磨硝子日記

すりがらすのブログ

どうしようもないこと

駅を出ると、大きくて丸い月が浮かんでいた。都合よく雲がよけたところに場所を取り、びかびかと光るので、図々しさにおっかなくなり、それを背にして家へむかう。なるべく振り返らず、直視しないようにした。月を見るのはなぜだか怖い。女性は月の満ち欠けによって身体に波が寄せては返すのだと聞いたが、それは実感としてほんとうではないとしても、あの悪気のない明るさに吸い込まれそうになる。中秋の名月とやらは美しいわけではない、おそろしいのだという気もちを、わたしはここに記しておこうとおもう。

予感を見過ごさないようにしたい。手相には詳しくないが、手のひらの真ん中のあたりに十字の線が出る「神秘十字」というのは、絶体絶命の危機から守ってくれるものなのだと、手相芸人の島田秀平が言っていた。浅田真央小栗旬にもあるというし、先日タワレコで見た達郎さんの手形にもそれらしいものがあったし、そして父の両手にもくっきりとあった。わたしの両手にもある。ああ運の尽きだとおもった時にも、なぜだか最悪なほうへは転ばないのは、この神秘十字のおかげだと信じていて、それは決断する勇気のもとにもなっている。たとえば、胸の中にぽっと浮かんできては、どうでもいいと片づけそうになることを、たまに大真面目にやってみたりする。この数年はしんどいおもいもたくさんしたが、その時時の選択が廻り回って今のわたしを助けるという場面に、この1年くらいでやたらと出くわす。どうしようもないとおもった時に、こうするしかないのだと、確かなことはなくても信じて進んだわたしに手を振るようなことが多い。ときどき、ふと手のひらを見ては、消えていないか確かめる。ことに顔のしわはせっせと色々なものを塗りこんでどうにかやわらげようとするのに、このしわだけは取っておきたいとおもうのはふしぎで仕方がない。とてもよいことばかりが起こらなくてもいい。ただ、どうしようもないことから、からがら逃げて生きていきたい。

会社のオフィスが移転した。以前に通っていた池尻大橋では、地上に出るとでかい鳩が闊歩していて、首都高の高架下にあるごみ置き場の前をうろうろとしているのを見やりながら歩く朝にだけは、いささか胸が塞ぐものがあった。駅から会社までの怠惰な坂をずっずと上り、それからまた急勾配をすたすたと下りるころ、ひととおりの現実がリロードされていく感覚は、心地の良いものではない。神泉のほうへ行くと夜は真っ暗で細い道も多く、疲れてぼおっとしながらひとりで歩くにはやや危ないような気もして、なるだけ出社を減らして在宅で仕事をしていた。
それでもわたしにとってはまだ地の利があった。これまで4つの会社に勤めてきたが、街を歩いていて、ここはわたしがいるべきでないと感じるところでは長く働けない。新卒で入社し、1年9ヶ月でやめたのは銀座にある会社で、転職して3ヶ月でやめたのは新橋の会社だ。華やかなイメージもある街だし、不便なわけでもないのに、わたしにとっては通うだけでなぜか息苦しく、いつも目に映るものが灰色で(それは、ビルばかりが多いからではない)、街には申し訳ないが一方的に相性が良くないと感じた。かたや青山にある会社にいた頃には、評価こそされなかったが、同僚に恵まれ、すきな服を着て、すきなメイクをし、わりといつも健康だった。夜も明るく、246沿いでも緑が多く、空気が良いような気がした。
今回はまた青山エリアに越してきた。一般社員の意見が反映されるはずもないオフィスの所在地について、家から近いのかとか、駅からは近いのかとか、ランチで行く店があるかどうかとか、そういうことの他に心配が多かったけれど、想像以上に良い場所だと感じている。ちなみに駅からは15分以上歩くので、普通に考えれば不便の域ではあるのだろうけれど、ブランドショップや飲食店が顔を向ける通りを歩くのは楽しい。雨が降っても寂しくない。長い通勤路が終わりに差しかかると、日傘を閉じてひだをたたみながら、首都高を仰ぎ見る。左を向くと、青山にある会社にいた時と同じように、六本木ヒルズの全身が見える。おもわずにやっとした。

2年以上、気づかれていないとおもっていたことが、ばれていた。悪いことをしたわけではなく、ちょっとした目配せをしたので、もしかしたら気づかれるのかもしれないとおもいながら、気づいた時にもきっと、むこうからは、あれってと言ってくることは絶対にないとおもっていた。無粋なことはしない人だから。でも、ばれていたのがわかると、こうなるような気もしていたような気がするからおかしい。そうして色々なことは整えられて、きょうも、きのうのことも、ずっと前のことも、おもい出せないことも、どうしようもないけれど、どうにかなるのだ。