磨硝子日記

すりがらすのブログ

シャムキャッツのこと

2020年6月30日。在宅勤務が続く中、めずらしく出勤したその日、お昼休憩にインスタを開いたらでてきた、白背景に黒い文字だけが載った投稿。よくないしらせなのだとわかった。
「突然の発表となり大変申し訳ございませんが、シャムキャッツはその活動を終え、解散することをご報告させて頂きます。」

デスクでiPhoneを片手に、声を出すこともできず、ただ、胸がどきどきとするのを感じた。それはおもいがけず、しかしそうして伝えるしかないのだとおもった。よく覚えていないけれど、きっと午後の仕事は手につかなかったとおもう。

この日から1年半以上がたった。けれどもわたしはまだよくわからず、前にすすめないでいる。時間がたてば受けいれられるのかもしれないとおもったし、そのあいだに世界は大きく様相を変えたけれども、今もなお心の隅に、普段はさわらないようにして、全部の思い出をそのままにしておいてあるのだ。

それでもひとつだけ書いておかなければいけないことがあって、それは、シャムキャッツをだいすきだということだ。今になってもまだうまく言葉にできないような、やるせなさやくやしさ、無力感の靄をかきわけて、あのまぶしいステージを、背中をさすってくれた言葉や音色を、心地のよい佇まいを、大きな手のひらのたくましさとやさしさを、ひとつひとつ取りだしては、気づかないうちに記憶の奥のほうへ押しこまれないように、ここにありありと書いておこうとおもう。



シャムキャッツと出会ったのは20歳のときだった。バイト友達でバンドをやっていた人から、おすすめの東京インディーアーティストの音源を何枚か焼いたCDをもらったのだ。
入っていたのはcero『World Record』『My Lost City』、ミツメ『mitsume』『eye』『うつろ』『ささやき』、柴田聡子『しばたさとこ島』、そしてシャムキャッツ『たからじま』だった。なかでも、柴田聡子とシャムキャッツに惹かれ、特に、はじめて聴いたシャムキャッツ「なんだかやれそう」には驚いた。

すごくめちゃくちゃで、やんちゃでかわいくて、でもそれだけじゃない。果汁100%のオレンジジュースがじゅばっとほとばしるようなすっぱさがありながら、なぜか3拍子のAメロに、涼しい顔で歌うコーラス、最後には転調まで駆使する、謎に技巧派な曲という印象で、世の中にはこんな曲を歌う人たちがいるんだなあとおもったものだ。続く「本当の人」を聴いた時には、このボーカルの人こういう曲も歌うんだとおもったのだが、その曲は別の人が歌っているのだとしったのはしばらくたってからだった。

そのあとディスコグラフィを調べて、近所のHMVで『AFTER HOURS』を買う。そのころだったか、先述の友達が「GIRL AT THE BUS STOP」のMVのリンクを送ってくれた。スカイブルーのアノラックを着て、ぱっつんと切ったボブヘアーを揺らしながら、団地の敷地内をずんずんと歩き、時折いたずらな視線を投げかける夏目くんに心をうばわれた。

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はじめてライブをみたのは2016年9月17日、吉祥寺スターパインズカフェであったワンマンライブ「ワン、ツー、スリー、フォー」だ。TETRA RECORDSの立ちあげと、EP『マイガール』発売を記念して行われたライブで、キャパシティがそれほど大きくない会場にもかかわらず、幸運にも当選したのだった。

今のようにライブにいくようになったのはこのころからで、とにかくこのライブのことはよく覚えている。4人がとても近くて、いつも聴いていた曲を目の前でみられて嬉しかった。終演後、長机に4人が並んで座り、夏目くんはさっきライブが終わったばかりなのにビールを片手にすでに真っ赤になっていて、わたしが「3度目まして!」(この日が夏目くんに会うのが3回目だったから)といいながら手をさしだすと、ハンバーグみたいにぶあつい手で「3度目ましてぇ〜」と握りかえしてくれた。絶対にわたしのことを覚えているはずがないのだけれど、こんなふうに近くで言葉をかわせるものなのかとすごくときめいた。夏目くんは、酔っぱらっていたって、とてつもなくかっこよかった。今おもいだしたけれど、この日夏目くんに、表紙いっぱいにサインを書いてもらった『じ〜ん』というZINEの画像を、ずっとLINEのプロフィールの背景にしている。

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夏目くんは太文字が上手。


その秋に発売されたEP『君の町にも雨はふるのかい?』は、バンドの人生におとずれた大きな出来事に動揺しながら、ほとばしるエネルギーと汗のにおいをたたえ、その一方では握ったら壊れてしまいそうな繊細さを抱きしめるような、人物像や心の機微を立体的に描きだした作品だ。

それぞれまったく表情のちがう5曲は、別のところに住む5人の物語のようでもあり、あるいはまるであるひとりの暮らしのいち場面を月曜日から金曜日まで切り取ったようでもある。雨が降るからと洗濯物を急いで取りこんだり、友達と後味悪く別れて帰宅しクノールカップスープを作ったりといった描写は、なにげなく歌詞の中に織りこまれているようで、生活する人への共感と愛に満ちたまなざしだと気づかされる。

はじかれたピクルスのような すっぱい俺にかじりついて
まん丸の目で喉を鳴らす 事務所に履歴書でも送ろうか?
転がって転がって転がって息を切らすだけ
引っ掻いて傷つけたくせに悲しい顔して泣いて眠るのだ

転がって転がって転がって転がって転がって
引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いて
牛乳飲んで 大きくなって 好きに遊んで 好きに眠るのさ

この頃わたしは、多忙のため体調を崩し、仕事を辞める直前だった(この年末に退職する)。通勤電車で聴く「すてねこ」は、身体がおもうように動かなくなり、職場での身のこなし方がわからなくなってしまった日々にあって、これなら聴いていられるというほとんど唯一の曲であった。音楽を聴いても楽しくない、そんなことよりも明日会社にいけるのだろうかということが頭をもたげていた時、夏目くんの声で語られる歌詞は傷口に消毒液を塗るようなわずかな痛みをともないながら、今日をやりすごす気力を何度となく与えてくれた。日常のなかにシャムキャッツがいるというかけがえのない意味をこれほどおもいしった日々はない。


デビュー9周年の2018年には、はじめてのホールワンマン「らんまん」も開催された。この日のことを深く胸に刻んでいるファンはとても多いとおもう。まず、『Friends Again』ツアーではしばらくステージになかったキーボードが、上手にあったときの嬉しさよ(そしてそのキーボードが1曲目から活躍したときのときめきよ)。それだけでなく、『はしけ』や『たからじま』から「このままがいいね」まで、バンドの活動をつぶさにふりかえるようなセットリストと、それを今この時のシャムキャッツとして演奏する勇敢で誇らしげな4人を前にして、たまらず胸を打たれた。

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アンコール後、10秒間の撮影タイム。
TETRA RECORDS設立後、シャムキャッツはポップアップショップなどを通じて、ファンとさらに近くで交流をしはじめる。2018年3月には幡ヶ谷にあるパドラーズコーヒーでポップアップショップと曲づくりワークショップを行った。
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そして印象的だったのは、台湾晩餐会という食事会を開催したこと。メンバーと台湾料理を食べながらアジアツアーのオフショットをみるという会で、ライブでもなければトークショーでもない会にもかかわらず40名が集まったという、いつふりかえってみても、シャムキャッツが人を惹きよせるバンドであったことを象徴するイベントのひとつだったとおもう。あなたはすきなバンドのメンバーとそのファンとテーブルを囲み、映像をみながら語りあったことがあるか?わたしはある。こんなことはこの先きっとないし、これだけにしたい。
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どうみてもただの飲み会風の写真ですが、バンビさんのいるテーブルにいました。
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翌日のライブに向けて台湾入りしていた菅原さんとビデオ通話をしている様子。


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告知の画像、どなたかにお願いすればよかったなって100万回くらいおもっています。
この会をきっかけにわたしが立てたとんでもない企画が、「らんまん上映会」だ。みんなでご飯を食べながらシャムキャッツのライブ映像をみたい。そんなおもいつきから、イベントなど主催したこともなかったのだけれど、シャムキャッツのライブDVD「らんまん」を上映するというイベントを計画した。ダメ元でシャムキャッツのWebサイトのお問い合わせフォームから、許可取りのメールを送った。内心、NGだといわれるんじゃないかとおもいながら。すると、しばらくしてシャムキャッツのマネージャーを名乗る人物からあっさりとOKをいただき、わたしは後戻りができなくなった。

正直いって、自宅でDVDをみられるというのに、入場料を払ってわざわざみにきてくれる人なんているのだろうかとおもう気もちもあった。ミツメのツアー日程(北海道)とかぶってしまったのに気づかず、遠征で東京にいない人も多そうだという情報を得て狼狽した。しかし、Twitterで告知をすればRTやいいねでたくさんの人が気にかけてくださり、集客に不安を感じていた時にメッセージをくれた方もいた。またいざ当日になってみると、たくさんの方がシャムキャッツへの特別なおもいを抱えてやってきてくださった。このために神戸からきてくださった方もいれば、この間のシャムキャッツのライブを事情があって途中までしかみられなかったので、みんなと見直したくてきたという方もいた。

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寄せ書きのノート。
来場してくださった方にシャムキャッツへの寄せ書きノートを作ってもらったのだけれど、上映会が終わった後にページをめくってみると、どこをみても、ただシャムキャッツがすきだと伝えるためだけに、並々ならぬエネルギーが注がれていた。同じバンドを応援する、大切な友達に出会えた。そうおもえた出来事だった。
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後日寄せ書きをメンバーに渡したときの様子。「事務所に飾るね!」といってくださったのだが、その後オフィスでおこなわれたインタビュー画像の後ろにばっちり写りこんでいて泣いた。


『Virgin Graffiti』以降、実はあまりシャムキャッツのライブにいっていなかった。『Friends Again』がだいすきだったわたしにとって、『Virgin Graffiti』は今までとちがうシャムキャッツに映った。余計なものを削ぎ落とした誠実な美しさから、吹っ切れたようなエネルギーの発散に驚いていたのだ。

「このままがいいね」は、美しいものが美しいままでいられないことを、いつまでもわがままで自由な存在でいたいけれど、わがままで自由なままではいられないことを歌っているのに、そうとはわかっていても、わたしの生きる世界の延長線上に彼らがいるとおもうほどに、遠くにいるのに近くにいる彼らが変わろうとする姿を、わたしはどうしても受け入れることができなかった。彼らにとっての過去、わたしにとっての思い出にしがみつくあまりに、シャムキャッツの最後の姿をみつめることができなかったことを、今でもずっと悔やんでいる。

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こんなふうに、未だ気もちの整理がついていないファンもそうそういないだろう。解散後に渋谷PARCOで開かれた写真展には、ぐちゃぐちゃな気もちのまま足を運んだ。写真のなかにいる、若く、笑顔で、おどけてみせる彼らは、もうバンドをやめてしまったのだという事実に、胸のあたりがずしりと重くなるような心地がした。会場でメンバーに会えるのではという期待もあり2回訪れてみたけれど、何度みても、もう終わってしまったということを反芻するばかりで、写真もろくに撮ることができず、カメラマンの佐藤祐紀さんにiPhoneを渡して代わりに撮影していただいたくらいだ。
入場特典でもらったステッカーは、『たからじま』と『Friends Again』。悔しいくらいに、うまくできすぎている。


シャムキャッツというバンドは、友達であり、同志であり、戦友でもある4人が、それぞれ他のメンバーにはないピースを持ち寄り、一枚の絵を完成させたような共同体だとおもう。ピュアで、とても繊細で、時に大胆でどこまでも突っ走り、誰でも夢中にさせ、心配させ、放っておけないとおもわせてしまう、カリスマ性のある夏目くん、落ち着いていて、いつでも柔らかく心地よい雰囲気でありながら、誰よりも興味のおもむくことを気がすむまで追い求める情熱をたずさえた菅原さん、ロックバンドの演奏に新しい風を吹きこむ改革者であり、その一方で、誠実で共感力の高すぎる性格ゆえに自己犠牲をいとわない、まとめ役のバンビさん、言葉数は少なさそうにみえるけれど、バンドやレーベルの屋台骨をがっちり支え、綱引きの1番後ろの人のように、シャムキャッツを形づくり続けた藤村さん。彼らの作品だけではなく、メンバーの魅力にあふれた人柄が、ファンを惹きつけたのだと信じている。もちろん、誰かひとりでも欠けていたら、シャムキャッツにならないのは明らかだ。

もうシャムキャッツとしての4人と会うことはないのだろうかと考えると、しみじみとさみしく、やるせない。思い出のフレームの中ではいつも4人が並び、まぶしいライトの下で輝いている日もあれば、ふと客のいるフロアにやってきて親しげに話してくれる優しいお兄さんたちのようでもあり、そうした彼らからファンにむけられたすべての心づかいに、わたしは慰められ、掬われていた。シャムキャッツはあこがれであり、仲間だったのだ。その裏で、どれだけもがき、くるしみ、シャムキャッツであろうとしたかを、わたしたちはしる由もないのだけれど。

夏目くんは解散によせたメッセージでこう綴った。「このバンドに青春の全てを捧げた事を誇りに思います。」
でもね夏目くん、シャムキャッツはわたしにとっての青春でもあるんだ。それまであまりいったことのなかったライブハウスに飛びこむきっかけになった。会社へいくのがたまらなくつらくても、体がくたくたでも、ボロボロでも、時間さえあればライブにかよった。そこへいけば、気もちがほぐれる、やさしくて心づよい音楽があるから。4人がいるから。
それから、いい友達もたくさんできた。示しあわせなくても、シャムキャッツのライブにいけば必ず友達に会えるという確信があった。シャムキャッツのファンはみんないい人ばかりだよ。みんなでファンのZINEを作ったりしたこともあって、すごく楽しかった。こんなに友達おもいな人たちに巡り会えたのは、間違いなくシャムキャッツのおかげなんだ。そんなことを直接話したことはなくて、それどころかいつも写真を撮ってもらうだけでモジモジしていたよね。でもずっと心の底からそうおもっていたんだ。


今でもときどき、おもいだしたようにシャムキャッツの曲を聴くことがある。いい曲だ。4人にはどこかで会えるとわかっているのに、いつも胸がくるしい。時間が止まったままでいるわたしを、どうか許してほしい。今はこのままで、少しだけ待っていたい。だいすきだよ、わたしたちのファブ・フォー。ありがとう。また会おうね。


P.S. らんまんで、90周年までやりますって宣言していたのを忘れていないからね。