磨硝子日記

すりがらすのブログ

山下達郎のツアーに行ってきた話 2022

6月17日、金曜日。それはまだ風が凪いでいたころ。わたしは3年ぶりに東京駅でのぞみの乗り場へ向かっていた。モバイルSuicaでは改札をそのまま突破できず窓口へいかなければならないことを初めてしったけれど、駅員のお兄さんはとてもやさしく、こんなやりとりを何度も繰り返し別の客にしているであろうにもかかわらずにこやかで、旅の足取りが軽くなる心地だった。いつもならチキン南蛮弁当みたいなものを買いたくなるところ、売り場で目に入ったがすぐに視線をそらして、脂質を気にするわたしは助六弁当とお茶を買い、1泊用のSaToAトートバッグにぱんぱんに詰まった荷物の上にほとんどそっとのせるだけで、バッグを肩にかけなおしてエスカレーターを上った。梅雨明け前だったからか、ホームを通りぬける風はたっぷりの湿気をたたえていた。マスクをし、ずんずんと自由席乗り場へ歩くには、日除けに着てきた長袖だと暑い。それでも新しくおろした空色のギンガムチェックのワンピースがゆれるたびに、むずかしいことをひとつひとつここへ置いていけるのだとおもった。11時30分ごろだった。

熱海まで弁当を開かないでおいた。平日の午前中だったが、金曜日だからなのか混んでいて、新横浜あたりではほとんど空席がなかった。隣では学生が黙々と数学Ⅲの問題集を解いている。わたしはダウンロードしておいた韓国ドラマ『ユミの細胞たち』を観ていた。5年ほど前、月に1度大阪へ出張に行っていたことがあって、そのときには窓から見える町がとにかくおもしろくて仕方がなかったのだけれど、久しぶりの旅は意外なほどに特別ではない。それでも東京をはなれるにつれて徐々に日差しが強くなってきたころ、ようやく実感がわいてきた。座席のテーブルの上で会社携帯の通知が立ちあがってくる。けれども今日は気にしなくていい。

時折うとうとしていたら、隣の学生が座席に頭の後ろをつけたまま、わたしのiPhoneの画面に視線を向けていた。問題集を解くのにくたびれたのか、実写とアニメがミックスされたドラマは、たしかに隣の人が観ていたら気になるものだろう。先に彼は降りて、わたしはほどなくして福山に到着した。

よく晴れていた。ホームからは福山城が見え、改札をでて仰ぎみると堂々たる天守閣がある。器用に旅をする友人におすすめされた駅前のホテルに着くと、16時過ぎだった。バッグの中身を軽くし、駅のアトレに入っていたキャンドゥでクラッカーを買う。前回はうまく鳴らせるか自信がなく、結局手ぶらのまま会場へ行ったが、今回はあれをやってみたいの一心で、3つ入りかつ中身がたくさん飛び出さなそうなものを選んだ。店内の有線放送だろうか、「GO GO サマー!」が流れてきて、KARAがすきだったといっていた人のことをおもいだす。後で連絡したいとおもいながら、駅を背に歩いた。



会場のふくやま芸術文化ホール リーデンローズは、オーケストラのコンサートも行われるようなホールで、外観からもあれだとわかるくらい目立つ。7月には純烈が来るのらしい、などとポスターをみながら入場を待っていると、会社携帯に、急ぎの案件が2つあるのですがどうしましょうかという連絡が入る。良いしらせだった。その場でメールをし、エントランスの前で電話をかけて少し話をした。不思議なことにこの日から、わたしは仕事面でおどろくほどにツイている。なにかしらの良い気をもって帰ってきたのだと信じている。

連絡を終えて18時すぎに入場し、急いでアルバムの先行予約に並んだ。発売前の4公演は直筆サインがもらえるのらしく、LPのほうはタワレコオンラインで予約していたが、CDはこちらに残しておいた。送り状に住所を書いていると、前に並んでいる人が世田谷区の住所を書いていて、なんだ、遠征の人いるじゃないかとひとりごちる。今おもえば、東京で離れて暮らす人に送ってあげるとかそういうことも考えられるのだけれど、このご時世に広島までライブを観にきたということがどうにも後ろめたく、それは開演直前になっても変わらなかったので、少しでも同じように会場へ来ている人を探していたのだ。

なぜかわたしがとても緊張した。3階席の5列目で、正直なところ後ろも後ろのほうの席だったが、かえってすり鉢状の座席から見下ろすステージはよく見えるような気がした。18時30分の開演を前に、あそこには誰がきて、あの台から声を張りあげて、などと想像が駆け巡り、会場を柔らかく包むようなドゥーワップがほとんど耳に入らないほど、ドキドキしていた。そうだ、クラッカーをひとつ袋から出しておかなければと、トートバッグのいちばん口に近いところにクラッカーを置いた。アカペラが流れた。

真夏の太陽を浴びた柑橘、あるいはよく熟れた柿のような色のシャツを着た達郎さんがステージに出てきた。せっかちにギターをかけて、BGMが消えきらないうちに演奏をはじめる。稲妻が走るようだった。胸がいっぱいになった。きらきらとまぶしく、つやつやと弾けるような音が弧を描いて飛んでくる。世界中どこの夜を探しても見つけられないような、ここにしかないうつくしい光景。まるでこの2年あまりを耐え忍んできたわたしたちが祝福されているようにさえもおもえて、じわっと涙がこみあげてきた。観たかった、聴きたかった、会いたかったのはこれだとおもった。

ライブはつつがなく進んだ。だいすきな『POCKET MUSIC』のなかでも、どうしても湿っぽくてきらいだった「シャンプー」を、達郎さんがキーボードで演奏する場面があった。そんなふうに弾いたからってだまされないとおもった。髪の毛の歌には一家言ある。誰かに話してやろうとおもいながら、会場の静かな視線を一身に集める達郎さんを眺めていた。

その時は急にやってくる。イントロクイズでも始まったのかといわんばかりの勢いで皆がスッと立ちあがった。絶対に前半の方は誰も真剣に聴いていない(とおもう)。なぜなら絶好のタイミングを待って、そわそわしている人ばかりだからだ。わたしもそのひとりだ。今だ、とおもい、右手で強く紐を引っぱった瞬間、四方八方からパパパパンッと破裂する音が鳴る。左手で持つ筒が熱い。火薬の焦げるにおいが一面に広がり、それに気を取られてあまりよく聴こえなかったが、達郎さんは「今日はもう終わり〜」と言っていたような気がする。

この日は2公演目ということもあってか、まだ慣れていないと繰り返し言っていたけれど、それにしては饒舌だった。前日に『BRUTUS』で読んだことをほとんど一言一句違わずではないかとおもうほど正確に話していた。来年キャリア50周年だそうだ。子どものころ、きっとよくわからないうちから親しんでいた達郎さんの音楽を間近で聴いている、その因果におかしさとありがたみをおぼえながら、「ええお客や」を3回繰りだして上機嫌そうな達郎さんをずっと観ていたかった。

ホテルに帰ってきてから気づいたSparkling Pop


翌朝、初めて見る番組をつけながら荷物をまとめた。直筆サイン色紙が折れそうで心配だ。ナイキのエアリフトを履いて、福山城へ歩いた。天守閣は工事中だったけれど、前日に続いてよく晴れて気持ちがよかった。階段を下りているとマスク越しにもわかる甘い香りがただよってきて、生垣の花に鼻を近づけてみるとそれだった。わたしの様子を見た人が、向かいから歩いてきて同じように花の香りをかいだ。

福山駅周辺には博物館や美術館が集まっている。わたしはふくやま文学館と広島県立歴史博物館へ行った。ふくやま文学館ではリラックマうさぎのモフィ、おふとんさんなどの生みの親であるコンドウアキさんの作品展が開催中で、リラックマを愛し、就職活動でサンエックス株式会社の面接を受けたこともあるわたしとしては見逃せないイベントである。館内では主に原画が展示されており、キャラクターの絵本だけでなくエッセイや教科書の表紙まであったので、目を皿にして見た。感想を語りあえる人が誰もいないので、湧きあがる感想が喉から出てこないように押さえこむ。会場限定グッズを端から端まで買いたかったが、荷物を増やしたくないので断念し、歴史博物館へ向かう。

博物館から出て、行くと決めていたミールスの店へ歩いた。駅とリーデンローズの間あたりにあるので、前の日にライブへむかうのと同じ道を通って、なるべく記憶をなぞった。住宅街に黄色い屋根の店を見つける。
実山椒とチキンのミールスにワダをつけてもらった。優しく繊細な味の中に山椒がピリッと効いて、疲れた体にしみる。

なぜ横向きに撮らないのか

帰り際、お店の方と話がしたくて、東京から来たんです、と言いだしてみる。どうして福山へと聞かれたので、昨日そこで山下達郎のライブを観に、というと、なんとお店の方のご家族も観にいっていたのだと教えてくれた。1階席の5列目だったと聞いて、そこから見えるステージを想像した。また来たい、次はいつ来られるだろうかとおもいながら、福山駅へ戻る。週明けに会う人たちのことをおもいうかべ、その数だけもみじ饅頭をひとしきり買って新幹線に乗りこむ。さっきまでのからりと晴れた空はまぼろしだったのか、旅の記憶を洗い流すような雨に追われて、東京へ帰った。