温計を脇の下にはさむ。からだはこんな調子だが、もう得意顔である。

ピピピと電子音が鳴り、息まいてとりだしてみる。でました。38.4℃。インフルエンザにしてはやや低めだが、それでも38℃台は立派な発熱だ。わたしのからだをひたしているウイルスたち、よくやった。背中もおしりも非のうちどころがないほど完璧に、ばきばきに痛い。寝返りをうっても居心地のいい体位をみつけられないほどの隙のなさ。しかも時計をみればまだこんな時間か、たったの2時間しか眠らせてくれない。泣かせてくれるぜ。あしたは朝いちばんで診察券だしにいきますよセンセ。そうひとりごちて、目をつむってはウ〜ンとうなされて目がさめ、ふたたびもぞもぞと動いて体の痛くないポーズをさがしてはこまぎれに眠った。


清々しい朝だ。
ちまたにあふれる「インフルエンザ初期症状チェックリスト」のほとんどすべてに即答でレ点をつけられるほどの、アルティメットモードである。

火曜日の病院は運よく空いていて、待合室で待っているとほどなくして呼ばれた。覚悟が決まっているおかげか、いくぶん気もちにも余裕がある。


「熱上がった?」

「ハイ、上がりました。はちどよんぶです。」

「そうなのね。じゃあね、インフルエンザの検査しますからね。ちょっと待ってね」

「ハイ」


その刹那、目の前にひろがるは黄金色の霞がかかる極楽浄土、もやが左右へすっとひらけたところには艶やかな髪をたくわえた天女たちがゆたりゆたりと歩き、蓮の池のむこうからこちらへ手まねきをしているのであった、ああ、ついにこのときがきた。ほら、こちらへおいでなさい、ハイただいま、

看護師さんが柄だけ長い綿棒のようなものをとりだし、咳も涙もでちゃうんだけどね、といいながら、おもむろに先についた綿球をわたしの右の鼻の穴に差しいれた。
アガガ、といいながらなんとか受けとめようとする。ここまでだろうなとおもうちょっと先まで入ってくる、くるしい、痛い、涙がぼろりとでる。看護師さんに頭をささえられて、からだをのけぞらせながらなんとか終了。
もうすこし鼻水とりたいから反対側もするね、とされるがままに鼻をディグされ、終わってみれば、そこは待合室であった。

「出ましたよ、インフルエンザのA型です」

ああ、そうでしょう、と、頭のなかにふわふわうかんでいたものがあるべきところに落ちついたかんじがした。

「ひとりできたの?あなたつらそうだから、点滴うつから。すぐに楽になるからね」

学生のころ、母に付き添ってもらって病院へいったのが最後だから、おおよそ10年ぶりのインフルエンザだった。


ハイありがとうございますと、しおらしくとなりの診察室へ入り、鼻ディグしてくれた看護師さんに腕をさしだす。ちくりと痛みがはしったあと、つめたいものが腕の中にごくごくとはいってくるのをかんじる。このまま40分くらいじっとしててくださいね、といわれてカーテンがしめられた。だらんとのばした腕のむこう、爪のハートがきらりとひかる。急にこころぼそくなった。



点滴はしずくの数をうつらうつらかぞえているあいだに終わった。よろよろとベッドから起き、少々値がはるなとおもいながら会計をすませ家へ帰る。

ひと寝してみればなんだかすこし痛みが少ないような気がする。きのうまでおしりが痛くて座れなかったが、いまはなんとか椅子に座れる。
この点滴をしたら、いわゆるインフルエンザの薬を服用しなくていいとのこと、こどものころのわたしにもできたらこれをやってあげたかった。

買ってきたOS-1を飲む。これ風邪のときにしか飲まないからあまりすきじゃないんだよなとかおもいつつまたひとくち飲む。ポカリスウェットとかスポーツドリンクも、こどものころ風邪のときに飲まされたおぼえがあってすきじゃない。食欲はないなんてものじゃなく、YouTubeで大食いの動画をみても、へえおいしそうに食べるなあとおもうくらいで、わたしも食べたいなあとはさらさらおもえないのがなさけないほどである。喉がぱんぱんに腫れて水を飲むのもくるしく、ウィダーインのみずみずしさがありがたい。また布団にもぐる。

このさい仕事はどうでもいい。そのうちけろっとなおるのもしっている。けれどもどうにもやるせない。きのうからウィダーインゼリーしか食べていなくて、年明けにパーンとついたぜい肉がみるみるうちにハリをうしない、お腹がたよりなくぺたんとしてきたこと。歩くのもよろめいてしまうのでお風呂に入れず、髪の毛がべたつきはじめて気もちわるいこと。つまらないことばかりが目につき、頭にまとわりついて、とつぜん天井からぬっと伸びた手に顔をふさがれるような気がして、うわっと我にかえる。布団の上、わたしのからだで、わたしのからだとがっぷり四つの最中、じぶんのからだを、じぶんでさえどうにもできないもどかしさと、それでもわたしでどうにかするしかないのだというさだめにみずからがんじがらめになってしんどい、さみしい。
「インフルエンザでした」とつとめてあかるくツイートしたら、うれしいことにたくさん連絡をもらった。またなさけなくなって、声をだして泣いてしまった。


点滴はてきめんに効き、次の日には喉の腫れこそあるものの、ほとんどふつうに食事ができるまでになった。動画をみていてもたのしいし、食欲もかきたてられる。近藤聡乃の新版エッセイも読めた。映画も1本みられた。からだを起こしていてもぐらりとめまいがすることもなくなって、お風呂にもはいることができた。『恋と退屈』に、峯田さんが怪我をしてしばらくお風呂に入らず、久方ぶりにお風呂に入ったらからだじゅうの垢がおちたとかいてあったので3日分の垢はどれくらいかとおもったけど、髪の毛がさっぱりしたくらいだった。

一日中ほとんどじっとしていると、自然と頭のなかにちらばっていたきれぎれの考えがひとりでにあつまってきて、うまくまとまったり、どうでもいいことだとわすれられるのがわかる。
それがどうして、ふだん仕事をして、得意でもないことを曲がりなりにもやってみたり、やっぱりむりだったなとおもってみたり、その隙間にすきな人に会いにいきたいなとおもってみたり、たまにはライブへいこうとおもう日もあったり、わーっと買い物をしたりする日もあって、なかなかにいろいろなことがぐるんぐるんとうずまくなかにいると、ふとおもいついたことはうまく練りあげることもできぬまま、ちりぢりに頭の中の竜巻に飛ばされていってしまう。

しかしながら、誰とも会わず、食事もとらず、たのしいこともないけれど、からだの不調以外はいやなこともなくて、寝て、起きて、またしばらくしたら眠るような生活を数日おくるうちに、わたしの野原に無造作におきざりにされていたものがあるべきところに収納され、いらないものは跡形もなくなり、余計な考えだとか、くよくよとこねつづける無用な悩みのたぐいがすべてさっぱりとなくなった。いまは高い丘の上で、目下にひろがる草原が風になびくのをながめているようだ。どうにもできないとじたばたしているあいだに、どうにもならないじぶんがひょっこりと輪郭をあらわして、わたしは目がさめるおもいである。

日頃から「疲れているからもうすこし休んだほうがいいよ」といわれることばかりで、ウンとうなづきながら、からだの疲れはどうにかなると、何もしないでいることに何よりも焦っていたのだけど、急にインフルエンザにかかって休むことになって、こんな感覚をえられるとはおもわなかった。またわたしはベッドからおり、地に足をつけて歩くのだ。身震い、いや、武者震いがする。


体調も快方にむかい、いまならかけるとおもって筆をとる。どうせならおもしろおかしくかいてやろうか。インフルだなんてポップに呼んでくれるやつらに、わたしのしんどさをおしえてやろうか。どうせならとびきりポップに。いちおうそんな根性なのだ。