磨硝子日記

すりがらすのブログ

続 髪の毛をめぐる話

ここ数日でなんどか「髪のびたね」と声をかけられた。
もう切りたいとおもいながらじりじりと半年ほど、「のばしながら切る」というのをくりかえして、両耳がでるほど短かったマッシュは、あごのラインでまっすぐそろったボブになった。

そもそもだれにもなにもいわれなかったら、いまもまだぱつぱつに切りそろえたマッシュをつづけていたとおもうけれど、なんやかやで、髪の毛長いの見てみたい、なんなら長くしてほしい、みたいなことをいわれることがあって、かるい気持ちで、当面は短くしない、ときめたのだった。

マッシュがすきなのはもうここ数年ずっと、一時期クールグリースをつけて、櫛でとかしていたこともありました、VIDEOさんの髪型があこがれでした。夏目くんの髪型をまねしたくて『AFTER HOURS』のときみたいなセンターわけにしていたこともあります。

髪型というのは、まわりの人にもみえやすいところだから、ショートカットの人、とか髪をひとつにたばねた人、というように、髪型でその人をおぼえたりもする。こだわりもでやすいから、その人がどういう人かとかなにがすきかを表したりもする。
わたしの場合は、髪型ときもちと記憶が密接にからみあっているから、髪を切るときには毎回一大事なんであったはずだけれど、そんなわたしも、なんかロングヘアにしたらもてるらしい、ゆるふわで、女らしくなっちゃうらしい、とかそそのかされて、かんたんに信じこんだのだから、脳みそ直列つなぎ、相当にちょろいとしかいいようがない。まあ5年もすれば髪ものびるし、とおもううちに1年がたって、いまここ。


ほんとうになんども、わたしの髪を、いったいだれのためにのばしているのだろうかとおもったし、たぶんいってくれた方もかるい気持ちでいっているとおもうから、短くしたければすればいいのに、というとおもう。だけれどどうして、そのあたりをわりきれなくている。

かくいうわたしも、男の子の真っ黒な髪をつやつやにセットしたのは、ほんとうにうっとりするほどすきで、指のとおった跡がのこる毛流れをながめていると、朝いそいでくしゃくしゃっと手ぐしでととのえたんだなぁとおもったりして、とてもいとおしい。すきな人の黒い髪はいつみてもどきどきするものだし、前髪をさわって直すくせを、できればずっとなおさないでほしいなとおもう。わたしにこういうあこがれがあるかぎり、すきな人のすきな髪型もまた、彼にとってはすてきなのだなとおもって、後ろ髪がもさもさとふえてきたのを気にしないようにして、のばしかけの中途半端な髪型をあつかう。
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先日はたとおもいだしてみつけたこの写真にわたしが写っているのだけど、黒々とした髪がたっぷりつきすぎていて自分でもびっくりした。かわいさとはなにかがちがって、ただ健康で量の多い海藻のようだ。いくら時間がたっても、髪が順調にのびていったとしても、すきな人のすきな髪型にはなれない気がした。しゅんとしたきもちに、すきな人をおもうきもちもどばどばまぜて、ごりごりとすりつぶしては、悲しみが練りあがるのをみまもっている。

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シャムキャッツ 『Friends Again』ツアーファイナル@渋谷 TSUTAYA O-EASTのこと

f:id:slglssss:20171022162541j:plain小雨のふる肌寒い夕方、渋谷O-EAST。だいすきなバンド、シャムキャッツの『Friends Again』レコ発ツアーがファイナルの日をむかえた。


フロアは、この日を待ちのぞんでいたファンでいっぱい。客入れの曲がつぎつぎときりかわるたび、こころにくい選曲ににやりとする。やがて定刻になり、暗転とともにBGMがおおきくなれば、開演だ。アルバム『Friends Again』の衣装に身をつつんだメンバーがステージにあらわれる。

夏目くんのギターのじゃきっとした音色からはじまる『Funny Face』。菅原さんの奏でるフレーズがフロアのうしろまでしみわたれば、観客はみんな胸をふるわせて、4人に釘づけになる。
アルバムからもう1曲『花草』がつづいて、MC。「今日は雨のなか」とかいわないのがいい。『GIRL AT THE BUS STOP』『KISS』でシャムギャルのハートをわしづかみにしたあと、『Four O'clock Flower』『Coyote』とたたみかける。
MCで「ワンマンは『デート』だとおもってる」と夏目くんがいえば、シャムギャルのみならずシャムギャルソンまでが首ったけだ。バンビさんと菅原さんの微妙にかみあわないトークだって愛せるよ。


この日は『Friends Again』の曲を中心に、新旧の名曲をおりまぜたセットリスト。
なんといってもかっこよかったのは、『AFTER HOURS』や『LAY DOWN』、(ダブルアンコールで急きょ披露してくれたけれど)『MODELS』といった、いままでほぼかならずセットリストに入っていたような曲をあえて選ばず、さらりと最新アルバムの曲を全曲組みこんでいたことではなかろうか。

それどころか、最新曲といままでの曲はよどみなくなめらかにつながり、『GIRL AT THE BUS STOP』は一本の太い筋がとおったしなやかな大名曲へと変貌、『マイガール』はイントロでつつみこむようなやさしさ、アウトロはつよく抱きしめてはなさないたくましさを帯びて、アンコールへきての『渚』は2017年の観客の胸を完全にさらっていった。
夏目くんの声は、あまくドリーミーできゅんとする、鉛筆でやわらかく描いた線のようなタッチをのこしつつ、『Travel Agency』のように歌がよく聴こえる曲になれば、マッキーの太いほうで描いたゴシック体のような、はっきりとした輪郭になる。
菅原さんの歌はステージの色をかえる、『Four O'clock Flower』の歌詞をつぶさに聴いて、涙がこぼれそうになる、もっと菅原さんの声やことばを聴きたい。

このすばらしいセットリスト、曲や歌声の進化ともいうべき姿は、『AFTER HOURS』『TAKE CARE』以前/『マイガール』『君の町にも雨はふるのかい?』の過渡期ともいえるような時期/『Friends Again』という局面が、けっして断絶されたものではなくて、シャムキャッツというバンドがひとつづきに歩んできた道のりであることを、ほこらしげにあらわしているのだった。『洗濯物をとりこまなくちゃ』『SWEET DREAMS』『WINDLESS DAY』ときて『October Scarf』、『手紙の続き』『真冬のサーフライダー』『マイガール』からの『Lemon』『Riviera』、そこからつづく『台北』『Travel Agency』『Hope』。シャムキャッツのこれまでのすべてが、みごとに、ツアーファイナルのセットリストへと帰結した。


アルバム発売から4か月。あの日も雨だった。出張先から帰る足でココ吉へいってアルバムを買った。シャムキャッツのお店まわりがおわったあとだったので、矢島さんが「シャムキャッツがいないのにわざわざごめんね」というようなことをいってくれたのをおぼえている。

アルバムはiPhoneにいれて、いろんなところで何度もくりかえし聴いた。
じめじめとした梅雨の日にはひときわにさっぱりと削ぎおとされた音が心地よかった。夏には、ぬけるような青空の下で『Travel Agency』のぐんぐん前にすすむビートを感じるのが爽快だったし、べたべたに汗をかく湿度の高い日本の夏には、おなじく湿気のおおい台湾のことをうたった『台北』を聴くのがすきだった。すずしい風がふいて、心がかたむくような日には『Funny Face』を聴きながらゆきばのない気持ちをなぐさめた。満員電車に乗れば『Coyote』で「いつも通りやるだけ」と言いきかせ、くたくたに疲れた帰りには『Four O'clock Flower』がしみた。

仕事につかれると音楽をたのしめなくなってきて、だんだんと聴ける曲がかぎられてくることもあった。けれども、シャムキャッツの曲は、ことに『Friends Again』の曲は、いつでも日常に寄りそってくれた。がんばれともふんばれともいわずに、うつくしい景色も、未練も、迷いも、ただありのままを見つめてすくいとってくれて、そばにいてくれるだけで、どれだけつよくなれたかわからない。同じアルバムを聴いているはずなのに、元気なときにはますます元気がでたし、つらいときには毛布のようにあたためてくれる、そういうふしぎな力がある。インタビューのなかで夏目くんが『鏡みたいなアルバム』といっていたのを読んで、はっとするほどに腑におちた。このアルバムは、聴く人のこころを映すのだ。
thesignmagazine.com
ライブ中、時折客席をうかがうように、するどい目線をなげかける夏目くん。ファイナルの日は結局ヒゲを剃らなかった菅原さん。トークがかみあわなくても最高に音がごりごり鳴っていてしびれさせてくれたバンビさん、コール&レスポンスを1回でやめちゃった藤村さん。EASTの広いステージで、メンバーのからだはひときわおおきくみえた。それはまるで、力を均等にわけあって立つ、4本の太くてがっしり頑丈な柱のようだった。『Coyote』で夏目くんが歌うのを聴いて確信した、もう「大丈夫」なのだ。


終演後のサイン会で、ツアーパンフレットの『Tetra Magazine』にサインをしてもらう。もちろん、ココ吉矢島さんのページに(矢島さんからのお手紙、みじかくてかっこよすぎてずるい)。
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すばらしい夜をともにしたわたしたちはいうのだ。

「ねえ シャムキャッツ、次のデートはどこへ連れていってくれるの?」


Siamese Cats/Tour "Friends Again" Final 10.21 SHIBUYA TSUTAYA O-EAST
01.Funny Face
02.花草

03.GIRL AT THE BUS STOP
04.KISS
05.Four O'clock Flower
06.Coyote

07.洗濯物をとりこまなくちゃ
08.SWEET DREAMS
09.WINDLESS DAY
10.October Scarf

11.手紙の続き
12.真冬のサーフライダー
13.マイガール
14.Lemon
15.Riviera

16.台北
17.Travel Agency
18.Hope

Encore
すてねこ

31 Blues

Double Encore
MODELS

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先週のこと

毎度おなじみのココナッツの話ですが、ここ最近また感謝しかなく、わすれないように書いておきます。

火曜日、出張先から帰ってきてココ吉へいったら矢島さんがいた(というのはもうお店に入る前からわかる、駐車場のところからみえる)。スーツケースをひいて一目散に銀杏BOYZ平賀さち枝をとって、レジへいく。矢島さんと話しているときに、レジの横にある鏡にうつったわたしがにこにこしていたので、われながらちょろすぎるなとおもった。
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矢島さんはいつもいろいろなことを話してくださるので元気がでる。なので仕事で疲れたらあえて行くようにしている。前にシャムキャッツの話をしていたら店内の音楽をさらっと『AFTER HOURS』にしてくださったのがほんとうにかっこよくて、むむとおもった。閉店まぎわに柴田聡子『いじわる全集』をかけてくださった日はたくさん話してしまった。この日も銀杏BOYZをかけてくれた。ちなみに銀杏BOYZのMVにココナッツスタッフの皆さんが出演されてるの、前情報なしできづいたけど、なんかはずかしくてご本人にはいえていない。
www.youtube.com
カネコアヤノちゃんのLPをココ吉へ買いにいった話が、矢島さんにつたわっていてとてもうれしかった。レコードとかCDとかをただ買うだけなら、けっこうどこでも買えるけど、わたしにとってココナッツはレコードを買うだけの場所ではもはやなくって、ほかにいろいろなことを受けとりにいっている感じがする。たとえば、カネコアヤノちゃんのLPを走って買いにいって残り2枚のところで買えたな、とかそういう、レコードを買うときの経験とか記憶をもらっている。ちょっと前にココ吉で、太田裕美の『心が風邪をひいた日』のポップに「ラッキーオールドサンファンにもおすすめ!」とかいてあって、そんなふうにコミュニケーションをとろうとしてくれるのがすばらしいとおもう(買った)。

それからココ池にもよくいくけれど、中川さんは、いつも「仕事はどうですか?」って近況を聞いてくれて、それがとてもやさしくてうれしいし、わたしが買おうとしたCDをみて、きらきらした目をして「これほんとすごくいいよ」とおしえてくれたりするのもこころづよい。あと、わたしはインスタをやっていないけど、ココ池のインスタはブラウザでみている。毎日たくさん更新してくださっていて、ほんとうにありがたくて、ひれふしている。それからココ池の壁はいつもいつも入れ替わって、いい顔がこちらを向いていてくれてたのしい。いついっても子供部屋みたいにかわいくて、いい匂いがする。スカートはなにがなんでもぜったいにココ池で買いたいとおもう(予約した)。

前にココナッツディスクとの出会いについてながながとブログを書いたことがあったけど、あのときのきもちはなんにもかわっていなくて、むしろどんどんすきになっている。音楽のことを話しているココナッツ両氏、とてもかっこいい。こんなふうにおもわせてくれるレコード屋さんほかにありますか。わたしはココナッツじゃないとだめだな。

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秋の日とホットヨガ

きのう毛布をかぶってねた。朝、家をでたときの、ウワッといういやなあつさがなくなったけど、こうも急にすずしいとそれはそれで。肌さむくなるとなぜか、さみしいのかもしれない、みたいなきもちになるのはいけない。

ユーミンの数ある曲のなかでも『生まれた街で』がすきで、このあいだふと金木犀の匂いをみつけたときにそのことをおもいだした。『MISSLIM』はとてもすきだ。

荒井由実 生まれた街で あの日に帰りたい


先週、いいようのないきもちの傾きがとても気になって、やおら近所のホットヨガ教室へ通いはじめた。ふだんはノースポーツをつらぬいているけれど、なんやらヨガというのがこころとからだにとてもよい、とにかくよい、ばつぐんに、とのことだから、おためし気分でいこうと思ったのだ。

ヨガがこころとからだにどのように作用するのか、ということについて川上未映子が書いた一節がある。

そして何が本当にすごいかというと「屍のポーズ」というのをやる最後の十分間。くまなく使ってきた体を完全に脱力して、体内から要らないものを排出するイメージを浮かべます。意識は覚醒と眠りのあわいを漂うというか、体を忘れながらに再発見していくというか、なんとも説明できないような境地に導かれていくのであります。さっきまで「これ終わったら何食べよう」なんて考えていたのに一瞬のちには「この体にこの精神が何でか一致している!」ということを言葉を介さずに感じるに至り、涙がごぼごぼと溢れたりして驚愕です。ヨガすごい。神秘的すぎ。興奮しつつにわか神秘主義者的な気持ちになってるわけで。(川上未映子『世界クッキー』、文藝春秋、2009年、27頁。)

世界クッキー (文春文庫)

世界クッキー (文春文庫)

え、ヨガで泣くの、というのが全般的な感想でして、わたしはこれを読んでからというもの、うかつにヨガにいくこともできないと思っていたけれど、前にヨガのポーズというのを試してみたときに、腕を伸ばしたり、背筋を伸ばしたり、胸をひらいたりするかんたんな動きなのに、なんとなくからだのどこからかあついものがみちみちとこみあげてくるような感覚があり、これがきっと「力」的なもの、目に見えないけどなにか、こんこんと湧きでてくるものを感じて以来、ヨガにいきたいなとうすぼんやり思いつづけていた。

予約の時間に教室へいくと健康そうなインストラクターの女性がむかえてくれて、あれやこれやと施設やコースの説明をしてくれる。肌がぴんぴんに張っていて、これがヨガ肌、とかおもう。運動する用の服をもっていなかったのでTシャツと短パンをもっていって、ここへきて急に、なぜわたしはヨガへきたのだっけか、とかおもいながらもよたよたと着替えて、ホットヨガのスタジオへ。

むあむあに蒸気がこもったあつい部屋のなかで、ヨガマットという、滑り止め的な一畳分くらいのマットの上にすわってあぐらをかく。
この時点で、からだの動きはほとんどないのに、なぜかきもちがざわざわしておちつかない。からだがとまっているぶん、きもちの波立ちがぐわぐわと大きくなっていくのを感じる。涙が、ごぼごぼとあふれだしてきた。

うわ、泣いてる。これは部屋があついから汗をかいているのではない。波が堤防をかるがるとこえて、ぼろぼろと涙がこぼれる。やばい、ヨガで泣いてる。

涙はぜんぜんとまらずに、結局1時間のレッスンのうち、前半の30分は泣いていた。ヒーリングミュージックみたいなのがかかっている暗い部屋の中で、呼吸をかぞえたり、息を吸っておなかのふくらみをたしかめる。ときどき「からだの力を抜いて」とか「肩の力をゆるめて」といわれて、そのたびに涙がどぷどぷこみあげる。両腕をひらいて頭の上にもっていき、膝立ちになって、頭の上で手のひらを合わせて、そのまま胸の前へもってきて合掌する、というポーズをしたら、息を吐いたときに、だーっと涙がでてきてしまって、鏡にうつる自分がなさけなかった。

それから胸をひらいたり、胸をはったりするポーズというのをやりはじめてから、だんだんと落ちついてきて、からだの真ん中まで温まってきて、きもちがまっすぐ立ち直ってくる。指先やつま先の向きひとつで、力が入る箇所や、伸びる箇所がちがうのがわかる。わたしのからだを、わたしでうごかしてがっぷりよつ、おもいどおりにからだをうごかすのはむずかしくて、なんとなくはできなくて、でもきちんと力を通わせて、伸びるところを伸ばせば、呼吸が自然とついてくる。

レッスンが終わりにちかづくと、脱力するポーズをする。いままで使ってきたからだをやすませて、力が抜けていくのをあじわう。ここでまた、涙のビッグウェーブが、ずいずい押しよせて、ごぼごぼ泣いた。レンタルのヨガマットに涙がしみる。

終わってからスタジオのまんなかで汗と涙まみれになってかたまっていたわたしにインストラクター(20歳ウォーターボーイズ的さわやか男子)が声をかけてくれて、「どうですか?続けられそうですか?」と聞いてくれたけど、放心しきってしまって「ちょっと泣いちゃって、へへ」と答えたら「エッ、、」と驚かれてしまった。

でもそのあとに彼は「ヨガで泣いてしまう人もけっこういますよ」とフォローしてくれて、一生懸命勧誘してくれるので、いちばん手軽そうなコースを、放心しているわりには冷静にみきわめて選んだ。

入会の手続きをして家に帰るまで、毎回こんな泣くんだったらもたないな、とおもったけど、おもいかえしてみると、ヨガの涙は、かなしくないのだ。蛇口をひねると水がよどみなくでるように、ヨガの涙は力をこめなくても、力を抜けばぼろぼろとでてくる。すっきり爽快!というのともちがう。あの漫画の最後みたいに、全部だしきって白くなってしまう感じに似ているのかもしれない。ボクシングやったことないけど。


平賀さち枝の『まっしろな気持ちで会いに行くだけ』がとてもよかった。MVでさち枝さん(さっちゃんとよぶのなれなれしくてもうしわけないので)が食べているのは渋谷のピザ屋さんのどでかいピザ。

平賀さち枝 - 10月のひと
このあいだ友達につれていってもらったのだけど、彼がとちゅうで「これをかけるとおいしい」とテーブルにあったハーブのビンをさしだしてくれて、なんか急にやさしさをみた。食事をするということはけっこう、親しくないとできないよな、とおもったりする。

そういえばさち枝さんもヨガにいっているとブログにかいていたな。
まだ1回しかいっていないヨガ、こころとからだによいヨガ、がんばる。

ココ吉でカネコアヤノ『群れたち』を買う、下北沢をあるく、ロロ『BGM』を観る

チョコモナカジャンボをぜんぶ一気にたべたらさむくなってしまったので、タオルケットにくるまりながら、昨日のできごとをおもいだそうとおもう。

土曜日。雨をぎりぎりのところでもちこたえている空をみながら、あたらしく買ったギンガムチェックのワンピースを着てでかける。柴田聡子がアルバムのジャケットで着ていたワンピースみたいな、正真正銘ギンガムチェックのワンピースがほしいとおもいつづけて、吉祥寺のパルコでみつけたものだ。駅へむかってはしる。
コンバースははやくはしれるからすきだ。吉祥寺駅の公園口からバサラの前をとおって、ココ吉までこばしりでむかう。

ときどきツイッターのタイムラインをみる。だしぬけに「完売いたしました。Thanks!」とかながれてきたらどうしようとおもいながら、つるっと画面をスライドさせては、ココ吉のツイートがながれてこないのを確認して、またずんずんとすすむ。ココ池は瞬殺だったっぽいなと思いながら、またはしる。

カネコアヤノ『群れたち』の発売日。ココ吉で買いたいとおもっていたのに、ぼんやりしているうちに事前の予約をのがして、もうお店にでているぶんを買うしかなかったところに、矢島さんが走って買いにきてとツイートしていたから、これは走るほかない。

ココ吉とカネコアヤノちゃんといえばゴールデンウイークにインストアがあったな、お客さんいっぱいで、お店中にアヤノちゃんの声とギターの音が充満してはちきれそうだったよ。最高にかっこよかった。マリメッコの前をすぎて、ヴィレッジヴァンガードハンバーガー屋さんを横目に、左へまがる。坂道をおりて、駐車場から、窓のむこうのお店のなかをのぞく。

まだある。よかった。

のこり2枚のところで、なんとかまにあった。ココ吉さまたくさん入荷してくれてありがとうございます。
一目散に棚へむかって、ぱっと手にとる。ジャケがかわいい。そして、裏ジャケもかわいい。矢島さんがブログに書いていたのこれのことか。あーアヤノちゃんここにいる。ひー。
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それからお店のなかをぐるぐるして(『恋と退屈』単行本あったよ)、7インチの壁に原田知世『彼と彼女のソネット』をみつける。んがわいい。白い肌に、透きとおるブルーのアイシャドウ、小さな口にひかれたオレンジのルージュ、やや太めのぼさっとした眉、大きなヘッドドレスと髪型が顔のちいささをわからせる、ココ吉の壁の美少女をみつけまして、矢島さんの字をよんで、しゃっと引きぬく。
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70年代とか80年代のジャケのメイク、攻めててかわいいなとおもう。『Seiko-Train』のメイクなんて、めちゃくちゃクールでかっこいいし、『OLIVE』のキャットライン(長めに描いたはねあげアイライン)とピンクのリップなんていまの女の子たちもしているんじゃなかろうか(ドレスと帽子のドットも今年っぽいし、『OLIVE』の文字のピンクと背景の緑色のあわせも最高におしゃれ!)。

SEIKO-TRAIN

SEIKO-TRAIN

OLIVE

OLIVE

ちなみにわたしはどちらかというとLPとか大きいレコードを買うことがおおいけれど、矢島さんの解説みて、いいないいなとおもって7インチ買ってみた。ココ吉へいくと無意識に矢島さんの字を探している(気がする)。愛と信頼、矢島さんの解説。


ココ吉をでて井の頭線の各駅停車へのる。途中で急行に乗り換えてむかうは、下北沢。たのしみにしていたロロ『BGM』を観るためだ。
まだまだ時間があったので、CCCの上のカレー屋さんでチキンカレー定食をたべる。たべおわるころに「サンマのフィッシュカレー」に気づいた。また今度いこう。

線路の近くをあるいていると、大学生の男の子と女の子に話しかけられる。最近のいわゆる<若者のレコード人気>についてゼミで研究しているのらしい。ココ吉の袋をもっているのをみて、話しかけたとのこと。レコードのどういうところがすきですか、とか訊かれて「うーん、さわれるところ?」とつまらないことしかいえなくて申し訳なくなる。
でも答えてみて、みんな手でさわれるものを探してるんじゃないか、とふとおもう。矢島さんが『ADAWHO』のインタビューで「うちにレコードを買いにくるお客さんはフィルムカメラを持っている率が高い」と言っていたのを思いだして、配信とかSNSの恩恵をどこかでは受けつつも、なにか実体のある、手でさわって確かめられるものがやっぱり安心する、自分にあっている、根拠になるとおもう、そういう気持ちを、レコードや紙の本をすきな人たちはもっているのかなとおもったりする。彼らの研究結果、どこかでみられたらいいのにな。

それから古書ビビビでZINEとユリイカ 特集『あたらしい短歌、ここにあります』を買い、喫茶店でアイスコーヒーとチーズケーキをたのんで、さっそくユリイカを読む。歌人 穂村弘(通称「ほむほむ」)と詩人 最果タヒの対談をよんだあと、スカート澤部渡氏の短歌をよむ。日常へのまなざし、気づきをするどくきりとる、ほんとうにすごい人だなとおもう。

喫茶店をでると、雨はまだふるのかふらないのか腹をきめかねていた。東洋百貨店で、丈の長いコートをみつけて試着する。肩幅がないのでコートを選ぶのはほんとうに慎重になるけれど、店員さんと一緒に何着かコートをはおるうちに、これがほしいな、という1着をみつけて、さんざんに悩んで買う。


それからとうとう18時30分をすぎて、雨が夜空から垂れるひとつづきの糸のようにふりだす。ザ・スズナリへ。
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ワンピースのすそをふんづけないように気をつけて階段をのぼる。あっというまに客席は埋まり、満員御礼。
そこからはもう、なんというかみずみずしくてどきどきっぱなしだった。もうもどれない日々が、いつでも誰にとってもこんなにまぶしくて、いまとなってはくるしくて切ないのはどうして?そして、最近の毎日が、ありふれた陳腐なことのくりかえしに思えるのはなぜ?でもそこはロロマジック。青春のはかなさを、ポップであかるくすがすがしい群像劇へと昇華させるとともに、日常と地続きのところにドラマがあることを教えてくれる。江本祐介の音楽、いつも聴いているけれどやっぱり最高だ。まだまだつづくツアー、応援しています。

帰り道はロロの余韻で夢見心地、ふわふわと家へ着き、さっそくカネコアヤノのレコードをめりめり開ける。ジャケのマットなさわり心地、歌詞カードの写真、盤面のラベルにまで写真が入っていて、インナースリーブの内側にビニールがしっかり貼りつけてあるという、細部にまでこだわりをつくしたのがつたわってくる、手のこんだ仕様で感激。愛の結晶とでもいうべきか。
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聴いてみると、ああいいな、と思うひびき。アヤノちゃんの声、やっぱり林さんのギターいいな。1日あるきまわったからだにぐんぐんしみこむ。
B面の『やさしい生活』、アヤノちゃんの女性と少女をいったりきたりする歌詞、すきな子のひとり暮らしの部屋を、あるいは心のなかをふとのぞくような、いけないことをしているようなきもち、でもほんとうのほんとうのことは見せてくれるのかくれないのかわからない彼女、わからないわからない、そういう妄想さえもかきたてるような、匂いたつ彼女の色気に、わたしたちはとらわれているのではなかろうか。

カネコアヤノ『やさしい生活』

連休の今日だって、いつもどおりすぎていく1日と同じ、だけれど今日のことを、いつかおもいだしたり、わすれたりするのかな。このさきのことは今日と地続きなのだから、今日をがんばろう、そういう月並みなことをおもって寝た。

先週のこと

もうだいぶまえのことのようにおもえるけれど、先週、出張で静岡へいった。ひさしぶりの静岡、1日目はさくさくとおわり、上司はわたしをおいて帰京。2日目はひとりでむうむうとパソコンをみつめながら仕事をして、夕方には東京へかえってくるという、最近ではめずらしい、余裕のある出張だった。

初日に上司が帰ってしまったので、さてどうしよう、と考えたときにおもいつくのは、炭焼きレストラン さわやか。みんなたべている、さわやか。
ホテルですこし仮眠をとってから(気づいたら1時間半もぐうぐうねていた)、むっくり起きあがって、うしうしとローカル線の駅へむかい、ホームをまちがえ、次の電車は20分後で、改札の前のベンチにすわって、制服を着た高校生ぐらいの男の子と女の子が会話するのをながめていた。すずしい夜だったのでよけいに、うらやましいなとおもった。がんばれ野球部。

なんだかちいさい冒険みたいだった。出張おわりで、ホテルをぬけだして、ひとりで夜の冒険。ローカル線が町をあかるいライトで照らしながらがたごとすすむ。真っ暗な空と、ぽつぽつみえる灯り。駅のホームにとんと降りれば、はじめてふれるつめたい空気や、しずかさ、ホーム下の土や雑草の匂い。むこうにみえる「炭焼き」のネオン。

わたしもきちゃったよ、さわやか。まずはコーラ(とポテト)でカンパイです。ぷは。「カンパイドリンク」が100円(税抜)という超良心価格で感激した。これだけでさわやかにまた来たいよ。
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そして、でた、げんこつハンバーグ・・・!(じゅるる)
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黒々とひかる牛さんがどしっとすわった鉄板がかわゆい。

帰りの道は、ひたすらに「おいしかった、おいしかった」とつぶやきながら歩いた。夜のひとりのさみしさは、満腹でかんたんに埋めあわせられた。帰りの電車の窓に、顔がてかてかのわたしが映った。おなかがいっぱいでほくほくした顔と、いつも東京で着ている仕事用の服がすごくつりあっていないようにみえた。つかれていたけど胸がどきどきして、ホテルにかえるだけなのに揚々と歩いた。さわやかのことをツイートしたら友達がいいねしてくれて、そこから少しLINEをした。元気そうで安心した。その夜はまたぐうぐう寝た。

2日目、昼過ぎには仕事をおえて、すこし早いなとおもいながらグミを買ってこだまへ乗った。
もう夏はおわったなとおもいつつ、車窓から景色をぼんやり流しみながらHi,how are you?の『さまぁ~ぎふと』を聴いていたら、『メロン』の「君のことなんてわかりっこないけど 君のことばっか好きだ」という歌詞が、油断した胸にとすっと突きささって抜けなくなってしまった。反芻すればするほど、かえしのある棘のように深くはいりこんでしまってくるしくて、そのまま目をぎゅっとつぶった。わたしはこういう曲をいま、誰のことを考えながら聴いているのだろうかと、はたと考えて、思いうかぶすきな人の顔が、しゅわしゅわとうすく記憶から消えかかっていくのをみた。遠くにみえる、わたしと関係のない景色が、わたしがひとりであることをわからせて、ピアニカの音が細くなるとともに、潮がさーっと引いていくように、いろいろなことから目がさめるような気がした。

さまぁ~ギフト

さまぁ~ギフト


こだまとはいえ新幹線はあっというまに東京駅に着き、読むつもりで持っていっていた益田ミリの『今日の人生』は、バッグのなかからスーツケースのポケットへ移動させただけでぜんぜん読まなかった。帰ってきてから病院の待合室で読んだら、なんというか平板にみえることがぐっと奥行きをもったものにみえてきた。

今日の人生

今日の人生

そういえば出張のときに新幹線が止まってしまって、新神戸で何時間か待ちぼうけしたことがあって、その時駅のセブンイレブンで買ったのが益田ミリの『ちょっとそこまで旅してみよう』だった。電車がうごかないときに旅行の本をよむというのは、まあいまは止まってるんだけどね、とか思ってしまうけど、益田ミリの日常から非日常をのぞくまなざしがよいと思った。ちなみに読破しても電車はうごかず。


このあいだ久しぶりにココ池に行ったら、中川さんがブログ読んでますよ、といってくださって、めちゃめちゃにはずかしかった。スピッツの『名前をつけてやる』を買った。
f:id:slglssss:20170915003910j:plainこの猫がうちにくる日がくるとは思ってもみなかったな。

ココ池、お店のなかがオレンジ色の光で充満していてあたたかいきもちになるし、雑貨とかZINEとかかわいいし、いつもいい匂いがするからすきだ。すこし行かないあいだに、というか毎日どんどん移りかわっていて、季節のようだなとおもった。

9月のこと

9月は山吹色。aikoが『夏服』のジャケで着ている服の色。

相変らずむし暑くて眠れない夜だと思っていたのにぐんとすずしい。いそいで長袖をさがして着た。とみにベロア素材や光沢のある服が気になりはじめて、それから吉祥寺の駅前の果物屋さんでおいしそうなはりはりのぶどうをみつける。口のなかでぱりっと皮がはじけてじゅわっと果汁がでてくるのを想像する。いま冷蔵庫にはぶどうがはいっている。


土曜日、パルコブックセンターで本を買う。
最果タヒさんの新刊『愛の縫い目はここ』、これはすばらしいものだとわかった。繊細に編まれた一篇一篇、息をぶうっと吹きかければばらばらと崩れてしまいそうなほど絶妙なバランスでなりたっているようにみえて、大きなエネルギーをたたえて紙の上にどんといる。十分に余白をとった白いページの上に、吐息のようにやわらかく、針のように胸をさす言葉のつらなり。詩を読むときに、詩のまわりが真っ白というのがなにかとても大切だと思った。なにもなくて無音、そこで響く、はだかの言葉たち。ほんとうにうつくしい一冊だった。『海』と『スクールゾーン』が特にすきだ。

愛の縫い目はここ

愛の縫い目はここ

ちなみに縦書きは明朝体、横書きはゴシック体、文字割りもいろいろでおもしろい。表紙の細い糸がからみあうような絵や色使いがとてもかわいく、シュリンクがかかっていて中身がみられなかったけれどぱっと買ったのは、装丁がかわいかったからだ。すてきな装丁の本に出会うと、ああ、やっぱりわたしは紙がすきで、本がすきで、さわれるものがすきだなあと思う。あとで知ったけれど、このブックデザイナーは佐々木俊さん、ロロ『BGM』のフライヤーをデザインしている方で、なんだか世の中というのはつながっているなと感じた。


ロロ『BGM』といえば、東京公演をとてもたのしみにしている。『サマーバケーション』、ロロのメンバーの歌声がかわいいし、江本くん節が全開で、本番が待ち遠しい。
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もてスリム氏による三浦さんと江本くんのフィールドワークレポート、何度読んでも、なんだか不思議な物語のようだなと思ってしまう。カーナビに導かれて遠回りした先で一面の菜の花畑にたどりついたとか、三浦さんが住んでいた団地に行ったとか、ハイハワ原田さんと錦鯉の品評会に行ったとか、三浦さんが柴田聡子の『後悔』みたいなMVを撮ったとか、どれもよくできすぎていると思うくらいだ。6日間東北を巡ったフィールドワークレポートをつうじて、もてスリム氏は

きちんと計画を決めないまま始まったフィールドワークだったが意外とどうにかなるもので、誰かの記憶を辿るような毎日が続いている。誰かの話を聞きながらその土地を巡るというのは普通のことのようでありながら不思議なことでもあって、薄っすらとお互いの記憶をシェアして混ぜ合わせているような感覚が生まれるのだ。

と振り返っている。

わたしたち、しらない誰かの記憶について、しったような気持ちでうれしいとかかなしいとか思ったりするし、誰かの記憶が自分の記憶と混ざりあっていくとき、その人のことをすこしわかったような気持ちになる。ほんとうはわかりあえることもないのかもしれないけれど、でも記憶を共有しているということが、わたしたちを橋渡しして、今日もつながっている。

劇中で使われる音楽は江本くんが作曲していて、最近は小杉湯のライブでよく歌っている『海に着く前』がとてもすきだ。
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小杉湯では江本くんがひとりで歌っているけれど、これは三浦さんと江本くんが掛け合いで歌っている曲。

「ねえ、いますぐいい音楽を作ろう」

「だったら海を目指さなくちゃ 海を目指す歌はどれもキラーチューンだってしってる?」

「海にたどりついちゃいけないの?」

「海にたどりつくまえの、その直前をうたわなくちゃダメだよ」


それから、ぼくたちは、ギターと陽気だけしかもたないで、1番近くの海をめざして走り出してゆく


「あ、海がみえてきた!」


「って君がいった瞬間にほんとうにキラーチューンは生まれた」

フィールドワークレポートによると、山形県の旧県庁舎である文翔館の前でつくられたらしい。つぶやくようなふたりの歌声、ぽつぽつ会話をしているのを横で聞いているみたいな気持ちにさせられる。「海に着く前のことを歌った曲は大体名曲説」という江本くんの主張、笑ってしまったよ。ちなみにもう1曲公開された『夜の雨に流れる歌』、にやにやした。やられた。
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正直なところまだまだじゅくじゅくとした気持ちでいて、夏は暑くてすきじゃないけれど、暑さのあとの涼しい風はとてもすきだった。去年は10月に京都に行ったときでさえまだ夏のような気がしていたのに、もう今は、べたべたした気持ちを思いだせない。髪が少しずつ伸びる、つるべ落としの秋の始まり。