磨硝子日記

すりがらすのブログ

おぼえている、わすれる

長い長い休みの残り香は早々に消えて、押しよせる業務、なにがしかの圧などに背中を押されながら金曜日にむかってとぼとぼと歩くようだったのに、今日は土曜日であるとわかった瞬間、ふと軽くなるような心地がするのはゲンキンなのだろうか。休日は掃除をしながら、なにかというとぱっと手にとるのは『POCKET MUSIC』だ。今年のツアーでは「土曜日の恋人」を聴けるだろうか、この曲を聴くたびにココナッツの放出でサンプルの7インチを買ったことをおもいだす。「POCKET MUSIC」を聴くたびにふつふつと湧きおこる、このなんともいえないサティスファイングな感覚はなんだろう。このうつくしくてたおやかなサックスは土岐さんだろうか。そうしてB面にたどりつくが、実は「シャンプー」がどうしても湿っぽくてきらいだ。そういう、ツイートするまでもないけれど、LINEで送るまでもないけれど、誰かにふと、あるいは誰もいなくても口にだして、その言葉がどう響くのかを確かめたいことが、この数年で体のなかにたまっているような気がする。たとえばライブの感想が、今食べたものについておもったことが、隣にいる人のささいなしぐさに苛立っていることが、どこからかやってきて水面ではじける泡のように、誰にも気づかれず、わたしにも記憶されることなく、なかったことになってしまうのかしら。

14歳ぐらいのころ、考えていることや身体的な感覚が、歳をとったらなくなっていく、あるいは変わっていくことを、無意識にとても恐れていた気がする。人一倍よく感じるこの心と体はどうなってしまうのか、実際に20歳をすぎて、社会人になって、いっそう外の世界と「わたし」を通りぬける道のような、穴のようなものが、どんどんふさがっていくので、怖かった。アルバイトをしていたころ社員さんに「大人になるってことは、閉じていくことだとおもっているんです」などとのたもうていたので、けっこう本気だったのだとおもう。じっさい、今のところその感覚はたしからしい。

24歳のとき、一度目の転職をした。その時はこの前の転職と比べものにならないほど、体を壊した。あの時会社を辞めていなかったらほんとうにどうなっていたかわからないくらいで、背中や腰が痛くて、頭が重くて、ふと気がつくととてもかなしくてみじめなおもいがした。とにかく夜ははやく寝たくて髪をどんどん短く切って耳にかからないくらいのベリーショートにしたり、メイクもほとんどワンパターンにしたり、なにかたのしいことがひとつでもあったのだろうかとおもってしまうくらいで、ときどきおもいだしては、舌を上顎をぐっと押しあてて、こみあげるものをおさえる。
そのころから、わたしが閉じていくことも必要だとおもうようになった。しかたなく。受けいれられないことばかりだったから。

それからどうにもならないようなことに胸を押しつぶされそうになったとき、それを少し自分の手で払うなり、体の上から退けるなりできるようになってきて、こうすればよかったのかと、頭と体におぼえさせるようになったのが最近だ。よくばりなことに、わすれたいことはわすれたいし、おぼえていたいことは、わすれそうになってしまうけど、気づかないうちにわすれるけれど、おぼえていたい。
ブログのなかに同じようなこと書いた回があったとおもって探してみたら、ちょうど5年前だった。やっぱりこの時の方がみずみずしいような気がしないだろうか。帰ってこい、もどってこいと、もういらない、もどらないをくりかえしている。
slglssss.hatenadiary.jp

5月のはじめのこと

5月2日、リ・ファンデのライブへ行った。リーくんがずっと対バンしたいといっていたSCOOBIE DOとの共演の日だ。『SHINKIROU』というアルバムのリリースからしばらくたって、やっとこさ大きな音でバンドの演奏を聴くことができて、胸のすくおもいだった。
リーくんが海のみえる街に暮らしはじめてからというもの、ふらっと会うこともなかなかなくなり、再会するたびに必ず、仕事忙しい?元気だった?と確かめあってしまう。彼は東京を出るときに迷いを振りはらったのかもしれないとおもうほど、どんどんすっきりとした佇まいになっていて、いつも次に会うのが楽しみになっている。ステージの上にいるミュージシャンとしても、友人としても。
アンコールではコヤマシュウが、リーくんと一緒に「熱風の急襲」を歌っていた。リーくんとは出会って数年なのに、12、3年の仲のような気がしているんだとシュウさんが話しているとき、いえいえ、とか、そういう謙遜した様子ではなくて、ただマスクの下でほほえんだようにみえたリーくんは、落ちついていてとてもかっこよかった。久しぶりのFEVERのフロアの隅で柱にもたれながら、しばらくライブをみていて声をだしたり手をあげたりしていないと、こうも体が動かないものかと不思議だった。スクービーのファンの皆さんがおもいおもいに踊るのをみて、気後れしたけれど、うらやましかった。


5月4日、六本木のグランドハイアットで中華のオーダービュッフェというのに行った。今年になってはじめて感じた、まぶしくて暑い陽ざしの日だった。ホテルに泊まっているのであろう、フロアをゆったりと歩く子供連れの家族、友人同士の集まりをみながら、親友とわたしは、偶然とおされた半個室で小一時間、ウェイターを呼びつけては、あれやこれやと飲茶を頼み、食べた。個室の壁の一面は3メートルほど高さのある鏡になっていて、ばかでかい鏡に、久しぶりに浮かれている自分の姿、服装、そしてまたにやりと笑う表情などをみて、場違いなところへきてしまったなとおもいながら、次々と運ばれてくるひとくちサイズの料理を残さず平らげた。
食べものの写真を撮るのがどうも下手くそだ。決してiPhoneのせいでも、お店の照明のせいでもなく、むろん盛りつけのせいでもなく、なんだかただテーブルに料理が置いてあるだけにみえてしまう。そのためか、またそのためもあるし、単に撮るのを忘れて食べてしまうのもあって、この時の料理の写真も1枚しかない。それも、全然おいしそうにはみえないものだ。
濃くもなく、油っこくもなく、繊細で、チャーハンの米のほどよい硬さにまで気配りの行き届いた料理を、ぽつぽつと、おいしいね、これはこうで、といいながら食べている間、ハイアットの中庭をぼおっとみやり、高級そうな食器や繊細な模様の施された小物のある店内とは対照的に、吹き抜けの屋根に向かって力強く伸びたビルの骨組みが目に入り、束の間、外界から切り離されたような気もちにさえなる。とびきりおいしくてまた行きたいというわけでもなかったけれど、日常の中で宙に浮いたようなあの空間を、また体験したくなる日がくるのかもしれない。ここではないどこかででも。


5月8日、神保町試聴室のライブへ行った。もともと2年前の5月に企画されていて、その後7月に延期され、それも中止になり、今回やっと実施になった。わたしはその3回ともに、予約メールを送っている。bjonsが出演するライブだったから。

今泉さんの演奏はとてもすきなのだが、ずっとバンドでライブをしてきたからなのか、ひとりで椅子に腰かけてギターを構えた姿がなんだか心細そうなので、みているこちらもじっと見守ってしまう。試聴室のような会場で、時々すぐそこにある客席をちらっとみながら歌うので、目のやり場にとても困る。困った挙句、わたしは歯並びをみることにした。子供のころから歯列矯正をしていて、最近もまた再度の治療をしていたので、人の歯並びをみているのは飽きない。
SAKA-SAMAのセルフカバーをずっと聴いてみたいとおもっていた。ご本人たちが歌うよりもずっといじらしかった。出演されていた方やお客さんたちが、「空耳かもしれない」がよかった、ほんとうによかったと繰り返しいうのを、耳をそばだててきいた。勝手に、とても嬉しかった。bjonsの曲を歌うとき、彼はメインボーカルを歌うので、わたしはみんなのコーラスを頭のなかで再生する。一瞬の悲しさが走るけれど、そのうちなんともおもわなくなるのかしら。

それから、今泉さんはbjonsの前のバンドの曲もやっている。このバンドのことを、以前からしっていたし、10年以上前から更新が止まっているバンドのオフィシャルサイトもみて、ブログも全部読んだし、ユニオンのサイトでアルバム音源を試聴できることもしっていた。なんならユニオンとかレコード屋さんに行ったら、毎回ジャパニーズのインディーのカ行のチェックをしていたくらいだ。けれどもそこに運よくささっていることはなくて、もうこのアルバムの曲を聴くことはできないのだとほんとうに諦めて、考えないようにしていた。
前回、はじめて弾き語りのライブをみに行ったとき、ユニオンの試聴サイトで30秒だけ聴いたことのある曲を、目の前で歌うので驚いてしまった。この曲レパートリーに入っているのかよ!
「君のシルエットが 夜に溶けて」などと歌うので、15年前に、今のわたしよりも若かったこの人、何を考えていたのだろうかといつも、歌がすすんでも取り残されてしまうのだけれど、今ならサビのあたまで「君の」とか言うんだろうか、言わないんじゃないだろうか、どっちでもいいけれどさ。
帰りに、話したかったことをどうにかひとつでも多く話して帰ろうと、なぜだかこの日は頑張ってたくさん話して出てきた。話しているときに、ひとつぽろっと言ってくれたなかに、そのときはそれほど特段の印象を持たなかったけれど、あとでおもいだして、なんだかこの数ヶ月のことをすべて肯定してくれるようなことを言ってくれていたんじゃないかというものがあって、その言葉がぐわぐわと頭のなかに響いて、ときどき反芻している。

同じ日に出演していた、サボテンネオンハウスというバンドをみていたら、このバンドをきっとすきな人たちのことが何人もおもい浮かんだので、すぐに連絡をした。

シャムキャッツのこと・あとがき

slglssss.hatenadiary.jp
先日書いたシャムキャッツのブログにたくさんの方から反応をいただいた。自分のことを書いているのに、それを読んだ誰かの気もちを少しだけ動かすことができるというのは、本当に不思議なことだとおもう。Twitterのコメント、RT、DM、LINE、ブログのコメントで、たくさんの時間をかけておもいを伝えようとしてくださった方に感謝している。
正直なところ、1年半かかって書いたけれど、思い出の濃淡に偏りがありすぎて、まだまだ書きだしきれなかったことがあるような気がしていた。たとえば、最後の新木場STUDIO COASTでのライブのことは、まったく書いていなかったりする。確かに行ったし、Blu-rayも持っているのだけれど、それをまだ一度も再生していない。クラウドファンディングのリターンとして届いた時に中身をみて、それ以来そっとしまってある。そういえばあのライブの日、行こうかどうしようか迷って、でも行くかとおもいきって行ったのだった。しっている人にはおおかた会えた、そんな夜だった。また会いましょうともいわずに4人はステージの奥に戻っていった。大きなミラーボールに反射する光。あらためて記憶をなぞりながら、もう一度この日を体験してしまったら、終わりな気がして。いやもう何も終わらないのだけれど。

原稿は、書いたり消したりしていたというのもあるけれど、それにしたってこれまで書いたどんなブログよりも進まなかった。記憶から引きだせる思い出を語るのは簡単だったけれども、わたしは今、その思い出のことをどうふりかえっているのか、その思い出のなかにいるシャムキャッツは何だったのかというのを考えていたら、言葉に詰まってしまった。それから、どうしてこんなに気もちをあの日に置いたままにしているのかを考えていた。

そんな折だった。昨年の大晦日に、bjonsが解散するというしらせがあった。潮が引いていくような心地になった。わたしのすきなバンドはふたつとも解散してしまった。
「推しは推せるときに推せ」という言葉があるけれど、まさに言い得て妙であるとおもう。シャムキャッツもbjonsも、どちらもライブにはよく行ったとおもうし、推せるときに推していたという自負はある。だけれどもこれは、「推せるとき」のためにある言葉ではない。「推せなくなったとき」をしった人が、「まだ推せるとき」にある人に授けた言葉なのだ。今となっては、「推せるとき」のわたしに言いたい。その日は突然くる。何もしらずに推しているときがとにかく幸せであるのだと。

たとえばあなたの推しのバンドが解散した、グループを卒業した、活動を辞めた、もう推せなくなったとなれば、どう反応するだろうか。
わたしは「どうして解散するの」と言えなかったことが、いちばん苦しかった。

別に言っても全然何の問題もないとおもうのだ。ライブで「次が最後の曲です」と言われたら「エー!」と言うように、反射的に、解散しないで!と口をついて出てくるのは、ごく自然なことなのだろうとおもう。
でも、何も気にせずそう言うことはできなかった。きっと理由があるのだろう。解散しないでほしいという気もちを伝えることは、喜ばれないかもしれない。活動できなくなった理由は、バンドの外にあるのかもしれない。なぜか、自分の素直なおもいを、自分で理由をつけて押しこめていた。何もわからないのに。

それで、bjonsが解散したのをきっかけに、自分でほとんど隠していた気もちを書いて出さなければとおもった。まずは書きかけたシャムキャッツのことを。ただし、胸のなかで散らばったいろいろな思い出や、心配や、後悔や、やるせなさをすべてまとめて、ぐしゃぐしゃに丸めて、解散しないでほしい、と投げつけないようにしようとおもった。とにかく、その「解散しないでほしい」に丸めこまれたものを、つまびらかにしていこう。丸めた紙を広げ、しわを伸ばし、何が書きつけてあるのかを自分でも見つめたい。そんなふうにして何とか書き終えた。わたしはまだ、進めていないのだとわかった。それだけでよかった。

人生のなかで特にめまぐるしく、心と体のかたちを変えながらすごした月日を、シャムキャッツとbjonsを聴きながら過ごせたことが、わたしにとっては何よりもありがたかった。ほとんど恋をするように夢中になったから。あなたが心血注いだ作品を、わたしは一生懸命受けとめようとしている。楽しいときにも、つらいときにも聴いているし、そうして歳をとって、あなたの伝えたかったことや、考えたことも、これっぽっちもわかっていないかもしれないし、迷惑かもしれないけれど、どうしても惹かれる。そういうおもいでいたから、今も何でもないような顔をして、とてもさみしい。

ライブへ行く機会も本当に少なく、最近はどうにも音楽を聴くことすら少なくなって、わたしの生活はどうなっていくのだろうか、とおもう。それは趣味という文脈ではなくて、人生のことだ。まだしばらくは進めずに、ただひとりよがりな気もちでいる気がする。

シャムキャッツのこと

2020年6月30日。在宅勤務が続く中、めずらしく出勤したその日、お昼休憩にインスタを開いたらでてきた、白背景に黒い文字だけが載った投稿。よくないしらせなのだとわかった。
「突然の発表となり大変申し訳ございませんが、シャムキャッツはその活動を終え、解散することをご報告させて頂きます。」

デスクでiPhoneを片手に、声を出すこともできず、ただ、胸がどきどきとするのを感じた。それはおもいがけず、しかしそうして伝えるしかないのだとおもった。よく覚えていないけれど、きっと午後の仕事は手につかなかったとおもう。

この日から1年半以上がたった。けれどもわたしはまだよくわからず、前にすすめないでいる。時間がたてば受けいれられるのかもしれないとおもったし、そのあいだに世界は大きく様相を変えたけれども、今もなお心の隅に、普段はさわらないようにして、全部の思い出をそのままにしておいてあるのだ。

それでもひとつだけ書いておかなければいけないことがあって、それは、シャムキャッツをだいすきだということだ。今になってもまだうまく言葉にできないような、やるせなさやくやしさ、無力感の靄をかきわけて、あのまぶしいステージを、背中をさすってくれた言葉や音色を、心地のよい佇まいを、大きな手のひらのたくましさとやさしさを、ひとつひとつ取りだしては、気づかないうちに記憶の奥のほうへ押しこまれないように、ここにありありと書いておこうとおもう。



シャムキャッツと出会ったのは20歳のときだった。バイト友達でバンドをやっていた人から、おすすめの東京インディーアーティストの音源を何枚か焼いたCDをもらったのだ。
入っていたのはcero『World Record』『My Lost City』、ミツメ『mitsume』『eye』『うつろ』『ささやき』、柴田聡子『しばたさとこ島』、そしてシャムキャッツ『たからじま』だった。なかでも、柴田聡子とシャムキャッツに惹かれ、特に、はじめて聴いたシャムキャッツ「なんだかやれそう」には驚いた。

すごくめちゃくちゃで、やんちゃでかわいくて、でもそれだけじゃない。果汁100%のオレンジジュースがじゅばっとほとばしるようなすっぱさがありながら、なぜか3拍子のAメロに、涼しい顔で歌うコーラス、最後には転調まで駆使する、謎に技巧派な曲という印象で、世の中にはこんな曲を歌う人たちがいるんだなあとおもったものだ。続く「本当の人」を聴いた時には、このボーカルの人こういう曲も歌うんだとおもったのだが、その曲は別の人が歌っているのだとしったのはしばらくたってからだった。

そのあとディスコグラフィを調べて、近所のHMVで『AFTER HOURS』を買う。そのころだったか、先述の友達が「GIRL AT THE BUS STOP」のMVのリンクを送ってくれた。スカイブルーのアノラックを着て、ぱっつんと切ったボブヘアーを揺らしながら、団地の敷地内をずんずんと歩き、時折いたずらな視線を投げかける夏目くんに心をうばわれた。

f:id:slglssss:20201231181320j:plain
はじめてライブをみたのは2016年9月17日、吉祥寺スターパインズカフェであったワンマンライブ「ワン、ツー、スリー、フォー」だ。TETRA RECORDSの立ちあげと、EP『マイガール』発売を記念して行われたライブで、キャパシティがそれほど大きくない会場にもかかわらず、幸運にも当選したのだった。

今のようにライブにいくようになったのはこのころからで、とにかくこのライブのことはよく覚えている。4人がとても近くて、いつも聴いていた曲を目の前でみられて嬉しかった。終演後、長机に4人が並んで座り、夏目くんはさっきライブが終わったばかりなのにビールを片手にすでに真っ赤になっていて、わたしが「3度目まして!」(この日が夏目くんに会うのが3回目だったから)といいながら手をさしだすと、ハンバーグみたいにぶあつい手で「3度目ましてぇ〜」と握りかえしてくれた。絶対にわたしのことを覚えているはずがないのだけれど、こんなふうに近くで言葉をかわせるものなのかとすごくときめいた。夏目くんは、酔っぱらっていたって、とてつもなくかっこよかった。今おもいだしたけれど、この日夏目くんに、表紙いっぱいにサインを書いてもらった『じ〜ん』というZINEの画像を、ずっとLINEのプロフィールの背景にしている。

f:id:slglssss:20201231183454j:plain
夏目くんは太文字が上手。


その秋に発売されたEP『君の町にも雨はふるのかい?』は、バンドの人生におとずれた大きな出来事に動揺しながら、ほとばしるエネルギーと汗のにおいをたたえ、その一方では握ったら壊れてしまいそうな繊細さを抱きしめるような、人物像や心の機微を立体的に描きだした作品だ。

それぞれまったく表情のちがう5曲は、別のところに住む5人の物語のようでもあり、あるいはまるであるひとりの暮らしのいち場面を月曜日から金曜日まで切り取ったようでもある。雨が降るからと洗濯物を急いで取りこんだり、友達と後味悪く別れて帰宅しクノールカップスープを作ったりといった描写は、なにげなく歌詞の中に織りこまれているようで、生活する人への共感と愛に満ちたまなざしだと気づかされる。

はじかれたピクルスのような すっぱい俺にかじりついて
まん丸の目で喉を鳴らす 事務所に履歴書でも送ろうか?
転がって転がって転がって息を切らすだけ
引っ掻いて傷つけたくせに悲しい顔して泣いて眠るのだ

転がって転がって転がって転がって転がって
引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いて
牛乳飲んで 大きくなって 好きに遊んで 好きに眠るのさ

この頃わたしは、多忙のため体調を崩し、仕事を辞める直前だった(この年末に退職する)。通勤電車で聴く「すてねこ」は、身体がおもうように動かなくなり、職場での身のこなし方がわからなくなってしまった日々にあって、これなら聴いていられるというほとんど唯一の曲であった。音楽を聴いても楽しくない、そんなことよりも明日会社にいけるのだろうかということが頭をもたげていた時、夏目くんの声で語られる歌詞は傷口に消毒液を塗るようなわずかな痛みをともないながら、今日をやりすごす気力を何度となく与えてくれた。日常のなかにシャムキャッツがいるというかけがえのない意味をこれほどおもいしった日々はない。


デビュー9周年の2018年には、はじめてのホールワンマン「らんまん」も開催された。この日のことを深く胸に刻んでいるファンはとても多いとおもう。まず、『Friends Again』ツアーではしばらくステージになかったキーボードが、上手にあったときの嬉しさよ(そしてそのキーボードが1曲目から活躍したときのときめきよ)。それだけでなく、『はしけ』や『たからじま』から「このままがいいね」まで、バンドの活動をつぶさにふりかえるようなセットリストと、それを今この時のシャムキャッツとして演奏する勇敢で誇らしげな4人を前にして、たまらず胸を打たれた。

f:id:slglssss:20210211144401j:plain
アンコール後、10秒間の撮影タイム。
TETRA RECORDS設立後、シャムキャッツはポップアップショップなどを通じて、ファンとさらに近くで交流をしはじめる。2018年3月には幡ヶ谷にあるパドラーズコーヒーでポップアップショップと曲づくりワークショップを行った。
f:id:slglssss:20210211145520j:plain
そして印象的だったのは、台湾晩餐会という食事会を開催したこと。メンバーと台湾料理を食べながらアジアツアーのオフショットをみるという会で、ライブでもなければトークショーでもない会にもかかわらず40名が集まったという、いつふりかえってみても、シャムキャッツが人を惹きよせるバンドであったことを象徴するイベントのひとつだったとおもう。あなたはすきなバンドのメンバーとそのファンとテーブルを囲み、映像をみながら語りあったことがあるか?わたしはある。こんなことはこの先きっとないし、これだけにしたい。
f:id:slglssss:20210211145213j:plain
どうみてもただの飲み会風の写真ですが、バンビさんのいるテーブルにいました。
f:id:slglssss:20210211145403j:plain
翌日のライブに向けて台湾入りしていた菅原さんとビデオ通話をしている様子。


f:id:slglssss:20181224151930p:plain
告知の画像、どなたかにお願いすればよかったなって100万回くらいおもっています。
この会をきっかけにわたしが立てたとんでもない企画が、「らんまん上映会」だ。みんなでご飯を食べながらシャムキャッツのライブ映像をみたい。そんなおもいつきから、イベントなど主催したこともなかったのだけれど、シャムキャッツのライブDVD「らんまん」を上映するというイベントを計画した。ダメ元でシャムキャッツのWebサイトのお問い合わせフォームから、許可取りのメールを送った。内心、NGだといわれるんじゃないかとおもいながら。すると、しばらくしてシャムキャッツのマネージャーを名乗る人物からあっさりとOKをいただき、わたしは後戻りができなくなった。

正直いって、自宅でDVDをみられるというのに、入場料を払ってわざわざみにきてくれる人なんているのだろうかとおもう気もちもあった。ミツメのツアー日程(北海道)とかぶってしまったのに気づかず、遠征で東京にいない人も多そうだという情報を得て狼狽した。しかし、Twitterで告知をすればRTやいいねでたくさんの人が気にかけてくださり、集客に不安を感じていた時にメッセージをくれた方もいた。またいざ当日になってみると、たくさんの方がシャムキャッツへの特別なおもいを抱えてやってきてくださった。このために神戸からきてくださった方もいれば、この間のシャムキャッツのライブを事情があって途中までしかみられなかったので、みんなと見直したくてきたという方もいた。

f:id:slglssss:20181224152737j:plain
寄せ書きのノート。
来場してくださった方にシャムキャッツへの寄せ書きノートを作ってもらったのだけれど、上映会が終わった後にページをめくってみると、どこをみても、ただシャムキャッツがすきだと伝えるためだけに、並々ならぬエネルギーが注がれていた。同じバンドを応援する、大切な友達に出会えた。そうおもえた出来事だった。
f:id:slglssss:20181224152921j:plainf:id:slglssss:20181224152932j:plain
後日寄せ書きをメンバーに渡したときの様子。「事務所に飾るね!」といってくださったのだが、その後オフィスでおこなわれたインタビュー画像の後ろにばっちり写りこんでいて泣いた。


『Virgin Graffiti』以降、実はあまりシャムキャッツのライブにいっていなかった。『Friends Again』がだいすきだったわたしにとって、『Virgin Graffiti』は今までとちがうシャムキャッツに映った。余計なものを削ぎ落とした誠実な美しさから、吹っ切れたようなエネルギーの発散に驚いていたのだ。

「このままがいいね」は、美しいものが美しいままでいられないことを、いつまでもわがままで自由な存在でいたいけれど、わがままで自由なままではいられないことを歌っているのに、そうとはわかっていても、わたしの生きる世界の延長線上に彼らがいるとおもうほどに、遠くにいるのに近くにいる彼らが変わろうとする姿を、わたしはどうしても受け入れることができなかった。彼らにとっての過去、わたしにとっての思い出にしがみつくあまりに、シャムキャッツの最後の姿をみつめることができなかったことを、今でもずっと悔やんでいる。

f:id:slglssss:20220116130451j:plainf:id:slglssss:20220116130531j:plain
こんなふうに、未だ気もちの整理がついていないファンもそうそういないだろう。解散後に渋谷PARCOで開かれた写真展には、ぐちゃぐちゃな気もちのまま足を運んだ。写真のなかにいる、若く、笑顔で、おどけてみせる彼らは、もうバンドをやめてしまったのだという事実に、胸のあたりがずしりと重くなるような心地がした。会場でメンバーに会えるのではという期待もあり2回訪れてみたけれど、何度みても、もう終わってしまったということを反芻するばかりで、写真もろくに撮ることができず、カメラマンの佐藤祐紀さんにiPhoneを渡して代わりに撮影していただいたくらいだ。
入場特典でもらったステッカーは、『たからじま』と『Friends Again』。悔しいくらいに、うまくできすぎている。


シャムキャッツというバンドは、友達であり、同志であり、戦友でもある4人が、それぞれ他のメンバーにはないピースを持ち寄り、一枚の絵を完成させたような共同体だとおもう。ピュアで、とても繊細で、時に大胆でどこまでも突っ走り、誰でも夢中にさせ、心配させ、放っておけないとおもわせてしまう、カリスマ性のある夏目くん、落ち着いていて、いつでも柔らかく心地よい雰囲気でありながら、誰よりも興味のおもむくことを気がすむまで追い求める情熱をたずさえた菅原さん、ロックバンドの演奏に新しい風を吹きこむ改革者であり、その一方で、誠実で共感力の高すぎる性格ゆえに自己犠牲をいとわない、まとめ役のバンビさん、言葉数は少なさそうにみえるけれど、バンドやレーベルの屋台骨をがっちり支え、綱引きの1番後ろの人のように、シャムキャッツを形づくり続けた藤村さん。彼らの作品だけではなく、メンバーの魅力にあふれた人柄が、ファンを惹きつけたのだと信じている。もちろん、誰かひとりでも欠けていたら、シャムキャッツにならないのは明らかだ。

もうシャムキャッツとしての4人と会うことはないのだろうかと考えると、しみじみとさみしく、やるせない。思い出のフレームの中ではいつも4人が並び、まぶしいライトの下で輝いている日もあれば、ふと客のいるフロアにやってきて親しげに話してくれる優しいお兄さんたちのようでもあり、そうした彼らからファンにむけられたすべての心づかいに、わたしは慰められ、掬われていた。シャムキャッツはあこがれであり、仲間だったのだ。その裏で、どれだけもがき、くるしみ、シャムキャッツであろうとしたかを、わたしたちはしる由もないのだけれど。

夏目くんは解散によせたメッセージでこう綴った。「このバンドに青春の全てを捧げた事を誇りに思います。」
でもね夏目くん、シャムキャッツはわたしにとっての青春でもあるんだ。それまであまりいったことのなかったライブハウスに飛びこむきっかけになった。会社へいくのがたまらなくつらくても、体がくたくたでも、ボロボロでも、時間さえあればライブにかよった。そこへいけば、気もちがほぐれる、やさしくて心づよい音楽があるから。4人がいるから。
それから、いい友達もたくさんできた。示しあわせなくても、シャムキャッツのライブにいけば必ず友達に会えるという確信があった。シャムキャッツのファンはみんないい人ばかりだよ。みんなでファンのZINEを作ったりしたこともあって、すごく楽しかった。こんなに友達おもいな人たちに巡り会えたのは、間違いなくシャムキャッツのおかげなんだ。そんなことを直接話したことはなくて、それどころかいつも写真を撮ってもらうだけでモジモジしていたよね。でもずっと心の底からそうおもっていたんだ。


今でもときどき、おもいだしたようにシャムキャッツの曲を聴くことがある。いい曲だ。4人にはどこかで会えるとわかっているのに、いつも胸がくるしい。時間が止まったままでいるわたしを、どうか許してほしい。今はこのままで、少しだけ待っていたい。だいすきだよ、わたしたちのファブ・フォー。ありがとう。また会おうね。


P.S. らんまんで、90周年までやりますって宣言していたのを忘れていないからね。

リ・ファンデ『SHINKIROU』のこと

f:id:slglssss:20211212154125j:plainもうずいぶんと時間がたってしまったことだけれど、ある暖かい春の日、青山のインドネパール料理店で、リ・ファンデと近況を話した。世界がむりやりに変えられてからちょうど1年、最近どこかへでかけているか、心地よく仕事をしていきたい、すきなものを自分がすきであれば誰にどうおもわれても別によろしい、などといったことを話したような気がする。彼はぷっくりとしたチーズナンをカレーにつけながらひとおもいにほおばり、想像以上にボリュームがあったのか、しばらくするとお腹がいっぱいになってきたといった。わたしはビリヤニをすくいながら、いつもちょっとだけ食べすぎる彼をみて、しばらく会えなかった友人の素直さに心底勇気づけられた。


1度目の緊急事態宣言明けに制作された前作『HIRAMEKI』から1年、今作『SHINKIROU』が世に放たれた。かけがえのない友人であり、尊敬するミュージシャンであるリ・ファンデの人柄と音楽性が具象化された、傑作である。
『HIRAMEKI』のレコーディングを終えてすぐに息継ぎをして制作期間にはいったようなかたちで、彼が身のまわりで集めて大切に温めたおもいがそこここにちりばめられている。幹になっているメッセージは明確だ。社会のなかで生きながら、自らを偽らず、ありのままであろうとすることである。リ・ファンデはそのおもいを、社会の中にいる、誰かの子であり、親であり、きょうだいであり、恋人で、上司で、部下で、友人で、隣人で、知らない人である「僕」として定義されない、ここにある「僕」と、その僕の目の前にいる大切な「君」とのストーリーに託し、彼自身のルーツであるソウルミュージックへの憧れと、幼少期からはぐくんできたポップミュージックへの愛にのせて届けてくれる。


晴れた空とむこうにぼおっとみえるビル街、波のおだやかな海の、青のコントラストが印象的なジャケットには、サブスクのサムネイルではみえないであろう、点と線でつづられたメッセージがあしらわれているのにお気づきだろうか。ジャケットの撮影地としていくつか候補があったうち、新たな世界への旅立ちをおもわせるこの海辺が選ばれた。ここへは以前訪れたことがあるのだけれど、川の水が海と合流し、広い世界へとでていくことをおもわせるような開放感と、まわりにさえぎるものが何もなく、日差しをうけて一心にきらめく水面のまぶしさをよく覚えている。

リード曲「SHINKIROU」はそんな海のむこう、まだみぬところに、掴めないけれどきっとある大切なことと、それを信じる強さを歌う。

しばらく そのペンを置いて 遠くの見えるところへ
もしかしたら 潜り込んで ブルーを泳いでいける

君がくれようとした その広さは 幼さを
焦がさないように 見ててくれた

君はいる においもしてくるよ 見えない腕で 抱きしめ合おう
憧れて 裸になろう

遠くにいる人に会えないことが日常になってしまったこと、あるいは、近くにいる人と長い時間をすごすうちにこれまでみえなかったものがみえるようになったことに戸惑いながら、味気なく過ぎ去っていく日々をみすごさず、器用に立ち居振る舞えないからこそ、繕うことを避けて、赴くままに「君」と向きあおうとする「僕」は、リ・ファンデの生き方そのものであるとおもう。世の中の枠組みに自分をあてはめるのではなく、「たくましい賢さ」をたずさえて、ゆく先に靄がかかったようなこの世界を進む、勇敢なアンセムである。

照りつける太陽のようなブラスバンド、熱情のなかに爽やかな風をつれてくるSaToA Sachiko氏、Tomoko氏のコーラス、新たに加わったサモハンキンポー氏のパーカッションが音像へさらに奥ゆきをもたらし、次の場所へ旅立つ前に胸を躍らせる様子までおもわせてくれる。


今作ではさらに、リ・ファンデの「心の裏」ともいえるような、これまでみせなかった「指の届かないところ」までもが歌われ、おもわずはっとさせられる。
「パンフレット」は全編のなかでもひときわデリケートな歌声に、胸をきゅっとつかまれるような名曲である。大切な人が大切にするものを、自分がどれだけ、どんなふうに大切にできるだろうかという優しさは、前作の「おかしなふたり」にも通じるような、彼の一途な愛の形なのだ。

失ってみたり 強すぎだったり
そばにいれず
しゃがんでいたよ 暗くしてたよ
もとに戻り
そっと 耳をくっつけてみるよ

エマーソン北村氏によるやわらかく静かなキーボードの音色がふたりの世界に帷をおろし、わたしたちは、寄り添いながらも同じにはなれない者たちが、それでも手をとりあい、一緒に背負うものへの覚悟と、それを分け合って助けあおうとする様子に、おもいをいたすのである。


先日、下北沢440にておこなわれた奇妙礼太郎とのライブで、リ・ファンデは新曲「RUN」を歌いながら、「ここはみんなとコールアンドレスポンスがしたい」と、客席にむかって、コールアンドレスポンスを(ひとりで)再現しはじめた。アルバムではSaToAのふたりとの掛けあいになっている部分である。観客は声こそ出せないものの、手をたたき、ほほ笑み、彼のおおらかなコールにこたえたのだった。会場が人の温かさで満たされた瞬間だった。

君が変えてしまったことで
誰か心配したとしても
それで君の本当のとこは
わかりっこ ないんだから

リ・ファンデのライブへいったことがある方はご存知かもしれないけれど、おそらくこれまで彼は、客席をあおったり盛りあげようとすることはそれほどなかった。それが、このときばかりは客席に呼びかけたり、立ちあがって歌いはじめたりと、ほとばしるようにエネルギーを放出する様子に驚いたのだ。数年前、初めてライブでみた時の繊細さやけがれのなさは内に秘めたままで、なにものにも動じず突き進む果敢さが増したような彼の姿に、ふたたび勇気づけられたのである。


この秋、彼は海のみえるまちへ移り住み、予定になかったであろう道を拓いて歩きはじめている。時代はうつり、予想だにしない出来事が日常の意味を置き換え、変わっていくことへの恐れを抱かずにはいられないときであっても、そっと目を閉じ、内なる声に耳を傾け、心のなかで蜃気楼のようにうかぶ確信をもって一歩を踏みだそう。そのおもいが、愛する人を守り、出会う人たちをふるわせ、新しい世界をつくっていくことを、リ・ファンデはしっている。

slglssss.hatenadiary.jp

休職中のこと

7月末に会社を辞め、今日まで2ヶ月半休職していた。

5月に意気揚々と転職した会社を3ヶ月で退職し、けっこう落ちこんだ。新しいところで新しいことをはじめたいという気もちをぶん殴られてつらかった。直属の上司から(上司とわたしの二人だけのチームだった)、コロナ禍に70%在宅勤務を指示されていながら出社を強要されたり(在宅勤務は3ヶ月間で4日しかなかった)、それでも勤怠を「在宅」に付け替えるように強く言われたり、上司のサポートばかりをさせられ、それから機嫌に任せて言葉のハラスメントを受けるうちに、わたしが壊れてしまわないうちに逃げようとおもった。

取締役や社長や同僚たちから、ハラスメントに気づかなくて申し訳なかったといわれたが、その時はなんと言ってもらえても、なんの慰めにもならなかった。わたしはもっとはやく、誰かにSOSを出すべきだった?誰とも関わらないこのチームから、どうやったら誰かに助けを求められたのだろうか?自分が声を上げることなく、ただ、こと切れるように辞めるという選択をしたのを、情けなくおもっていた。

ちょうど退職する間際に新型コロナウイルスの職域接種があり、最終出社日の2日後に2回目接種を受けた。夏のボーナスもちゃっかり支給されてしまい、自分はボーナスワクチン泥棒だとおもった。ワクチンを打ったところで、出社するわけでもなく、仕事をしていないからといってどこかに出かけられるわけでもなく、朝起きてよく晴れた真夏の空をみながら、ただぼんやりとしていた。


前々職を離れてまだ時間がたっていなかったので、恥をしのんで元上司に相談すると、快く面談をしてくれたのだが、久しぶりに会った元同僚たちの顔をみるだけで安心からか涙があふれでてきてしまい、面談もままならず、挙げ句の果てには社長から(ベンチャー企業のため社長とも近くわたし自身のこともよくわかってくれているとおもう)、「どうみても元気がない。うちにいるときには、もっと元気に自分らしく働けていたとおもう。弱っている時に決断するのは良くないから、1ヶ月くらい考えてからまた話そう」という旨のことを言われ、ごもっともだとおもった。
自分でも驚くほど心身ともに消耗していて、8月の頭から転職エージェントに登録して就職活動をはじめたけれど、オンライン面接とはいえ人前で1時間ほど話さなければいけないのが体力的にもかなり厳しく、面接中にうまく話せなくなったり、面接が終わるとひどく疲れてしまうことも多かった。もちろんそんな状態で面接に通るはずもないが、ある企業の採用担当者から短期離職を指摘され「転職ガチャ」と言われたことにはさすがに腹がたち、その場で退出したかった。部屋にひとりでいるとき、お風呂につかっているとき、口に出して「自信がない」と言ったのはこれがはじめてだった。

とにかく得意なことと苦手なことの差が大きく、特に苦手なことが人並みにもできない。それを、得意なことを頑張ることによってどうにかごまかしてきた。それが、得意なことさえも頑張れない環境の中ではどうにもならず、わたしは無職になることにした。もともとわたしにとっては、働くことのモチベーションが、自分にできることで誰かや社会のためになりたいというものなので、こんなに自信のないわたしにできる仕事はないのかもしれないとおもった。転職エージェントに紹介してもらう求人票をみながら、相手にしてもらえるのだろうかと卑屈になったりもして(実際「短期離職をした人」であることには間違いないのだけれど)、お盆に入るまでは、面接をしてはさらに自信をなくす日が続いた。


時間はたっぷりあった。朝、どれだけ寝てもよかったし、はやく起きてもよかった。夜、眠れなくても怖くなかった。ドラマを続けてみても、本をたくさん買って読んでも、料理をしても、ピアノの練習をしても、筋トレをしても、時間が余った。朝日が昇って、だんだん気温が上がっていくのを感じ、夕日が落ちて夜になるころの風で涼んだ。
それから、ずっとやりたかった韓国語の勉強を始めた。NHKの『まいにちハングル講座』のテキストと音源を購入して、ハングルの読み方や発音を勉強していると、やる気が出て、無力感がまぎれた。語学学習で有名なduolingoというアプリも入れて、毎日ゲーム感覚で単語を覚えて、最近はDropsという単語アプリも追加した。duolingoは今日まで83日連続学習記録がついているので、なかなかまじめにやったとおもう。そのおかげか、先日緊急事態宣言が明けて新大久保に行ったら、韓国スーパーでハングルが読めて、意味がわかったのでとてもうれしかった。Netflixで大流行中の『イカゲーム』は推しのコン・ユさんが出演しているので公開してすぐにみたのだけれど、短いセリフが聴きとれたときには、わたしが韓国語を勉強しているのはこんなふうに、字幕なしで何を伝えたいかをわかりたかったからなのだと気づいて、なんとも感慨深かった。


趣味に没頭しながら9月にはいると、どうしても入社したいとおもう会社の面接にすすむことができ、月末に内定をもらった。やっていけるか分からなくて不安だったけれど、うれしかった。何度も、今度は大丈夫だろうかと気もちがゆらいで、それでもどんどんと日は進んだ。

10月になって、あんなに元気のなかった自分の気もちに、どうやって折りあいをつけようかを考えるようになった。一緒に新大久保へ行った親友に、サムギョプサルを食べながら、こんなことがあったのだと話しているとき、わたしは笑っていた。おもしろおかしく話さなければとおもって。職場でひどい目に遭った話を、あるいは仕事もせず家でぐうたらすごしていた話を、毎日忙しく働く彼女に、つとめて明るく話したかった。

わたしの落ち度も、会社のことも、上司のことも、人と人とのことなのだから、どうにもならないことはどうにもならないのかもしれない。今もときどき、ふとしたときに、上司の声をおもいだして、喉のあたりがつまるような気もちになることがある。けれどもわたしは、久しぶりに着るジャケットをクローゼットから出し、荷物をととのえながら、追いかけてくる記憶を振りはらおうとしている。

明日持っていく書類を書いているとき、昨日買ったbjonsの『CIRCLES』を聴いていた。ライブで聴いたことのなかった「かっこわらい」は春の歌だ。

見慣れない部屋から 見慣れない街を見て
少し不安になっている ここが暮らしになっていく

君に今度伝えたい 何もない部屋は春も寒い
季節は因果律を飛び越えたところだな
羽織る上着1枚見つからないまま朝を迎えた
いつか(笑)になる話さ

明日の朝、わたしは初めて行くオフィスで新しい人たちに出会う。うまく話せるか、まだ自信がない。それでもまた足元にある分かれ道をみて、選ばないほうの道に手をふる。いつの日か、どうすればいいのだろうとおもうしかない日々のことを、そうしたことがすべてだったのだとおもえるようになりたい。

Qoo10 メガ割購入品紹介 後編(2021年9月編)

f:id:slglssss:20211001182956j:plainQoo10メガ割購入品、みなさますべて届きましたでしょうか。通常時は1週間もあれば届くのですが、回を増すごとに注文件数も増えているようで、最後に届いたもので4週間ほどかかりました(さすがに心配になった)。気長に待ちながら注文するのがよさそうですね。

さて前編ではリップが中心でしたが、今回は変わり種アイテムもふくめて紹介します。Qoo10メガ割のメジャーどころはだいたい押さえたよ!という方にもご参考になれば幸いです。

AMUSE ソンスドンアイシャドウパレット

f:id:slglssss:20211001183032j:plain
韓国の「ヴィーガンコスメ」トレンドを牽引するブランド、アミューズ。デューティントなど、透明感があってくすみの少ないクリアな発色のアイテムが人気ですよね。ヘルシーなビジュアルもすごく好み。以前からデューティントのHip Jiroというカラーを愛用していて、ツヤがあるのに落ちにくく、しかもそのツヤが結構長続きするところをいたく気にいっております(容器やフォーミュラがリニューアルしたようなので次回またちがう色を試してみようかな)。

さてこちらのパレット、最近第2弾が発売され、そちらはサンキストという名前の表すとおりのみずみずしくクリアなオレンジパレットですが、今回購入したのは第1弾のソンスドンという9色パレットです。

f:id:slglssss:20211001183055j:plain
雑誌のar(2021年3月号の話です)を読んでいたところ、イガリシノブさんがメイク提案で使用していたのが直接のきっかけ。めちゃくちゃ単純なイガリファンです。
左右の列にある6色がマット、真ん中の上段と下段がパール入り、中央が大きなグリッターという構成。赤みブラウンを基調に、ピンクベージュやカーキなどほんのりとしたくすみと、バチっとインパクトと遊び心のあるグリッターで、とても表現の幅が広がるパレットだと感じました。外観はやや色の組み合わせが難しそうな感じもしますが、肌に塗ってみると色のトーンが近いので(彩度や明度が極端すぎない)、おだやかさや温かみを出しつつ、エッジの効いたパターンまで、まとまり感のあるアイメイクを楽しめます。ソウルのイケてる街、聖水洞(ソンスドン)をテーマにしているのもかなりツボです。

dasiqueの9色パレットをきっかけに、多色パレットの面白さに再び目覚めたのですが、特に韓国の多色パレットの特徴として、直感的に何色か組み合わせるだけでグラデーションや立体感が簡単に作りだせる、つまりはどの色を選んでもいい感じに仕上がる色設計の妙と、さっと塗っただけでブレンドされていく質の良さというのがあるとおもいます。あまり欲張らず3色くらいを選んで重ねていくと、簡単に奥行き感のある今っぽい、あるいは透明感のあるラメがきらきらと輝くかわいらしいルックができるのでほんとうにすごいです。

f:id:slglssss:20211001183655j:plain
手に出してみると、温かみがあって組み合わせやすいカラーストーリーだとわかります
わたしはここ数年、囲み目至上主義モードに入っているので、パレットの3で上下のまぶたをぐるりと囲み、4で上下の目のキワを少し広めにブワッと囲み、最後に5のグリッターを目頭か上まぶたの中央にドンとつけて終わりです。3と4を混ぜてベースに塗り、4をキワに重ねることもありますし、ピンクみを足したい時にはベースに6を、まぶたにツヤを出したい時には、グリッターを使わず、8を上まぶたに重ねています。
ここにWhomeeのパープルのカラーマスカラで赤みを残しつつスッとエレガントな雰囲気にまとめてもよいし、逆におなじくWhomeeの青みグレーのマスカラで温度感を下げてもよいです。

ひとつわがままをいうならば、2と8のパール入りのカラーは、もう少しパールの密度が高いシマーカラーだと嬉しいなとおもいます。2と8の違いは実際に手に出してみないとわかりづらいのですが、2はベースカラーが多くその中に少しラメが入っていて、逆に8はラメが多く少しのベースカラーでラメ同士がつながっているといった感じです。
Instagramなどで韓国のアイパレットを使ったチュートリアルを見ていると、マットカラーでベースを作った後にラメやグリッターを重ねて完成!というものが多いのですが、個人的にシマーカラーがあると、大きなラメやグリッターを使えないシチュエーションのメイクでもツヤ感や立体感を出せてよいというのがありまして…

ただ、韓国のパレットをいくつか買ってみても、シマーカラーって9色とか10色のうち1色入っているかいないかというくらいで、あまり需要がないのでしょうか?(あったとしても、涙袋などに使えそうな明るめの色が多いイメージ)あとはマットカラーでも完全にパサっとドライな仕上がりではなく、ややふんわりとした光沢を帯びているものがあるので、そういうものでうまく表現をするのがよいのかも。マットなベースの上にいきなりラメを乗せることでお互いのテクスチャーのコントラストが際立って、マットベースの陰影感と、きらきらラメの透明感が引き立つということもありそうです。

あ、それからパッケージは、子供の頃に誰もがきっと一度は触ったことのある、水の入った透明なケースの中にラメがシャーっと動くおもちゃ、あれがフタの表面についていて、まさかここが動くなんて!という感じでとってもかわいいです。正直なところかなり厚みもあって重たいので持ち歩きには適していないのですが、たまにシャーっと流して癒されております。



espoir ReBirth Collection ケーキフレグランス

f:id:slglssss:20211001183823j:plain
ブランド10周年を記念したコレクションのアイテムで、もともとは香水がメインだったespoirで大ヒットしたものの復刻版だそうです。香水もあったなんてしらなかった!

f:id:slglssss:20211001183853j:plain
開けたくなるよね
パッケージはミシン目のついたワクワクする化粧箱付き。もちろんもったいないのでここからペリペリとは開けませんが、遊び心があってキュンとします。コンパクトは手のひらにおさまるおもちゃっぽい見た目で可愛い。
f:id:slglssss:20211001183921j:plain
商品説明によると、トップ、ミドル、ベースのそれぞれのノートがあるようで、

  • トップ:レモン、ブラックカラント、グリーンリーブス
  • ミドル:ピオニー、ミュゲ
  • ベース:オリス、サンダルウッド、ムスク

とのこと。

肝心の香りについてですが、公式ページにあるとおりフローラル系です。ただ、わたしに香りの分解能があまりないからなのか、個人的にはトップ、ミドル、ベースの違いはそこまで大きく感じられませんでした。確かに付けてすぐに甘酸っぱく柑橘をも感じさせるフレッシュな香りがしますが、すぐにパウダリーなフローラル系の柔らかい香りに変わり、ムスクやサンダルウッドのような力強い、あるいは深い香りはあまり強く出てきません。

f:id:slglssss:20211001183937j:plain
さらには練り香水なので、かなりさりげなく、香りをピンポイントでまとえて、香りも数時間で薄れていきます。サラッとしたバーム状で、ベタつかず、手首などにさっと塗れるのが手軽で良い感じ。

すっきりとした甘さの柔軟剤やボディクリームの香りが好きな方には好まれそうな、万人受けする香りで、こちらがベストセラーだったというのも大いにうなずけます。人によっては「せっけんの香り」とも感じられるような香調でもあるので、気分転換をしたい時や、清潔感を演出したい時にも良さそうです。

今回は変わり種アイテム枠で購入したものですが、こういったかわいらしい香りをつけるのがはずかしいわたしでも、これならちょっと付けられるなとおもえる、ほどよいあんばいで、案外気にいっています。

女工場 Our Vegan ドクダミ&シカマス

f:id:slglssss:20211001184003j:plain
今回のメガ割で1番最後に届いたものがこちらです。楽しみにしてたよー!

女工場についてはビフィダバイオームシリーズとガラクトミーシリーズを色々試しまして、アンプル、トナー、そしてガラクトミーのシートマスク、それからピュアクレンジングオイルを愛用しておりました。
中でもガラクトミーのシートマスクは、薄くて小さめの柔らかいシートで肌あたりが優しく、シートを外してもさっぱりした肌触りなのにしっかり保湿され、肌がスンと静かになるという安心感が心地よく、機会があればまたリピートしたいとおもっているほどです。

f:id:slglssss:20211001184024j:plain
こちらは同じ魔女工場のVeganラインのシートマスク。肌沈静効果のあるというシカとドクダミがダブルで入っているよという、鎮静に全振りのシートマスクであります。

ところで個人的には、つい最近まで、最近流行りに流行っている「鎮静」という概念があまり理解できておらず、というのは幸いなことに、たとえば肌が火照るとか、赤みが出るとか、そういったことがあまりなかったからというのがあります。

ところが、この春から夏にかけてマスクをして毎日出勤するという場面があり、初めて、なるほど肌がすごく荒れやすいと感じたのでありました。このかたどんな化粧品を使っても大丈夫であった肌が、急に燃えるようにヒリヒリと熱くなったり、化粧水がじわっとなじむたびにしみるような痛みをともなったりと、明らかにこれまでになかった暴れ方をするようになって、これはまさに鎮静なるものを求めているとおもったのです。

f:id:slglssss:20211001184045j:plain
柔らかシートが透けていて今にも顔に載せたくなる!
さてパッケージはTorridenとおなじくすけすけです(個人的には中身の見えない、遮光性のあるパッケージの方が、光変質が防げるものもあるとおもうのですが、こちらは念のため暗いところで保管しています)。シートはなんでもドクダミを70%使用したシートらしく、ミノンのシートマスクとも似ているようなふわふわやわやわの材質で、肌あたりがなんとも優しい。こんなところにも成分推しなんだと感心するばかりです。ただその分シートがやや伸びやすいので、自分の顔のパーツに合わせてシートの位置を調整しながら使っていますヨ。

中身の美容液については、液だれしない程度にとろみがあるものの、基本的にはサラッとしていて、ベタつきがなく、さっぱり系。魔女工場のシートマスクは、肌の上にペタペタ残る美容液(ベタつきともいう)で保湿を表現していないのが個人的に好みです。ちなみにガラクトミーのシートマスクと比べると、こちらのドクダミ&シカの方がよりまろやかでとろみがあります。このあたりも肌への優しさ配慮なのだとおもいます。

シートマスクを付けている間に、何だかぼーっとするというのが個人的によくしていることです。ああ、じわっと美容液が浸透しているなどとおもいながら、シートマスクのパッケージの裏側に書いてある成分を読みこんだり。そのうちに、例えば、これは乾きが早いなとか、液がたれやすいなとか、そういうことに気づいてしまうことも。

ただこのシートマスクを使っている時、あまりにも肌が静かにしているので驚いてしまいました。付けている間しっかり保湿され、液がたれることなんてもちろんなく、そしてヒリヒリすることもしみることもなく、ただ肌がしんと落ち着いていく。シートを外した時には、肌がひんやりと冷たくなり、残った美容液を簡単になじませるだけで、しっとり柔らかくなっています。

これまでシートマスクには、保湿は大前提として、毛穴が目立たなくなるとか、ハリが出るとか、透明感が出るとか、プラスアルファの効果を求めていることが多かったのですが、そういうことを求める以前にとにかく肌が突然荒れやすく、何か上向きの効果を求めている場合ではないという今だからこそ、どんな肌状態の時にも使えて、とにかく肌を鎮めてくれる専門職的なアイテムが、とても心強いです。ちなみに、以前別のブランドでドクダミのトナーを購入した時に結構力強い香りがしたので(それはそれで効きそうな感じもするけれど)気になっていたのですが、こちらには強い香りはないのでその点も良いところ。次はビフィダバイオームのシートマスクも試してみたいなとおもっています。

まとめ

今回のメガ割では、これまで持っていなかったようなアイテムを中心に購入をしました。新しい色やメイクパターンにも出会えて、気になるアイテムも使えたので、良い買い物だったとおもいます。お気に入りアイテムをあげるなら、こんな感じでしょうか。

  1. AMUSE ソンスドンアイシャドウパレット
  2. rom&nd ゼロベルベットティント 18 ペタルタッセル
  3. 女工場 Our Vegan ドクダミ&シカマス

実は今回のメガ割で、購入を見送ったものがいくつかありまして、というのが、最終日の9月9日の後、例年なら9月10日のQoo10の日に合わせて「追撃クーポン」なる追加のクーポンが発行されていたのですが、今年はそれがなく、代わりにプレゼントキャンペーンが行われたのです…
というわけで、次回のメガ割までに、また気になるものをリストに入れておかねばとおもっている次第です。ここまで読んでくださりありがとうございました!

↓前編はこちらから!
slglssss.hatenadiary.jp