磨硝子日記

すりがらすのブログ

シャムキャッツ『Friends Again』のこと

1年前の今ごろ、EP『マイガール』の発売と自主レーベル TETRA RECORDSの立ち上げが発表された。わたしはただのリスナーなのでバンドになにが起こったのかわかるはずもなかったけれど、なにか重大なことが起こってバンドの流れが変わろうとしているのはわかったので、去年の7月はできるかぎり夏目くんの弾き語りやトークショーへ行って、少しでもレーベル立ち上げについて語るんじゃないかと、言葉の端々をつぶさに聴いていた。しかしながらご存じのとおり、漢のなかの漢 夏目くんは、あまり多くを語らなかった。

そして発売された『マイガール』、吉祥寺スターパインズカフェでの「TETRA RECORDS presents ワンマン公演『ワン、ツー、スリー、フォー』」をはさんで、秋にでたEP『君の町にも雨はふるのかい?』を聴いて思ったのは、バンドがとても生命力にあふれている、ということだった。野性味、力強く生きていこうとする意志、汗くさくて泥んこの感じ。夏目くんのストーリーテリングが魅力的なEP表題曲『君の町にも雨はふるのかい?』を聴いてみても、『AFTER HOURS』『TAKE CARE』を聴くときの、手をかけて製本された、水彩画のうつくしい絵が描かれた絵本を1ページずつ丁寧にめくるような体験とはまた違うのだった。そのことは『すてねこ』を聴けばあきらかだ。


シャムキャッツ - すてねこ (Music Video)

はじかれたピクルスのような すっぱい俺にかじりついて
まん丸の目で喉を鳴らす 事務所に履歴書でも送ろうか?

転がって転がって転がって息を切らすだけ
引っ掻いて傷つけたくせに悲しい顔して泣いて眠るのだ

転がって転がって転がって転がって転がって
引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いて
牛乳飲んで 大きくなって 好きに遊んで 好きに眠るのさ

バンドの人生を大きく変えるできごとへの動揺と、どこかふっきれたように前を向いて進もうとする力強さ。その狭間で揺れうごく感情。いまから思えば、前作のアルバムと今作の過渡期といえるのかもしれないけれど、とにかく2枚のEPはすべてばらばらの曲で、そのことは『AFTER HOURS』『TAKE CARE』で知っている“コンセプチュアルなシャムキャッツ”とはあまりにも違ってけっこう驚いていたというのが、わたし個人として、いま言える本音である。

そうして今回のアルバム『Friends Again』の発売を知る。夏目くんは去年の夏ごろから、アルバムを出しますと言っていた気がする(早い)。突如アップされたTeaserと、スカイブルーのシャツを着た4人。
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意味深に小出しにされるTeaserにはすこしじりじりしたけれど、メンバーの口から語られるこのTeaserをみて、なにかぴんときた気がした。

シャムキャッツ - New Album『Friends Again』Trailer: New Standard
そうか、「New Standard」か。

アルバムタイトルの『Friends Again』は、いろいろな意味にとれると思う。メンバーもいろいろなところで、このタイトルがどういう意味なのか聞かれていると思うし、そして答えるのむつかしいと思っているんじゃないかと、勝手に想像している。ただ、単に「友達に戻りたい」とかいうわけじゃないと思う。

そうしてわたしなりに考えてみたけれど、たとえば、軽音楽部で友達同士あつまって初めて音を重ねるような体験を、大人になった4人がもう1度やってみようという意気込み、というのはどうだろうか。自分は自分のパートを全うする、そうして4人の音を束ねて、1つの音楽をつくる。誰が欠けてもいけない、4人でひとつという最小単位で、こんなにもできる。シャムキャッツが今作で言いたかったことはそういうことなんじゃないかと思う。

それは夏目くんが他の3人と同じ青いシャツを着ているというところにも表れていて(半袖なのはなんというかきっとビジュアルのバランスの問題で)、今までの“夏目くんがぐいぐいひっぱるシャムキャッツ”ではなくて、夏目くんが歌とギターという「パート」を担当していることを象徴しているのではないかと。菅原さんが3曲歌っている、それも、ありふれた日常へ愛あるまなざしを注いだ『Four O'clock Flower』と、日常の景色と文学的な表現が交錯する『Riviera』という対照的な2曲、それに『Ground Scarf』という原曲をもとに夏目くんと共作した『October Scarf』。シャムキャッツは夏目くんと菅原さん、どちらも歌うんだなと思った。

ゆうちょ銀行TVCM メイキングムービー

わたしはいつも、初めて曲を聴くときはかならず歌詞カードをみている。今作は歌詞がとても良いと思った。
誰がなんと言おうと傑作、菅原さんの『Four O'clock Flower』『Riviera』、胸きゅんの夏目くん節が炸裂している『Funny Face』『Lemon』、MVが公開された時から話題になっていた『Travel Agency』。

シャムキャッツ - Travel Agency (Lyric Video)

明日風が吹いたら 西でも東でも
なんとなく行きたい方へ あったかそうな場所へ

君だって思うだろう もっと楽しくなるよ
恋人に触れるように 暗闇に手を伸ばせ

「スケベでいたいね」というキラーフレーズにしびれるのはもちろんだけれど、そもそも『Travel Agency』って旅行代理店である。旅の行き先を指し示してくれて、できるだけ良いほうへ導いてくれる案内役である。最初に公開されたこの曲のMVが、なにかこのアルバムの行きたいほうへとリスナーを導いていく役割を担っているような気がしてならない。

今作を聴いて、なにげない日常の景色を、愛情や友情を、こんなにもうつくしくさらりと切りとれるバンドはシャムキャッツしかいないと確信した。これを書くための羅針盤としたMikikiのインタビューでの、夏目くんの言葉がとても印象的だ。

夏目「〈Friends Again〉は〈友達同士のバンドとして曲を作ろうぜ〉というテーマでもありつつ、もっと最大公約数的な言い方をすると〈いちばん近くの人のことをちゃんと見てみよう〉ということなのかなと思うんです。隣にいる人のことでさえ、何を考えているかわからない時代だから」

手を伸ばせば触れられそうなほど、まつ毛の先まで見えるほど、近いところにいる「隣の人」。ありふれた日常のなかで、近くの人を見つめよう。肩の力を抜いて、シャムキャッツがわたしたちに語りかけてくれる。

mikiki.tokyo.jp

シャムキャッツ - Coyote (Music Video)

6月のこと

梅雨らしくない日が続いている。毎日晴れるなあと思うけど、身体はなんとなくだるくて、頭はいつもどおりぼんやりしている。そんな折に、イヤフォンの片耳が断線して、聞こえなくなってしまった。EMCのたのしいかけあいが半分しか聞こえない。しかたなくAmazonをひらいて「イヤフォン カナル型」などといろいろ検索してみるけど、わたしはオーディオ機器にめっぽうよわいので、レビューを読んだところでぜんぜんわからない。とりあえず、そんなに高くなくて、断線しなければいいやと思って、普通のを買った。自分のぼんやりさにはすこしあきれる。

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3日、下北沢SHELTERへ、ラッキーオールドサンのレコ発ライブ。ワンマンをみるのは初めてだったのだけど、この日は篠原さんがけっこうMCをしていたと思う。ツアー中なので詳しい内容はひかえるとして、大傑作の2nd『Belle Époque』の曲も、もちろん今までの曲も、すばらしいバンドの演奏に彩られて、もうとにかく胸いっぱいに空気を吸い込んで深呼吸したようなすがすがしさだった。ナナさんも篠原さんも、物腰のやわらかさからは想像できないような秘めたパンクロックの精神で全編を駆けぬけていて、バンドのみなさんも魅力全開で、最高にかっこよかった。篠原さんが最後のMCで「歳をとって声が出なくなっても歌い続けたい。そして、もしそうなったら別の方法で、今までを超えるすごいものを出していく」というようなことを言っていて、ナナさんもそれにうなずいていたのをみて、しびれた。ラッキーオールドサンは“青春ポップデュオ”だけどそれだけじゃない、なにかこう、とてもロックしている。すごく尖っている。決して外からは見えないけれど、たしかに中で滾っている。このワンマンを見ていちばんそのことを感じて、これからもラッキーオールドサンを聴きつづけたいと思った。


11日。生まれてはじめて整体へ行く。仕事でお世話になっている人に「最近はハイヒールを履こうと思ってるのです、えへへ」と話したら、「ハイヒールはまず姿勢よ」と猫背のわたしの脇の下のあたりに手を当てて、ぐいと正す。するとその人が「あら、あなたむくんでるわよ」と言うのであった。脚のむくみは気になったことがあったけど、脇の下がむくんでいるのらしい。その人曰く、梅雨の時期は低気圧で、身体のいろいろなものの巡りがわるくなるのだそうだ。たしかに疲れやすい。「体調がわるいときには、薬とか飲む前に、まずマッサージよ」といわれ、ほう、と思ったのであった。
わたしはおそらく疲れが原因で、月に1度体調を崩す。ライブはなるべく土曜日か日曜日の早い時間に行くようにして、週末はできるだけ体を休めるようにしているけれど、どうにも調子がわるいことがある。もしかしてそれは、むくみと関係あるのか?でもむくみってぷよぷよすることでしょ?とよくわからないままではあったけれど、とりあえずむくんでるままというのもよくないと思って、ホットペッパービューティで検索である。「整体 むくみ」「整体 リンパ」などと検索して、近所の整体院をみつけた。
そこからはもうほとんど、群よう子の『ゆるい生活』よろしく、リンパをながしたわたしの身体は突如としてさっきまでとはちがう輪郭を現して、あれ?わたしは鳩胸だと思っていたけど、この鎖骨の下の平らで急な胸板はむくみのせいだったんですか、というか鎖骨ってこんなに前から見えるもんなんですか?あと背中の羽二重餅もなくなってます、などと、担当の整体師さんにまくしたてる始末であった。整体師さん曰く「首がやばいです」とのことで、なんでも鎖骨の下に指が入らないほど固まっているのらしい。「鎖骨の下に大きな血管があって、そこからリンパが流れていくので、ここが詰まっていると・・・」といわれて、おぞっとした。それと整体師さんに「頭、いたくないですか?」と聞かれて、「え、はい、いつもいたいです」と答えたところで、はっとした。頭がいつもいたい、それって異常事態ではないのか。仕事中はほぼパソコンを見つめているし、休んでいるときも通勤中もiPhoneの画面を見つめている。それに加えて梅雨時だから、なんとなく頭がいたいのは仕方ないことだと思っていた。でも、ふつうに考えたら、「いたい」って決して身体にいい状態ではない。仕事をしているとどうしても無理のきく身体になって、少しくらいの寝不足や頭痛やだるさなら、なんとか栄養ドリンクを飲んでやりすごしていたけど、そういうことの積み重ねが身体に老廃物などをためていくのらしく、ひいてはむくみになるのだそうだ。身体にいいことばかりをしてもいられないし、多少無理をして仕事をしなければいけないときもあるけれど、月に1度くらい来るといいですよ、とのこと。それから鎖骨の下と、膝の裏と、足首を、デスクで気づいたときにぐっぐっと押してマッサージすること。これだけでむくみ予防になるらしい。いま会社の同僚からは、やたらに首元やら脚やらをさわりながら電話しているやつだと思われているに違いないけれど、わたしはまっとうにリンパを流しているのさ。

ゆるい生活

ゆるい生活


f:id:slglssss:20170618233030j:plain18日。高円寺小杉湯にて、フォークバンケット。EMC江本くんと、シャムキャッツ菅原さん。
江本くんがいつも1曲目に歌うソロの曲、もう何度も聴いているのにタイトルをしらなくて恐縮なんですが、あの曲のこと、とてもすきだ。あの曲はどこで聴いてもすてきなのだけど、小杉湯のお風呂リバーブがかかるとさらに最高なのだ。小杉湯でゆっくり時間がながれる様子と、江本くんのやわらかい人柄に、とても合っていると思う。今日は東北でロロの三浦さんと作った曲、山形でHi,how are you?の原田さんと作った曲など、東北シリーズの曲がすばらしかった。1曲ずつ、作曲の経緯などを話してから歌うという形式もよかった。『ライトブルー』何度聴いてもいいな。音源もいいし、弾き語りもいい。江本くんの青春に対するまなざしってすごく、胸がぎゅっとする。青春へのあこがれと、思い出と、未練みたいなものがないまぜになっているような。これの7インチを手に入れられなかったことをずっと悔やんでいる。
菅原さんは、終始お風呂に張ってあるお湯で「茹だっちゃった」と言っていた。『オブリガード』、お風呂リバーブのおかげで、お風呂場のなかにひとつひとつの歌詞が浮かびあがるようだった。お風呂場の蒸気と相まってすごくほわっとあったかくなった。来週発売のアルバムから『Four O'clock Flower』、これはもうはやくアルバムがほしい。歌詞がすばらしかった。「春の風が伸びすぎた前髪の長さを教える」とはじまる、オシロイバナをめぐる、こんなにうつくしい曲。歌詞が聴いたままなので間違っているかもしれないのですが、とにかくはやく歌詞カードをみながら聴きたい、はやくはやく。『Riviera』、こちらはMikikiのインタビューにもあった、夕陽をみたあとに作ったという曲。そういえばMikikiのインタビューがすばらしかったな。mikiki.tokyo.jpリリースされたらこのインタビューを羅針盤に、何度も何度もくりかえし聴こう。『Friends Again』。
ちなみに江本くんと菅原さんでゆずの『友達の唄』をハモるというのがあって、それがなんかすごくよかったんですよね。ハモるっていいですよね。
小杉湯をでたら、ぽつぽつと雨が降りはじめた。商店街にでるころにはざーっと降りはじめて、前を歩いていた女の子たちが「ゲリラ豪雨だ!」ときゃっきゃいいながら駅へ向かって駆け出した。さっきまで湯気のなかでぽわぽわしていた頭で富士山をみつめていたのに、急にワンピースに雨が跳ねかえることが気になりはじめる。現実にぎゅんと引きもどされて、ココ池へ行った。ずっとほしかった図書館のLPを買って帰る。

(6/21追記 『Four O'clock Flower』の歌詞が間違っていたので訂正しました。失礼しました)

ハイヒールを履く日

このごろハイヒールを履いている。かかとの高さは7.5センチ。通勤用としてはすこし高めのヒールだと思う。もっぱらフラットシューズで通勤していたけれど、なんでか、これではいけないと思って、アダムエロペへ行ったのだった。
そう、前にお店で見たとき、店員さんに「これなら走れますよ」といわれて、ほう、と思ったのだった。別に走らないけれど、走れるくらいなら、歩くのは余裕で歩きやすく、そしてクッション性にもすぐれているというから、きっと、夕方に足が痛くなりにくい、そういうことなんでは、と期待した、ほんのり。
ハイヒールというのは、きちんと自分の足にあうサイズを選んだとしても、どうしたって足の裏に負担がかかっているのは間違いなく、特に長い時間履いていると、足の裏の、つま先立ちをしている時に地面についてふんばっているところが痛くなる。つま先立ちを1日しているみたいなことといえば、ハイヒールを履かない方にも伝わるだろうか。
だからこう、ハイヒールはかならず足が痛くなるもの、と思っているわたしにとっては、走れますよとか、クッション性にすぐれてますよ、といわれると、すごく、急に心づよいし、きっとみんなそう思っていると思う。実際、そういうことをうたって、ほんとうにそうなのかはわからないし、足の形があわなければ、機能のよさは感じられないと思うから、なんというかむつかしくて、そんなに全面的に信じているわけでもないけれど、でもやっぱり、「いかにこのハイヒールは足に負担がすくなくなるかに心を砕いて作られているか」ということをうたってあると、なんか、そうなのかなと思う。
というわけで、ハイヒールを履かないわたしも、このハイヒールのことはなんだか頭の片隅にはあって、「そうだ、ハイヒール履こう。」よろしく、思いたって買いにいった次第なんであった。

そもそもどうして、ハイヒール。それは、なんというか、「かっこつけるきもちよさ」を、久しぶりに味わいたいと思ったから、というのがいちばんの理由である気がする。
ハイヒールを履く。すなおに、ぐっとかかとを上げて、すこしだけ高いところから、いつもと同じ景色をみる。そうすると、背筋がしゃんとまっすぐ伸びて、目線が上がって、遠くまでよく見えて、目の前にある世界がじつはこんなに広くて、それまでは見えていないものばかりで、でもここからは、こんなにたくさんのものが見える。胸のなかを、新鮮な風が通りぬける。とにかく胸をむんと張って歩きたくなる。そういう、すこしだけ背伸びをするときの、いまわたし、かっこつけているな、きちんとしようとしているな、と感じる、すがすがしさ。凛とする、すっきりしたきもち。そういうのを、きちんと味わいたい、それも特別な日ではなくって、毎日の通勤の、いつも通りの日に。

たとえば今朝、髪をきれいにととのえたとき、おろしたての白いシャツに袖をとおすとき、赤い口紅をつけたとき、いい時計を身につけたとき。これで今日1日をがんばろうと思うような、少し胸がどきどきして、体中に力がみなぎるような、そういう感覚はありませんか。わたしは、けっこうそんなことばっかりで浮かれています。いつまでも何度でも、新鮮でみずみずしいきもちで、今日をがんばる、また明日もがんばる、ときたま休んで、また、気が向いたらちゃんとかっこつける。最近なにかとあわただしくて、「かっこつける」ことを忘れていたな。かかとの高い靴をわざわざ履くのはどうしても面倒くさくて、毎日らくちんな靴ばかり履いていた。そしたら、もうほとんど、足の裏でべたべた歩くようになってしまって、このままいけば足が地面にめりこんでいたのじゃないかという勢いであった。もちろん、全然調子のわるい日もあって、むしろそんな日の方が多くって、いろいろなことを、どうでもいい、すべて投げ捨ててしまいたいと思うこともあるけれど、なんとかこらえて、またハイヒールを履けば、すこしだけ、つよくなれる。胸のなかに新しい空気をたくさん取りこんで、かかとを鳴らして歩こう、そうすれば、なかなか、楽しいものである。

わすれたいことをわすれたいときに

わたしはお酒がのめない。
もともと、お酒をすごくのみたいと思ったこともなかった。成人のお祝いにもお酒を口にしなかったくらいだ。
大学生の時、飲み会ではだいたい1杯目にカシスオレンジをのんで、そのあとはずっとコーラやウーロン茶をのんでいた。そのうちに1杯目からウーロン茶を注文するようになっていった。単純に、自分はお酒がつよくないと感覚的に思っていた。ひとくちのんだだけでかーっと顔が熱くなって、次に目の奥が熱くなる。そこから開放的な気持ちになったり陽気になることはなく、すぐに胸がどきどきして気持ちわるくなる。で、眠くなる。友達といるときなら、しずかにすうすう寝ていることもできるけど、会社の人といるときに寝ることもできないので、会社にはいってからはますますのまなくなった。それと、もうひとつの理由としては「カシスオレンジ」をたのむのがはずかしいというのがある。まずビールをたのむのがなんとなく定番なのはわかるけれど、いまにいたるまでビールは2回しかのんだことがなく、味はよくわからない。まだおいしいと思ったことがないから、なにかジュースみたいにあまいのがいい。ビールで!と同じくらい、どこの居酒屋でもだいたい通用するのはカシスオレンジのような気がする(すりがらす調べ)。でもみんながビールなのに、か、カシスオレンジで!と発言するのもはずかしいし、そもそもカシスオレンジをわざわざ注文するのは、なんかこう、かわいい飲み物だから、わたしと不釣りあいだなと思えて、さらにはずかしい。ちなみに味はあまくておいしいと思っているけど、食事にはあんまり合わないと思う。

はじめて食事に行く人に、お酒飲める?とかお酒すき?と訊かれること、よくあると思うけど、わたしはきまって「わたしほんとに、1滴ものめないです」とこたえることにしている。正直いって、「1滴も」というのはいささかおおげさだけど、はじめて食事に行く人の前で眠りだしても迷惑なので、そう答える。べつに、お酒をのんで眠りこくったことがあるとか、べろべろによっぱらって失敗したとか、そういうことはただの1度もないし、眠くなったとて本気で寝たことはない。わたしはのめないですけど、あなたはのんでください、というかんじで、お店は居酒屋のほうがむしろ気楽でよくて、相手の人がお酒をのんで赤くなったりたのしそうになっていくのをみているのが、なんでかたのしい。自分の悪趣味さにはあきれるけれど、しらふのわたしの前で、普段はみせない、ゆるんでいくところをみせてくれるのはうれしい。ほろ酔いの人をみながら、内心どきどきしている。

ライブの時も同じで、ドリンクチケットで引き換えるのはきまってコーラである。そう、あのノズルからしゃーっとでてくるコーラである。常温のコーラでカップにセットされた氷がすこし溶けて、氷のまわりだけがつめたくなったコーラを、ライブハウスのはしっこで背中をまるめてすすっている。神保町試聴室にはお酒以外にハーブティーが何種類かあって、1杯目のお湯がなくなったら足し湯をしてくれるので、よくのんでいる。ばんざい。
でもみんながのんでるハイネケンは、緑のボトルがかっこよくて、うらやましい。ライブのときは、ちょっとだけお酒をのんで、ほわほわした頭でゆらゆらゆれてみたら、気持ちいいのかなと思ったりもする。夕方の野外フェスですずしい風にふかれたり、くるくるまわるミラーボールをみながら、音楽を聴いて、いい気分になれたらいい。しかし、そんなにつよくもないお酒をほんの少ししかのんでいなくても、次の朝、体が鉛のように重くて起きられない。ひとときの気持ちよさが、半日ぶんの後悔になることを考えて、しゅわしゅわと炭酸をのむ。半分くらい、たのしみきれていない気がするけれど、最近ではお酒の力なしで、音楽を聴いて、酔っぱらったときのようなふわふわの心地になれるようになったので、なにごとも鍛錬だなと思う。

お酒をのむとはどういうことだろう。わたしの体はたぶん、アルコールをうけいれてくれないと思うし、このさきも無理してお酒をのめるようになろうとは思っていないのだけど、お酒をのめたなら、たまにのんでいると思う。じつはこのあいだの出張で、ホテルの部屋にひとりでいるとき、どうにもこうにもお酒だ、と思って、コンビニへ買いにいく寸前であった。結局、明日の朝起きられなかったら最悪だから買わなかったけれど、なんだか、すこしあたたかくてぼんやりした頭になりたかったんだと思う。たとえば長い休みのあいだや旅行先でならほんの少しのむこともあったから、とにかく翌朝のことを考えずにいい気持ちで眠りたいときには、のんでみたらいいのかもしれないと思う。そうすると、なにがいいのか、といえば、きっとやっぱり、なにかわすれたいことをわすれられるんだと思う。明日のことや昨日のこと、見つめる先の現実とも切りはなされて、わたしはほかのなんでもなく、ぼんやりとしたひとりのわたしになる。やりのこした仕事も、ほれた人の記憶も、ぜんぶうずまき状にぐるぐるになってわたしからはがれて、目がさめたら、うずまきは元どおりになって、再びわたしのまわりにぴったりとまとわりついている。わたしは部屋のなかにぽつんといる。あまやかな気持ちよさのあとに、後味のわるいだるさがやってくるのが、とてつもなくわるいことをしたような気がする。
そんなわけで、わたしはお酒がのめない。

柴田聡子『愛の休日』のこと

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最近はもっぱら柴田聡子の『愛の休日』を聴いている。もうずっとずっと待望していたので、毎日、朝の1曲めを『スプライト・フォー・ユー』ではじめられるのがしあわせだ。

『ゆべし先輩』のMVは全編うすぼんやりかすみがかった映像で、先輩と柴田さんが半分夢のなかにいるような感じでよかった。柴田さんが神保町試聴室で先輩を想いながら歌うシーンをみて、次回試聴室行ったら絶対にこのシーンのこと思いだすだろうなあと思った。

柴田聡子「ゆべし先輩」(Official Video )
ところで、ゆべし先輩って、わたしはずっと男性の先輩だと思いこんでいた。どんくさくて、なんでか目がはなせない先輩。先輩ががんばっているところ、誰も気づかないかもしれないけど、わたしはこっそり見ているよ、いつもかっこいいです(だからぷにぷにさせてほしいな)、みたいな先輩。だから藤村さんがほんとうにすばらしい先輩の演技をしてくださって、感動した。先輩はテニス部に入り直して大正解だ。先輩と柴田さんが、最後、放課後の誰もいない教室で何話したのか、どうなったのか、そんなことをいうのが野暮なのはわかっているけれど、気にせずにはいられなかったな。残業終わりに、提灯のあかりに照らされた桜並木の下を歩いていく先輩、くるしくてすてきだった。せんぱ~~~い。

あと、柴田さんのライブによく行かれている皆さまにおかれましては、『後悔』って、このアルバムのなかでいちばん、大化けしているといっても過言ではない、すんばらしい曲だと思うのですが、いかがですか、最高ですよね。

柴田聡子「後悔」(Official Video )
試聴室で聴いているときから、バッティングセンターでスイング見て抱きしめたくなっちゃうっていいなって思っていたけど、最初から最後まであらためて聴いてみたら、なんかそういう、ほれちゃってうれしい、みたいな曲じゃなかった。むしろ、すきな人のこと考えて、勝手に舞いあがっちゃってたな、みたいな曲なのかな。でも曲はとってもかろやかで、柴田さんの曲でこんなにのりのりなのは初めてでたのしい。MVの最後で、後部座席から身をのりだした柴田さんの髪が風にそよそよ吹かれているけれど、コーラスもそよ風のように吹きぬけていて、湿っぽくなくからっとしていて、そこへきてタイトルは『後悔』で、えええみたいな感じだけれど、これが柴田さんのいう「泣き笑い」ってことなのかなと思ったりした。陽にあたった柴田さんのお顔、つやつやでかわいい。

4曲めの『あなたはあなた』、なんというか、誰がなんといっても名曲で、弾き語りもバンドもすばらしい。これは、あらためて歌詞がいいなって。
たとえばこの一節。

放っておいてとも思わないの
わかってくれとも思わないよ
好かれても嫌われても人と人とのことだもの

特にこの3行めとか、すごいキラーフレーズだと思う。すごい。
あと、最後のところ。

胸のつかえに目薬さしてくれたあなたと観覧車
高いレールの上を走る黄色いふたり乗り自転車

もうなんか、柴田さんすごいなって、このアルバム聴いてずっと思っている。

ちなみにこれはわたしの推測なのですが、『天使をみてる』に

きのう夜おそくにきみのつくった映画を見たよ
雪景色のなかでおどる女の子

という歌詞があるけれど、これは柴田さんの親友、岡本まな監督の映画『ディスタンス』のワンシーンのことじゃないかなと思った。

映画『ディスタンス』予告
この映画の舞台挨拶がある回に行って、柴田さんとシャムキャッツ夏目くんのトークショーをみてきたんだけど、監督がおなかに赤ちゃんがいて、北海道から東京へ来られないから、FaceTimeかなにかで会話をしていて、その様子を観客がみまもるという、なかなかおもしろい感じだった。
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そうそう、ココ吉矢島さんが書いた『愛の休日』のポップが写っている画像を、待ち受けにしました。毎日つよく生きていけそうです。

5月のこと

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ようやっと暑い日になれてきたかと思えば、すこしの雨の日がつづいている。今年のゴールデンウイークはほんとうにゴールデンだったなと思う。カネコアヤノちゃんのココ吉インストア、友達とごはん、小杉湯フェス、岡村ちゃんのライブ、友達とごはん、台風クラブのライブ、友達とごはん。もうずいぶん前のことみたいだけど、毎日ぴーかんに晴れていて、小杉湯のこいのぼりを見上げたら空が青くてとてもまぶしかったことをくっきり覚えている。

5月の心のこりは、evening cinemaのココ吉インストアと柴田聡子のタワレコインストアに行けなかったことだ。
evening cinemaは今年の1月に下北沢THREEではじめて見て、わ、すきだなと思っていたので、ほんとうに見たいと思っていたしたのしみにしていただけに残念だった。終わったあとにココ吉へ行ったら、岡村ちゃんの『イケナイコトカイ』をカバーしていたというのでレジで奇声をあげてしまった(ごめんなさい)。矢島さん、インスタあげてくださってありがとうございます、最高でしたね、わたしもそこにいたかったです。
柴田さんのインストアは、ほんとうに貴重な機会だったと思う。神保町試聴室で定期開催している『柴田聡子の神保町ひとりぼっち』も、最近では予約がまたたく間に埋まってしまって、当日券はほぼ出ていないし、今度のツアーファイナルもきっとすぐ売りきれてしまうと思う。


先日、出張で大阪へ行った。その日も朝からうそみたいに晴れて、新幹線の車窓から見える山肌や茶畑の若葉が本当にまぶしく、田んぼの水面がきらきらとして、思わず窓におでこをくっつけて景色をながめていたら、頬が日焼けしてしまった。
出張は、さみしい。慣れないところへひとりで行くのは、うきうきよりもさみしさとわからなさがおおきい。仕事のことが気になって、まちがえて車内でパソコンを開いてしまったりする。いま読まなくてもいいメールをみつけてしまって、ちょっと胸のなかでぐったりする。パソコンをとじて、つめたいコーヒーをぐびと飲んで、また窓の外の、とおいとおい景色をみる。街もすきだし、山もすきだし、海も川もすきだ。人も車も、みんなすきだ。名古屋の駅前を走っていた、あずきバーのバスに乗りたかった。

旅のBGMはもちろん、柴田聡子『愛の休日 DO YOU NEED A REST FROM LOVE?』。このアルバムを手にした日には、家に帰るやいなやフィルムをめりめりはがして、すぐに再生した。はじめて柴田さんを目の前でみた14年末のギャラリー・セプチマでみたソニー・スミスとのツーマン、15年末の武蔵野公会堂、カネコアヤノちゃんとのツーマン、16年夏の代官山UNIT、そして毎回の神保町ひとりぼっち、そこで聴いた名曲たちがおしげもなく入っている、そのことだけで、胸がいっぱいになった。

わたしのいちばんすきな曲は『スプライト・フォー・ユー』。この曲を、新幹線にのって聴ける日がくるなんて、思ってもみなかったな。去年の7月に、柴田さんの詩集『さばーく』刊行記念で、梅ヶ丘のtenonaruという古本とレコードのお店(現在は閉店。残念)でトークショー(!)があって、少人数だったのでトークショーというより座談会みたいな雰囲気だったのがとてもよかったのですが、そのときに、お客さんが順番に自分のすきな曲を言うっていうコーナーが急きょあって、わたしは自分の番で、ライブで聴いてずっとすきだった『スプライト・フォー・ユー』を挙げた。『さばーく』に収録されていない曲を選んでしまって、いらしていた編集の須川さんには申し訳ないと思ったけれど、その時からずっとこの曲をすきでいつづけているし、これからもずっとすき、この曲をずっと聴いていられるのがしあわせだなと思っている。
この曲にかんしては柴田さんがインタビューで、『すごく個人的な話』と言っていた。

“スプライト・フォー・ユー”は、私の、どうでもいい一場面の、忘れられない景色なんです。「これを全力で伝えるにはどうしたらいいんだろう?」っていうところから、このアルバムは始まっています。

柴田さんは『個人的な話』を歌っているはずなのに、わたしたちはなぜか、知らないはずの景色、感じたことのないきもちを、思いだしているような錯覚におちいる。それはきっと、根っこの部分でなにか共鳴するものがこの曲のなかに埋めこまれているからなんじゃないかと思う。これを聴いた人のなかにある物語と、どこかが重なってひびきあう、そういう曲なんじゃないかと思った。


ささいなことで、何日かしたら忘れてしまうようなことを、ときどき、ずっと覚えていたいなということがありませんか。残念ながら忘れてしまうようなことです。すきな人の顔とか、ずっと思いだせるようにしたいけど、ほかのもっともっとどうでもいいことに追いやられて、どんどん輪郭がぼやぼやになってしまう。またその上から記憶を塗りかえて、思い出になったりならなかったり、記憶が差しかわったりして、しばらくして思いだせば、なんかすきな人が、いいかんじににっこり笑っていてやさしい、そういう記憶をつくっていくわたしの頭は、ほんとうにばかだなと思うけど、いちばん最初のきらりとしたすてきなできごとを、いつまでもとっておけるようになったらいいなあと思ったりする。
逆もしかりで、いつまでたっても、どうでもいいことを舌にこびりついているみたいに覚えているのをやめたいと思うことがある。忘れたくないけれど忘れていくこと、忘れたいけれど忘れられないこと、いいことはぜんぶ覚えて、いやなことはぜんぶ忘れて、そうやって自分の都合のいいような配分で覚えていられたら、きっと夜中にはずかしくてうめいたり、急にかなしくなって泣いたり、そういうことが減るだろうなと思うけれど、ときどき思いだしてはずかしいのも、ぽろぽろ涙がでてくるのも、なんでか、ずっと、きらいになれない。

柴田さんが『後悔』のことを「泣き笑い」と言っていた。わたしはまだ、泣き笑いにできないことをたくさんかかえているような気がした。あるできごとが、どうでもいいと思えたり、もういいや!と思って明るく笑いとばしたりできるようになるには、時間がかかるなと思った、新緑の季節。

www.barks.jp

新幹線の窓から

新幹線というのは、ふしぎなのりものだ。電車のようで、電車とはちがう、のりもの。

指定席を前もって買うよりも、なんとなく、あ、新幹線のるんだったという感じで自由席を買って、きっと座れるよねと思いながら、がらがらをひいてホームを歩く。自由席の車両はとおい。お弁当を売っているような売店は、自由席の車両の近くにはないから、とちゅうでお弁当やおかしを買って、またがらがら歩く。お弁当のビニール袋はがさこそかさばる。3両目のうしろのドアから入って、空いている窓側の席を見つけたら、ラッキー。3人掛けの通路側が空いていたら、窓側の人に、ここいいですか、と声をかけて、だめですと言われるはずもないけど、いちおう確認して座る。2人掛けの通路側が空いていたら、さらに、すいませんという顔で窓側の人にちゃっかり座る。となりの人がおいしそうなお弁当をたべているのを、じっと脇目でみる。たのしい。

席にすわって飲みものをごそごそしているうちに発車して、ほどなく車内案内のジングルがながれる。曲はTOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』。小学校にあった大きな鉄琴を、ペダルをふんで鳴らしたみたいな音だ。なぜか最初に、メロディーではない「ラ」の音がぽーんと投げこまれていて、なんで「ラ」はいってるのか、と毎回思うけど、なんでかはわからない。

お弁当をあけて、とにかくやたらに包装の部品が多い、こまごまと包装紙やフィルムやらのごみがいっぱいでて、広げているうちに前の座席の背中からばたんとでてくるあのテーブルがいっぱいになってしまう、というか、お弁当の箱ですでに、テーブルいっぱいになってしまって、もう飲みものをおく場所がない、わたわた、などとしつつ、やっとひとくち食べて窓のそとに目をやれば、遠くまでひらけてよくみえて、近くのビルは残像、遠くのビルはごくゆっくりと流れてゆく。車が走っている。人が歩いているのが見える。

ふだん、物理的にも、人間関係からみても、ごく狭い範囲で生活しているわたしにとって、世界地図をみて日本がこの小さい細長いのだと知っていても、自分の生活している世界がすべてで、世界の真ん中から端っこのような気がする、いつまでたっても想像力がとぼしくて、だから新幹線にのると、窓の外に日常がくりひろげられている、人が生きている、わたしの知らない人たちとわたしの生活が実は地つづきであることを思いだして、何度でもはっとする。考えてみれば、東京では1時間電車に乗っても、東京のなかにいるし、新幹線にのれば、あんなにはやいスピードで走っても、2時間半でまだ大阪だし、4時間走っても、日本列島からびょーんと飛びだしちゃったりすることはなくて、そうなると日本列島はとてつもなく大きいんじゃないか、とか思うし、じゃあ地球って、もっとほんとうに想像がつかないくらい広くて、わたしが生きているあいだに行けないところがたくさんあるのがくやしいなと思う。

電車に乗っているときは、こういうことは考えなくて、景色をみても、おなかすいたなとか、はやく着かないかなとか、そういうことを考える。新幹線にのるときはまだまだ、おでかけ気分だから、日常的なことをふとあんまり考えなくなって、仕事のこととか、ほんとうにどうでもいいことを、豆電球がふぁっと一瞬ひかるみたいに思いだしても、なんとなく景色をみたりして忘れる。でも、その見つめる先の景色にも、ある人にとっての日常があって、だからわたしたちはきっと、新幹線にのって、日常のなかを駆けぬけているのだな、と思う。白いボディにまもられて、わたしの日常とつながるかもしれない、知らない人の日常のなかを、まだなんにもわからずに、ぼんやり眺めて通りすぎてゆく。いま見えているビルの窓の向こう、マンションのドアの向こう、建ちならぶ家家の中に、きっと人がいて、ひとりひとりがそれぞれにちがう生活を送って、その生活と生活がどこかで交わったり、一生交わらなかったりするのだなと思うと、急に自分が小さい点に思えてくる。わたしと、わたしの周りの知っている人たちを囲む円が、この世に生きている人の数だけあると思うと、なんだかわたしの頭では推しはかれない、大きなことだなと思って、ぼーっとして、お弁当食べよ、と思うのだった。

ちなみに、大阪へ出張したときに、はやい電車にのれば、京都まで30分ちょっとで行けると知って驚いた。なんでか大阪から京都へは、ひょいと府をまたげるのらしいね。