磨硝子日記

すりがらすのブログ

12/22(日) いなかまちにおんがくがなりひびく その41 開催します!

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とうとうこれをおしらせする日がやってきました。
このたび、ライブの企画をさせていただきました!


ツイートをご覧になり、はじめてブログにやってきてくださったみなさま。
はじめまして、すりがらすともうします。

普段は会社員をしております。
3年ほど前に生まれてはじめてレコードにふれてから、ときどきレコード屋さんというかココナッツディスクにいってはこそこそとJAPANESEの棚をみたり、毎週末どこかのライブハウスやカフェや神保町試聴室に出没してジンジャーエールでライブをたのしんでおります。

これまでは「ライブをみにいく人」だったわたしですが、ライブを企画したいとおもったきっかけをすこしおはなしします。


わたしがいちばんだいすきなのが、日常をすてきだとおもわせてくれる音楽です。
ふつうのことにつぶさにまなざして、こころの機微をのがさず言葉にした歌、ふつうの生活のなかでゆったりとみて聴ける曲。そうしてなんでもない日も、しんどい日も、とくべつな日も、すてきにいろどってくれるような、そういう音楽がすきです。

ライブをみにいくうちにだいすきなバンドに出会い、ライブにいくのがたのしい、ライブにいくと毎日がたのしい、とおもうことがふえるようになりました。
それはきっと、ライブへいって音楽を聴くことが日常と地つづきで、わたしの毎日をすてきなものだとおもわせてくれるからだとおもいます。

日常をほかほかとあたたかくしてくれるような音楽を、たくさんのみなさんとたのしめたら、そんなひとかけらのおもいから、このたびカフェクウワさんのご協力のもと、だいすきなバンドのみなさんをお呼びして、ありがたくもライブを企画するはこびとなりました。

お呼びするバンドはこちらの2組です。

◆菅原慎一BAND
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シャムキャッツのギター/ボーカル 菅原さん率いる6人組バンド。メンバーは、菅原慎一さん、大塚智之さん、水谷貴次さん、芦田勇人さん、松村拓海さん、内藤彩さん。
なんと、バンドの公式サイトよりも先に、宇宙初解禁のアー写を使わせていただいておりますが、ご覧ください、このあたたかくたのしげで、個性あふれるメンバーのみなさんを。
さまざまなバンドで活躍するメンバーがもちよる色とりどりの音色の豊かさと、それらがたがいに手をとりあいステージの上で調和する一体感、そして、聴いているとどこか心あたたまる、包みこむようなやさしさをたたえた、唯一無二のバンドです。


◆SaToA
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2014年に結成されたスリーピースバンド。バンド名のSaToAはメンバー3人のお名前(幸子さん: Sachiko、朋子さん: Tomoko、亜美さん: Ami)のイニシャルから。これに気づいてしまった日には、なんてかわいいバンド名なんだ!とおもいませんか!
ギター、ベース、ドラムというシンプルな構成ながら、変幻自在の音色と3人の織りなすみずみずしいコーラスがなんとも胸がきゅんとさせてくれます。かとおもえば演奏はとってもかっこよくてギャップにやられてしまうし、でも「なんちゃらラジオ」では等身大の女の子のおしゃべりもしていて、みるたびに聴くたびにちがう一面に出会える、魅力がぎゅぎゅっとつまった3人。


会場はカフェクウワ。埼玉県の久喜市にある、古民家を改装したカフェです。
地元 菖蒲産の野菜や果物をつかったおいしい料理と、店長 間宮さんの選曲したグッドミュージックをたのしめるお店が、地元の方にも、音楽ファンにも愛されています。
日常をあかるく照らすようなライブにしたいとおもったとき、まっさきにおもいついたクウワさんでライブをみたいとおもいました。
今回のライブの企画・フライヤー制作など、多大なるお力添えをいただいております。


みなさんのたいせつな1日に、すてきな2組と、冬のあたたかいおもいでをつくりにきていただけたらうれしいです。

当日きてくださったみなさんによろこんでいただけるよう、たのしいしかけもかんがえております!(クウワさんがんばって)

みなさんのおこしをおまちしております!


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いなかまちにおんがくがなりひびく その41

〈出演〉
原慎一BAND
SaToA

埼玉・カフェクウワ
2019/12/22(日)
OPEN 17:30/START 18:30
予約 3,500円/当日 3,800円(+D)

▼ご予約
info@cafecouwa.com まで
0480-31-9976
お名前・人数・ご連絡先をお送りください。

8月のこと

9月になったと気づくときおもいだすのはaiko竹内まりやか、束ねた髪はたぬきのしっぽのようにたっぷり太く、背中にあたるとボトっと音がするほどに生き物然として、この髪はわたしの頭のなか、みききしたことがずしりと積もり、毛束をふればぶんと風を鳴らしている。会う人会う人に、髪がのびましたね、といわれ、そうか、とはっとするけれども、しばらく会っていなかった人たちとの再会をよろこぶ日々である。


いつからだったか週末にライブの予定をつめこむのをやめて、それがまたすきなバンドをみたくなって先週と今週はライブへいった。


先週は神保町試聴室でポニーのヒサミツとbjonsをみた。
実をいうとポニーさんをはじめてみたのは『GO!GO!ARAGAIN』のイベントにSpoonful of Lovin'の一員として出演されたときだった。そのときは各バンド2曲だったのでほんのすこししか演奏を聴いていないものの、『Black Peanuts』のカバーにはしずかに圧倒された。演奏や歌の巧みさはもちろんのこと、ポニーさんが細野さんに影響をうけられていることはしっていたけれど、なみなみならぬリスペクトと愛がありながらも、それをみだりにひけらかさず、すばらしいパフォーマンスへと昇華させるというストイックな矜持すらかんじて、音もなく平手打ちをくらったような気もちであった。今回はだいすきなbjonsをゲストにライブをされるとのことだったのでよろこび勇んでいくことにした。この日のライブも1曲めに『蝶々さん』のオマージュをされていたのだけど、最高にクールで、あの『Black Peanuts』の痛快さをあざやかにおもいださせてくれた。

bjons、とてもとてもだいすきなバンド。わたしは洋楽を聴いてこなかったのでほんとうに臍をかむようなおもいもするけれど、それはいったん横においておいて、とにかく聴いているとうれしくなる。いろいろな音がゆたかにかさなりあい、それがとても複雑でむつかしくても、手練れのミュージシャンのすずしい顔で、あるいはこどもどうしのようににこにこ笑って演奏しているのをみていると、胸がすくおもいがする。つややかな声にはいつでも胸をさらわれ、すぐにまた、あの声を聴きたいとおもう。このあいだ仕事の帰り、交差点をわたるときに「常夜灯よ 月の光より強く 抱きしめておくれよ クライベイビークライ」がきこえてきて、毎日横をすぎる街灯がにじんでみえるほどに、やさしくこころづよく、なんでもない景色を彩ってくれる。
このときのライブは制作にはいる直前だったそうで、半分くらいが新曲だった。新曲は転調やふしぎなコード進行がおおかったけれどふしぎなほどにとりのこされず、むしろすすむほどにのめりこんでいくような奥ゆきをたたえていて、そのうねりのなかでぼおっとしていた。はやくあたらしい曲を何度も聴きたいとおもった。

最近は友人にbjonsをすすめてばかりいて、ご本人たちにも友人たちにも疎まれるのではないかとおもうほどで申し訳ないのだけど、このインタビューがとてもすきなので読んでほしい。さきのARAGAIN!のイベントのとき、bjonsが演奏しおわったあと、司会進行の長門さんが「かっこいいでしょう、ぼくがbjonsをすきになる理由、わかるかなあ」というようなことをおっしゃっていたこと、ただのファンなのに(何重もの意味で)とても感激したのをわすれられない。ちなみに2018年にパイドパイパーハウスでいちばん売れた邦楽CDはbjons『SILLY POPS』なのだ。
r-p-m.jp


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昨日は青山の月見ル君想フで1983のリリースワンマン。ワンマンでみるのはとてもとてもひさしぶりというか、ほとんどはじめてかもしれない。年末に日本橋でみたときにはポニーさんがゲストでいらしたのでワンマンじゃなかったのかも。とにかく『渚にきこえて』はすばらしい、大傑作。

客電が落ち、ステージが照らされると、中央には林以樂が。デコルテの大きくあいたトップス、にっこりと笑い、いつもながらとてもコケティッシュでかわいい。どこかとおくの、だれもしらないthe other ocean=渚への着陸をしらせる『スカイライン』、彼女のナレーションは文字どおり水先案内人となって、ライブはめでたく幕をあけた。
新間リーダーのいうとおりアルバムの再現ライブということで、『渚にきこえて』の収録曲がつぎつぎと目の前でくりひろげられる。とてもぜいたくである。1983としてのワンマンライブは3年ぶり、いうまでもなくメンバーがおのおのにいろいろなバンドで活躍しているなかで、こうして1枚のアルバムがうまれることを、ファンとしてありがたいとおもうのは野暮だろうか。

これまでの『SUITE』『golden hour』に通底していた、ゆたかに調和したアンサンブルはすえおきのままに、遠くから吹いてくる湿った熱い風がからだにべっとりはりついたような濃密さをまとい、時折、黒々とした宝石がきらめくようなホーンや鍵盤のしらべ、まだみぬ桃源郷のすがたをあらわしたように、ここではないどこかの音を、光を、ことばを結晶にしたような演奏がつづく。まるで、まだ踏んだことのない土地をいきかう人々や、活気のある暮らしぶり、市場のにおい、肌を灼く日差し、とおりを抜ければきこえてくる波の音までもを、ありありとかんじているような気もちにさえなる。アンコールで演奏された『文化の日』ではうつくしくひびくホーンセクションがはなばなしくラストをかざり、大団円をむかえた。

1983もまた、全員そろうとこのうえないネアカ感で(たぶん主には、後方の鍵盤のあたりから大量に放出されているけど)、みていてしあわせな気もちでいっぱいになる。ちなみに『渚にきこえて』の副読本ともいうべき「渚のうらがわ」はTake Freeなのにとてもていねいで、ユーモアがつまっていて、帰りの電車で読んできゅんとした。


来月には、ついに、生きているあいだにいちどはみてみたかったミュージシャンの公演がある。新潟までいくけれどなんてことはない。クラッカーをもっていくのをわすれずに、いまからまちきれないのだ。

7月のこと

わたしは俗にいう”晴れ女”で、雨が降りそうなときに傘をもってでかけても、屋根のないところを歩いているときには降られず、電車に乗ったらザーザー降りがはじまることがしょっちゅうなのだけど、きょうは家をでてから帰るまでずっと雨が降っていた。


英会話教室では、フィンランド出身で今年1月に日本へきたばかりの講師に、梅雨には慣れた?ときいてみる。毎日雨が降りつづくので、もっている靴がのきなみ濡れてしまって困っているといっていた。再来週のピアノの発表会で、フィンランドの作曲家 メリカントの曲を弾くといったら、シベリウスじゃなくてメリカントなんだ、とすこしおどろいた様子で、でもうれしそうだった。毎週日曜日には2人か3人の講師とレッスンをしているのだけど、わたしはいつもおなじように話していて、たとえば筋トレとかそういうものとちがって、回数をかさねてもとくべつ自分の英語が上達しているともおもわないでいたのだけど、最後に会った講師に“You usually are able to communicate what you mean, but sometimes I have to help you get the words out. That's ok, that's why you are here‬. ”といってもらえた。ただ続けるということだけでもよいのだと、とても楽になった。


終わったあと、雨に濡れないところを歩いてルミネのレストランフロアにながれつき、五目焼きそばを食べた。わたしのとなりにいた母娘、先にきた酸辣湯麺をみた娘が、うわ辛そう、としきりにいい、それから口にした母が一言、ああ辛い、といった。失敗だったかも、といったのがきこえた。母は娘の五目焼きそばをみて、イカが食べたい、といい、娘は小皿にきくらげを選りだして、これよろしく、といった。その横には格子の飾り包丁のはいったイカがあった。
わたしは食卓においてある酢を多めにまわしかけて、瓶をおきながら、さっき本屋で立ち読みした柴田聡子「つれづれのハミング」のことをおもいだした。きのうのライブで、はじめて髪を短く切った柴田さんをみた。わたしがみたなかでいちばん、髪の短い柴田さんだった。少し前に、神保町試聴室でライブをみた方が、柴田さんが髪を切ったというのでどうしてだろうとおもっていたら、矢島さんが今月のつれづれのハミングがやばいから読んで、髪の毛のことも書いてある、というので読んだら、ああ、なにか柴田さんもおもいきったのだなあとおもった。長い髪を切るときは、だいたいがおもいきっているとおもうのだが、どうだろうか。人より多くシャンプーをつかい、濡れた髪を乾かし、乾かさずに寝て後悔し、晴れの日も雨の日も、よい日もしんどい日も一緒にあって、それこそ霊感がなくなるからインディアンは髪を切らないというのはそれらしいことで、そういう苦労をしてでも長くしておいた髪を、ちょっとやそっとでとり戻せない長さに切るのは、ずいぶんおもいきっている。矢島さんに感想をひとこと送り、それから、あっというまに別れた恋人のことをかんがえた。五目焼きそばは子供のころはあまり興味がなくて、ラーメンとか担々麺がすきだったけれど、最近は苦手だったエビやイカあまりかんがえずに食べられるようになって、きょうの英会話のテキストできらいな食べものを話すというパートがあったけれど、べつだん「きらいな食べもの」がおもいつかず(きっと無意識に避けているものはあるけれど)、たとえば大人数で食事にいってでてきたもので食べられないものはそうそうなく、そうしてだいたいのものは食べられるようになっていくのがとてもふしぎだし、年々、なにを食べてもおいしいと感じるようになっているのがとてもあぶないのではないかと感じている。


帰りのバスで『いじわる全集』を聴いた。わたしがはじめてココ吉で買ったCDだ。きのうのイ・ランとのライブで、柴田さんの弾き語りが「スプライト・フォー・ユー」からはじまったのがとてもうれしかった。それでもあの頃、胸のつまりをこらえて新幹線にのりこみ出張にいっていたことや、晴れていて富士山がよくみえたときの救われるような気もち、雲がかかっていて全然みえずに、どうにかすがたかたちがみえないかと窓から身をのりだしそうになって車窓の景色をみていたときのもどかしさを、わたしの気もちなのに、わたしで再生できなくなっていて、とてもかなしい。そう遠くないことを、すぐに忘れてしまうようになった。それに、なにごとも感じにくい。感じることがこわくなって、そっと遠ざかることがある。丸腰で飛びこんでがっぷり四つでぶつかってしまうのがおそろしく、すこしはなれてしまう。わたしはいつからこんなわたしになってしまったのだろうとおもう。バスを降りた。雨はやんでいなかった。


2ヶ月のあいだそのままにしていた髪を切った。切ったといっても、おもいきりのわるいわたしは前髪を短くし、すこし長さを整えたくらいだ。恋人は短い髪がすきだといっていたけれど、いまのわたしはわたしで、すきな髪型をしていたい。感じることも、手放すこともみとめて、なるべく心地よいところにいたい。

筋トレをはじめた話

近ごろ筋トレをするのが習慣になった。
寝る前に15分くらい、船のポーズとヒップリフトと、クロスオーバー的な腹筋をかならずやるようになって2週間がたつ。例年梅雨の時期はむくみになやまされて、首筋から背中にかけてべっしょりとまとわりつくような重だるさ、さらにはこころのすきまにも余計な水気をたっぷりとたくわえしまって、からだの芯からぶわぶわになるこの憂鬱な時節の真っただ中にあって、わたしのからだの風とおしがよいのはひとえに筋トレのおかげ、そうでしかないのだと黒目をかがやかせている。あのウォーターベッドを背負ったような(背負ったことないけど)背中の"なんか1枚のってる感"がない。朝、目がさめて雨音が聴こえたときの"今日はもう閉店しました感"はどこへやら、ベッドからからだを起こすやいなや、腹と背中をさすり、きょうもできあがってる、わたしのからだ、いけるで、みたいな恍惚にさえひたるんである、OMG!

もともとスポーツは苦手で、まあ想像どおりだとおもうんだけれど鈍足だし球技もまるでだめで、それでもたのしいならまだしも、体を動かしてつかれてしまうのがいやだから、たのしくもないのにつかれてしまうような運動は仕事でつかれて帰ってきた日になんてどうがんばっても(がんばらないけど)できないものだとおもっていたのだが、ここ1週間くらいいそがしくてけっこうくたくただけれどなんとかつづけられているから、たぶんこれからもできるのだ。


じゃまぁどうして運動がきらいな人が筋トレをしているのかと。
はじめはとても審美的なことだった。わたしは日中のほとんどをデスクワークですごしていて、俗にいう運動不足だし姿勢もわるいだろうしどうなの、ともおもっていたし、それから最近はなんだかとても下腹がでてきて、尻がどっしりと横に広がり、なんなら腰から尻がはじまってるんではとおもうほどに尻全体がおおきくなるのをかんじていたら、ここから巷で聞きかじったことですけれども、デスクワークは股関節を圧迫してさらに前かがみになるから、そのあたりの血流とかリンパの流れがわるくなって、下腹や腰まわりに贅肉(おいしそうな字面にまどわされない)がつきやすいのらしい。ハッ、わたしの腹から腰の上に乗っているこの、うきわみたいなの、これは、デスクワークでついている、のか。社会人1年目に履いていたハイウエストのフレアスカートは、ウエストからヒップにかけて広がるシルエットがきれいなのだが、それが2年目の夏に履いてみると、腰のあたりの贅肉(にくい)が盛られているせいで、どうにも格好わるい。着られる服が減る、脚がだせない、上が膝や脛のあたりまでながくて、下にパンツを履くコーディネートばかりになった。

極めつけは最近買ったワンピース。(試着しないわたしもわるいが)おもいっきり腰のラインをひろうシルエットで、腰の上には横たわる牛のように贅肉が堂々乗っかっていて、姿見の前で立ちつくしてしまった。中肉中背だとおもって生きてきたが、じぶんの体形のせいですきな洋服を着られないとはじめておもった。洋服がすきなわたしにとっては一大事だった。


まず、ひさしくかよっていなかったヨガにまたかよいはじめた。聞いた話では、ヨガは筋トレとか体力づくりというよりも自律神経をととのえるほうにむいていて、あまりカロリー消費とか筋力アップにはならないのらしいけれど、むくみやすい体質のわたしにとって汗をかく機会になっているのがよいとおもう。それと、その「ヨガが体力づくりにむいていない」というのは、日常的にかなり運動をしている人にとっての話で、わたしのように自宅と会社を往復する以外にからだを動かしていない人にとっては立派な体力づくりにもなっている。毎回しっかりポーズでとまれて、その場所で呼吸ができるようになるとうれしい。


それから、夜寝る前に簡単な筋トレをすることにした。
なにからはじめようかとおもったけど、まず気になるのはうきわをつけてる腹と尻だということになり、ヨガでおしえてもらった腹と尻に効きそうなポーズをやってみる。船のポーズとヒップリフトは説明がむずかしいので動画をみてもらえればとおもうのだけど、腹を鍛える船のポーズは初心者が脚を上げると背中が丸まって腹の力がぬけるので、脚は上げずに、膝を90度にまげて長めにキープ、尻をひきしめるヒップリフトは下手に上げ下げすると尻ではなく脚の運動になりそうなので上げ下げせずに長めにキープでやっている。やってみるとわかるとおもうのだけど地味にしんどくて、腹をへこませて引きあげ胸で呼吸をしながら30秒くらいキープしていると、蒸し暑い夜には汗がにじんでくるけれど、うきわがとれるなら厭わない。

youtu.be
youtu.be

なにもトレーニングをしていない人がこのルーティーンを2週間つづけると、まず腰に手をあてたときに、じぶんがおもっているよりもくびれているのが実感できる。その手を背中にすべらせれば、背中の薄さがちがう。腹の前側にだらしなくぶらさがっていた贅肉は少しずつなくなって、うきわの空気を抜いていくようでたのしい。ヨガでますますポーズがとりやすくなったし、電車で立っていてアーつかれたわと背中を丸めることがなくなったし、みぞおちのあたりがいつでもどんよりしていたのだけどそれもなくなって、食欲がでてきた。


それから、筋トレの効果をかんじてくると、自然と目標がかわってくる。
はじめはただ腹と腰まわりの贅肉をおとしたいという審美的な目標だったのだけど、なりたい体形に近づくために筋トレをすること自体をこのましくおもえるようになる。もとより考えれば、わたしは運動がきらいで、つかれることがきらいだったのに、毎日すこしがんばれば、もっとじぶんのなりたい体形に近づけることに気づいて、日に日にかわっていくからだのさわりごこちをたしかめながら、これがわたしががんばっている証拠なのだとおもうと、自尊心がみたされる。わたしはがんばっていて、その結果こうなれたとちいさく満足して、とても自信がつく。筋トレは筋肉を鍛えるだけではなくて、なにかわたしにぐんと力をあたえてくれて、それは筋力だけではなくて気力とか、自信とかそういうものもつれてきて、背筋がまっすぐのびる。わたしがやっているのはずいぶん簡単な筋トレだけれど、それでもトレーニングをハードにやっている人がいつも前むきであかるいようにみえるのはこういうことなんじゃないかとおもう。



わたしのからだはといえば、この1年半くらいのあいだでずいぶんかわってきた。
仕事に忙殺されて朝からだを起こせなくなり、退職して3ヶ月のあいだなにもせず休んだこともあるし、そればかりか仕事をやめる直前には会社から帰るエネルギーすらなくて、帰り道で毎日のようにグミを食べていたらみるみるうちにからだがぶよぶよと太ったこともある。半年くらい前にも食欲がなくて、口に食べものをいれては、わたしが食べたいのはこれじゃないとおもうばかりの日がつづいた。社会人になって、じぶんのからだが仕事でつかれやすくなったり、つかれがとれにくくなっていることが気になるようになったし、からだがつかれているために気もちまでくたびれ、落ちこみやすくなっているのも嫌で、どうにかその落ちこみやすさからぬけだしたいとばかりおもうようになっていたのだ。整体へいきはじめたり、ヨガにかよっているのも、からだのつかれからくる気もちの落ちこみをすこしでもかるくしたいとおもったからだった。

それがこのタイミングで、きっかけは見た目をかえたいということではあれど、筋トレをするうちにわたしの気になっていた気もちの落ちこみやすさは、おもいがけずはやく、楽になってきた。整体へいくたびに、すりがらちゃんは筋トレとかしないんでしょう、筋トレすると気分の落ちこみとかよくなるよ、といわれていて、筋トレはしない!と元気にこたえていたが、もっとはやくはじめればよかったとおもうほどである。

きっと最初に仕事をやめたころのわたしだったら、よくすることをあきらめて、毎日甘いものを食べて束の間こころをなぐさめたりもしていたのだろうけど、最近は仕事のペースもつかんできたので食べものに気をくばる余裕もあり、甘いものとつめたいものをひかえて体力がもどってきたので、もうすこしがんばれるようになって、いまでは、半年前にもできなかったふつうに健康にくらすというとてもとてもむずかしい課題のうえに、筋トレをしてなりたい体形になるという目標もつくれるし、筋トレでがんばることによってこころを癒すこともできるようになった。

どれだけつづくかわからないけれど、いまは腹と尻、腹と尻と念じながら、わたしでわたしをなぐさめ、いつくしみ、わたしがわたしの自信になるように、自尊心を鍛えている。わたしがわたしであることを、とてもうれしくほこらしくおもえるわたしを抱きしめられるように、すこしだけがんばるのだ。

3月のこと

20年習っているピアノの先生をはなれることになった。


先月のおわり、いつものようにレッスンをはじめようと椅子に腰かけたとき、ほんとうに心苦しいんだけど、ときりだされた。わたしは土曜11時からレッスンにかよっているのだけど、先生が他の曜日のレッスンとの兼ねあいで土曜日にこられなくなり、土曜日のレッスンはほかの先生が担当するとのことであった。


5歳のときから、週に1度、30分のレッスン。途中で受験をはさんで休んだこともあったけれど、就職してからもこられるようにと2週に1度、レッスンを1時間にのばしてつづけてきた。出会ったとき音大を卒業したばかりだった先生は、結婚して子どもを2人産み、わたしは出会ったときの先生の歳をすぎた。

バイエルからはじめてブルクミュラーソナタ、高校生のときにショパンのワルツをたくさん弾いた。子どものころは時間があまりあるのも手伝い練習がだいすきだったのだけど、大学生になって昼は学校、夜はバイトの生活になると、まとまった練習時間をとれなくなり(休日はもちろん遊びに出かけていて)、それからツェルニーをやりなおし、なぜか発表会でエレクトーンも弾かせてくれて(家にないので教室に行ったときだけ詰めこみ練習した)、最近は北欧のショパン風ワルツを書いたりしているメリカントをはじめて、またピアノを弾くのがとてもたのしいとおもっていたところだった。初めて弾く曲でも楽譜をよめば、先生ならどんなふうに弾いて、どこを気をつけるようにいうか想像がついたし、先生の前で弾いていると、自分の演奏のどこをなおされるかもいつもわかった。


仕事を終えて地下鉄の窓にうつるマスク姿をみやり、来週からあたらしい先生に習うのだなとぼんやりおもいながら、渋谷の東急の地下へプレゼントを買いにいく。へんな話だけれど、20年も付きあいがあるのに食べものの好みはひとつもしらなくて、ちょっと可笑しい。お菓子の甘い香りと惣菜の油っこい匂いの混ざりあった夜8時のフロアをぐるりと1周したのち、先生に似あうアンティーク調の花柄の箱にはいった焼き菓子を指さしながら、わたしはこれをハイこれと渡し、先生は、ああすいませんねえと受けとるところをおもいうかべた。

ピアノにむかって隣に座っているとき、たとえば鍵盤に指を置いて「こんな音を出したい」と目指して手首を下ろす力加減なんかは、指の下りかたを目でみて、音の響きや大きさを聴いてわかるしかなく、あとは、ここはするどく(それもどのくらいするどいか)、ここはレガート(どんなふうにレガート)なんていう、こればかりはほとほと、腕の使いかたや指先の力の入れかた、それから感覚の曲線を近づけることでしか近づくことができないところ、わたしは、ほかの人にはわからない機微を読みとっては歩みより、先生とわたしとのあいだだけでつうじることば、あるいは身体感覚をほとんどわかちあえるほどには長い時をすごしていたのだとおもうと、なかなか上達のはやさがおとろえていることを申し訳なくおもいながら、自己紹介をすることがあれば、ピアノをやっていまして、実は20年ほど、ええ今もレッスンにかよっています、などとおもはゆい顔でいい、「ピアノをつづけてきていること」がわたしをささえる柱のひとつになりつつあったこのごろ、それは、ひとえにこの先生とだったからで、それだからこそ心づよいのだとおもいしらされたりする。


夏に発表会があって、今はそのために練習をしている。先生に習った曲を、ほかの先生に続きを習う。発表会には先生もくるので、そこで聴いてもらえることになる。先生の産休中にほかの先生に習ったことがあって、その先生がメゾピアノはこんなに大きな音なのかとおもうほどにがっしりと骨太な音を出す人で、数か月の間に今までに出したことのないほど大きな音でピアノを弾くようになったことがあったから、これからわたしの弾き方がまた変わるのだろうかとおもったりするし、先週あたらしい先生とお会いしたところでは、またがっしりと弾くようになる気がしている。遅まきながら肩に力を入れずに大きな音でくっきりと弾くことを得て、最近は大きな音で弾くのがたのしいとおもえるけれど、先生と弾いていたショパンの雨だれの主題のかよわく繊細な調べや、中間部の鬱々とさえ感じる重厚な低音、ショパンの蔦の這うようなメロディを弾くのが(譜読み以外は)とてもすきだったわたしを、どうかこれからも忘れずにいられるだろうかとおもったりしている。


さきほどレッスンを終えてきたのだけど、わたしはハイこれをと紙袋を渡し、先生はつまらないものですがとハンカチをくれた。大きなパンダの顔がついたハンカチ。犬と迷ったんだけどパンダかなって、と先生。子どものころからレッスンにくるとキャラクターのシールをもらい、レッスンの予定が書いてあるカードにこにこと貼りつけ、大人になった今でも、もうそれ貼ってるのちびっこだけだよといわれながらシールを貼りつづけるわたしそのもので、とてもうれしかった。

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10年ぶりにインフルエンザにかかった話 〜インフルとかポップに略してくれるな〜(後編)

slglssss.hatenadiary.jp


咳止めと頓服薬の入ったビニール袋をぶらさげ、きた道をもどる。こんな日にマスクをつけてスニーカーをつっかけよたよた歩いているなんておかしくなるほど、よく晴れてあたたかい。

こどものころ、わたしはからだがよわくて薬を飲む機会がおおかったのだけど、そのくせ、薬を飲むのがしぬほど嫌で、薬を飲むとなると泣きじゃくり、そのたび母は苦心していろいろなものに薬を混ぜて飲ませてくれた。ジュース、ヨーグルト、大きいカップにフルーツやナタデココがごろごろはいったゼリーなど。そんな母のやさしさをしりながら、小学校低学年のころだったか、インフルエンザの薬をどうしても飲みたくなくて、薬を飲んだらごはんをだしてくれるというので、寝ている部屋の窓から薬を投げ捨てたことがある。あとで母にみつかって怒られたが、怒るというより妙な知恵をはたらかせたことをおどろかれた。
薬を飲むときは毎回このことをおもいだす。何種類もの薬を同時に口の中にいれて水をふくみ、苦くないようにすぐにごくんと飲みこみ、平気な顔をしているのを、わたしはいつおぼえたのだろう。4粒の錠剤をひとまとめに飲みくだしながらそんなことをかんがえていたのだけど、喉元をすぎるころにはぐったりとくるだるさが頭をもたげてきた。


起きてみるとおや、なにもかわっていない。かわっていないというのは、具合がわるくなっていないということではない。あいかわらず具合がわるいということだ。

熱は37℃台になった。まだ本意気に上がりはじめてはいないものの、「またあしたきてね」と、もはや希望をいだかせてくれたセンセイのことばをしんじるならば、わたしはいま、あしたにむけて、しあがってきている、そう確信できる進歩である。わたしは、わたしのからだのなかでうにょうにょとうごめく有形無形のウイルスたちが、ぷつりぷつりと細胞分裂をくりかえして増殖(MULTIPLIES)し、指先足先のすみずみまでいっぱいになるのを想像して、布団の中でぞくぞくした。わたしはあした、それと診断される。そのときを待っている。これからもっとぴゅうぴゅう熱が上がるのだ。顔がほてるほどあつくなるのだ。さっきすいこんだウィダーインゼリーも、いまごろウイルスがよろこぶエサになっているにちがいない。ハハハ愉快愉快。

昼のぶんの薬を飲み、なるべく効かないように祈りながらYouTubeをみているうちに寝た。


夜が深くなると、いよいよそれらしくなってきた。
寒気の大波がぞんぞんぞくぞくとおしよせ、ふしぶしはぎしぎしと音をたてるほどにこわばり、からだを起こそうものならあいたたたと声がでる。顔がぽーっとほてってきた。きたぞ。満を持して体温計を脇の下にはさむ。からだはこんな調子だが、もう得意顔である。

ピピピと電子音が鳴り、息まいてとりだしてみる。でました。38.4℃。インフルエンザにしてはやや低めだが、それでも38℃台は立派な発熱だ。わたしのからだをひたしているウイルスたち、よくやった。背中もおしりも非のうちどころがないほど完璧に、ばきばきに痛い。寝返りをうっても居心地のいい体位をみつけられないほどの隙のなさ。しかも時計をみればまだこんな時間か、たったの2時間しか眠らせてくれない。泣かせてくれるぜ。あしたは朝いちばんで診察券だしにいきますよセンセ。そうひとりごちて、目をつむってはウ〜ンとうなされて目がさめ、ふたたびもぞもぞと動いて体の痛くないポーズをさがしてはこまぎれに眠った。


清々しい朝だ。
ちまたにあふれる「インフルエンザ初期症状チェックリスト」のほとんどすべてに即答でレ点をつけられるほどの、アルティメットモードである。

火曜日の病院は運よく空いていて、待合室で待っているとほどなくして呼ばれた。覚悟が決まっているおかげか、いくぶん気もちにも余裕がある。


「熱上がった?」

「ハイ、上がりました。はちどよんぶです。」

「そうなのね。じゃあね、インフルエンザの検査しますからね。ちょっと待ってね」

「ハイ」


その刹那、目の前にひろがるは黄金色の霞がかかる極楽浄土、もやが左右へすっとひらけたところには艶やかな髪をたくわえた天女たちがゆたりゆたりと歩き、蓮の池のむこうからこちらへ手まねきをしているのであった、ああ、ついにこのときがきた。ほら、こちらへおいでなさい、ハイただいま、

看護師さんが柄だけ長い綿棒のようなものをとりだし、咳も涙もでちゃうんだけどね、といいながら、おもむろに先についた綿球をわたしの右の鼻の穴に差しいれた。
アガガ、といいながらなんとか受けとめようとする。ここまでだろうなとおもうちょっと先まで入ってくる、くるしい、痛い、涙がぼろりとでる。看護師さんに頭をささえられて、からだをのけぞらせながらなんとか終了。
もうすこし鼻水とりたいから反対側もするね、とされるがままに鼻をディグされ、終わってみれば、そこは待合室であった。

「出ましたよ、インフルエンザのA型です」

ああ、そうでしょう、と、頭のなかにふわふわうかんでいたものがあるべきところに落ちついたかんじがした。

「ひとりできたの?あなたつらそうだから、点滴うつから。すぐに楽になるからね」

学生のころ、母に付き添ってもらって病院へいったのが最後だから、おおよそ10年ぶりのインフルエンザだった。


ハイありがとうございますと、しおらしくとなりの診察室へ入り、鼻ディグしてくれた看護師さんに腕をさしだす。ちくりと痛みがはしったあと、つめたいものが腕の中にごくごくとはいってくるのをかんじる。このまま40分くらいじっとしててくださいね、といわれてカーテンがしめられた。だらんとのばした腕のむこう、爪のハートがきらりとひかる。急にこころぼそくなった。



点滴はしずくの数をうつらうつらかぞえているあいだに終わった。よろよろとベッドから起き、少々値がはるなとおもいながら会計をすませ家へ帰る。

ひと寝してみればなんだかすこし痛みが少ないような気がする。きのうまでおしりが痛くて座れなかったが、いまはなんとか椅子に座れる。
この点滴をしたら、いわゆるインフルエンザの薬を服用しなくていいとのこと、こどものころのわたしにもできたらこれをやってあげたかった。

買ってきたOS-1を飲む。これ風邪のときにしか飲まないからあまりすきじゃないんだよなとかおもいつつまたひとくち飲む。ポカリスウェットとかスポーツドリンクも、こどものころ風邪のときに飲まされたおぼえがあってすきじゃない。食欲はないなんてものじゃなく、YouTubeで大食いの動画をみても、へえおいしそうに食べるなあとおもうくらいで、わたしも食べたいなあとはさらさらおもえないのがなさけないほどである。喉がぱんぱんに腫れて水を飲むのもくるしく、ウィダーインのみずみずしさがありがたい。また布団にもぐる。

このさい仕事はどうでもいい。そのうちけろっとなおるのもしっている。けれどもどうにもやるせない。きのうからウィダーインゼリーしか食べていなくて、年明けにパーンとついたぜい肉がみるみるうちにハリをうしない、お腹がたよりなくぺたんとしてきたこと。歩くのもよろめいてしまうのでお風呂に入れず、髪の毛がべたつきはじめて気もちわるいこと。つまらないことばかりが目につき、頭にまとわりついて、とつぜん天井からぬっと伸びた手に顔をふさがれるような気がして、うわっと我にかえる。布団の上、わたしのからだで、わたしのからだとがっぷり四つの最中、じぶんのからだを、じぶんでさえどうにもできないもどかしさと、それでもわたしでどうにかするしかないのだというさだめにみずからがんじがらめになってしんどい、さみしい。
「インフルエンザでした」とつとめてあかるくツイートしたら、うれしいことにたくさん連絡をもらった。またなさけなくなって、声をだして泣いてしまった。


点滴はてきめんに効き、次の日には喉の腫れこそあるものの、ほとんどふつうに食事ができるまでになった。動画をみていてもたのしいし、食欲もかきたてられる。近藤聡乃の新版エッセイも読めた。映画も1本みられた。からだを起こしていてもぐらりとめまいがすることもなくなって、お風呂にもはいることができた。『恋と退屈』に、峯田さんが怪我をしてしばらくお風呂に入らず、久方ぶりにお風呂に入ったらからだじゅうの垢がおちたとかいてあったので3日分の垢はどれくらいかとおもったけど、髪の毛がさっぱりしたくらいだった。

一日中ほとんどじっとしていると、自然と頭のなかにちらばっていたきれぎれの考えがひとりでにあつまってきて、うまくまとまったり、どうでもいいことだとわすれられるのがわかる。
それがどうして、ふだん仕事をして、得意でもないことを曲がりなりにもやってみたり、やっぱりむりだったなとおもってみたり、その隙間にすきな人に会いにいきたいなとおもってみたり、たまにはライブへいこうとおもう日もあったり、わーっと買い物をしたりする日もあって、なかなかにいろいろなことがぐるんぐるんとうずまくなかにいると、ふとおもいついたことはうまく練りあげることもできぬまま、ちりぢりに頭の中の竜巻に飛ばされていってしまう。

しかしながら、誰とも会わず、食事もとらず、たのしいこともないけれど、からだの不調以外はいやなこともなくて、寝て、起きて、またしばらくしたら眠るような生活を数日おくるうちに、わたしの野原に無造作におきざりにされていたものがあるべきところに収納され、いらないものは跡形もなくなり、余計な考えだとか、くよくよとこねつづける無用な悩みのたぐいがすべてさっぱりとなくなった。いまは高い丘の上で、目下にひろがる草原が風になびくのをながめているようだ。どうにもできないとじたばたしているあいだに、どうにもならないじぶんがひょっこりと輪郭をあらわして、わたしは目がさめるおもいである。

日頃から「疲れているからもうすこし休んだほうがいいよ」といわれることばかりで、ウンとうなづきながら、からだの疲れはどうにかなると、何もしないでいることに何よりも焦っていたのだけど、急にインフルエンザにかかって休むことになって、こんな感覚をえられるとはおもわなかった。またわたしはベッドからおり、地に足をつけて歩くのだ。身震い、いや、武者震いがする。


体調も快方にむかい、いまならかけるとおもって筆をとる。どうせならおもしろおかしくかいてやろうか。インフルだなんてポップに呼んでくれるやつらに、わたしのしんどさをおしえてやろうか。どうせならとびきりポップに。いちおうそんな根性なのだ。

10年ぶりにインフルエンザにかかった話 〜インフルとかポップに略してくれるな〜(前編)

10年ぶりにインフルエンザにかかった。
これは闘いの一部始終である。


日曜日、おそく起きた朝。
寝すぎたなとのこのこ布団からでて男子ごはんをみながらきのうののこりのごはんと豚汁をたべる。心平ちゃんはほんとうにやせたなあ。たべおわってすることもないのでまた布団へもどる。

YouTubeをみながらごろごろしているうちに寝てしまって、目がさめたら夕方だった。喉がかわいて痛い。

ふだんから口があいているくせがあるから、寝ているあいだに口をぱかんとあけていたんだろう。ちょっと咳がでるのもしかたない。

鉄腕DASHにキムタクがでていた。ひさしぶりにみたような気がするけれどやっぱりかっこいいな。こないだの『アナザースカイ』に北川悦吏子がでていたのもあり、いよいよロンバケが気になってきた。


週のはじめに塗ったマニキュアをおとして、渋谷のロフトで買った、スパンコール入りのにかえる。ピンクや赤のハートのかたちをしたスパンコールがたっぷり入っていて、『フェロモン中毒』という色名がなかなかにおきゃんで、負けたよという気もちで買ったのだ。

グリッター入りのって爪にぜんぜんうまくグリッターのらないんだけど買っちゃうよね、スポンジにわざわざとってポンポンのせたりしないよねめんどくさいもん。でもやっぱり、塗ってみると名前のとおりちょっと浮かれていてかわいい。今週もよろしく。




月曜日。朝。
背中から腰にかけてがばきばきにこわばり起きられない。舌をのばして喉の入口のあたりをさわると、ぶよぶよに腫れているのがわかる。つばをのみこむだけで喉がしめつけられ、ぎゅんと音が鳴り、じんと痛む。咳がコホコホとつながってでる。頭がぎりぎりとしめつけられるように痛い。全身が砂をつめたようにずっしりおもい。熱をはかると36.4℃だったが、平熱が35℃台のわたしにとってはあきらかに嵐の前の静けさであった。

もうそれでしかないと確信がある。
前日まで喉の痛みくらいしかかわったことはなかったのに、朝起きた瞬間に、おもいつくかぎりのしんどさがまとわりついたようなからだになっている。しかもただの風邪なんかではない、ふしぶしがこわばるような痛み。


すぐさまどうにか外にでられるスウェットとジャージに着替え、ガバガバしてよくフィットしないマスクを装着し、診察券をにぎりしめかかりつけの病院へ。

休診あけの待合室は混んでいる。やわらかそうな頬を真っ赤にしたキッズは、ちいさなマスクがずれたのだろう、あごにかかったまま、母親の胸にもたれてぐったりとしている。わたしは頭痛で目をあけているのがまぶしく、iPhoneの画面を長時間ながめるのもしんどかったけれど、とりあえず職場に「発熱のため休みます」と連絡。発熱まだしてないけどたぶんこれからきますという希望的観測もふくめ送信。不本意ながら「ご迷惑をおかけします」ともつけくわえておく。

時間にして10分ほどだっただろうか。名前がよばれるまでのあいだはまさしくこれが朦朧というにたがわずといったあんばいであった。

これが孫悟空あじわった痛みかとおもうような、頭蓋骨ごと締められるような頭痛、腰から太ももの裏にかけてのふしぶし、およびふしぶしでない広い面すべてにかけての痛みで、背もたれのない椅子にふつうにすわっているのがやっとだ。次第に頭にぼーっと血がのぼってくらくらしてきた。あつい、あついぞ。

キッズ、いい子にしてるじゃないか、やるな...でもな、こちとらママがいないけどなかなかがんばってんだぜ...ここらでいさぎよくみじめなところをさらそうじゃないか...みんながみてる前で長椅子にごろんとしてやろうか?エ?

このまままっすぐすわっているのももう無理だ、横にならせてもらおうなどときれぎれにおもっている折、看護師さんからお声がかかり、蜘蛛の糸をたぐるようなおもいで診察室へ。センセイ、わたしもうね、ほらこれ確定でしょうと、(血の気を失った)揉み手で馳せ参じる。



先生にハイ口開けて〜といわれて堂々口を開けるたびに、ね〜ほらセンセ、喉腫れてるよね?ね?これはねえもうほら、そうですよねえ、と、喉の奥からとびだしてきそうなほどおおきく念じ、からだもばきばきに痛いんですよねえと身ぶり手ぶりで痛い部分を訴える。先生もおおよそ確信をもったとおもわれた。
しかしここでややほっとしたのが、ながい闘いのはじまりだったのだ。

「熱は?」

「ア〜熱は、まだ微熱ですねえ。」


そういってしまったのがまちがいだった(なんらまちがいではないが)。


「ジャ、あなたはインフルエンザかもしれないし、インフルエンザじゃないかもしれない。熱がまだあがってないから、検査しても『出ない』から。今晩熱があがるとおもうから、そしたらまたあしたおいで。」


カンダタの糸はあっけなく切れた。


とりあえず咳止めと頓服薬などの処方箋をもらって薬局へ。わたしの前に待っていたママ&キッズが薬剤師さんと「●●ちゃん、インフルエンザなっちゃったんだね、これお薬ね」云々のやりとりをうらめしくみつめ、そのおくすりわたしにもちょうだいよ...とハイエナの目をしていたが、マスクを深くつけていたので気づかれていないとしんじたい。


ああこれで楽になれるとおもったのにとおもうたびにめまいがして、ふらつく足どりで帰宅した。


(後編につづく)