磨硝子日記

すりがらすのブログ

3月のこと

20年習っているピアノの先生をはなれることになった。


先月のおわり、いつものようにレッスンをはじめようと椅子に腰かけたとき、ほんとうに心苦しいんだけど、ときりだされた。わたしは土曜11時からレッスンにかよっているのだけど、先生が他の曜日のレッスンとの兼ねあいで土曜日にこられなくなり、土曜日のレッスンはほかの先生が担当するとのことであった。


5歳のときから、週に1度、30分のレッスン。途中で受験をはさんで休んだこともあったけれど、就職してからもこられるようにと2週に1度、レッスンを1時間にのばしてつづけてきた。出会ったとき音大を卒業したばかりだった先生は、結婚して子どもを2人産み、わたしは出会ったときの先生の歳をすぎた。

バイエルからはじめてブルクミュラーソナタ、高校生のときにショパンのワルツをたくさん弾いた。子どものころは時間があまりあるのも手伝い練習がだいすきだったのだけど、大学生になって昼は学校、夜はバイトの生活になると、まとまった練習時間をとれなくなり(休日はもちろん遊びに出かけていて)、それからツェルニーをやりなおし、なぜか発表会でエレクトーンも弾かせてくれて(家にないので教室に行ったときだけ詰めこみ練習した)、最近は北欧のショパン風ワルツを書いたりしているメリカントをはじめて、またピアノを弾くのがとてもたのしいとおもっていたところだった。初めて弾く曲でも楽譜をよめば、先生ならどんなふうに弾いて、どこを気をつけるようにいうか想像がついたし、先生の前で弾いていると、自分の演奏のどこをなおされるかもいつもわかった。


仕事を終えて地下鉄の窓にうつるマスク姿をみやり、来週からあたらしい先生に習うのだなとぼんやりおもいながら、渋谷の東急の地下へプレゼントを買いにいく。へんな話だけれど、20年も付きあいがあるのに食べものの好みはひとつもしらなくて、ちょっと可笑しい。お菓子の甘い香りと惣菜の油っこい匂いの混ざりあった夜8時のフロアをぐるりと1周したのち、先生に似あうアンティーク調の花柄の箱にはいった焼き菓子を指さしながら、わたしはこれをハイこれと渡し、先生は、ああすいませんねえと受けとるところをおもいうかべた。

ピアノにむかって隣に座っているとき、たとえば鍵盤に指を置いて「こんな音を出したい」と目指して手首を下ろす力加減なんかは、指の下りかたを目でみて、音の響きや大きさを聴いてわかるしかなく、あとは、ここはするどく(それもどのくらいするどいか)、ここはレガート(どんなふうにレガート)なんていう、こればかりはほとほと、腕の使いかたや指先の力の入れかた、それから感覚の曲線を近づけることでしか近づくことができないところ、わたしは、ほかの人にはわからない機微を読みとっては歩みより、先生とわたしとのあいだだけでつうじることば、あるいは身体感覚をほとんどわかちあえるほどには長い時をすごしていたのだとおもうと、なかなか上達のはやさがおとろえていることを申し訳なくおもいながら、自己紹介をすることがあれば、ピアノをやっていまして、実は20年ほど、ええ今もレッスンにかよっています、などとおもはゆい顔でいい、「ピアノをつづけてきていること」がわたしをささえる柱のひとつになりつつあったこのごろ、それは、ひとえにこの先生とだったからで、それだからこそ心づよいのだとおもいしらされたりする。


夏に発表会があって、今はそのために練習をしている。先生に習った曲を、ほかの先生に続きを習う。発表会には先生もくるので、そこで聴いてもらえることになる。先生の産休中にほかの先生に習ったことがあって、その先生がメゾピアノはこんなに大きな音なのかとおもうほどにがっしりと骨太な音を出す人で、数か月の間に今までに出したことのないほど大きな音でピアノを弾くようになったことがあったから、これからわたしの弾き方がまた変わるのだろうかとおもったりするし、先週あたらしい先生とお会いしたところでは、またがっしりと弾くようになる気がしている。遅まきながら肩に力を入れずに大きな音でくっきりと弾くことを得て、最近は大きな音で弾くのがたのしいとおもえるけれど、先生と弾いていたショパンの雨だれの主題のかよわく繊細な調べや、中間部の鬱々とさえ感じる重厚な低音、ショパンの蔦の這うようなメロディを弾くのが(譜読み以外は)とてもすきだったわたしを、どうかこれからも忘れずにいられるだろうかとおもったりしている。


さきほどレッスンを終えてきたのだけど、わたしはハイこれをと紙袋を渡し、先生はつまらないものですがとハンカチをくれた。大きなパンダの顔がついたハンカチ。犬と迷ったんだけどパンダかなって、と先生。子どものころからレッスンにくるとキャラクターのシールをもらい、レッスンの予定が書いてあるカードにこにこと貼りつけ、大人になった今でも、もうそれ貼ってるのちびっこだけだよといわれながらシールを貼りつづけるわたしそのもので、とてもうれしかった。

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