磨硝子日記

すりがらすのブログ

ワクチン接種1回目のこと

このブログに書かれていることは個人の経験です。
ワクチン接種後の副反応には個人差があるかとおもいますので、あくまでもご参考程度にお読みください。


7月にはいり、新型コロナウイルスのワクチン接種をうけた。前の日にSAKA-SAMAの寿々木ここねさんがインスタに書いていたように、接種後はすぐに帰宅し、メイクを落とし、風呂にはいってパジャマを着るのだと意気込んで、都内の貸し会議室へむかう。職域接種だったのだけれど、誘導スタッフの方がコールする社名をざっと数えただけでもおよそ10社ぐらいから人が集まってきているのがわかった。スーツやオフィスカジュアルに身をつつんだしらない人たちがみな一様に不安そうな、少なくともたのしそうではない顔をして、ぞろぞろと廊下の壁に沿って並び、整然と歩みをすすめていくさまをみていると、これから何が起こってしまうのだろうか、想像できないようなこわいものを味わってしまうのではないかとおもう妄想がどんどんと大きくなっていった。


問診室に近づくにつれて、口の中が苦くなるような心地だった。わたしは注射が苦手だ。雷の音や強い光、テレビ番組のドッキリ、電車がホームを通過するときのファーーーーーンという音、隣で誰かが怒られているとき、世の中に耐えがたく嫌いだとおもうことがいくつかあるのだが、注射もそのひとつなのだ。子供のころから嫌だとおもっていたことはたくさんあるけれど、注射については、大人になって頭で「苦手」を判断できるようになってから余計に拒絶反応をしめすようになった。特に数年前、会社の健康診断で採血をして気分が悪くなったのをきっかけに、はっきりと「注射をするのは緊張する」とおぼえてしまい、それ以来、採血でも注射でも必ず横になった状態でやってもらうようにしている。

でも今日は、健康診断の採血や、年によって受けたり受けなかったりしているインフルエンザの予防接種ではない。たまたま転職した会社でタイミングよくもらった職域接種の機会なのだ。ワクチン供給にともなう政府の対応やそれについての発言にはまじで何がどうなってんのとおもうばかりなのだが、こうしてワクチンを打てるのは、そんな政府のもとでもたくさんの人がはやくワクチンを打てるようにと手を動かしてくださっている人たちのおかげだろう。ワクチンをいつまでに、どれくらいの人たちに打つとかいいながら、やっぱり足りないのでストップストップといってみたりする、もしかしたらそう発表するしかない事情があるのかもしれないけれど、結局はそうやって国民を混乱させHPを奪っていくような政府ではなくて、今このときも、ワクチン接種会場で接種をしつづけ、また会場の人流をととのえ、あるいは市町村にワクチンがいきわたるよう手続きをすすめる、市井の人たちに感謝している。そういう人たちのはたらきの上にわたしはここへこられた。とにかく、はやく接種を終えたい。


列はすすむ。滞りなく問診室へきた。問診ブースは1部屋に5個か6個くらいあっただろうか、前の人がでたらすぐにそこへはいるよう誘導される。わたしの前にも後ろにも列はつながっている。みな問診ブースへすっとはいり、表情をくずさずにでてくる。つよい。わたしも同じように、何食わぬ顔でブースへはいり、心配なことはありませんと伝えてでてこなければ。2列になって待機していると、前に立つ男性が振り返り、斜め後ろの同僚とおぼしき女性ににこっと笑いかける。女性もまたにっこりと笑いかえす。わたしは心ぼそくなった。

問診で、お医者様からワクチン接種の説明を受けた。お話を聞きながら、わたしの悪いくせなのだが、この方はこの説明を、1日にいったい何度しているのだろうか、ほんとうに尊敬するな、などと考えていた。優しいお話のしかたに、いくぶんか胸のあたりのつまりがゆるむような気もした。利き腕を訊かれ、一瞬固まったあと、右です、と答えると、お医者様は、では左腕に打ちますね、といって、A5の半分くらいの紙にゴシック体で大きく書かれた「左」に丸をつけた。予診票とその小さな紙をもち、わたしはおもったより普通なふりをして、問診ブースをでた。


また廊下の列の最後尾にならぶと、むこうから接種を終えた人がこちらへ歩いてくる。ある人はすずしい顔で、ある人は何か不思議なものでもみたような何ともいえない顔をしていたが、いずれにせよ痛そうでもつらそうでもない。すごい。ふたたび喉のあたりがつまるような感覚をおぼえ、唾液を飲みこもうとしてみたり、口のなかで舌が上顎につく感覚を確かめていた。緊張している。こわい。でもためらう時間はない。ほとんど止まることなく、一歩ずつ接種室へむかってすすみながら、ああ痛いのかな、筋肉注射って痛いっていうよな、でもコロナワクチンの針はまじで細くてチクッとも感じないくらいだとも聞くし、あと終わった後に副反応がでたらどうしよう、だるいってどのくらいだるいの、だから今日は帰ったらすぐにメイクを落としてお風呂だ、そしていつでも寝られるようにして、明日は土曜日だし家でネトフリみよう、ああもう順番がきてしまう、そんなふうに、今考えたところでどうにもならないけれど、注射のことを考えるよりは気がまぎれることで頭を満たした。

接種室はとても静かだ。列に並んだ人たちが整然とブースに案内されていく。ついにわたしの番がきてブースに入ると、こちらにもまた優しい医療スタッフの方が座っていた。一方のわたしは誰がどうみてもわかるほどにはがちがちに緊張していたのだが、この方に余計な迷惑をかけないようにと、つとめて明るい声で応対した。椅子に腰かけ、canaで買ったお気にいりの猫Tシャツの袖を肩までまくり、ブースの壁に目をやっていると、ほどなくしてアルコール綿のひやりとした冷たさの後に、ほんとうに細い細い尖ったものでチクッと刺された感覚があった。背中のあたりに何かがさーっと走っていくような気がした。なんだ、これなら痛くない。採血より、インフルエンザの予防接種よりも断然ましだ。安堵がじわりじわりと胸のなかに広がっていく。接種記録をつけていただいた予診票をもち、接種後に15分ほど休憩して様子をみるための待機室へむかう。


ほんの15秒ほどだっただろうか。おや、何かがおかしい。気もちがわるい。視界が左右にぐわぐわと大きく揺れる。血の気がひいて、立っているのがやっとだ。こわい。腕をだらんとさせ、持っていたトートバッグの底を少し地面につけ、前かがみになって呼吸をととのえる。あと2人、わたしの前の人がこの予診票を提出するのを待たなければ、列の真ん中でいきなり倒れるわけにはいかない。わたしはこんなときにも、なぜか冷静に、どうふるまえばよいのかを考えていた。受付の番がきて、さっと予診票を手渡した後、気分が悪いです、と声を絞りだした。受付のスタッフの方が、気分が悪いって!というと、待機室の入口に座っていた看護師の方が飛んできてくださって、わたしは腕を引かれ、パーテーションの中のベッドに寝かされた。

看護師の方が血圧を測ってくださると、70ほどしかなかったそうだ。脂汗もびっしょりかいていたらしい。後から調べてみたのだけれど、注射をした後に血の気が引いてめまいや立ちくらみに見舞われる症状には、血管迷走神経反射という名前がついているのだそうだ。わたしの体に起こったことがそれなのかどうかは正確にはわからないのだけれど、これはおそらくワクチンが体にあわなかったのではなく、極度の緊張状態で注射をし、急に気がゆるんだという環境の変化の大きさに、体がついていけなかったのだろうとおもう。天井をみていると、ああもう注射は終わったのだ、全然痛くなかった、でもこんなことになってはずかしい、わたしって血圧低すぎるな、などと、水面に泡が浮かんできてははじけるように、色々な考えがでてきては、ふっと消え、また次がわきあがってくる。頭の中でしばしそんなことが繰りかえされるのをぼんやりと眺めていると、そのうちに看護師の方が声をかけてくださった。ゆっくりと上体を起こし、なぜ今日にかぎってこれを履いてきたのだとおもいながらオールスターの紐を結びなおし、パーテーションの中からでる。安心した、はずかしかった、こわかった、それぞれの気もちが胸の中の場所を取りあうようにむくむくと大きくなって、半べそをかきながら帰った。


予定どおり、帰宅してすぐに風呂をすませ、腕があがるうちに髪をドライヤーで乾かした。これで副反応がでてきても大丈夫だ、そうおもいながら夕食の準備をしていると、腕は少しずつ痛みだし、体がほんのりと熱をもちだした。脳みそと体をつなぐためにきびきびとはたらいている何かが急に機敏さを失い、少しずつ判断力がにぶくなっていくような、ぼんやりとした心地になった。腕の痛みは、かつて親知らずを抜いた後にしばらく続いた、あのひとりでに鼓動を刻む患部のどくどくと脈打つものに似ていた。

寝る前に、接種会場で気分が悪くなったことをおもいだして、やっぱりはずかしくなった。はずかしいときに優しい言葉をかけられると、ありがたいのだけれど余計にはずかしい。いい大人がこんなに痛くもなんともないワクチン接種でめまい、と事実をかみしめて、まあしかしわたしにとっては「たったこれだけのこと」がいつでもおおごとなのだとおかしい。

腕の可動域は翌朝にもっとも狭くなって、体に対して30°から45°ほどしかあげられなくなっていた。床と水平になるまであげることもできず、おもわず「手旗信号」と検索して、今どの信号ならできるだろうかと考えてみたりもした(なおやったことはない)。体は前日よりもどしんと重くなったような感覚で、今日何かに手をつけようという気にはなれないくらいにはだるかったけれど、幸いにして発熱はなく、気もちは落ちついていた。左側に寝返りを打てないので、ベッドに横たわり、自分の顔の右側にiPadを置いて、ひたすらにYouTubeやらNetflixやらで動画を見て過ごした。あと1回、今日と同じように接種をするのだということを、頭の隅の隅の方へ追いやりながら。