磨硝子日記

すりがらすのブログ

リ・ファンデ「HIRAMEKI」のこと

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リ・ファンデとの出会いは、2年半前の4月。愛知県安城市のバー「カゼノイチ」で、ドリーミー刑事が主催するライブへ足を運んだときである。今おもえば誰が引きよせたのだろうかとおもうような嵐の夜であった。

共演はアルバム『2兆円』を引っさげてやってきた東郷清丸。その隣でやや控えめに、しかしくっきりとした存在感をはなち、透きとおるような肌と、まっすぐな瞳が印象的だった。その夜、彼が主宰していたバンド「Lee & Small Mountains」の1stアルバムを買うと、サインをしながら「お名前何にしましょう?」と聞かれたので、とっさに赤いスウェットの青年の助言に従い下の名前を書いてもらったという、面映い場面がよみがえる。

この日をきっかけに、東京へ戻ったあとリさんのライブへいくようになり交流を続けるうち、このたび発表された『HIRAMEKI』で、とても微力ながらPRに参加させていただくことになった。
アルバムについて、またリ・ファンデが何者なのかもよくわかるエピソードは、腕利きインタビュアー ドリーミー刑事の語りのもとCINRAで公開されているのでそちらをお読みいただき、わたしのほうでは、表情豊かな8遍の物語のうち、2つについて、この春の記憶とともに味わった想いを書いてみたいとおもう。



リ・ファンデ - おかしなふたり feat.Haruko Madachi (Music Video)

The Wisely Brothers 真舘晴子をゲストボーカルに迎えた「おかしなふたり」。MVはやわらかな日差しを受けた透明感のある手触りの映像に、散りばめられた示唆もうつくしい。街が息をひそめても、重力と時の流れは途切れることなくそこにあるのだ。花瓶に挿された花、回る籠、碁盤の上を跳ねる白と黒の碁石、そして鏡に映るふたり。みずみずしく血の通った計らいに、体の真ん中のあたりでしぼみかけ枯れそうになっていた、誰かに会う歓び、あるいは誰かに会えないもどかしさが、一瞬にして、体温のある感情としてふたたびむくむくと大きくなった。

くわえてこの物語に示されたメッセージは、ひとりとひとりであろうとすることではないだろうか。ふたりは交わろうとしているようにもみえて、あと1歩分の距離をとる。それは想像力と自己愛を携える今日に必要だから。

君が怒ったり 泣くようなことと
僕が拳に 力をこめることが
重なるような日々をきっと つくれるはずさ

君が静かに 寄り添うものと
僕が夜さえ 忘れてしまうことが
同じくらいの背になるまで 綺麗でいよう

水を与え続けた花はいつかしおれ、回りだした籠は動きを止めてしまう世界で、誰かの大切なものに想いをいたし、しろうとし、侵さないこと。その傍ら、自分の興味のおもむくことを守ること。

わかりあえないからこそ、目に入るものだけをとりこんでわかったつもりになったり、同じ景色をみようと誰かの足場のマークの上に自らの足を無理やりに乗せないで、ただ今いるところから、その人の立つ姿をまっすぐみてみる。そうして、白も黒もつけないで持ち続けることは、「とても楽しい」し、「寂しい」のだ。これはなんといっても、愛おしくて、おかしくて、たまらない。


Black

Black

  • リ・ファンデ
  • J-Pop
  • ¥204

もうひとつ、全篇を締めくくる「Black」についてふれてみたい。この曲は昨年の3月に下北沢のモナレコーズのライブで聴いたのが最初だった。彼が話しだしたのは夜についてのことであった。

あたりが真っ暗になって、深夜の11時くらいに、遠くのほうから音が聴こえてきたりすると、自分と同じように夜を過ごしている人がいるんだなとおもうんですよね。大意はこのような感じだったとおもう。

その時はあまり気にも留めない言葉だったのだけれど、あらためてこの歌詞を読んでみると、彼にとっての夜は、明けるのを待つものではなさそうだ。繰り返し注がれる闇のなかに身を浸して、ひととき、同じように闇に包まれる誰かのことを想っている。

わたしにとっての夜は、ひとりで、静かで、それなのに頭の中にはあれやこれやと色々なことがふと浮かんでは消えるのを繰り返し、いつの間にか大きなうねりが生まれてしまうものだ。その渦からいつか抜けだせるのはわかっているけれど、それはじっと待つことでしか叶えられない。
それはまだ遠くない、この春の日々のようでもある。だれかと否応なしに顔をあわせる煩わしさや不安から解放され、胸が凪ぐような心地のする反面、ただじっと家のなかで、買ったままになっていた本を読んだり、ふだんなら選ばないような映画を観たり、作ったことのない凝った料理をしてみたりと発散する日が続き、ひととおりやって芯から疲れてしまった。

街にはふたたび人の姿が増えている。地下鉄のホームのじめじめとしたにおいやすれちがう人の香水の匂いは、鼻腔のそばで発せられているかのように数段濃く感じられ、車内で会話をする人の声にはしらずしらずに指向してはっきりと聞きとっている。
それでも無理やりに日の目を引っ張りだしてきたような日々にあって、これが本当の夜明けであるとは、まだ信じられない。ならば、夜に浸かるあいだ、明けることだけを願わず、たとえば静かに佇む友を想いたい。みえないものさえみえてこないかと、願っているほうがいい。


リ・ファンデ『HIRAMEKI』。それは、人々がしばらく忘れていた生々しい感覚を取り戻しつつある今こそ、心のこわばりをほぐし、しなやかな体を取り戻させてくれる。誰かに会って、目をみて話したくなる。街へ出て、眺めてみたくなる。立ち止まって、また歩きだしたくなる。懐にしまっておいて、折にふれてページを開きたくなるような、心づよい物語である。